休暇
ピコンと剽軽な電子音が頭の中で鳴り響いた。
マンドレイクの悲鳴の所為でダウンしてしまっていたんだ。なかなかスリリングな体験をした。危うく廃人になるところだった。自分が自分ではないような無自覚の内に自分が作り変えられていくような感じだった。自分の身体だしそこはなんとなくわかるもんなんだ。
それにしてもマンドレイク狩りを選んだのは失敗だった。コツを教えてもらっても筋力値が足りてないのではどうにもならない。あー頭いてぇ。意識は半覚醒状態、まだ目蓋は重いし感覚も戻ってきていない。偏頭痛だけが頭の中で反響しててどうにもならない状況だ。
どうにかならないものか、そもそも俺は今生きているのかも疑問だ。あの後どうなった?果たしてアシュは俺を助ける事が出来たのか。そこからしてもう怪しくなってきた。もしかしたら俺は既に死んでいて今こうしているのは死後の世界なのかもしれない。異世界があるなら死後の世界もあったって不思議でもない。
残念だがそれはそれでいいのかもしれない。これで俺を悩ませる障害が全て取り除かれるのだから。
初心者狩りとか、金とかパーティがどうとかの一切から開放されるのなら悪くはないのかもしれない。
そう考えると寧ろ良い。気分は一転、新しい気持ちで第三の人生を迎えることが――――
「ずーいぶんとにやけた顔してますねぇ。良い夢でも見てました?」
そんな上手い話そうあるわけがないか。目蓋が開かれたとき、目の前にはアシュの顔が視界いっぱいに広がっていた。どうやらまだ俺は生きているみたいだ。
「………ここは?」
「帰りの馬車の中ですよ。バッキーさんが重態だったんで切り上げたところです」
「そっか、生きてたか俺……」
「おや?あまり嬉しそうじゃないですね。普通なら死んでいてもおかしくない状況から生還したんですよ?少しは喜んでは?」
「うん、なんか実感が沸かないんだよ。生きてるって実感がまるでないんだ」
「なんだ、そんなものでしたか。そんなのはちょっと上のモンスターと戦えば嫌というほど感じられますよ」
果たしてそうなのだろうか。マンドレイクを狩る時も、その悲鳴でまともな判断が出来てなかったとはいえ死への恐怖というか生への執着が薄かったような気がする。
もしかしたら俺はそういう風に作られているのかもしれない。
この体は元は俺のものではない。リオンが作ってくれた俺のアバターに俺の意識を吹き込んだものだ。そういった意志を書き換えるぐらい容易いものかもしれない。
でも俺はリオンを疑うようなことはしたくない。リオンがこの世界で唯一の頼りだからだ。彼女との関係がなければ恐らくこの先もやってはいけないだろう。
「まあ次の機会があるんならいいけどな」
「やー、それって初心者狩りの話ですか?」
「あぁそうさ」
とりあえず考えても無駄な事は置いておいて目の前の問題に着手しよう。そもそもの予定では無事帰ってからが本番だった。滅多に市場にも出回らないらしいマンドレイクを初心者二人が持ち帰ってきたのなら、それは正にカモに葱だ。
先程、街の様子からも狩る側の人間を上手くやり過ごせるなんてことは考えない方がいいだろう。だからと言って戦闘で勝てるかといえばノーだ。アシュも俺より能力は高いがそれでもほんの少しだし、レベル2以降の冒険者に勝てる程でもない。
やっぱり詰んでいるかもしれない。
「アシュはさ、初心者狩りとか遭ったことあるか?」
「ん?ありますよ。初めてのクエストの帰りに集団で寄ってたかってやられましたよ。報酬を全部かっぱらわれました」
「怖くはなかった?」
「怖かったですよ。渡さないなら殺す、って脅されるんですもの。身体中震えて自分の身体が自分のものじゃないみたいで、でもとにかく助かりたくて男達の言うことには何でも従いました。それが生き延びるコツです」
「成る程ね、じゃあマンドレイクは諦める必要があるかもな」
「さぁ、今回はどうでしょうねえ」
どこか含みを持たせてアシュは静かに笑った。それはまぁ相手にもよるか。俺も諦めの中に淡い期待をもたせながら、窓から覗く青い空を見上げて重い息を吐き出した。
そろそろ身体の調子もよろしくなってきた。先程からアシュの膝の上で寝かされているのだが、悟られないようにしているが、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
感づかれる前に俺は身を起こし、俺は大きく伸びをした。
「もう動いて大丈夫なんですか?」
「おかげさまでどーも。この通りピンピンだよ。アシュってスパイなのに手当ても上手なんだな」
「やー、そんなことないですよ。ただほんの少しマンドレイクをすり潰して飲ませてあげただけですから」
「待て、何だって?」
途端に口の中に妙な異物感を感じ始める。口の奥に何か塊のようなものが挟まっていたようで、嫌な予感を感じながら、それを吐き出してみる。
もう見たくないと思ったとこからこのざまだ。ただでさえ醜いマンドレイクの顔面をすり潰した所為で、それは見るだけで吐き気を催すものだった。さっきまで俺の口の中に入ってたと思うと尚更だ。
「やー、もう効果覿面ですよ。バッキーさんも何回か痙攣してましたがきっかり治って頂けたようで何よりです」
「ナルホドなー。それはとても助かったよー。ちょっと具合悪くなってきたんだが?」
「それは何よりです」
悪びれもなく爽やかに笑うアシュに皮肉の一つも言う気も失せてしまった。何より、助けてもらったことは事実だし、俺にとやかく言う資格はなかった。
問題はこの後だ。どのタイミングで襲われるか。クエストの報酬を受け取った直後か、それともその帰り道か、はたまた宿屋に入ってからか。これだと気の抜ける暇がないな。来るならさっさと来てほしい。
気を紛らわすように俺はステータスを開いた。何か変化はなかっただろうか。何でもいい。何でもいいから何かあって欲しかった。
そして、端末の画面を開いた時、一件の通知が表示された。
『スキル:薬効を習得しました
スキル:精神汚染を習得しました』
わーお、変なスキルが二つも付いてきたよ。スキルにも枠があるんだよ。枠の無駄遣いにしかならないのではないかこれは。WSでも見たことないし聞いたこともないときた。俺はウィンドウを反転させアシュにそれを見せた。
「なあアシュ、こんなスキルが付いたんだが何か知らない?」
アシュはウィンドウに目を寄せると、珍しい物を見るように目を細め、首を傾げた。
「やー、存じませんねえ。ありそうでないスキルですよこれ。前者は恐らく薬の効果を増長させるものではないでしょうか?後者はわかりませんね。バッキーさんが気狂いにでもなるスキルでしょうか?」
「冗談キツいよ。それだとあまり戦闘面では役立たねえな」
薬の効果を倍増できたりするなら便利だが生憎回復薬の類は持っていないし、今のところは無用の長物ということだ。
どうしようもないな。あとは運命に身を任せるしかない。どうやら馬車が街に着いたようだ。馬車は速度を落としていき、やがて冒険者ギルドの前に到着すると、ぴたりと足を止めた。
さあこっからが正念場だ。二、三息を吐いて、俺はマンドレイクの死体の入った袋を担ぎ、馬車を降りた。