地獄
突発的に目が覚める。心臓が忙しく脈打っている。それに合わせて呼吸も荒い。
今のは悪い夢。そうであって欲しかった。
「ははは、気絶したか。初めてだと皆こうだ。さて、続きを始めよう」
希薄になっていた意識が強制的に覚醒する。肩に強烈な痛み。また、刺された。
死ぬ。俺はここで死ぬ。殺されちまう。
ナイフで何度も刺されて死なない人間なんていない。もう何度も刺された。いつ死んでもおかしくはない。
「あぁ、心配するな。どれだけ痛めてもメディックが治してくれる。存分に泣け叫んでくれ」
クライスの言葉に正気が失せそうだった。腹をまさぐると既に最初の刺し傷は塞がっていた。つまり幾ら刺されて殴られようがこの場で死ぬことはない。裏を返せば死ぬギリギリを何度も繰り返されるということでもある。
鋭い痛みが何度も走る。ある時は太腿を、ある時は二の腕を、刺したり引き切ったりして。その度に俺は断末魔のような悲鳴を上げて悶えた。
ナイフに飽きたら今度は鞭を取り出す。背中を晒されると一切の加減もなしに何度も鞭に打たれた。爆発音にも似た音を立てて俺の背中の肉が弾け飛ぶ。激痛のあまり気を失ってもまた鞭で打たれる痛みで起こされ、ショック死しようものなら休まされ、メディックによる治療を施される。籠手のようなものに癒しのモンスターとされる妖精の魔石を装填し俺の傷を瞬く間に治してくれる。
それが今の俺にとって幸か不幸か。死なないで済むと考えれば良いだろうがこの地獄が続くと思うと狂った方がましにも思える。
二度と奴隷として間違いを犯さないよう徹底的に上下関係を叩き込むのだろう。
斬って、刺して、打って、殴って、満足気に息を吐くとクライスは俺を見下ろした。
「本当は君じゃなくてあの女の子が良かったが、それは次の機会にしよう。僕も忙しいからな。今日はこれぐらいにして」
終わったという安堵感に包まれ、俺はぐったりと床に倒れこむ。しかし、クライスの言葉が更なるどん底に俺を落とした。
「残りは彼等が相手をしてあげるよ」
気づかぬ間に部屋に集っていた元冒険者達が顔を並べて俺の前に立っていた。
「皆日々のストレスが溜まっているからな。存分に遊ぶといい。君も頑張りたまえ。違反切符は月に一度清算されるからな」
両脇から腕を持ち上げられ強制的に起こされると鳩尾に拳が打ち込まれる。鈍い痛みと嘔吐感が込み上げる。
去っていくクライスと醜悪な笑みを浮かべて俺を取り囲む元冒険者達を見て確信した。
此処は地上の地獄そのものだ。
折れた鼻を殴られ、背中を蹴られ、胸に短剣が刺さる。悲鳴をあげる俺を眺めて笑う元冒険者達は悪魔そのものだ。
「次は俺にやらせろよ」
「せっかくなら女が良かったのにな」
「しかしこれはこれで楽しいんだよな」
「都合のいいサンドバックさね」
「ははは、ちげぇねえ」
血反吐を吐く俺の何が楽しくて笑う?
真紅に染まった水槽から名前も知らない女性の眼球がこっちを覗いていた。狂ってるんだなあ。なにもかも狂ってる。死ぬ。みんな死ぬ。誰も生きて出られない。奴隷としてこの屋敷に入ったら死ぬ以外に解放されることはないのだろう。
四十一度目の殴打が加えられる。そろそろ感覚も麻痺してきた。三十三度目の短剣の刺突、流れる血の温度は失せ、口の端から赤い液体が垂れるだけ。
メディックに治療される回数はもう覚えていない。俺の反応が希薄になるに連れ、元冒険者達も俺に対する興味を失くしていくようだった。
「壊れたか?」
「さぁ?そろそろ飽きたし寝よっか?」
「風呂に入んねぇと血生臭いぞこれ」
「言えてる。じゃあ行こうか」
飽きる時はあっという間だった。壊れた玩具に途端に関心を失くす子供のように俺は一人何もない部屋に取り残されて浅い呼吸を何度も繰り返していた。
外傷はほとんどないというのに体は満身創痍で、立つことも出来ず暫くはその場でジッと休んでいた。絨毯に染み込んだ血は致死量なんてとっくに超えてるだろう。何回分ぐらい死んだかな。痛みだけが体の中を駆け回っている。
今日はもう動きたくない。でも帰らなければいけない。奴隷としての義務ではない。帰りを待ってくれている少女がいる。
彼女を守ることが出来たことだけは唯一の幸いか。お陰で俺は穴だらけだが後悔はない。
今日という日を乗り切った。それが出来たのも俺が真に奴隷ではなく、任務としてこの場にいるという自覚があったからだろう。そうでなければ俺はとっくに折れてたかもしれない。
血で染まった水槽に目をやる。可哀想に。彼女だけでないだろう。今までどれだけの人間がこうしてこの水槽に落とされてきたのか。考えただけで身震いがしそうだ。
俺が出来るのはほんの数人を救うことだけ。この地獄に足を踏み入れたのが運の尽きなんだ。
仕事を忠実にこなすことが今の俺に出来る事な以上、一時的な感情に身を任せるのは得策ではない。
小難しいことを考える前にこの場を早く出ていきたい。嫌な部屋だ。血の臭いで吐きそうだ。何より、拷問にも近い罰がフラッシュバックしそうで嫌になる。
まずは身体を満足に動かせるまで回復するのを待とう。動くのはそれからにすることにした。




