スキュラの正体
一時間ぐらい何もせずに休んでも痛みは取れなかった。それどころか一向に痛みだけが増していくような気がする。
埒が明かないと思い、身体に鞭打って壁伝いに一階から四階まで歩くことにした。途中すれ違う巡回には事情が知らされているのか、ねばつくような嘲笑を飛ばされたが面倒事にはならなかった。
階段を上るのも一苦労だ。形容するなら無傷の重症といったところか。心の傷も酷い。プライドも傷付いた。安っぽいプライドだが。
初日でこれだ。前から此処にいる奴隷たちはいったいどんな仕打ちを受けてきたのか。考えたくもない。
スキュラはどうだったのだろう。俺は今まで奴隷というものを甘く見ていた節がある。それはスキュラの親しみのある態度から勝手に彼女の境遇の程度を決めつけていたのではないだろうか。
奴隷にとって自由の価値というものは何よりも欲するものなのだと今日知ることが出来た。スキュラが俺と初めて出会った時、自由を要求してきた。皮肉にも聞こえたがそれはきっと彼女の本心だったのだろう。
奴隷になって初めてわかった。奴隷に未来はない。消耗品のように使い捨てられるだけだ。
スキュラもそんな生活を送ってきたのだと思うと言葉に出来ない靄が胸の中に渦巻くような感覚がしてくる。
階段を一段ずつゆっくりと上り、どうにか四階まで辿り着く。どれだけの時間を有したかなんて考えたくない。今はいち早くスキュラの顔を見たかった。部屋の前に立っている頃には自分が今どうやって立っているのかわからなかった。どんな顔して入ろうとか、会ってまず何を言おうかなんて考える間もなく、俺の上体は傾き、ドアに突っ込むような形で部屋の中に倒れ込んだ。
「やぁスキュラ。帰ったぞ」
床に寝そべったままはにかむように笑いかけた。部屋の隅でスキュラは膝を抱えて嗚咽を漏らしていて、俺に気付くと慌てて涙を拭いて俺のそばまで駆け寄ってきた。
「バッキー!」
「俺に会いたかった?」
冗談にもスキュラは何度も頷き、うつ伏せの俺の背中に寄りかかる。電気のような痛みが走り、俺が呻くとスキュラは慌てて俺から離れた。
「怪我……してるの?」
「いや、してない」
嘘ではないがスキュラは嘘だと言いたげに瞳を潤ませ俺を見つめてくる。
そんなことされると誤魔化すのも悪く思えてしまう。
「したよ。治してもらったけど痛みだけが残ってる」
仕方なく正直に話すとスキュラはまた泣きそうな顔をしてしまう。どうしろというんだ。
「ごめんなさい。私のせいで……」
彼女も責任を感じているのだろう。どういう想いがあったにしろ結果的に俺が彼女の分まで罰を受けたことになるが。
まぁそもそも俺が余計なことをしなければ二人共今頃は適当に警告を受けて無傷で部屋に戻れていたのだが、それは言うべきだろうか。言える空気ではないな。ここはシリアスな場面だ。
とにかくスキュラを励ます言葉を考えなければ。このまま落ち込んだままなのも俺としては嫌だ。
身体を起こし、俺は少し無理に笑いかけた。
「でもまぁ良かったのかもな」
「良くないです!」
そしてあっさり否定された。しかも敬語に戻ってるし。
怒ってるような、悲しんでるような曖昧な表情でスキュラは自分に言い聞かせるように言葉を吐き出す。
「私は、奴隷です。主人である貴方に守ってもらえるなんてあってはいけなかったんです」
「じゃあ何でスキュラはあの場にいたんだろうな?」
ずっと気がかりだった。本来いるはずのないスキュラがあの場に鉢合わせるなんて偶然ではなかっただろう。
「考えたんだ。何でスキュラはあそこにいたのか?当ててみようか。スキュラ、お前怖かったんだろ?」
俺の言葉にスキュラは何とも言わず、返す言葉に戸惑っているようだった。そうしてる内に俺は言葉を紡ぐ。
「今日俺は初めて奴隷になった。正直な感想はファックだ。糞食らえだ。一日でも早く抜け出したい。死んだ方がマシだ。何度もそう思った。一日目でだ。スキュラ、お前奴隷になってどれくらいだ?」
「三年と半分を」
「三年か。もっと少ないと思っていたけど。千日を超えてる。俺なら耐えられねえ。お前がどんな生活送ってきたかなんて知らねえけど、もし自由になれるとしたら、それは紛れもない希望だ。この機会を絶対に逃したくないさ。その希望が突然消えちまったら、そりゃあ怖いよな。違う?」
「……違わないです」
「だからスキュラが謝る必要なんてまるでねぇさ。寧ろ謝りたいのはこっちの方だ。悪かったなスキュラ。俺はお前のこと何もわかっちゃいなかった」
一時的に痛みも忘れて俺はスキュラを抱き寄せていた。
「大丈夫、俺が死んでも自由にしてやるよ。約束だ」
彼女にとって自由というもの価値がどれほどのものか。俺にはわかっていなかった。気付けば泣いてるの俺の方だった。
「何で貴方が泣いてるの?」
「さぁ?傷痕がいたむからかもな」
照れ隠しに大袈裟に痛がると腕の中のスキュラは血相変えて俺の腕から抜け出すと心配そうに俺の顔色を窺う。
「大丈夫です?」
「いや、ちょっとヤバい」
本気で身体の方はガタガタだった。少なくとも明日一日は絶対安静にしておきたいぐらいに酷い。刃物で体中刺しまくられたらこうなっても不思議ではない。
するとスキュラは哀切そうに瞳を細めて、一つ何かを決意するように小さく頷いた。
「バッキー、いやご主人様、実は私一つだけ内緒にしていたことがありました。いや、今まで誰にも教えたことはないのです。私の父以外は知らない秘密です。ご主人様を信頼出来る人としてこれを教えます。他の方には内緒ですよ?」
神妙な顔つきををしていた。それだけ重大な秘密なことなのだということを感じ取れた。だが、次にスキュラは目を逸らして少し恥ずかしそうに頬を赤くして上目遣いで俺を見てくる。
「その前に、あの……目を少し閉じていてもらえますか?」
そう言われたらそうするしかないだろ。
スキュラが何をするか知らないが彼女が俺を信用してくれたように俺も彼女を信用して目を閉じる。
「それで何をするんだ?」
「おまじないです。ご主人様の痛みを飛ばしてあげましょう」
どこかで聞いたことのある言葉だ。俺のいた世界にもあったおまじないだ。
「ではいきますよ。痛いの痛いの〜」
本当にそれやるのかよと突っ込みたかったがとりあえずは付き合う。
「飛んでけっ!」
そのとき、俺の額に何か柔らかい物が触れたと思ったら何かが俺の中に入り込んできた。
驚いて目を開けると視界いっぱいにスキュラの顔が広がってて更に驚いて俺は後ろに転げた。
するとどうだろうか。身体の痛みが和らいでいるではないか。
「スキュラ、お前何した?」
額に残る感触はどこか覚えのあるものだった。そして、心なしかスキュラの目が碧く光って肌の色が透き通るように薄くなっているように見えた。
「黙っててごめんなさいご主人様。私半分は人間ではないのです」
スキュラの言葉を耳にして、俺は目を右から左へと泳がせてその意味を考える。
「はい?」
結局意味が分からなかった。急にそう言われて分かる方が無理だ。痛みは過ぎ去り今度は謎が体の内を駆け巡る。




