風鈴シルエット
先日、風鈴市で風鈴を買ってきたので、その記念に。
「歌ちゃん、あいすくりん、食べませんか?」
僕がそう尋ねると、しばらくみんみん蝉の声が流れてから、
「いりません」
と返事があった。
「あ、そ……」
僕はアイスをひとつだけ手に取って、冷凍庫の扉を閉めた。ダイニングテーブルに戻ってさっそく食べ始める。
「いただきます……と。……あー、これこれ。冷たくて美味しいなぁ……」
濃厚なラムレーズンのクリームはまさに大人の味。この世にこんな喜びがあるなんて、幼い彼女はまだ知らないのだ。
でもまあ、それでいいよ。君はゆっくりと大人になればいい。夏の強い逆光に照らし出されるその小さな背中は、きっとみるみるうちに大きくなって、いつか蜃気楼のように触れることができなくなってしまうのだろう。
そういえば最近、未歌子はすっかり泣かなくなった。ご飯もこぼさず食べられるようになった。そして何より、頑固なところは、ますます母親に似てきた。
僕はスプーンを口にくわえると、指でファインダーを作って夏の一コマを切り取った。そして再び、やれやれ、とワープロに対峙した。
真っ白の画面。白昼夢。
みんみん、みんみん、蝉が鳴く。
暑い無風地帯だ。
「ねえ、歌ちゃん」
「はい」
「そろそろ窓を閉めて、エアコンをつけませんか?」
僕は単刀直入に切り出した。
「いやです」
「その気持ちは分らないでもないけど、このままじゃ、歌ちゃん、熱中症になっちゃうよ。僕も、ワープロくんも」
「ワープロくんも?」
「そうだよー。機械も暑いのは苦手なんだよ」
未歌子はやっと振り返った。
「じゃあ、風鈴も、暑いのは苦手?」
真剣な瞳が潤んでいる。優しくてかわいい、素敵な娘だ。
「そうだよ、たぶん」
とりあえずそう答えてから、悪知恵が働いた。
「──あ、もしかしたら、だから鳴らないんじゃないのかな? きっと今日は、暑くてバテてるんだよ。だから涼しい部屋に入れてあげようよ」
云うと、今度は怪訝な表情を露わにして、ぷいと縁側の外に視線を戻してしまった。
「うそばっかり。 風鈴は大丈夫だもん」
賢い娘だった。
「そうだね……。風鈴より先に、僕がバテることは間違いない……」
僕は一人でそう云い、諦めて暑い中での仕事を再開した。
しばらく我慢してキーを叩いていると、日差しがゆっくりと和らいで、午后の光に包まれた。未歌子は相変わらず静かにしているので、仕事もなんとなくはかどってきた。そしてちょうど忘れかけていた頃にリーン、という微かな音が響いた。
「あ、ほら。風鈴、鳴ったね」
風に誘われるように縁側を見やると、未歌子は眠っていた。僕はそっと椅子から立ち上がり、彼女のそばに腰を下ろした。少し汗ばんだ細い髪が、皺一つないおでこに張り付いている。さらさらとした清潔な汗と、確かな寝息が、愛おしかった。
「おかあさん」
ふいに未歌子は云った。寝言だった。
リーン、と、また風鈴が鳴った。
ああ、そうか……そういえばお盆って今日だったっけ……。
僕は流れる汗をそのままにして、目を閉じてみた。
家族三人、縁側で。
古き良きニッポンの夏だ。
END
お読みいただきありがとうございました。
皆様も良い夏を。