知らぬところで事は起きている
数時間が経った深夜、バッキーもスキュラもドクターでも寝静まる頃、ホームの戸が静かに開いた。
足音も立てずに少女は毒々しい色の血に塗れた上着を脱ぎ捨て、深い溜め息を吐く。
地下迷宮の視察から帰還したアンリはひどくゆっくりとした動作で自室まで足を運んだ。
別に息を潜める理由もないがアンリとしてはこんな姿の自分を見られたくないという気持ちが大きかった。
自室に戻るなりアンリはぐったりと壁にへたり込み、目頭を押さえる。
汗に濡れた目隠しを外し、呼吸を整えると、アンリは荷物を降ろし、浴室へ向かうべく立ち上がる。
「やっと……終わらせられる」
自分に言い聞かせるように。それこそが自分の生きる目標でもあるかのような声でアンリは一人呟く。
実際のところ、もう一人部屋に居た事など気付きもしなかった。
「やー、何が終わるんですかねぇ?」
弾かれたようにアンリは振り向き部屋の隅に眼を向ける。
すると、部屋の隅に置かれた戸棚の影から人間の輪郭が浮かび上がってアンリの目の前に姿を現す。
誰もが寝付く夜だというのに冒険者然とした格好のまま、このパーティ唯一のスパイクラスの少女、アシュリーは不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「随分とまぁお疲れのご様子で。たかだか地下迷宮の視察程度で」
「そんなことを言うためにわざわざ数時間もの間私の部屋の隅でそうしていたのか君は?」
強気な姿勢を取ってアンリは威圧するような眼差しをアシュリーに向ける。
同じパーティの同年代の少女でありながらアンリはアシュリーのことが苦手だった。
彼女が何を考えているのかいつも分からないのに、此方の事は全て見透かされているようで居心地が悪いからだ。
今回もそうなのだろうとアンリは覚悟していた。
「やー、帰りを待っていた仲間に対する言葉にしては随分と冷たいですねぇ」
「人の部屋に勝手に入る奴に優しい言葉をかける道理はない。私は疲れているんだ。良ければ自分の部屋に戻ってくれないか?」
「それがですね。耳寄りの話があるんですよ」
アンリの言葉も聞かずにアシュリーは話を続ける。嘆息を洩らし、アンリは嫌々付きあう。
だが、アシュリーの第一声でアンリは表情を変えた。
「実はバッキーさんが――――」
「彼がどうした?」
アシュリーが言い終える前にアンリはアシュリーに言い寄る。
焦るような素振りを見せながらアシュリーは内心で『ほら食い付いた』と言わんばかりにほくそ笑んだ。
「なんとバッキーさん、スキュラちゃんと一緒のベッドで寝る事になったんですけど、これがまたもの凄い動揺のしようでしてね。アンリさんにも是非見せたかったですよ。あの人、間違いなく童貞ですよ」
「……それだけか?」
「えぇそうですよ。まさかワーウルフに襲われてお亡くなりになった話だと思いましたか?」
「ふっ、まさかな。誰がそんなこと――――」
「私の眼は誤魔化せない」
思わずアンリは身を強張らせた。
雰囲気が一転し、アシュリーの眼差しに刃のような剣呑さを帯びるのを感じたからだ。
咄嗟にアンリは身構えたが次にアシュリーは元の調子に戻ってアンリをからかうように笑う。
「なんて、貴方の真似ですよアンリさん。そんなに驚かなくても良いじゃないですか?」
「アシュ、脅かすのはやめてくれ。襲いかかってくるかと思ったよ」
「やー、そうですか。ですが妙ですよねぇ。実際にバッキーさんはジャスパーさんのお店でワーウルフに襲われて死に掛けた。素材として仕入れられたワーウルフが生きてたなんておかしな事です。それも私達が彼の店を訪れた日に限って。それで私調べてみたんですよ。そしたらジャスパーさんの納品書には『匿名の冒険者パーティ』とだけ。ジャスパーさんに問い質しても顔は見れなかったとだけ」
「考えすぎじゃないのか?裏の取引で匿名の事など珍しくもないだろう?」
「やー、そうなんですよ。貴方の部屋にあった衣服から狼の獣臭がしなければこんな話しないんですけどねぇ」
そう言ってアシュリーはにっこりとした笑顔をアンリに向ける。
この場面、自分が思っていたよりも深刻だとアンリは実感する。
「最近、うちのパーティにワーウルフに関する依頼なんてありましたっけ?」
「一件確かにあった筈だ。ドクターに聞いてみるといい。私が片付けた」
「なるほど。その時にワーウルフを生きたままジャスパーさんに売り付けたわけですね?」
一度俯きアンリは深く溜息を吐き、目を伏してアシュリーと再び顔を合わせる。
「アシュ、君は少し勘違いしてるようだ。バッキーがワーウルフに襲われた件と私がワーウルフを狩猟した件に関しては何の関わりもない。とは言っても証明出来るものは何もないから君を説得することは叶わないのだがな」
「やー、滅相もない。アンリさんがそう言うのなら信じますよ?」
人懐っこく笑い、アシュリーはアンリの肩に手を置いた。
それでもアンリは一切気を許しはしない。アシュリーの言葉や表情が全て作り物であると見抜いているからだ。
そんなアンリをアシュリーは鼻で笑うと愉快そうな調子のまま言葉を続ける。
「別にどうでも良いんですよ。貴方が何をして、誰を殺して、どこで死のうが。でも一つだけ言っておくとですね、私の楽しみを奪うようなら、その時は容赦しません」
それがアシュリーからの忠告だということはアンリもすぐに理解した。
その上でアンリは笑い、白い歯を剥く。
「容赦しない、か。穏やかじゃないな」
「やー、心中ドロドロですとも。今この場でサクッとヤッてしまっても構わないぐらいにね」
手品よろしく何もないところからナイフを取り出しくるくるとそれを弄びながら肉食獣さながらの笑みを浮かべる。
「二流スパイが大きな口を叩くものだな。私自身、君と争う気はない。だが、君が動くなら、私も相応の対処をさせてもらう」
アンリもホルスターの拳銃に手を掛けてアシュリーの出方を伺う。
深夜の一室にて一触即発の状況が人知れず出来上がっていた。だが、そんな状況も時間が経つ内にアシュリーの笑みは落ち着きを帯びていき、飽きたと言わんばかりにナイフを仕舞い込んだ。
「やめやめ、こんなやり方性に合いません。やるならサクッと一瞬で殺るに限ります」
「全く、肝が冷えそうだったよ」
「やー、それに貴方を殺すとバッキーさんに嫌われそうですしねぇ」
「随分と彼の事を気に掛けているようだな。そんなに彼が気に入ったか?」
「勿論ですとも! 今の私の楽しみの八割方はあの人に掛かってますから。それに、気に掛けてるのはお互い様でしょう?」
アンリも拳銃から手を離すと、アシュリーの言葉を受けてそれを嘲るかのように鼻で笑う。
「私が彼を?アシュリー、私が言うのも何だが、見る目がないな」
「あれ?そうでしたか?」
含み笑いを一つ飛ばしてアシュリーはゆっくりとした動きで部屋の戸まで歩いていき、一つお辞儀をする。
「それも時期に分かりますよ。早くて明日にもね。ではそろそろベッドが恋しくなってきたので帰るとしましょう」
「あぁそうしてくれ」
「ではでは良い眠りを」
そうしてアシュリーはアンリの部屋を去っていった。
疲労に疲労を重ねた様子でアンリはベッドに腰を下ろし、重い溜息を吐く。
「何なんだ本当に……」
そうして頭を抱えると、暫く物思いに耽る。
アシュリーがアンリの部屋を訪れた理由、そんなことはアンリ自身が知っている。だからこそアンリは自分のすべきことを今一度考えていた。
「何も変わらないさアシュリー。私は私がやるべきことをやるだけだよ」
アシュリーが去った後の部屋でアンリは静かに答えを出し、立ち上がる。
その顔はどこか悲しそうで対照的に瞳にはギラギラと煌めく生気が宿っていた。




