暴力のぶつかりあい
掠れば死ぬ。脳の隅っこにそれだけは置いておいて、俺は速やかにアンリを無力化する方法を考えていた。
スナイパーである彼女が接近戦を仕掛けてきたことは好機と見るべきだ。
捕まえてしまえばあとはどうとでもなる。
凄まじい速度を保ったまま双方が射程圏に入る。
先にアンリが仕掛けてきた。
地を蹴り、低い姿勢から鋭い刺突を繰り出してくる。だがあまりに直線的だ。
アンリの手首を掌で弾き、二撃目も身を翻して躱す。
全身の骨肉をフル稼働、先ず狙うは彼女の持つ短剣だ。側面から音速にも等しい速さでジャブを二発、彼女の肩と手首に打ち込む。
たまらずアンリは短剣を落とし、痛みに顔を歪める。
更に一撃加えようとしたところでアンリは大きく後退し距離を取る。
いくら見えていようと反応出来なければ意味がない。理想的な形で一つの攻防を優位に進めることが出来た。
余裕の笑みを浮かべ、アンリの落とした短剣を拾い上げようとしたとき、無意識に体が強張った。
短剣の鍔にトリガーのようなものが備えられたその形状からそれがどういうものか気付いたからだ。
バリスティックナイフ、柄内部に強力なスプリングを仕込んで刃を射出する特殊なナイフだ。
気付いた時には目の前にナイフの刀身が迫ってきていた。慌てて身を捻り、ナイフを躱す。刃が脇腹すれすれのところを通り抜け遥か後方へ飛んでいく。
再び視線をアンリに戻した時、目前にアンリの靴裏が飛び込んできていた。
アンリ渾身のドロップキックが俺の顔面に叩き込まれる。
これは予想外、彼女には似合わない豪快な蹴り技だ。更に予想外なことにこれが意外と効く。
そのまま吹っ飛び、受け身も取れずに地面に転がり込む。
前歯が何本か折れた。口の中に血の味が広がる。
「やってくれる……!」
体勢を立て直す暇はない。目前にアンリがナイフを持って迫ってきている。
この体勢のまま彼女を迎え撃つしかない。
ナイフにさえ当たらなければ問題ねえ。
アンリが飛び掛かってきた瞬間、拳を固めアンリの顔面目掛けて打ち出した。
互いの腕が交錯し、顔の前で止まる。考えることは一緒か、空いた手を防御に回し、アンリは俺の拳を受け止め、俺はアンリの腕を取ってナイフを寸でのところで止めて膠着状態へとなっていた。
問題はこのナイフだ。切っ先がこっちに向いただけで刃を終わりだ。今は力でどうにか逸らしているがアンリの力も薬を使った俺と比べても申し分ないレベルだ。
「そんなに俺を殺したいかよ!」
「……あぁ、すまない」
体勢が悪い所為で力が入り難い。力の均衡が崩れそうだ。
「私の糧になって死んでくれ」
グッと大きく力が入り、ナイフの切っ先が傾き俺の顔に照準される。
即座にアンリがナイフのトリガーに指を掛けた。咄嗟に腕の力を緩め均衡を崩した。
その結果、完全に力のバランスは失われ、今まで押さえていた方向とは逆に力を掛けたことでナイフの切っ先は狙いが定まらず、俺の身体を逸れて地面へと突き刺さる。
毒の脅威は過ぎ去った。次はこっちの番だ。
「てめぇの糧になれだ?」
寝転んだ体勢からアンリの背中を蹴り上げる。十分な力は入らないが彼女を怯ませるぐらいの威力は出る。
僅かに出来た隙を突いてアンリの首に腕を回し、体幹を使って一緒になって地面を転がり強引にマウントを解くことに成功。
体勢さえ整えばもうこっちのもんだ。
「こっちの台詞だ! 糧になんのはてめぇの方さ!」
アンリの胸倉を掴んで豪快に彼女を振り回して地面に叩き付ける。爆発でも起きたような衝撃がフロアを揺るがし砂煙が盛大に舞い上がった。当のアンリは何度も地面を跳ね、盛大に喀血する。そして、ぐったりと力なく地面に倒れ伏して動かなくなった。
勝負ありだ。これで起き上がって来れるスナイパーはいまい。
折れた歯の具合を確かめながらゆっくりとアンリの元に歩み寄っていく。
うつ伏せの彼女を足で転がして仰向けにすると、虫の息であるがかろうじて生きてはいた。
「おー生きてたか。やっぱ丈夫に出来てんだな」
割と本気で打ち付けただけに生きてるか微妙なところだったが、まぁ結果オーライだ。
「やっぱり……強いな君は」
全身血塗れになりながらも喋る元気があるアンリも大したものだ。
俺も少し疲れた。なんとなく切り抜けてきたが今日だけで何度死にかけたことか。
緊張の糸が切れたか。少し休みたくなり、俺はアンリの傍に腰かけ息を吐いた。
「疲れた。どうしてこうなったかね……」
「そんなの分かり切ってる。私が君に嫉妬してたからさ。何度も私は受け入れようとした。君は私と同じ境遇の人間で私と同属なのだと。だが無理だった。君は私より何においても勝っている。クラスがどうとかいう問題じゃない。この世界における適応性が君には充分にあった。私にはそれがなかった。この二年間で痛い程わかったよ。私はこの世界は向いていないとな」
結局それが原因なのだろう。
彼女は適応出来なかった。他人の勝手で連れて来られたこの世界を受け入れられず、俺を殺そうとした。
「……やっぱ納得いかねぇなあ。もっと先に相談でもしてくれりゃ良かったのに。いくらでも話し合いたかったのにさ」
「無理さ。もっと君と会うのが早ければ違ったかもしれない。だが私は変わり果ててしまった。もう自分が何なのかさえわからない。ただの学生だったあの日々ももう朧げにしか覚えていない。私は冒険者ではない。学生などでもない。何を相談すればいいかも分からない。結局はこんなことになってしまった」
自嘲するように笑い、アンリは俺に視線を向けてくる。
「今でも私の気持ちは変わらない。君を殺したい。そんな私を君は生かすつもりかい?」
身体が動くのならば今にでも襲い掛かってきそうな風情だった。
ここで殺さねえと後で後悔するぞとでも言いたいのだろうが俺の中で答えはもう出ている。
「お前の都合なんて知るかよ。俺はアンリを殺すために此処まで来たわけじゃねぇんだしよ。帰ろうぜ。そう何度も殺されかけるのは勘弁だけど腹割って話しぐらいしようや」
そう言って俺が手を差し伸べたとき、アンリは明らかに表情を曇らせた。
アンリから明らかな敵意を再度認識すると彼女は俺に小さく語りかけてきた。
「どうしても君を殺したかった。だが私の力では無理らしい」
そして、何かを確信するかのように彼女は邪悪な笑みを浮かべ、静かに囁いた。
「だから助っ人を呼ぶことにしたよ」
次の瞬間、俺の背後から丸太のように太い腕が横薙ぎに俺の胴体にねじ込まれた。
ベキベキと肋骨が砕け散る音と共に俺は冗談のような速度で遥かに離れた壁へと叩きつけられた。
「あぁチクショウ! 何でてめぇがいるんだよ!?」
肋骨がいかれたことよりもそいつの存在の方がよっぽど衝撃的だ。気配もなく近寄ってきやがった。
ベヒーモス、或いは化け物の具現とでも呼ぶべきか。
どうしてこのタイミングで? そんなのわかってる。アンリが仕組んだことだ。
ベヒーモスが手近なアンリに襲い掛かった時、重態だった筈の彼女は即座に身を翻し、ベヒーモスの一撃を躱してみせた。
それを見て俺の中で疑念は確信に変わった。あの女、やられたフリをしてやがった。
ベヒーモスから距離を取り、アンリは妙な液体の入った小瓶を取り出すと一息で飲み干し床に捨てる。
恐らく回復薬の類か。明らかにアンリからダメージはなくなっていた。
俺とベヒーモスをそれぞれ一瞥し、アンリは踵を返し、地下迷宮の更に奥深くへと走り出した。
さっきよりも速い。温存していた? それともさっきの薬の効果か。
ベヒーモスは彼女を追いかけず、目先の俺に狙いを定める。壁にめり込んでる俺も闘志を剥き出しに相手を睨み付ける。
取り残された俺とベヒーモスは静かに見つめ合い、少しずつその間合いを縮ませていく。
「アレ、殺せっかな?」
薬を使ってたとしてもそう簡単な相手ではないのはわかってる。
でもやるしかない。アンリの逃げた先にあいつが立ち塞がっているなら殴り倒して行くまで。
互いに相手を値踏みするように睨みつけ小さく首を捻る。
勝てるな。
モンスターと思考が合致した瞬間、揃って地を蹴った。
一瞬でフルスピードに到達、最短距離で突撃する。
最高速かつ、最大火力でベヒーモスと真っ向から激突。
推進力の塊と化した俺に体格差なんて無に等しい。ベヒーモスの巨体を押し飛ばし、地面へと叩き付ける。
鼻から垂れる血を拭い捨て、短く鼻で笑い飛ばした。
肋骨が完全に折れた。大したことはない。痛みにはもう慣れた。
「そこを退きな化け物、ラウンド2がお待ちかねだ」




