二度目のお薬
「弾いただと……?」
少女が驚く。俺も驚いてる。気分がいい。今なら何でも出来そうだ。少女の小さな不安すら感知することが出来る。感覚が異常なまでに鋭敏になっているんだ。なんの薬だったかはどうでもいい。もう一度言う。選択肢三だ。
「おじょーさあぁぁぁん、あっそびぃましょおおぉぉぉぉぉ!!」
溜めていた脚の筋肉を解放する。その刹那、縮んだスプリングを放したみたいに俺の足が跳躍した。常人なら目にも留まらない速度の筈だ。壁を跳ね回り、一瞬の内で肉薄し、すれ違いざまに少女の首を跳ねて終わりの筈だった。それでも少女は俺のことが見えていた。爪の切っ先が紙一重で少女の首に届かず推進力に従って大きく距離を取らされた。
見えてるなんてもんじゃない。見え過ぎているんだ。恐らくあの布は視覚を補助する装備だろう。それであんな壁越しでも正確な射撃が出来たのだ。
「な・る・ほ・ど・ね」
メーターは振り切れてる筈が頭は妙に冴えている。ただただ冷静に少女をどう殺すかを頭の中で策を練っているのだ。脚の筋肉がメキメキと隆起する。矢に撃たれた痛みなどとうに無い。何の薬だったかは知らないが、効果てきめんだ。
「……何だ貴様は?何だその姿は?」
「全身冒険者様だぜ、糞野郎」
刃物のように鋭利な爪、鬼のように赤く染まった肌、弾丸すらはじき返すだろう鋼の鱗、敵を殺すには余りに適した姿だった。最高だ。気分が最高潮に達しつつある。
獣のように吼え、俺は再度、壁を蹴った。たとえ見えていようが関係ない。体が反応も出来ない速度で首を跳ねる。心臓を貫く。兜から両断する。全部実行する。殺す。オークの時と同じように殺して、殺して殺しまくって、殺して――――
「ベハァ!?」
ありえねぇ、反応しやがった。カウンターとばかりに、俺の頬に回し蹴りを打ち込み、同時に、俺の心臓に向けて弓を引いた。
至近距離からの一矢を寸でのところでかわし、ガラ空きの腹に胴タックルを見舞う。
二階の柵を突き抜け、二人仲良く一階のエントランスへと落下だ。少女が下になったことにより、衝撃の殆どを少女に押し付けることに成功した。エントランスが陥没する程の衝撃。まともに立てない筈だろうに、少女は難なく立ち上がり、距離を取りながら二射続けて矢を放ってきた。今度は目だ。肩、脚、心臓ときて、目だ。じわじわと殺しにかかってる。
嘗めやがって、因みにこの間0.001秒、矢が俺まで届くまでにピザ一枚食える。薬が洗練されてきた。ナメクジよりも遅い矢を受け止め、三つに卸すと少女にギラギラとした眼光を飛ばした。
「おじょーさん、二、三言っておきたい」
「言ってみろ」
「一つ、無性に腹が減った。上質なパンケーキが食いてえ」
「うちにそんなものはない。他所に行け」
「二つ、何で弓矢何て使う?今の時代、狙撃銃があるだろ?何で弓なんだよ?」
「銃は整備に出してる。そういう貴様のその姿は何だ?」
「知るか、薬飲んだらこうなった。三つ目だ。ぶっ殺してやるよ!」
完璧に油断している。そう確信したからこそ俺は銃を抜いた。鋭利に尖った爪が邪魔だったが銃は持てる。眉間に照準、殺したと確信し発砲したのに、それすらもかわす。銃を照準した時には少女は動いていた。銃では殺せない。
だが、苛々している筈なのに楽しい。どう崩して、どう殺すか。その結果に至るまでの過程を今まさに楽しんでいるんだ。銃じゃあ殺せない。少女には全てが見えている。俺の次の動きも見えているだろう。ばれているのなら小細工なんていらない。突っ込んで殴って、蹴って、斬ってしまえばいい。生憎、今の俺ならそれが可能だ。少女の身体が反応する前に少女の命を断てる。薬は回った。気分はモンスターで言うドラゴンさながらだ。全能感に満ち溢れているのだ。今なら空だって飛べよう。火だって吹けよう。神様だって殺せよう。
こそこそ動く必要はない。両の指を床に着け、身を低くして構えを取る。誰から見てもそれは陸上競技で言うクラウチングスタートの体勢だ。
その隙を見て少女は弓を引いた。待っていたのはこの時だ。誰だろうと攻撃に転じる時、防御や回避が手薄になる。少女だって例外ではない。弓を引く瞬間、俺を殺すことに意識が行って俺の攻撃をかわそうという気が薄れている。
俺は舌舐めずりを一つした。詰んだという確信があったからだ。少女にも俺の意図が読めたのか、顔に曇りが出てた。でももう遅い。俺の勝ちだ。地を蹴り、一瞬で加速を完了した俺は速度をそのままに鋭利に研ぎ澄まされた爪を少女の喉元に差し出した。見えていようと身体が付いて行ってない。
勝った。そう確信した時だ。俺と少女の間で何かが光った。完全に少女に意識を向けていたからか、それが第三者の介入だということに気付いたのは俺が吹き飛ばされ、壁をぶち破って、俺の部屋のクローゼットに突っ込んだ後のことだ。
「……は?…………はぁ?」
何が起こったのか理解できなかったことへの言葉ではない。完全な勝ちを横から蹴られたことへの怒りからの言葉だ。
犬歯を剥き出しに、俺は敵意を持って、第三者の方を睨んだ。ただ、その相手を見た途端に何もかも覚めてしまった。賢者タイムだ。
俺が当初の目的から脱線してしまっていたことも、こんな戦いが本当に無意味であることも。その人を見たら、我に返ってしまった。
「なぁお前ら、教えてくれるか?俺は依頼人と交渉しに散歩がてた三人で街の方に出てた。依頼内容を聞いて契約を交わした後、月に一度しか街に来ない屋台のサンドウィッチを買って、上機嫌なところだったんだ。そしたらどうだ。怪獣でも通ったのか?それとも宗教弾圧か?あ?なんか言えよてめえら。舌を引っこ抜くぞ」
油紙に包まれたサンドウィッチを今にも握り潰してしまいそうな形相だ。俺は腎臓を引っこ抜かれたように顔を青ざめさせていた。少女も一緒だ。世界の終わりでも来たかのように膝を折って項垂れている。
Dr.マルクが帰ってきたんだ。後ろにアシュリーと身の丈二メートルを超える大男を連れて、ドクターは泣く子が死んでしまいそうな貌をしていた。
「アンリは後で話がある。そこの糞野郎、てめえには……」
今度こそ死ぬ。モルモットなんて生易しいものじゃない。ミンチにされて脳味噌だけで生かされる最悪なシチュエーションまでコンマ一秒で覚悟した。だが、ドクターが俺を見たとき、目を細めて、はて?と言わんばかりに首を傾げた。
「お前、バッキーか?お前、昨日死んだぞ?」
ドクターの言葉に俺も思わず首を傾げてしまった。
意味不明、理解不能、チンプンカンプン、矛盾、トンチンカン、わけがわからない。
俺が死んだ?なら今の俺は何なんだ。小さく息をする。薬の効果が切れ始めた。精神汚染は発動していない。冷静になろうにもなれるはずもない。ドクターの言葉の意味を、俺は必死に理解しようと努めたが、わけがわからず、ドクターは冗談を言っているような顔では決してなかった。




