スパイ
朝、バッキバキになった身体を解きほぐしながら起床。
ソファは柔らかかったがやはり寝なれないところで寝るのは難しいもんだ。
目脂を落としながら洗面所まで行って顔を洗うと、鏡を見て変な気分になった。
「あぁそっか、これが俺なんだった」
自分で言っていながら変なことだ。まだ新しい身体で一日も経ってないんだから仕方ないことだろう。
ほんとによく出来た身体だ。肌や骨の質感とか、しっかりと神経も通ってるし、腹も減るし疲れたりもするし、本当の人間のようだ。
これが作り物の肉体だって言うから驚きだ。
それこそステータスの再現以外は完璧だ。それが出来てないのが惜しまれる。
とりあえず荷をまとめてから俺は階段を降りていくと、そこには既に多くの冒険者達が集まっていた。
パーティで作戦を立て合っている者もいれば一人で精神統一とばかりに座って目を瞑っている者もいる。
こうしてみると普通の冒険者の集まりも結構いるようだ。今のところは。
変なのに絡まれない内に俺は受付の方に出向くと受付嬢に声をかけた。
「おはよう受付嬢さん」
「おはようございます。昨晩は良く休まれましたか?」
「まぁだいたいはね。それでクエストの方だけど」
「はい、三十分前に馬車が到着しております。いつでもクエストに出発出来ますよ。それと、もう一人クエストを受注されましたので其方の方の情報を送っておきますね。それではお気をつけて」
結局、後入りで同行者が来たようだ。端末に送信された情報欄を開くと、映し出されたのは少女の写真だった。この手の証明写真にも構わずにこやかな笑みを浮かべている。
印象としては明るく、打ち解けやすそうな感じだ。とてもじゃないが初心者狩りって感じではないな。まぁ会ってみればわかることだが。
冒険者ギルドの外に出ると、外は明るく、晴れ上がっていた。気温も高すぎず低すぎず、草むしりにはいい天気だ。
辺りを見回し馬車を発見。いいね。いい感じに装飾とか豪華だ。依頼人は結構羽振りがよさそうだ。
それで、例の同行者だが……どうやらまだ着いていないらしい。遅刻かい。別に構わないけどあまり待たされるのは勘弁したい。
それにしても少し離れたところがやけに騒がしい。すると間もなく、一人の男が息を切らしながら何かから逃げるように走ってきた。傷だらけの装備や身体から、ただ事ではないというのは誰から見ても明らかなものだった。
「誰か!誰か助けてくれ!追われてるんだ。例の冒険者狩りに。誰か匿ってくれ!頼むよ」
しんと空気が静まり返った。俺も他の人間も同じような気持ちだろう。関わり合いになりたくない。これに尽きる。
男の表情が絶望に染まるのを見て労われない気持ちになった。でも俺にはどうすることも出来ない。すまん。
やがて男は助けを望めないと悟ると歯を噛み締めてまた走ってどこぞへと消えていった。
どうか逃げ延びるのを願うだけだが、次は我が身だ。そのときもきっと助けはこないだろう。
世紀末かよここは。死んじまうぞマジで。
「やー、初期ステじゃないですか。冒険者育成学校には行かなかったんですか?これじゃあクエスト帰りを襲ってくださいって言ってるもんですよ」
突然掛けられた小馬鹿にするような少女の声。俺は弾かれたように振り向くと、そこには写真の少女が間近で立っていた。声をかけられるまで気付くことも出来なかった。
青みがかった黒髪ショート、翡翠色の瞳、黒地のロングコート、間違いないクエストの同行者の少女だ。
背も小さく、幼げな雰囲気だが、年齢は恐らく俺と同じぐらいだろう。
「それにアサルターなのに警戒心が薄いですねえ。それじゃあやっていけないですよ?」
「いつから俺の後ろにいた?俺に何をした?」
「貴方が受付さんに挨拶に行ったあたりから。ステータスの盗み見はスパイの専売特許ですよバッキーさん」
名前まで筒抜けときた。この世界のスパイって犯罪に便利な能力持ちまくってそうだよ。
「本日クエストに同行することになりましたアシュリー・マルティネスです。みんなからはアシュって呼ばれてます。今日一日よろしくお願いしますね!」
「はいよろしく」
不味いことに早速俺の貧弱なステータスが露呈しちゃったよ。スパイ職ってのは大抵ステータスが低いものだが俺の場合レベル1後半のスパイにならボコられる自信はある。
場合によってはアシュに狩られることも可能性の内だ。
クエスト始まる前から疑心暗鬼ときた。ファッキュースパイ。
「やー、自己紹介も済みましたし早速出発しましょう。話は道中ゆっくりしましょうね」
そう言うとアシュは俺の背中を押して馬車に押し込もうとしてくる。どうやらアシュの筋力値は俺よりも上らしい。押し返してみたが、単純に力負けして俺は積荷同然に馬車に押し込まれた。
馬車の中はある種の待合室のようだった。相対するように二つの長椅子が並ぶだけの簡素なものだ。馬車の内装ひとつにそんな贅沢言うのもナンセンスか。
俺は騎手に手で合図を送って出発を促した。すると騎手は頷き、手綱を鳴らし、馬を走らせた。
クエストに出発だ。ここから先は俺達二人だけの時間だ。決していやらしい意味ではないぞ。
「到着まで二時間てところですかね。親交を深めるにはちょうど良い時間ですねえ」
「会ってまず人のステータス覗き見する奴が何言ってるんだよ?」
「あれ?もしかして不機嫌ですか? 嫌だな~少しからかっただけですよ。お詫びに私のステータスも見せるから許してくださいな」
そもそも何なのだこの女は。妙に馴れ馴れしいし、能天気そうな顔していて何考えてるかもわかんない。そうしているうちにアシュは自らのステータスを開いて、俺に見せつけるようにウィンドウを反転させてきた。
アシュリー・マルティネス
Lv.1
人間
装備 ナイフ×4
メインクラス スパイ
サブクラス アサルター
体力:E
筋力:E+
耐久:E
敏捷:C
幸運:C
魔力:―
スキル
暗殺E-
変装E
潜伏E
盗み見D
スキルいっぱい。足速い。あと俺より筋力値高い。でも脆い。
感想出すならこんなもんかな。取っ組み合いになったら俺にも勝機はあるかもしれない。出来れば戦うことなんてなければいいけどね。
「やー、こう見えて自分もスパイ駆け出しなんですよ。お互い頑張っていきましょうね?」
「まぁ無事に帰られるといいけどね」
「あれ?もしかしてバッキーさん今噂の初心者狩りってやつですか?」
「んなわけないだろ。それならこうして糞ステでクエストなんて行きやしねえさ」
「ですよねー。マンドレイク狩りに散弾銃一丁で出向く辺り、いかにも初心者って感じですよね」
あぁそうだった。マンドレイクの捕獲するのに散弾銃は必要なかったな。でも所持金も少ないし頼れる相手もいないんだし仕方ないだろう?
「さっき拝見したところ装備もそれだけのようですし。それじゃあ狩ったマンドレイクが使い物にならなくなっちゃいますよ。それは困るので私のナイフを一本お貸ししましょう」
すると、袖口から一本のナイフが飛び出し、アシュの手に納まった。
それはWSにもあるギミックなだけに驚きはしなかったが、その洗練された動きに見惚れてしまった。
アシュは手慣れた手つきでナイフを弄び、それを俺に向けて投擲してきた。
背筋が凍るようだ。ナイフは俺の股間近くの椅子に突き刺さり、ピンと突っ立っていた。
「どうぞお使いください。私はまだ三本程持っていますので」
それはどうも、と引きつった表情のまま俺は股間に刺さりかけたナイフを引き抜きポーチに納める。異世界の人間とはみんなこうなのか?ナイフ一本渡すのも命がけだね。くそったれ。
「やー、それにしてもついてますねえ。マンドレイクなんてそうお目に掛かれるものではないですからね。そんな中真っ先にクエストを受注出来たのは大きいですよ」
「そんなに珍しいもんなのかマンドレイクって?」
「そりゃあもう、マンドレイクの粉末は万能品ですからね。市場に出回ればどんなに高かろうと欲しがる人は後を絶ちませんよ」
「そりゃあいいや」
ここで大量に狩ることが出来て売りさばくことが出来たなら当分の生活には困らないだろう。無事にクエストを終えることが出来れば、の話だが。
大丈夫かな俺。死んだりしないだろうな。
期待4不安6ってところかな。ややネガティブだな。でもやるっきゃないか。生きるためだ。危険のないクエストなんてあるもんか。
やってやるよ。マンドレイクの悲鳴なんて心地よい音楽だ。初心者狩りなんてモンスターと思っとけばいいさ。
考えなんてない。なくていい。思いつめる暇があるなら精一杯頑張るのが俺には合っていそうだ。
「がんばろうぜアシュ。一緒に成り上がるぜ」
「もちろんですとも。今日は狩りまくりますよ」
馬車に乗ってからきっかり二時間経ち、馬車が停車した。目的地に着いたようだ。
生後一日、俺の初めてのクエストが今、始まるのだ。