デートの時間
午後になってだいぶ回復はしてきた。
昼飯にあっさりとした変なお粥みたいなものを食べて更に良くなった。
部屋に戻るとまだスキュラは眠っていた。奴隷の頃はどんな生活を送っていたか、知る由もないが今はそっと寝かしてあげるべきだろう。
それよりも今の俺にはアシュが待っている。着替えを済ませ外に出ると、まだアシュの姿はなかった。まだ彼女も準備中というわけだ。
依頼前の息抜きか。それともまだ何か準備が残ってただろうか。それとも前に約束した装備の紹介の件だろうか。
どれにしても楽しい時間を過ごせそうだ。
「やー、やる気まんまんですねバッキーさん」
やってきたアシュの格好はこれからどこかに行くというよりは今から戦いに赴くような冒険者の時の装備だった。
俺は目を細め、彼女と相対する。
「聞いてなかったけど今から何するんだ?」
「やー、仮にもバッキーさんはうちらの一員ではないですか?いつまでもレベル1だといくら薬でカバーしても困りごとが多いじゃないですか?」
「まぁ、確かにな」
「そこで、私いつも大きな依頼の前には軽く準備運動するんですよ。パーティの誰かと組み手をね。ですがちょうどいい相手がいないんですよ」
つまりは俺のレベルアップは建前で俺をサンドバックにしようと。
「それって……ザグールとかアンリじゃ駄目なのか?」
「やー、それがザグールさんとやるとこっちがしんどくてしんどくて。だからと言ってアンリさんだと本気で来るんでこれもまたスルーです。そこで、気分良くコンディションを調整出来そうなバッキーさんを選んだんですよ」
なんだか良いように利用されてるようだし、結局デートというわけでもなし。テンション下がりめだが良しとしよう。
安全にレベルアップに近付けるならそれに越したことはない。確かにいつまでもレベル1なのは俺も嫌だし、薬が無くてもそれなりに戦えるならそれに越したことはない。
「ならいいよ。手加減してくれよアシュ」
上着を一枚脱いで枯れ木の枝に掛ける。軽く準備体操して少し離れた距離を空けてアシュと面を合わせる。
「銃や刃物はなしにしましょう。面倒な怪我すると後に響くので」
「で、開始は?」
「いつでもどうぞ」
フィールドは教会前の小さな広場。どう仕掛けたものか。勝てなくとも一矢報いるぐらいの結果は残したいものだが。
アシュは腕を広げて挑発的な笑みでこっちを見ている。完全に待ちの戦形だ。ならば俺から仕掛ける他ない。
深く考えたところで最終的な結果は見えている。迷う必要なんてないんだ。
短く息を吐き、大股で最短距離で詰め、間合いに入った瞬間に仕掛けた。
左のフック、と見せかけて右の足払い。素人ながら上手く仕掛けたと思う。
アシュも顔が少し驚いていた。足が見事に掛かり体勢を崩したアシュの腕を取ろうとしたとき、それがアシュによる仕込みだということにようやく気付いた。彼女の腕を取った瞬間、俺の体が宙に浮き上がっていた。
何をされたのか。考える暇もなく受け身を取るために身構える。思っていたよりも高い。
衝撃に備えると同時に身体に鈍い痛みが走る。即座に体を起こすと目の前にいたアシュは姿を消していた。
スパイの初期スキル『隠密』だ。スキルのレベルにもよるが熟練のスパイなら完全に気配を消し、存在の認識を困難にさせるもの。
だが、完全に姿を消せるというものではない以上その実体は必ずどこかにある。こういうケースは大抵は、後ろだ。
振り向きざまのバックハンドを見舞うが感触はない。ただ、視覚によるアシュの姿を捕捉。俺の足元に屈んでかわされたんだ。
「やー、惜しい」
お返しとばかりの足払いを足だけの動きでかわすとお互いに攻勢に出た。
組み技はこっちが不利だ。袖を取りに来るアシュの手を弾きながらも打撃による攻撃に出るが容易く捌かれてしまう。
埒が明かない。一度距離を取って体勢を立て直す。アシュも深追いはしてこず、心底楽しそうな笑みを浮かべている。
「当たりませんねぇ。もう少し攻めに工夫が必要なんじゃないですか?」
悔しいが的を得ている。俺がアシュと渡り合うには経験もレベルもまるで足りていない。
だからといってなぁ、俺が即席で練った策がアシュに通用するのだろうか。アシュの強さは初心者狩りのときに痛感している。付け焼刃じゃどうにもならないがそれでどうにかするしかないわな。
組み技の対策として残り一枚の上着を脱ぐ。同時に駆けた。
アシュは性懲りもなくと言いたげに首を振る。そのときだ。俺の足元から二発、飛来した物にアシュは目を丸くした。
冒険者必携の革靴がアシュを襲う。もちろんそれで倒せるとは思っていない。少しでも隙が出来ればいい。
それを難なく弾いたアシュの目の前いっぱいに広がった俺のシャツは流石に予想も出来なかったと見た。
顔から思い切りシャツを顔から被ったアシュはあたふたと手を動かし張り付いたシャツを振りほどくが、その間は隙だらけだ。
女の子には悪いが思い切り拳を固める。レベル1のパンチなら全力でもダメージにはならないだろう。
布に包まれてお化けのようになっているアシュに拳を振りかざす。
拳が振り切るまで俺は忘れていた。いや、覚えていたけど絶好の好機に頭の隅からも外れていた。彼女が敏捷型のスパイであるということを。
確実に捉えたと思って放った拳は予想外のスカを食らい、俺は泡食った顔をしていると背後から伸びた手に反応することも出来ず、首に蛇のようにしなやかな腕が絡みついた。
スパイのスキル『隠密』によって完全に虚を突かれた。
ギリギリ首の締まらない程度の力で腕に力が込められており、背後に立ったアシュは俺の耳に口を近づけ、脅迫するように低い声で耳打ちする。
「どうします?失神するまで続けてみますか?」
この体勢になったときに俺は早々と決断していた。
「俺の負けだよアシュ。参りました。降参。お前の勝ちだよ」
あっさりとアシュは腕の力を緩め、俺を解放した。
その後でアシュは少し申し訳なさそうに頭を下げて俺に告げた。
「やー、ごめんなさい。最後はついついムキになってしまいましたよ。少々面白い攻め手に興が乗ってしまいましたよ」
「俺も上手くいったと思ったのに。結構ショックだよ」
シャツを着ながら、俺は素直な感想を聞かせ、靴を拾いにいく。
「いえいえ結構良かったですよ。もっと気楽に倒せると思ってましたがレベル1とは思えない身の捌き方、お見事です」
対人戦ならWSやってた頃に時間も忘れる程にやってきただけに自信があった。そして、スパイの戦術として最も用いられていたものが隠密スキルで標的の背後に回ってからの暗殺スキルによる一撃キルだということも熟知の上だった。
常に背後には気を配っていた。その上で俺に気付かれずに背後からの一撃を決めた。レベル差とか関係なしに悔しかった。
「またやりましょう。今度はバッキーさんももっと強くなって」
でもアシュの満足気な顔見てるとそんな気持ちも和らいでいった。
「あぁ、俺も負けっぱなしじゃ嫌だしな」
俺もどこか満たされるような感覚だった。一矢報いるとまではいかずともアシュに認められたのがどことなく嬉しかったのかもしれない。
「それにしてもアシュってスパイの癖にやたら強いよな。アサルターの方が向いてたんじゃないか?」
確かにスパイは隠密や暗殺スキルによって対象に気付かれずに制圧することを得意とする。しかし、アサルターやクラッシャーと比べればステータスは大きく劣ってしまい、直接的な戦闘ではスパイとアサルターではアサルターのほうに軍配が上がることが多い。アシュは今まで見たところだとスパイのような諜報よりもアサルターのような直接戦闘の方が向いている気がしたからだ。
アシュは少し髪を搔き上げ照れ臭そうにする。
「やー、私も小さな頃はアサルター志望だったんですよ。でも家柄で強制的にスパイにさせられました。その名残でサブクラスの方はアサルターなんですけどね」
家の事情といったやつか。漫画家になりたかったけど親に猛反対されて公務員になる的なアレなのだろうか。
そんな経験俺にあるわけないが何故かアシュに同情してしまった。
「ですがスパイでも良かったかもしれないですね。人のステータスを覗き見たりするときはとても便利ですから」
「ははっ、そりゃあ確かに便利だな」
上着に袖を通しながら俺とアシュは談笑を交わしながらホームに戻っていく。デートとはいかなかったが悪くはない時間だったと思う。
そろそろドクターも回復してるだろう。そうなると依頼に向けて仕上げが待っているのだろう。
二度目の依頼、最初は俺の為だけだったけど今度は何だろうかパーティの一員としての自覚が出てきたのだろうか是非とも成功させたかった。




