渾身の一撃
何事もなく立ち上がってきたベヒーモスに戦慄した。それこそ称賛の一つでも贈ってやりたいところだ。
出来ることなら速やかに死んでほしいがそうはいかないらしい。
いつも考えることだ。どうやって殺すか。いつもどおりさ。殴って蹴って撃って、ぶち殺すんだ。
『グゥラアアアァアアアァアアアアアアアアアァウッッッッ!!!!!』
ベヒーモスの咆哮が耳朶を震わせた。
嗚呼、今すぐ帰りたい。
ベヒーモスの丸太のように図太い腕が振り下ろされてからふとそんな想いが頭の中で反響していた。
横にステップして初撃を躱し、続く二撃目を受け流すように捌くと跳び上がり、素早く身を旋転、渾身の回し蹴りをベヒーモスの下顎目掛けて叩き込んだ。
下顎丸ごと吹き飛ばすつもりで蹴ったのだがこれがまた頑丈で歯を何本かへし折ったものの、振り抜けずに止まってしまう。
『ガアアァッ!!』
余計に怒らせたようで、俺の着地を狙って大口開いたベヒーモスが噛み殺さんとばかりに牙を剥いてきた。
咄嗟にバックステップで躱すとベヒーモスが追撃が繰り出される。
ガチンガチンと俺が躱す度にベヒーモスの牙が金属を打ち鳴らすような悍ましい音を立てる。
こっちとしても気が気でない。長期戦は不利なだけだ。薬がいつ切れるかわかったもんじゃない。
ベヒーモスのバイティングの隙を見計らって俺は反撃に出た。
ベヒーモスの頭の下をスライディングで潜り抜け、腹の下へと潜り込む。そこから脚をバネのように押し縮めてから、ベヒーモスの腹を蹴り上げた。靴底がベヒーモスの腹に深く突き刺さり、何トンもあろう化物の巨体がふわりと浮き上がった。ベヒーモス自身も驚いているようで四肢を空でジタバタとさせているその姿は無防備の極みだ。
起き上がり、右手で手刀の形を取る。
こうなったら後は全力で叩き込むだけ。重力に沿って地に落ちてくるベヒーモスの腹目掛けて力の限りの突きを撃ちだした。
腕が一本の槍になったかのように指の先端からベヒーモスの皮膚を突き破り、真っ赤な血を噴き出させる。
悲痛なベヒーモスの悲鳴が鳴り響く。それに呼応するように俺も吠えた。
「死ィねえええぇ!!!」
腹から胸にかけて、腕を振り切る。皮を切り裂き、肉を抉り抜いた。
数刻、ベヒーモスの中で時が止まったかのようにその身体が固まり、やがて小さな嗚咽を漏らした。
血がシャワーのように吹き上がり内臓が零れ落ちてくる。返り血を浴びながら俺はベヒーモスの下から出てくると同時にベヒーモスの巨体がズズンと地響きを鳴らして地に沈んだ。
腕を払い、手に付着した血を落とすとアンリが走っていった方向に目を向ける。
耳を澄ましてももう足音も聞こえない。狙撃するには充分すぎる距離を取られたわけだ。
さて。どうしたものか。恐らくこの先でも罠を張り巡らせて待っているのだろう。
ここで追えばアンリの思うツボ、だからと言って追わなければ何れ薬の効果が切れて、それこそ俺の生きる希望は完全に潰えてしまう。
完全にアンリの思惑通りというわけだ。だが確実にダメージはあった筈、勝機が一切ないという話でもない。
先程アンリが飲んだ薬の瓶を拾い上げ中身を掬ってみると、ドロっとした半透明の紫色の液体が指先に付着した。
飲んだアンリが元気になった様子を見るに即効性の回復薬と見るべきか。試しに舐めてみると、ピリッと刺すような刺激が舌の上に走り、顔をしかめる。
「なんだこれ!」
確かな回復効果はあるようで少し舐めただけで痛みも引き、折れた骨がくっつく勢いで身体が全快へと昇り詰めていく。
「最高かよ!」
昂揚感が押し寄せてくるかのようだ。溜まっていた疲れも彼方へと吹き飛んだ。
今すぐ走ろう、そうしよう。すぐにでもアンリに追いついて彼女を殴り飛ばそう。今度は起き上がってこないぐらいに。
足に力を込めて今にも走りだそうとした時、ふとあの時のアンリの表情が脳裏に浮かび上がっていた。
一緒に帰ろうと言って手を差し伸べた時のあの表情。納得いかないとでも言いたげな顔をしていた。そんなに殺し合いたいのか、それともーーーー
すると、俺の思考を遮るように背後から大きな地響きが起こり、意識をそっちに向ける。
うんざりするような心持ちだ。今さっき殺したと思ったベヒーモスが起き上がってきたのだ。
それも最後の力を振り絞ったというわけではないらしい。腹から掻っ捌いた傷周りは目視で確認できる程濃密な魔力が覆っており、急激に傷の回復を始めていた。
何らかの再生能力か。何にしても本気で勘弁してほしい。これからアンリとも立ち会わなければいけないというのにここにきて化け物染みた生命力を発揮されてはこっちの身が持たないってものだ。
『ガァ……!グゥゥアア!!』
切り裂いた皮膚が完全にくっついて、その様子から見るに全快と言って過言ではないだろう。
どうやら大きな思い違いをしていたようだ。このベヒーモス、全然本気じゃなかった。たかが人間に魔力を使うまでもないといったとこだろう。蹴って吹っ飛ばして腹切り裂いてようやく奴は本気になった。
「あぁ不味い……」
ベヒーモスの身体から蒸気のように薄灰色の魔力が沸き起こり始める。それだけでわかる。さっきまでとは別次元の生物だ。
殺気に満ちたその腕がゆっくりと振り上げられた時、直感した。ここにいたら死ぬと。
ベヒーモスが腕を振り下ろした瞬間、それは確信に変わり、咄嗟に横っ飛びでその場を離れる。一陣の風が吹き、俺の立っていた地面に大きな三本爪の痕を刻みつける。
恐らくは攻撃に合わせて身体に纏った魔力を飛ばしてきたもの。それでこの威力は笑えたものじゃない。まともに食らったなら薬状態でも痛いじゃ済まなそうだ。
致命傷を負わせてもたちどころに回復されて、一撃必殺の一撃も兼ね揃えている。分が悪いもんじゃない。勝ち目はないに等しい。
そうなると、答えは自ずと絞られてくる。
「よし、逃げるか!」
今すぐに踵返してとんずらこいてしまおう。アンリの片手間どころじゃねぇ。こっちの方が遥かに強い。
一歩後退るとベヒーモスも一歩迫ってくる。逃がしてくれるはずないわな。俺は奴の子の仇の仲間という認識なんだろうから。
そうこうしている内にベヒーモスの身に纏う魔力が収束し、奴の顔の前に集まりだす。
それは灰と白色の火花を飛ばし、空気を張り裂くような轟音を響かす、小さな球体の形をした魔力の塊だった。
どういう性質にしろ言えることは一つ、当たったら間違いなく死ぬ。
あの球体を飛ばしてくる気か? 避けることは可能か? 射程は? 初速は?
考えるより動くべきだ。俺が踵を返すのとベヒーモスが大きく飛び上がったのはほぼ同時だった。
一つ確かにわかることと言えば大規模な破壊が起こるということだ。
「アレはヤバい!」
甲高い快音掻き鳴らして、魔力の塊がベヒーモスの真下の地面へ撃ち出された。
全力で走りながらもその光景をその目に焼き付けていた。それはきっと死ぬ間際に見るべきものなのだろう。
魔力の塊が着弾した刹那、それこそフロア一面へと衝撃が波となって広がり、逃げようとする俺をたやすく飲み込んだ。
グンと背中を押されるような衝撃を受けてつんのめると、続いて魔力の爆発が俺を襲った。
魔力の塊は地面へと着弾した後、強大な閃光となって辺り一帯を飲み込み、触れるもの全てを粉砕していった。
同時に周囲に埋められた地雷が誘爆、次々に連鎖爆発を起こし、俺の視界全てを埋め尽くす。
周囲一帯どころじゃない。それはフロア丸ごと消し飛ばす魔力の爆撃だった。
これは不味い。そのとき、確かに死を予感した。
「ああ!このクソ野郎がぁ!!」
俺の叫びも容易く掻き消し、地雷と魔力の爆発が入り混じった破壊の嵐が俺を呑み込んでいった。
目の前が白く染まり上がる。熱が皮膚を焼き、瓦礫の破片が体中を切り裂く。魔力が傷口から入り込み内側から身を焼いてくる。血が噴き出すが瞬く間に乾いて霧散する。全身を焼かれているようだった。
完全に敵の脅威を見誤った。痛みの中、後悔の念はあったが諦めはしなかった。
窮地こそ乗り越えれば勝機に繋がる。今までの経験からか確かにそれを予感していた。




