馬車の中の駄話
馬車を呼びつけ、隣町まで移動の最中もアシュは俺の腕に自分の腕を絡めていた。
この状況には慣れてきたが、時折隣の彼女と目が合う時、彼女の上目遣いにドキッとしてしまう。
何か気を紛らわせなければ、とにかく何か話題作りして気を逸らすことにした。
「アシュって、ギリギリロリだと思うんだ」
「やー、ぶち殺しますよ?」
「悪かった」
ある意味心臓が落ち着いた。
アシュが言うと本気でやりかねないから困る。
「潜入するだけです。一生奴隷になるわけではないですから大丈夫ですよ。私もドクターも全力でやりますから」
「正直な話、怖いんだよ。奴隷なんて人生の最底辺だ。失敗したら俺は一生そのまま。万が一のことがあったときを考えると、俺は怖くて一歩が踏み出さない」
「なら、背中を押してあげるのが私の役目ですよ」
俺の腕からアシュの腕が離れたと思うと、馬車の中でアシュが立ち上がり、俺の目の前の席に座った。
ただでさえ目を合わせ難いというのに正面に座られると思わず目を逸らしてしまう。
「初めての依頼の事を覚えてますか?」
「忘れられっかよ。死にかけたんだぜ?」
「でしょうね。私も見てましたから」
「マジで?」
「ドクターの虫を通してこっそりとね。というかバッキーさん、あの時ドクターが援護してくれるってこと、すっかり忘れてたでしょう?」
「今思い出した。必死過ぎて忘れてたわ」
結局助けなんてなかったってことは最初から助けなんて期待できなかったことなのだろうが。
「じゃあ質問ですが何でバッキーさんはそんなに必死だったんですか?」
「そりゃあ……そりゃあなぁ……」
自分でもいまいちピンとこない。何であんなに必死だった?死ぬと分かっててオークの集団につっかかっていった。
「それはあなたがあの時、出来ないことをやり遂げようとしてたからですよ。悪く言えばお人よしってことですが」
「俺が? んな馬鹿な。俺は逃げたかった。生きたかったから。一人の少女を見捨てようとした」
「でも結果的にあなたは少女を助けた。勝てる見込みもない。死ぬと分かっていながら。非効率的、命知らず、馬鹿、お人好し、あなたはどれでしょうね?」
「全部だよ。それで、今回の依頼と何の関係が?」
「一緒です。向き合ってみればわかりますが、今回だって人助けです。虐げられてる人々を自由に導くことなんて私達ぐらいにしか出来ないことですよ」
「その奴隷が解放されることを望んでなかったら?」
「やー、普通に考えてそれはないでしょう?」
アシュは一度会話を区切って可笑しそうに笑う。
小馬鹿にするような目つきで俺を見るとさも愉快そうに会話を続けた。
「バッキーさんもさっき言ったように奴隷なんて人生の最底辺ですよ。愛されるも捨てられるも主人の気分次第。見えない鎖に繋がれて擦り減った精神で自由を求めるものが奴隷ってものなんですよ。もしも、この世界に真に幸せな奴隷なんていたなら、今すぐ国宝にでも推薦して差し上げますとも。それにクライス氏の人柄なんてたかが知れてます。奴隷は都合のいい道具とぐらいにしか考えてませんよ彼は」
「そういうものなんだな」
「そういうものなんです。だからバッキーさんが細かいことを考える必要はないんですよ」
そこまで言われて俺はなおも乗り気にはなれなかった。
何でだろうか。最近死にかけてばっかだからかな。生きたいという願望が大きくなってるのかもしれない。どうして失敗することばかり考えてしまっているのか自分でもわからない。だが、あまり良い予感はしていなかった。
表情に影が落ちていたからか、それともそもそもお見通しだったか、アシュは俺の膝に腰掛け頭を俺の胸に預けてきた。
ボッと脳天に火が付いたように熱さが込み上がってきた。脚をぱたぱたと遊ばせるアシュは、何か物思いに浸って、独り言でも言うようだった。
「私も最初の方はそうでした。死ぬなんて嫌だな、他の人に任せてしまえばいいのにって。でも何回も依頼をこなす内に気付いたんです。私の命って誰かを救うためにあるんじゃないかなって。そう考えてからは依頼が来るたびに胸が躍るようで、今も変わらないです」
「アシュ?」
「なーんて、バッキーさんがそうなってくれないかなと思って少し作り話をしてみました。どうです?少しはやる気出ました?」
そこからはまたいつものアシュだった。さっきのは本心か、それとも俺にやる気を出させるための偽りか。
どっちでも構わない。俺にやる気を出させようとしてくれているのは素直に嬉しかった。
「少しだけな。ありがとなアシュ」
「やー、それは何よりです」
俺の上でくつろいでるアシュは少なくともアンリの言う、真偽の掴めない少女にはとても見えなかった。
俺にはやっぱり彼女が本心では優しい少女にしか見えない。それがきっと間違いないと思うのはきっと俺の主観でしかないのだが、現状俺は彼女を信じたいと思ってる。
「まだ着きそうにないな。何か話さないか?」
「やー、構いませんよ。何でも話してください。交遊会といきましょう」
「じゃあ、アシュはさ、何でこのパーティに入ったんだ?」
前にアンリにもした質問だ。ただの興味本位でしかないがいつかは聞くことだし時間があるときに話しておいて損はない。
俺の膝の上でアシュは暫く考え込むように首を傾げたり唸ったりして、やがて何か思い当たったようにピンと指を立て首だけ振り向き話し出した。
「自分、ブラックリストに入ってて困ってたんですよ。ギルドからクエストを受注出来ないし生活が苦しくなる一方だったんですよ。多分バッキーさんよりも年下でしょうけど独り身でして、他の仕事にはどうにも食指が動かなくて、やっぱやるなら自分の持つスキルを存分に活かしたいじゃないですか?そしたらある噂を小耳に挟んだんですよ。ブラックリストだけの冒険者で編成されたパーティがあるって。それがこのパーティでしたって話ですよ」
思っていた以上に普通だった。普通すぎてリアクションに困るぐらい普通だ。
「あっ、今普通すぎだろとか思いましたね?そもそもバッキーさんだってブラックリストに入ってるわけでもないのに何でこんなパーティにいるんですかねぇ?」
「そりゃあ、アシュに無理頼んじまったからなぁ。あのときは本当に助かったよ。おかげで俺は」
「やー、ドクターのモルモットが何か生意気言ってますね」
「お陰でまだ生きていられるんだから感謝してるよ。それに、薬使ってるときは誰にも負ける気がしねえんだよ」
「なら次の依頼も大丈夫ですよ。ちゃちゃっと終わらせちゃいましょう」
「あぁ、そうだな。最後にもう一つだけ聞きたいんだがいいか?」
アシュは何でもどうぞとばかりに頷いた。
だから遠慮せずに聞けた。まだ早かったかもしれないがいずれ聞くだろうから今聞くことにした。
「アシュはさ、何でブラックリストに入れられたんだ?」
俺の問いにアシュは静かに笑った。アンリの時と同じだ。なんてことはないとばかりに、彼女は口を開いた。
「人を殺しました。それだけのことです」
なんて返せばいいのか暫くわからなかった。
アシュが『それだけのこと』なんて言うからか、俺がさっき人を殺したばかりだからか、感覚が麻痺している。
この世界に生まれて命のやり取りが増えたからかな。命の価値が俺の中で軽くなっているような気さえした。
スキルの『精神汚染』のスキルレベルも上がっているからだろうか。
それはきっと俺にとっては良いことではないのかもしれない。でもこの職種にあたっては都合がいいのだろう。
「そうか、色々あったんだな」
だから、俺もなんてことないとばかりに抑揚のない声でアシュに返した。
馬車が止まる。
まだ聞きたいことは色々とあったが目的地に到着しては仕方ない。
話を切り上げアシュを膝の上から退かすと俺達は馬車を降りた。




