乾坤一擲の戦い
◆
『じゃあねアンリ、また明日学校でね』
それがアンリエッタが親友と交わした最後の言葉だった。
『あんた最近太ったんじゃない?ゲームばっかやってないで運動もしなさいね』
それが彼女が母親と交わした最後の言葉だった。
『おめでとう! 君は選ばれしものとしてこの世界に転生したのだ!』
それが彼女が冒険者として生まれて初めて耳にした言葉だった。
『お前は僕の花嫁になる為に呼ばれたんだよ。それ以外に理由なんてない。本当にそれだけなんだ』
それが彼女を絶望の底に叩き落とした言葉だった。
『自殺?いいよ。見ていてあげるからしなよ自殺』
それが、今も彼女を生かしている言葉だった。
時折アンリはその日々を思い出しては一人膝を抱えている。
どうして受け入れられるだろうか。誰も明日死ぬなんて考えない。増してやゲームの最中に異世界に飛ばされるなんて誰も考えやしない。
思い残したことがあるかと問われれば数え切れないほどある。
もっと家族と過ごしたかった。友達と遊びたかった。学校に行きたかった。
観たい映画があった。買いたい服があった。もうすぐ成人式だった。
家族に碌な言葉も残せなかった。もう会えないと思うだけで死にたくなる。
結局のところ、アンリはこんな世界一切望んでいなかった。
ゲームは好きだ。だが元の人生を捨ててまでゲームの世界に行きたいかと聞かれれば即座にNoと答えるだろう。
誰が日々モンスターを撃ち殺す職なんかに就きたいと思うか。
彼女には何かの悪い夢かと思うしかなかった。これが現実なのだと受け入れるのに1ヶ月以上掛かった。
それでも彼女はこの世界が嫌いだ。この世界に、彼女が望むものはない。
超人のような強さなんていらない。全てを見通す眼も必要ない。絶世の美女の容姿すら彼女は欲してなかった。
ブラックリストに認定されているせいで冒険者はおろか、他の職に就くことも出来ず真っ当に生きることも出来ない。
結局、アンリに残された選択肢は限られていた。
その内の一つがブラックリストの人間が集まる、ある種の何でも屋だった。そして彼女はその道を生きることを決意した。
それでも彼女の中には今も満たされない嘗ての自分への想いが詰まっている。決して解決することが出来ないそれは切り離すことが出来ない呪いとでも言うべきか。過去の平穏で幸せな暮らしが今の彼女を悩ませている。
自分が何なのか分からなくなる。人と呼んでいいのかも曖昧だ。ゲームのデータを基に人工的に作られた肉体を果たして人間と呼んでいいのか。
生まれの故郷もない。血の繋がった肉親もいない。この世界と自分を繋ぐものは数メガバイトのアバターの姿しかない。
こんな世界で望むものがあるとするなら、それはきっと―――――
そこでアンリは思考を止めて膝にうずめた頭をもたげ、視界に映る景色の遥か先に目を向ける。
常人では捉えることも困難な距離にぽつりと点在する人影を見つめアンリは短く呟く。
「あぁ、来たか」
億劫そうでありながらどこか嬉しそうな声色でアンリは立ち上がり、己の愛銃を取り位置につく。
「乾坤一擲の戦いってところか。おいでバッキー、優しく射殺してあげるから」
◇
ベヒーモスを崖の底に落とした後、俺は崖の横穴の中で横たわってワイヤーフックの中に潜ませてあった薬の袋の中身をありったけかき集めていた。
微かに残っていた白黒の粉を一息で鼻孔から吸い込む。
すると次の瞬間、頭の奥が焼け付くような痛みにも似た刺激が駆け抜け、それが何なのかはすぐに頭が理解した。
「あァッ!クソッタレ! アシュの野郎、薬の中に火薬混ぜてんじゃねぇかよ」
一度目は窮地なだけに気付きもしなかったが、今回はそれが顕著に表れてきた。
小さな横穴の中でゴロゴロとのたうち回りながら、頭の中の激痛が収まるのを待つ。
それ以前にさっきから体の内側からビリビリとした妙な感覚が断続的に続いていた。恐らくはベヒーモスの魔力の影響か。二回も魔力に突っ込めばこうもなるだろう。
見える範囲で自分の姿を見てみればそれはもう惨い姿だ。身体中から皮膚を剥がして血で塗り固めたような有様だ。
「あー、グロい。ひっどいなこりゃ」
真っ赤な手で頬をなぞってみるとべちゃりと重たい水音がして赤色の手がより赤く染まる。
鏡でもあればすぐにでも今の俺がどうなっているか確認した後叫んでいただろう。
「何で俺死んでねえんだよ?ははは……血の量やっべ」
やがて微かな薬が効き始めそんな些細な疑問もどこかへ消え去っていく。
身体を起こし、重い溜息を一つ吐き出す。
「今日死ぬかもしれんなぁ。普通にありえるだけに笑えね」
血を含んだ唾を吐き捨て、気持ちを入れ直す。
弱音を吐いたところで事態が好転するようなこともなし。
また俺は一本道の穴の中を歩き出した。
すると、ほんの数分歩いたところで、出口と思わしき光が見えてきた。
さっきまで十階層にいたことを考えるとこの先は十一、もしくは十二階層か。もはやそんなことを考えるだけ不毛な事か。
当初の目的なんて思い出すのも難しい。アンリを殴り倒して帰るぐらいしかないがそれでいいとしか思っていない。
光に近づくに連れ、地下迷宮に来てから感じたことのない眩しさに目を細める。
どのタイミングでアンリが仕掛けてきても対処出来るよう最大限用心して入口付近まで歩いていく。蛍光塗料が途切れているのを見るにこの先にアンリがいるとみて間違いない。
穴をを抜けると、目の前を眩い光が覆った。今までの階層にあったぼんやりとした灯りなどではなく、照りつけるような赤白い光、それはもう太陽と言っても過言ではない。
遥か上空に聳えるそれは地上の光と同種のものと言える。
目も慣れてきたところで目の前の景色がはっきりと映し出される。
辺り一面に茶と緑色で生い茂る草原が広がる。遥か先まで見渡せそうな程平坦な草原には点々と背の低い木が伸びてるだけで先ず隠れることは出来ないとみていい。
頭上は青空のような景色が浮かび上がっており、太陽のようなものも相まって地下迷宮の構造を疑いたくなるものだが、今更そんなことにつっこむ気もしない。
まるでサバンナのようだと思いながら後方を振り返れば、頂上が見えない程高い岩壁が目の前に広がっている。
こんな草原で狙撃手が戦うとするなら、見晴らしが良い場所を陣取って先ず地の利を得る筈だ。
そう考えるなら、狙撃可能な距離にある高所を探せばいい。
周囲をぐるりと見渡せば、それは容易く見つかった。
十時の方向に見えるのはだだっ広い草原で不自然なまでに盛り上がっている小さな丘だった。
地層が隆起して形成されたようなそれは、狙撃するには距離、高さ共に絶好の位置なのではないだろうか。
体をそっちに向け、じっとその丘を見つめ一歩足を進めた次の瞬間、すぐ近くの草原の中からよく聞き慣れた声がした。
『やぁバッキー、とっくに死んでくれてると思ってたよ』
腰を折って、地面に落ちていたそれを拾い上げる。
古くはあるが使う分には何も問題はないだろう拳サイズの無線だ。
ここまで準備してるということはアンリにとってここまでは想定内ということか。
『酷い顔だな。モンスターと間違えて撃たれてもおかしくないぞ?』
そして、こうして話しかけてくるってことは向こうも無線の届く範囲内にいる上でこっちを視認しているというわけだ。
「モンスターよりも凶暴さ。下手に撃つと痛い目見るぜ?」
『だろうな。どの道撃つのだろうが、最後に君と話しておきたかった』
「あぁ俺もさ。どうせなら目の前まで行ってからでもいいんだが、まぁ無理だわな」
無線機の向こうでアンリはフッと微笑をこぼし、彼女は勝ち誇るような声色で続ける。
『その通りだよバッキー、君は私の顔も見ることが出来ずに死ぬんだ。この状態に持っていった時点で私の勝ちは決まってる』
確かに、ここまで距離を取られればアサルターがスナイパーに勝てる道理はない。どう近付こうしてもその前に俺を絶命させる一撃が撃ち込まれるだろう。
だがその仮定もこの世界なら何の意味もない。
「ゲームの中なら確かにお前が勝つさ。でもこれはゲームじゃない。嘗めてくれるなアンリ。俺をそこらへんの有象無象と並べてるなら、今すぐ後悔しな。この程度の困難はな、俺の人生でも下から数えた方が早いぐらいのもんさ」
距離二キロメートル程度か、アンリの眼の範囲がどの程度かは知らないが彼女のことだ。有効な範囲内で距離を取っている筈だ。この距離でも難なく当ててくるだろう。
弾丸を弾いていったとして、接近時にアンリに何も備えがないわけないだろうし。考えたところであまり意味はないか。
駆け出す前に最後に一つだけ、俺はアンリに尋ねることにした。
「なぁアンリ、ここまでして、もし俺を殺せたとしてお前は何を得られる? 俺が考えつく限りだと、ほんの一時的な満足感ぐらいしかないんだわ。実際どんなもんだよアンリ?」
少し間を置いて、アンリは俺の問いに答える。
『それは少し違うよバッキー、確かに君を殺すことでほんの少し、私の気も満たされるかもしれない。最初は厄介な人間をパーティから消してしまいたかった。私の元居た世界の事を知る人間が隣にいるなんて考えただけで嫌になった。だが今は違う。君を殺すことで変われる気がするんだ。今まで臆病に生きていた私の殻を破ることが出来る気がするんだよ。それが私が得られる全てで、君を殺す理由としては充分だ』
彼女の言葉と同時に無線機の奥から銃の安全装置が外された音がする。
「お前がそう思ってるなら、それはとんだ大間違いだぜアンリ。俺を殺せたとしてもお前はずっとそのままだ。昔のことをいつまでも引き摺って惨めなままさ。それにな、俺はここでお前に殺されるつもりはないからお前の言う仮定は全部無意味なんだよ」
『薬がないと何も出来ない男が随分と大きな口を叩くな』
無線機の奥から歯噛みする音が聞こえる。そろそろ仕掛けてくるか。
「分かってねぇな。薬があれば何でも出来るんだよ。今からそれを証明してやるよ」
『だったら証明してみろ。私を倒して!』
無線機の通信が断たれる。同時に丘の方角から盛大な発砲音が響き渡った。
放たれた弾丸を視認するよりも早く、俺は地を蹴っていた。
最後の戦いだ。ここで決着を着ける。
殺される前に殺す。
ふとドクターの言葉が頭を過って笑みが零れていた。




