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ダブルソウル『にこたま』  作者: 三島 宏幸
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涙のKISS

右京は昨夜もなかなか眠りつくことができず、閉じたカーテンの隙間から、薄白い光が洩れる頃、ようやく浅い眠りに落ちることができた。

夏祭りの夜店の金魚すくい。

金魚になって泳いでいるのは右京。

水浅いところをゆらゆらと泳いでいる。

だけど、無邪気な子供は無慈悲なポイで金魚を追い詰める。

逃げても逃げてもポイは破れずに追ってくる。

逃げ場をなくした金魚は掬われて、夢の中から引き上げられる…


「早よー起きんさいよ!今日は式があるんじゃけ!」


見ていた夢と現実の区別が曖昧なまま、右京はどうにか瞼を持ち上げて、首を捻り安眠を妨害する騒音を睨んだ。

そこには腰に手を置き、仁王立ちの姿で、いとこの美由紀が立っていた。

『ひめ』こと、麻織美由紀は右京と同い年の女の子で、地元の公立高校に通う一年生。性格と広島弁がかなりキツめ。

『ひめ』と呼ぶのには、たいした理由はないのだけれど、幼い頃にそう呼んだ名残みたいなものだ。

今、右京は美由紀の家に住んでいる。正確に言うと父の実家、父の兄、叔父さんの家と言うべきかも。


「もー!いつまで寝とるんねっ!昨日あれほど言われたじゃろ?今日は大事な式じゃけ早よー起きて支度しんさいよって!それなのにあんたは〜」


あーだ…こーだ…

ひめの説教はまだ続いているが、右京はもう聞く耳を持たない。ひとしきり口撃を浴びせたのち


「早よーしんさいよっ!」


と、もう一度、嫌でも聞こえるように言ってから部屋を出て行った。


右京は訳あって住み慣れた大都市、東京を離れ広島県に引っ越して来た。

小さい頃は正月だのお盆だのには、両親に連れられて泊まりにも来ていた広島なのだけれど…

広島県でも県北に位置づけられる三次市は山々に囲まれた盆地にある町である。

主な特産物としては、ピオーネ、それを使ったワインなど、夏には鵜飼いや花火大会、冬場には霧の海と呼ばれる雲海が観られる…まあ…田舎だ。


幼い頃の右京達は、大歓迎の叔父に連れられてよく山や川にも遊びに行った。

渓流で釣りをしたり、森に入ってカブトムシを捕まえたりと、都会の子供が喜びそうなイベントをたくさん考えてくれた。

しかし右京は、川に行けば、濡れた岩場で足を滑らせてドボン。

びしょ濡れになった右京を見て


「河童が出たぞー」


と笑われて記念写真をパシリと撮られた。

山に行けば、虫取網で葉っぱに隠れた蜂の巣をつついてしまい、怒った蜂に追い回されて、挙げ句切り株に躓き転んだところをチクリとやられて大泣きに泣いた。

叔父さんは真っ青な顔になって慌てて近くの病院に右京を連れて行ってくれた。


「ごめんの…ごめんの…」


と何度も謝る叔父さんに、右京は逆に謝りたくなった。

生来、読書やゲームなどのインドアを好む右京にとっては、アクティブな催し事の全てが苦痛で、ある意味これは修行なのではないかとさえ思えてしまう。

それに加えての情けなさと恥ずかしさも相まって、広島の片田舎、この町には良くない想い出と苦手意識が出来ていた。



右京は大あくびを動力源にして布団から這い出ると、いつものようにお風呂場へと向かった。

寝てない割に今朝も寝癖がすごい!

寝癖のパターンは主に5種類。

今朝のはパターン1で、右側から風に吹かれたような形でフリーズしている。

右京の寝癖はクセがすごい!どれだけドライヤーで丁寧に伸ばそうが引っ張ろうが、形状記憶されてるみたいに変化なしだ。試行錯誤の末、面倒でも急がば回れで、シャンプーし直しが1番という結論に落ち着いていた。



右京の朝風呂は日課になっている。

ふぅー 顎まで湯船に浸かると大きく息をはき出し目を瞑る。

ふいにアレが来た、来た、来た…

忘れられる筈もない…まるで昨日の事のように感じる。

隙を窺い、狙いを定めて飛び出した、暗い闇が心を覆う。

思い出さない 考えない 悲しい 寂しい どうして

どうして

どうして………

毎年恒例のお盆の帰省。

母の実家も広島なので帰省のはしごになった。

新幹線で広島駅に着いてからは、レンタカーを借り、父の運転でのドライブ。

交通機関の乏しい田舎では、車があった方が何かと便利良い。

自家用車を持たない一家は、年に一度のこの帰省ドライブをわりと楽しみにしていた。

今年の車内もテンション高めで、遂に話題は学校のグレーゾーンにまで及んだ。

右京の担任の先生は実はヅラ?ヅラっぽいけどヅラではない?

どちらにしても、不毛な論争が繰り広げられた。

普段は人の悪口は言うもんじゃないよと諭す母も、


「襟足が不自然でおかしい?」


などと独自の切り口から攻めてきて車内を盛り上げた。

結局のところ、どっちでもいいかぁって決着で皆で大笑いした。立ち寄ったサービスエリアで夕食をとった。右京はカツ丼セット、左京は焼き肉定食を注文し、お互いのを食べ比べては


「そっちの方が良かったー!もうちょい食わせろ」


「嫌だよー!自分の頼んだのを食べろよ」


などと、いつもの小競り合いが始まると、父も母も、やれやれまたかと互いの顔を見合わせては苦笑していた。



ああ… 左京…双子の弟…

左京は自分で言うのもなんだけど、兄の右京とは正反対の性格で、実にアグレッシブ。何かにつけて


『Don't think ! Feel』


と、ブルース・リーの燃えよドラゴンの劇中の台詞を口にしては、どこか意味の違うような行動をとっては右京を驚かせ、呆れさせていた。

特に中学時代の左京たるや、テレビで観た高校野球の一年生エースの力投に感動し、野球部入部を決意。

ずぶの素人からのスタートながら、あれよあれよという間に、エースの座に収まっていた。

元いたエースや先輩を押し退け、レギュラーに選ばれたにも関わらず、左京のことを疎ましく思ったり、チーム内の雰囲気が悪くなるような事などまるでなかった。

昔から左京の周りには不思議と良い空気が生まれる。

人を惹き付ける魅力と言うか?

あんまり持ち上げ過ぎるのも癪だから!

生意気だけど憎めないやつってことでまとめておこう。


万年、初戦敗退の弱小チームは、エース右京を擁して奇跡の快進撃を果たす。

双子で生まれた右京と左京は、顔も背格好もそっくりなのだが、決定的に違うものがあった。

性格の他に、運動神経だ!

片や右京の運動神経はぶち切れているのに、左京ときたら何をやらせても人の倍、3倍は出来るのではないかと思わせるほどの能力を発揮した。

かねがね右京は、母さんのお腹の中にいるうちに、左京に運動神経を全部取られて産まれたのではないかと思っていた。

僻みではない。

確信!真実だ!


快投を続ける右京を、危なげながらも必死の守備で盛り立てる。

弱小チームはついに地区大会の決勝まで勝ち進んだ。

決勝でも好投を続ける左近だったが、相手チームの四番バッターが放った右中間への大飛球によって、危なげなバックははついに危ないバックになった。

飛球を追っていたセンターとライトが交錯して落球。

焦ってボールを拾い上げたセンターからの送球は中継のセカンドの前でバウンド。

これをセカンドがファンブル。

打ったバッターは既に三塁をオーバーランして本塁を窺っている。

セカンドからの矢のようなバックホーム。

しかし、どう見ても高い。

飛び上がって捕球を試みたキャッチャーの遥か上を通過して行った。

相手チームの四番バッター、本名は今となっては不明だけれど、通称ジャイアンと呼ばれていた。

身長は他の選手達より頭ひとつ抜け出ており、体重の方もかなりのもので。

すでに中年を思わせる腹の出っ張りようで、その容姿から、友情応援に駆けつけた左近の悪友達の格好のヤジの的となってしまっていた。


「年齢詐称ー」「助っ人OB」「監督が試合出て良いのかよー」


などなど、数々の汚くもウイットの効いたヤジが、緊迫した試合展開とは裏腹に、スタンドの空気も和ませていて、堪えきれず笑ってしまう父兄もちらほら。

当のジャイアン選手はと言うと、涼しい顔で受け流していたように見えていたんだけどね。

三塁を回ったジャイアンは鬼の形相で本塁に突入して倒れ込むように滑り込んだ。バックホームに備え、キャッチャーのバックアップに回っていたピッチャー左京がボールを掴む時には審判のホームインのコールが聞こえてきた。

高々と片手を挙げガッツポーズをしたジャイアンは、悪友達が陣取る静まり返ったスタンドに、燃える目で一瞥をくれた。

あら!

やっぱり気にしてたんだね。

結局、その一点で試合は決着したが、準優勝はこのチームにとっては恐れ多いほどの栄誉で、誰もが歓喜した。



それから一週間もしない内に…


「サッカーってカッコ良いよなー」


「えっ!野球は?」


「チッチッチッ(笑)」『Don't think ! Feel』


しばらくして…


「バスケカッコ良いよなー」『Don't think ! Feel』


「バレーカッコ良いよなー」『Don't think ! Feel』


その後も『Don't think ! Feel』『Don't think ! Feel』

『Don't think ! Feel』『Don't think ! Feel』


移り気なのは困りもんだけれど、挑戦した全てのスポーツで左京はチームを勝利に導く活躍を見せた。

最終的には何部に所属しているかわからず、試合前には各部から助っ人の依頼が入る形となり大歓迎で迎えられた。

中学時代の左京は学校のスターだった。

高校進学にあたっては、数々のスポーツ有名校が左京の入学を熱望し勧誘を行ったが


「家から近いから」


と言う理由で右京と同じ、目立った取り柄のない、ごく普通の公立高校に進学した。

高校に入ってからは


「芸術って凄いよな?爆発だよな?」


と言って絵を描くことに熱中した。

画材を持って毎日スケッチに出かけては、暗くなる頃に帰って来る左京。

自慢げに本日の自称傑作を見せてくるのだけど、右京は昔テレビで見たことのある、象が鼻で筆を持って書き上げた絵を思い出してしまった。

さすがに不憫に思った右京は


「なぁ、ちょっと絵は向いてなくない?前みたいにスポーツやった方がお前にはあってるよ」


と進言したのだけれど、そんな危惧などどこ吹く風で、


『Don't think ! Feel♪』


いつもの調子で左京は答えた。

うん、今度のはなんとなく意味あってるかな?


『考えるな!感じろ!』か!


右京は心の中で苦笑した。



一家を乗せたレンタカーは高速道路を県北、三次市方面に進んでいた。

賑やかだった車内も満腹が影響してか、誰もが口数を少なくしていった。ウトウトしている母、右京、左京への報復に、運転手役の父がカーラジオのボリュームを少しずつ上げては、三人の反応を試していた。

右京の耳にも入ってきていた。

プロ野球のラジオ中継は8回裏、地元広島カープが同点に追いつくかという場面だ。

その時ふと


「あれ?前の車停まってるぞ!」


父が呟く。それに続いて急ブレーキ!

追突事故は無事、免れた。

レンタカーの中の右京達も、身を起こして前方を凝視する。

暗闇の中で、ヘッドライトに照らし出された前方には、無惨にもフロント部分を大破させた大型トラックが、横倒しになって道を塞いでいた。

右京達の車の前には同じく、どうにか追突事故を免れた車両が4、5台ほど停まっている。

やっと状況がわかってきたところで…

後方で急ブレーキをかける、ギャギャーっというスキール音が響いた。

それから病院のベッドで目覚めるまでの、右京の記憶はない…

三人は死に…右京だけが残された…



右京は、いつの間にか流れていた涙を隠すように、湯船に潜り息を止めた。

その時

何故か目の前がチカチカと?

手足も思うように動かない!

このままじゃ溺れる!

風呂で?まさかまさかまさか……!

しかし意識は遠退いていった…

んんん~?

どこだよ、ここ?

右京は真っ暗なトンネルの中にいる。

遠くに見える出口からは、眩しいくらいの光が差している。光に集まる羽虫のように、その光に誘われて歩いて行く。

トンネルから出てしばらく歩いて行くと、お花畑に囲まれた大きな川が見えてきた。

右京はどうしてもその川を渡って向こう側に行きたい衝動に駆られた。

なんとか歩いて渡れそうな浅瀬を見つけて、バシャバシャと川を横断して行く。

途中、腰の高さまで沈み、水の勢いに押されては流されそうになりながら、どうにか向こう岸に辿り着く。

そっち側は居心地が良かった。

今まで、表に出て来ないよう心の奥底にギュっと押し込め蓋をして、それでも不意に漏れ出ては右京の心を覆ってきた暗闇さえも、雲散霧消してゆくようだ。

心も体も軽くなり、今なら何処までも進んで行ける。

大きく息を吸い込んで吐き出すと、再び歩き始める。

その時!


「小僧!小僧!」


と呼ぶ声がした。

今、ここには右京しかいない。呼ばれているのは自分かと振り返り、声の聞こえた方を見た。

渡ってきた川の向こうからだ。すると


「小僧!お前だ右京」


名前を呼ばれてドキリとした。

続けて川の向こうから、よく透る声で


「我は巫女の願いを受けてお前を護る者なり。よって右京、お前に尋ねる。お前はこの世に未練はないか?やるべきことをやり、成すべきことを成したか?」


その問いで、やっと右京は自分が死んだこと、さっき渡ったのは三途の川だったことを知った。

しばし俯き、やがて顔を上げた右京は笑みを浮かべていた。


「もう苦しいのは嫌です。悲しいのも、寂しいのもうんざりだか

ら、僕はこの先に行ってみようと思います。ここはとても心安らぐから」


「巫女との約束は必ずしも守られずとも良い。お前が望むならということだ。なれどもう一度お前に問う。この世に未練はないか?」


これが最後の問いかけだろう。

右京は心を決め、その問いに答えようとしたその時!

あの煩わしい広島弁が聞こえてきた…景色が風呂場へと移る。


浴槽から引き上げられた右京は裸のまま横たわっている。

右京の体を激しく揺さぶり、泣きじゃくっているのはひめだ。

髪も服もびしょ濡れで…きっとひめが引き上げてくれたんだな。

大声で


「右京、右京」


と名前を呼んでいる。


「なんで?なんでよ?返事しんさい!……」


涙声で後の言葉は聞き取れない。


「ありがとう、でももう良いよーオレは解放されるんだ。この孤独からね」


右京はひめにそう言ったが、右京の声はひめには聞こえないらしい。


泣きじゃくり、荒くなった呼吸を呑み込むと、奥歯を噛み締め、ひめは泣くのをグッとこらえた。

そして優しい顔になって、右京の顔に顔を寄せる。人差し指と親指で鼻をつまむと、唇を重ねて息を吹き込む。

胸部の膨らみを確認しつつ、何度も何度も繰り返す。


その光景に、右京の目から涙がこぼれ落ちた。


ゴシゴシと涙を拭って目を開けると、景色は三途の川を渡った川原に戻っていた。最後の問いかけに答える場面だ。


右京はしっかりした口調で答えた。


「僕は戻りたい!僕はまだ涙を流したい!苦しいことにも、辛いことにも。そして幸せなことにも!もしも願いが叶うなら、あの場所に帰りたい!」


「巫女との約束により、その望み叶える!」


三途の川の向こうから大音量の声が宣言した。

すると右京の体は、突然巻き起こった竜巻に絡め取られた。

体の平衡は保てず、風の中をぐるぐると回った。

三途の川を上に下に見ながら渡った。

そして右京は帰って来た。



目を開けるとそこにはひめの顔があった。

人工呼吸は続いており、重ねた口から温かな息が吹き込まれてきた。

右京はたまらず手足をバタバタさせた。

それに気づいたひめは体を離して右京を覗き込むように見た。

真っ赤な顔で咳き込んでいる右京。

顔に朱みがさし、呼吸を繰り返す右京を見て、ひめはまた泣き始めた。


「もーほんまバカなんじゃけぇ…」


その後の言葉も涙声で聞き取れない。今度はバシバシ叩かれた。泣きながら何度も何度も。



「ありがとう」心を込めて右京は言った。






続く

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