嘘つき占い師になったワケ
幽霊は存在するか否かという話題に対して私の持論は頑なだ。
天国だとか極楽浄土だとか、地獄だとか冥府だとか。
そんなものは宗教から生まれた空想上のものであり。
死後の世界という考え方は、人が死後の虚無という恐怖から逃れるために生み出されたもの。
そして時には、地獄という世界によって、死してなお罰せられると教えてわかりやすく罪悪を教えるのだ。
神仏による天啓だ、天罰だ。
これらを使えば、規律を作ることもたやすく、また守りやすい。
ただ倫理を説いただけでは伝わらなくとも。
偶像を持ってして
あの神様はこんなことを言いました。
こんな神様たちのエピソードがあります。
などとお話を聞かせれば少しは伝わりやすくなる。
神様という存在は、人をまとめるためにはうってつけのルールブックの表紙や挿絵となるわけだ。
心霊現象の話も失笑ものだ。
テレビの特番などでは、なんの専門なのかわからない人が投稿された写真を見て。
「これは小動物の霊ですねぇ」
「死んだ女性が怨念となって」
などと宣うのである。
死んだものが姿として現れるなら。
古代生物の三葉虫とかアノマロカリスの霊を出して見せてほしいものだ。
もし降霊術などで昔の人間を呼び出せるというのならば、質問をすることで民俗学にも大きな貢献をするだろう。
貢献できないのはなぜだ。ないからだ。そんなものは。
霊体が仮に存在したとして、記憶を持っていたとして。
記憶が更新するシステムでなければ会話などできない。
霊的な残留思念という考え方は多少リアリティを感じるものの。
今のご時世、もっと世に出ていたり、一分野として活躍しないはずがない。
心霊というのは今や、怖がらせたり楽しませたりする“お話”の領域である。
神仏の存在が自分に対してそこまで影響があるはずもない。
神様を信じる人にも信じない人にも、良いことと悪いことは起こりえるのだ。
“禍福は糾える縄の如し”である。
誰にだって良いことだって悪いことだって起こり得る。
大きなテーマだから、好き嫌いは言うべきではないのだろうが言わせてもらおう。
だって、向ける人全てに気を使った自論など、もはや自論などではないから。
経験上、私は神仏への信仰心によって行動の結果が左右されると言う考えが嫌いだ。
理由となるその経験は祖母の家にいた頃の話だ。
私は小学生高学年の頃から中学生くらいまでは祖母の家に住んでいた。
父は早くに亡なり、母はジャーナリストとして世界を飛び回っていた頃で。
多忙である母は、東京で私を一人残すよりはと祖母の家に向かわせたのだ。
山形県米沢市の外れも外れ、まだまだ周囲が山と水田に囲まれた場所だった。
私はここの生活そのものに全くの不満はなかった。
水も空気も澄み渡り。
空だって背の高い建物が立ち並ぶ東京と比べたら、まるで押しつぶされそうなほどに広く、大きかった。
幼い頃からテレビっ子だった私にとって、テレビ番組の差というものが衝撃的だったりしたが。
それは些細なことだ。
何もかも、祖母の私へ気遣いによる結果であり、そのおかげで不自由なく生活ができた。
欲しい日用品があると言えばお金を出してくれるし。
どこかのお店へ行きたいと言えば渋ることなく車で送る約束をしてくれる。(徒歩で行ける距離にお店がない)
いつも気にかけてくれる祖母は夜中に私の部屋に入ってきて
「今日はしばれっから(冷えるから)、寝れんと思ってあったかい布団持ってきたんず」
と、寝ている私を起こしたりもした。
ともあれ、そんな祖母を好きだった私は、幼心にも殊勝なことに何かしら報いたかった。
家事を手伝い、畑仕事もできる範囲でやった。まだ足りないと思った私は勉強にも力を入れた。
前置きが長くなったか。
学校から帰ってしばしば休んだ後、決められた時間を勉強に費やした。
はじめは自分の部屋で勉強をすることは苦痛だった。
しかし、予習や復習。やり方を覚えてしまえば決まった時間の中で成果を得られる。
ノートを二つ用意して、学校でとったノートを家に帰ってはもう一つのノートに写した。
時間は帰宅後お風呂に入った後から夕飯までの間だ。
食事の後に皿を洗う、その頃になればテレビではバラエティ番組が多い時間帯になるので
ニュース番組の時間帯になるまでくつろいだ。
23時のニュース番組のオープニングは就寝の合図のようなものであり
ニュースキャスターの淡々とした解説を聞きながらテレビと照明の電源を落とした。
テレビの音がなくなった途端、外から鈴虫やカエルの大合唱が鳴り響いてくるが。
程よい疲労感と満足感に満たされた私は、大合唱も慣れれば良い子守唄になった。
そんな生活を続けてどれくらい経ったか。
甲斐あって、小学校から中学校に上がっても成績は上位にあり、テストは満点。
とある理由であまり友人はいなかったというのもあるが。
答案用紙が返された日はすぐに帰り、祖母に見せるのが常だった。
しかし、私はあまり嬉しくなかった。
祖母は喜んでくれる。それでも祖母の言葉にいつも心のうちで納得できないものがあった。
「祈りが通じたねぇ」
祖母は熱心な宗教家であり、それはこの家に来た時から知っていた。
決まった時間に念仏を唱えるのがいつも聞こえてくるのだ。
そのことにはこれまで不満に思ってもいなかった。そういうものだと認識していたのだ。
しかし、良い報告をすると決まって言ってくる。
度々気になっていた私はいよいよ不満を漏らした。
「おばあちゃん。私が頑張って勉強したんだから。お祈りのおかげじゃないよ」
そうかいそうかい。と言ったものの、祖母は次も言うのだから私の感情は収まらなかった。
反抗期のせいもあったのだろう。たったその言葉だけが喉に刺さった小骨のように私の中に残った。
昔から私は繊細だったんだ。
もしかしたら気にしなかっただけで祖母はこれまでも言っていたのかもしれない。
家事や畑仕事の手伝い、生活の中でも私に向けて言う。
成功したり、幸運な出来事が起これば「祈りが通じた」と言い。
失敗したり、不運なことに見舞われれば「祈りが届かなかった」と言う。
まるで全てが祈りによって招いた結果だと言わんばかりに。
頷くだけ頷いていたが、やがてふつふつと心の奥で燻るものを感じた。
そして、ある日私は感情をぶつけてしまった。
台所に立つ祖母と居間にいた私が話をしているさなか。
祖母の「祈り」と言う言葉を発端に、私は堰を切ったように口から言葉が流れ出た。
「ねぇ。なんで……。
もう祈らなくて良いよ!
なんで全部お祈りのおかげなの!?
テストだって良い点取れたのは私が勉強頑張ったんだもん。
良い事だって悪い事だってお祈りは関係ない!
失敗したら何か理由があって失敗したんだよ。
ちゃんと理由を考えないと同じ失敗を繰り返すでしょ!?
お祈りのせいにしちゃダメだよ!」
次第に声が震え、ついには泣いて主張する私に祖母は目を瞑り、ただじっと私の言葉を聞いていた。
包丁をまな板に置き、じっと、しわくちゃな両拳を前掛けがかかった膝にぎゅっと押し付けている。
思い出せば出すほど、もっと言い方があったのではないかと思う。
「……私頑張ったんだもん。
勉強だって、お手伝いだって……!
なんでお祈りがでてくるの!?
私の頑張りはっ、努力はどこにいったの!?
全部全部。私が頑張ったんだからっ!」
そんな主張を、理解したかどうかはわからない。
私が祖母を見てわかることといえば、いたく悲しんでいたということだけだった。
そして祖母が一言。
「ごめんね」と絞り出したような声で言った。
つまるところ、私は報いたいわけじゃなかった。
まして謝ってほしいだなんて思ってもいなかった。
ただ大好きな祖母から褒められたかっただけなのだ。
しかし。自分の努力が成果の全て、そんなはずがない。
祖母が面倒を見てくれたからこそできた努力、祖母に褒められたかったからこその成果だったのだから。
自分の努力が全てだなんていうのは大きな間違いだった。
その後からというもの、私と祖母との間にはこれまでになかった1枚の壁を感じた。
手伝いは相変わらずするし、祖母もお願い事はきちんと聞いてくれた。
それでも、あの時以来から口数や笑いは減った。
ある日祖母に勇気を出して怒鳴ってしまったあの日のことを謝ったものの
色を変えた生活は戻ることはなかった。
中学2年の夏。私は帰国した母に合わせて東京へ戻った。
駅のホームで見送る姿が、私にとって祖母の最後の思い出だった。
中学高校を出て、大学へ進学し、ホームステイのために渡米していた頃に祖母は亡くなった。
私は、後悔の念とともに、未だに「祈り」という言葉に拒否感が根付いている。
それこそが、私が死後の世界や神様などを信じない理由の一つになっているのだ。
よって、私の持論は頑なである。
数年経った今の私は、お世辞にも明るい性格ではないし。
伏し目がちで社交性の乏しい私の見た目のイメージからか。
よく「幽霊を信じてそう」だという印象を与えるらしい。
なので、仕事関係の交流の場では、要らぬ気を使ってくる人が要らぬ質問をしてくる輩がいる。
「幽霊信じる? 霊感とかオレある方なんだよね!」
とか。話しかける口実を作る人もいれば。
「神はあなたをきっと救ってくれる」
などとプライベートでも他の人よりしつこく、宗教の勧誘の人が説いてくる。
薄幸そうで隙の多そうなキャラクターであるだけなのかもしれないが……。
なんにせよぴしゃりと自論をもってして跳ね除ける。
もちろん。心を拠り所にしている人を否定したりはしない。
神職を生業としている人に言うのはもってのほかだ。
私はただ、私の身を守るために否定しているのだから。
宗教や心霊という概念によって、どういう形であれ救われている人はいるのである。
祖母が、私に日々祈りを捧げて勉学を応援し無病息災を願ってくれたように。
その人がしたいと思ってしていた努力を無下に否定することはしない。
もうしたくない。
だからただ、身を守るためのものだ。
それに。
私が霊を感じるとしても、なんだというのだ。意味がない。
これが俗にいう霊能力と呼ばれるものかどうかはわからない。
物心ついた頃からのものなので、他の誰もが同じように感じているものだとばかり思っていた。
神仏、というよりは霊というべきなのか。
しかしテレビでやるような。小動物だとか死んだ黒髪の女性だとか。そういう類は論外だ。
もっとも近い表現であるならば、背後霊、いや守護霊。
守っているかはともかく、私に感じることのできるそれは。
人ひとりがかなず背中のやや後ろに所有している、正体不明の何かである。
見ることはできない。感じるだけである。
ぼやっとそこにあり、喋ることも動くこともしない。
いや、しているのかしてないのかもわからない。
たった一つ伝わってくるものがある。感情だ。
所有者とは全く関係しない感情だけが伝わってくるのだ。
正直なところ、所有だとか憑いているという表現が合っているとも思えないし。
感情しか捉えることができないのに背後霊や守護霊というのも根拠として足らない。
しかし、一番しっくりくるのだ。
誰に相談できるものでもない。
仮に相談したとして
「私も霊感あるー!」と返されたところで信じがたく。
話のオチとして「だからあの道を通る時はあなたも気をつけたほうがいいよ」と
怖がらせて終わるという陳腐、いや王道の締めが待っているだけなのだ。
無駄だと思う。
この霊能力とも言えない何か。
笑い話にしようとしても。真剣に相談しようとしても。
何もかもが中途半端なので、なおさら意味がない。
子供の頃の話をした時に、訳があって友人がいなかったと言ったが。
まさにこれが原因だった。
小学生の頃、考えなしに明かしてしまったことから始まる。
「でも今日はなんか楽しそうだね」
先生に叱られて落ち込んでいる同じクラスの女子に言った一言は悪い冗談と訂正すべきだった。
「私、全然楽しくないんだけど」
何言ってるの? と返すその子の言うことはもっともだったが、私も嘘はついていなかったし。
てっきりみんな見えているものだと思っていたから食い下がった。
「でも、後ろは喜んでる……」
「後ろ? 意味わかんない」
こんなやりとりだったと思う。
周りにいた女子も相手を和ませる冗談だと思ったか、はじめはまぁまぁとなだめていたが。
そのうち食い下がる私を追い払った。
翌日から、おかしく思った私は「あなたのは泣いてる」「あなたのは怒ってる」などと言って回った。
たとえそれらを感じていてもいなくても、だいぶ気の触れていたことをしていたと思う。
我ながら笑えない。
有り体に言えば、軽いいじめの対象となったこともある。
近寄りがたい存在、ウソつきのレッテル。うるさいオカルト女子。
ふざけているならともかく、こっちは真面目にやっているのだからなお悪い。
親身になって話を聞いてくれる子もいたし、面白がって遊び仲間にする子もいたのは救いだった。
そんな小学校低学年の日々を過ごした私に、東京から山形の学校へと転校することになると母から伝えられた。
転校してからは、こちらからもなるべく距離を置くことにしていた。
その背後霊のことを相談したくなってしまうし、した後の結果は見えている。
隠しながら振る舞う態度はどこからか漏れ出てしまうようで。
相手の感情に敏感である子供同士ではどうにも距離を置いていることを悟られる。
大きな支障はなかったものの、中学を出るまで仲の良い友人というものもまたできなかった。
すっかり懐かない野良猫のようにトゲトゲした性格になった私は東京の高校で絡まれた。
勉強はできても孤立している私を、ただの何かの腹いせでいじろうとしてきたグループがいた。
ここまでくるとオカルトとは無関係なものになってしまうが、相手にはわからない。
やれ「幽霊っぽい」だの「なんか呼び出してみろ」だのいうので、ある心理実験の本を参考に反撃した。
私は、液体の入った小さな小瓶を取り出し、コルクの栓を抜いて連中が囲う私の机の真ん中に置いた。
私は鼻を制服の袖で隠しながら言った。
「この匂いを嗅いだら、終わりだから」とだけ。
私自身危ない奴だと思っている。
しかし、すでにターゲットにされているのだから、やってもやらなくてもだろう。
「は? 何それ」
と、グループの一人はいうが、液体の入った小瓶から目を離さない連中。
その中の一人が動いた。
「うっ! なんか臭う!」
その子が腕で鼻を隠すと飛び跳ねるように後ろに下がった。
それにつられて。
「え、マジ!?」
「やばっ、なにこいつ!」
「キモいんだけど!」
「ねぇ行こ!」
蜘蛛の子を散らすように
そこから離れていくグループ。
見送った私は平然と小瓶を持ち、コルクの栓をはめた。
一矢報いた。勝ちは勝ち、しかし雑言は不愉快に変わりはない。
素直に喜べるはずもない。
今まで回避してたオカルトのレッテルを自らさらに貼っていったのだから。
ため息をつきながらカバンに小瓶をしまっていると横から別の女子が来る。
「ねぇ、なにそれ。スッゲェ臭うの?」
私は涼しげに答えた。
「ただの水だよ。水道水」
「ひゃっひゃ。マジかよ。なんだそれ!」
簡単に言えば、水の小瓶を置いた後、それっぽいことを言って騙しただけのこと。
「これは毒かも」という印象共に「臭い」に注意が行き過敏になる。
普段嗅いでいる匂いも、疑ったりする。
あるいは、匂いを感じた。そう錯覚しただけなのかもしれない。
グループのうち一人が引っかかってくれれば、他もつられて思い込む。
予想を上回る結果になった。
最悪下手な芝居をいじりの対象にされるだけの未来もあった。
嘘は、相手を巻き込んでより真実味を帯びさせるのである。
「あいつらむかつくよなー。いやはや、あんたよくやったよ面白かった」
説明を聞いた彼女は、私と話すようになった。
彼女と連むようになった後は特に問題が起こることもなく、楽しく過ごすことができた。
一つ気になったのは、これまで嘘をつくたびに、自分の背後にいる守護霊が
なんだか悲しそうにしているのが伝わってきたことだ。
嘘つきは悪いことだから? 善行をすれば喜ぶのだろうか?
ただ、私の守護霊は嘘をついた時以外はいつも感情は無であり、いることが感じられはしても感情を受け取ることは稀だった。
その後は大学を経て東京の五反田にあるビルの3階から4階にかけての2フロアしかない小さな会社の
事務員として働いている。
少なくとも私には日々のうちに成長し続ける都心に郷愁など生まれない。
ただ、悔いる気持ちに隠れて、あの米沢の山々の風景がたまに過ぎるばかりだ。
最近の話になる。
仕事にもすっかり慣れ、高校からの友人とはたまに飲む付き合いもある。
なんだかんだと私なりの日常を謳歌していたそんな日々のこと。
帰宅のため、駅のホームに着くと、……なんと言えばいいだろう。
人混みの中からひときわ濃度の濃い感情が流れて来る。
悲哀。
胸にダイレクトに刺さり、集中しようものならこちらまで泣いてしまいそうになるほどの悲哀。
これまで一度や二度ではない。こんな大人数の中で生活しているのだから。
そういう強い感情をひしひしと感じることは日常的と言えた。
しかし、記憶に強く残るこのエピソードには理由がある。
私はその悲哀の感情をいつものように、無視して到着した電車に乗った。
電車の席に座り、ホームの方を見てみる。
感情が流れて来る方向にはなんだか顔色の悪いスーツ姿の男がうつむいている。
口が動いている?
もしかしたら何か呟いているのか。ここからでは正確なことはわからない。
なんにせよ、私には関係ない。
感じ取れたところで何かできることもない。
無意味なんだ。
そう思ってそのまま電車が発車するの待った。
山手線の登り。2駅進んだところで、時間つぶしに覗き込んでいたスマホにニュースが流れた。
私が乗った駅のホームで線路に物が落ち、その撤去作業のために遅延するとかどうとか。
噂によれば、その実態は飛び込み自殺だということを聞いたことがある。
推測でしかないが、私が見たあのうつむいた男はあの後線路に飛び込んだのか。
実際のところ正確な事を知ることはできないが。
これまでの生活していた中、腑に落ちることはたくさんあった。
未だに私が得体の知れないものを「守護霊」と呼んでいるのもそこにある。
この先に起こる所有者の死を悲しんでいる。
死を選ぶ所有者の気持ちを汲んでいるのか?
いずれにせよ、所有者の未来と無関係とは言えなかった。
守護霊の感情はこのケースに限らずたまに刺さるように感じる。
居酒屋で店員に不必要に文句をつけ、挙句に突き飛ばした酔っ払いの男がいた。
守護霊からは怒りのようなものを感じた。
失恋でなく私と同い年くらいの女がいた。
予想外にもその背後のものは楽しそうにしていた。
所有者と守護霊の感情は一致しないようだ。
“私の”に至っては、悪徳という悪徳ではなく、嘘をついた時くらいしか感情を示さない。
どういうものなんだろうか。
ただ、必ず一致するのが。先の刺すような悲哀くらいだった。
現在もそんなことを考えたって活かす方法はない。
死にたいと思ってしまう人がいたところで私に何ができるというんだ。
自分だって、不幸ではないにせよ、誰かを救えるほどの人間ではないんだ。
下手に手出ししたってろくなことにはならないだろう。
普通に考えたらそうだ。
そして今日。
いつものようにタイムカードに退勤の打刻をした私はビルを出た。
日中降っていた雨はすっかり止んだようだ。
駅に向かって歩いて行くと、その子供すれ違った。
強烈な悲しみ。油断していた私は、無表情のまま左目から涙がこぼれ落ちた。
一瞬だけ見えたその男の子は、確かに落ち込んでいたようなのはわかった。
しかしその背後のはなんだ。
嗚咽が聞こえてきそうなほどの。胸を圧迫して来る感情によって圧倒される。
私は涙を拭いては少年の方へ振り向いた。
小学生? 10歳かそこらだろうか。
あの子は、そうか。これから死のうとしているのか……。
私は前を向きなおし、ゆっくりと歩き出した。
あの感情が少しずつ遠くなって行くのを感じる。
私には何もできない。するべきじゃない。
話しかけたところで、なんて言えばいいのかわからない。
何も知らない人が何か知った風な口を聞いて救えるのか。
助けられないし、助けたいわけじゃない。
普通に考えて無意味だ。
私は歩いて行く。
もうすぐ、完全に感情を感じ取る範囲から消えそうなところで私は立ち止まった。
ーー違うな。
違う。そんなんじゃない。
助けたいわけじゃないって、それは嘘だ。
普通に考えてってなんだ。
それはただ、私がひねくれた姿勢で、冷めきった目で、穿った見方をしてるだけじゃないか。
死後の世界は信じない、神仏は信じない。
祈りという言葉は今でも嫌いだ。
嘘が混じったことであれ、身を守るために頑なに貫いた思いだ。
人に押し付けてはいけない考え方だ。
そこを理解してるからこそ自分の守りとなっている。
しかし、あの子を放っておくことはできない。
そこに嘘はつけないんだ。
ついちゃいけない。
仮に守護霊がそのまま、代々守るご先祖様の幽霊なのだとしたら。
先祖が泣いてしまうほどの状況。
つまり。あの子にとって、死が唯一の救いと思えてしまうそんな悲しい状況が。
目の前で通り過ぎようとしているんだ。
他の人にはわからない。おそらく私だけが知っている。
私が止めなければあの子は死ぬだろう。
私は−−。
私はあの子を助けてあげたい!
私は踵を返して走り出した。
雨に濡れて街灯をギラギラと反射するアスファルトの上を不恰好に走る。
最後に走ったのは何年前になるか。
走り方なんて忘れてしまったから周囲からはさぞみっともない姿に見えただろう。
その子の感情は未だ強く。場所ははっきりとわかる。
近づくと、私の激しい足音と荒い息に気づいたか、男の子はゆっくりと振り向いた。
私は、影響かなんなのか、すでに涙目になって少年を見据えた。
「ねぇ、君ちょっといい?」
声をかけたが、その後どうしていいかわからない。
何か言わなきゃ、例えわかりやすいような嘘でも。
引き止めて、話をする状況に持っていける嘘が。
「なんですか?」
と、覇気の全く感じられない声が私を焦らせた。
もはや考えている余裕はなかった。
「私……。
えっと……、私は占い師なの。こう見えてもね?」
そう言って、カバンの中から、いつからかお守りみたいな感覚で忍ばせていたものを取り出した。
いつかハッタリをかました、水の入った小瓶である。
「しかも、おまじないもできる。すごい占い師なんだ」
嘘をついたので、自分の背後のものはてっきり悲しむとばかり思っていたが。
どうやら違うようだ。
悲しむどころか−−。
なんだ、嘘をつくから悲しんでいたわけじゃなかったんだ。
私は、私の中で何かブレイクスルーをするのを感じた。
霊的なものでもなんでもない。鼓動だ。心臓から体全体にかけて。
冷え切った全体を脈打って温まるような感覚。
体が暖かい。
今なら、この子の未来を変えることができる。
どんな嘘をついてでも。
これまで自分に嘘をついてきた私は。
これから誰かに嘘をついていく私となって。
本当の私を始めていくのだ。
「占い師?」
「そう、占い師。ちょっとだけいいかな?」