ハングオーバー
「あぁそうしよう。――――にすればもっと便利だ。きっと――――も喜ぶ」
水の中にいるような浮遊感の中、ぼやぼやとした声が聞こえる。最近聞いたような男の声だ。何を話してるかなんて気にもならない。誰だかも知らないし興味もない。もっと寝ていたい。死ぬ程疲れた。何か……とても大変なことがあった気がする。どうでもいい。寝よう。とても心地いい一時だ。今は何もしなくていい。
「あ?死んだ時?その時はゴミ収集にでも出すさ。火曜はゴミの日だぜ」
異様な熱気で俺は目覚めた。あれから何が起きたのか。知る術はないし、目の前は真っ暗だ。汗がベタついて身を包むビニール質の物質が酷く不愉快だ。力任せに身体から引き剥がし、羽化した蛹よろしく外へと這い出た。
差し込んできた日光が目を焼くようだった。それこそ何か月も日に当たってないみたいに強烈だ。手の平を傘代わりに目が慣れるのを待った。その間にも俺の身に何が起きたのか考えることにした。
オークをぶちのめした後からの記憶がどうにも思い出せない。耳鳴りが酷い。キンキン鳴ってて音が拾えない。目を瞬かせると、異様なまでに乾いた目に違和感を覚え、体中の骨が駆動するたびにパキパキと小気味のいい音を立てている。気分的には長い間眠りに着いていた吸血鬼ってところだ。陽の光から目を伏せ、身の近辺の確認をすることにした。ボロになった衣服は新調されていた。腕に端末もある。銃も綺麗に整備されて背中のホルダーに収納されていた。身にそれといった外傷もなし。動くのに支障もなさそうだ。
目も日光に慣れてきたことだし周囲に目を配った。
あぁ、これは酷い。俺は今の今までゴミの山をベッドにして眠っていたようだ。周りに敷き詰められたポリ袋の山から察するに此処はどっかのゴミ捨て場か。ポリ袋に詰められたら辺り、俺は何者かに袋に詰められた捨てられたのだろう。はっきり言ってそんなことをされる覚えはない。恨みを買うようなことは今のところしてないし、増してやゴミに出されるようなことした覚えなんてない。
記憶を飛ばすような代物、そうなると思い当たるのはアレしかない。ドクターの持たせてくれたあの薬だ。この世のものではない味がしたあの薬だ。レベル1の俺を飛躍的に強化したあの薬だ。間違いなくアレだ。それ以外は考えられない。
そもそもあの薬の効能は何だったのか。ドクターからは死にそうになったら飲めと言われたが、その効能は異様なまでに能力が向上させたことだけは確かだった。しかも致命傷まで完治させたのだから、寧ろ記憶が飛ぶぐらい安いものなのかもしれない。
死んでた感覚が蘇ってきた。同時に猛烈な空腹感も付いてきた。冗談みたいに鳴り響く腹を押さえて、立ち上がると、背後の方がやけに騒がしいことに気付いた。なんか嫌な予感がして、恐る恐る振り返ると、そこは昼の人が最も多い時間帯の大通りの景色が金網一つ越してあった。その金網に張り付いてこっちを物珍しい目で見てる野次馬共はそんなに俺が珍しいのか、ある人間はカメラを構えていた。
「何見てんだよお前ら?」
「そっちこそ何してんだよ」
野次馬の中から比較的若い男の声が返ってきた。人を小馬鹿にしたような卑屈な声だ。俺の幸運はフォース・オブ・アウトローだけでなくグロッグ17も手元にあったことだろうか。腰からそれを抜き、天に向けて発砲。
泡食ったような顔した野次馬に銃口を向けると、蜘蛛の子を散らすように散開していった。
「見せ物じゃねぇんだよ! ったく、どこだよ此処……」
金網をよじ登り、そこから街並みを眺めてみてもどこだかもわからない。生まれて一週間も経ってない身だ。わかる筈もない。取り敢えずは飯だ。どこかそこら辺のレストランで腹を膨らまそう。金網から飛び降り、街道に出てみると、近くで発砲したというのに、他の人間は何食わぬ顔で街を闊歩している。
まるでゲームのNPCのようだ、と思いながら所持金の確認をするべくコートの内ポケットを漁ると、見覚えのない茶封筒が入っていた。俺の身に起きた事の手掛かりになるかもしれないと、その封筒を取り出した。そして、俺は目を疑った。
封筒の表の面にはこっちの世界の文字でこう書かれていた。
退職金、と。
「オーケー、何だこれ?」
退職?退職だと?俺が何をしたというのだ?
駄目だ、考えれば考える程思考がもつれて混乱していく。一度落ち着きを持つべきだ。
ここまではっきりとしていることを一つずつ整理しよう。まず確かなのは、俺がオークを殺したことまでは覚えているということ。そこからの記憶がすっぱりと無くなって今に至る。身体に異変は無い。ただ、ボロボロの衣服が直っているということ。そして、謎の退職金。
とりあえずは退職金の中身を確認するとしよう。封筒の厚みは凄いことになっており、全て金だったとすると、相当な額になるだろう。封を切り、中身を取り出すと、それが全て金だとは思いもしなかった。軽く百万はある。思わず顔がにやけた。これで好きなことが出来ると思うと心が躍ってしまう。前の日は金に限りがあったからストップがかかったが今回は使い放題だ。俺の胃が一層空腹を訴えだした。
そうと決まれば今やるべきことは一つ、レストランへ直行だ。




