vsオーク
その光景を虫に取り付けられたカメラからDr.マルクとアシュリーは喜々とした様子で見物していた。
「やー、バッキーさんったらすっかりドクターの虫の件忘れてますねあれは」
「だいぶ必死なようだな」
けらけらとマルクは笑い、カメラに映るバッキーを見て微笑んだ。バッキーが昨日のマルクの援護の話など頭の中にない様子はさぞ愉快なものだったのだろう。
「さて、どうなるか見物だな」
「助けないんですか?」
アシュリーは少し驚いた風にマルクを見た。熟練されたスパイのアシュリーでもハイオークを三体同時に相手取ることは容易いものではないと感じているからだ。
「アシュリーアシュリー、俺が何であんな雑魚を迎え入れたと思う?」
「やー、体の良い実験材料でしょう?確かに彼のスキルは巷で見るようなものではなかったですが……それで貴方が何を見たいのかは私には想像も出来ませんね」
「よく分かってるじゃねぇかよ。俺の実験体はなアシュリー、たかがハイオーク三体にやられるようなら必要ねぇんだよ」
「でも彼のレベルは1です。武器も貧相な拳銃と骨董品のような散弾銃だけです。少々ハードルが高いのでは?」
「ならお前があいつと同じ状況ならどうするよ?」
「そうですね……子供を囮に使いましょう。オーク達が子供に意識が向いているところでスパイの隠密スキルで背後を取って魔石を一刺しですね」
「教科書通りだ。さて、あいつは真正面から行ったがどうなるか。見ものだ」
この状況を心底楽しむように二人は画面に映し出されるバッキーを観戦することにした。
「あれがオークかぁ……デカいな」
目の前にはバイのオーク。負けて失う物は命と守るべき少女の命、そして両者の貞操。
いや無理だろこれ。勢いで出てきたけど俺に勝てる要素があるのか?
見上げる程でかいオークだ。言うなればハ〇クだ。殴られたら俺の頭はゴルフボールみたいに飛んでいくだろう。うーんグロテスク。
でもこういう状況だから燃えるんだ。やっと異世界に来たって実感が沸くんだ。
草刈りにこんなところにきたんじゃねぇ。初心者狩りをどうこうする為にこんなところにきたんじゃねぇ。
異世界に来たんなら格上のモンスターの一匹、タイマンで戦ってみたいさ。ゲームでは感じることの出来ない高揚感。リポップはしない。一度っきりの挑戦だから、思いっきりやってやろう。〇ルクをぶっ倒してやろう。
一度だけ息を大きく吸い込んで、吐き出す。
「来いやオラァ!!」
俺の雄叫びに応じるようにオークが吼える。涎と臭気を帯びた咆哮に気圧されかけるが、持ちこたえて同時にグロッグ17を構えた。
トリガーを引き絞り、9mmパラベラム弾が銃口から放たれた。オークの腹に乾いた音を立てて跳ね返る弾丸を確認するまでもなく、俺は最短距離で突進していき、続けざまに発砲する。
拳銃の弾なんかが上位のオークに通用しないなんて承知の上だ。狙いは意識をこっちに向かせること。そして、自分の装備がちゃちな拳銃しかないと思い込ませることだ。オークは基本頭が悪い。複雑な考えは出来ないだろう。そしてこっちには一撃必殺の威力を持つ散弾銃がある。どてっぱらにぶち込んでやれば無傷なんてことはないだろう。
先頭に立つオークに肉薄すると同時に俺は両手のグロッグ17を投げ捨て、背中の木製の銃把に手を掛けた。問題はオークの一撃。それさえ回避すれば勝機はある。
手に持った巨大な棍棒を振り被り、棍棒のスイングが猛然とした勢いで俺に向けて繰り出された。
いけるいける。これはほんのゲームだ。タイミングに合わせてボタンを押す感覚と一緒さ。
膝を着き、そのままスライディング。首を横に、頬を髪先を掠る棍棒を見送ると同時に攻勢へと転じた。
「フゥヤァアア!!」
腰だめでも当たる射程。俺は引き金を絞り、装填された二発の弾丸を一度に炸裂させた。
即席の作戦にしては上手くいった方だった。ただ、問題は俺がフォース・オブ・アウトローを撃つのが初めてだったことだろうか。
一瞬、何が起きたのかも理解できなかった。無重力に掻っ攫われたように体が宙に浮き上がり、世界が反転。直後に背中に重い衝撃が走る。地面に叩き付けられたと理解するより早く視界が目まぐるしく切り替わり、最後に木造の小屋が目前に見えたところで、先程とは比べ物にならない衝撃が全身を襲った。
「あぁ……!があ……ってむ」
どうやら納屋に突っ込んだらしい。その原因は恐らくこの銃だ。オークに殴られたのなら今頃は意識なんてあるはずがない。
「何だよこの銃……」
手に残る感覚からわかった。この銃、フォース・オブ・アウトローの特性は尋常じゃなく高いノックバック性能だ。ヒットした対象を吹き飛ばすのが本来の特性だが、俺の筋力値が足りないのとオークの体重が相まって、逆に俺が吹き飛ばされたんだ。
つまり、俺の一方的自滅というわけだが、肝心のオークは……
「グルアアアアァァァァアァアアアアアアアァァァァァァ!!!!」
あぁ、ぴんぴんしてらっしゃる。しかも中途半端なダメージを与えた所為で猛烈に怒っている。
こっち来てる。オークの突進なんて想像もしたくない。
即座に回避姿勢を取ろうとする。間に合うだろうか。間に合わなければ死ぬ。間に合わせろ!
形容するなら巨大隕石の衝突、木造の納屋なんて粉微塵だ。木の破片が宙に飛散する。俺も同じくして宙を舞っていた。間に合った。咄嗟に天井まで這い上がり回避することは出来た。しかし、空中では身動きが出来ない。願うは着地まで俺に気付かないで欲しいものだが……どうも無理そうだ。
「ベハアアアアアアアァアアァァァァァアアアアァァァァァァ!!」
後続のオークが俺をはっきりと視認していたようだ。狂ったような雄叫びを上げて俺へと吸い込まれるように突っ込んでくる。
これは無理だ、と半ば諦観の眼差しで迫りくるオークを見つめた。
そして、ほんの数秒後、全身を揺るがす衝撃の後、何もかもが吹き飛んだ。体も意識も感覚も、痛みすらも無くなってしまったようで、次に目が覚めたのは全身を駆け巡る痛みによるものからだった。
何がどうなった?どこまで俺は飛ばされた?どれぐらいの時間が経った?オーク達は何処へ?
とにかく生きてる。それは喜ぶべきことだ。あの女の子は無事だろうか。気になることが多い。とりあえずこの場を発たなくては。
そう思って体を起こそうとした時、漸く自分の身に起きたことを理解した。
「かっ……は………………ヤバく……ね……これ」
口の中には溢れる程の鉄臭い血液が滞っていて、右手は完全に折れていて左手に関しては原型を留めていない。体中傷だらけで横腹が抉れ、そこから止め処なく血が滴り落ちている。
立つことなんて出来ない。あとはもう死ぬのを待つだけの存在だ。だからオークは追撃してこない。人間が蚊を叩いた後と同じだ。ウザったいけど叩けば死ぬぐらいにしか思われていない。
「はっ…………馬鹿かよ俺」
そんなこと承知の上だったはずだ。敵う相手じゃなかった。あのまま逃げておけばこんなことにはならなかったんだ。ちっぽけな正義感を捨てられずにこのざまだ。馬鹿以外の何物でもないだろう。
ふと、首から下がったアシュに渡された手榴弾が目に留まった。自害用と渡され、奇しくもそんな状況に陥ってしまった。このまま失血死を待つぐらいなら、いっそのこと楽になってしまった方がいいかもしれない。
でもそれでいいのかという感情がそれに待ったをかける。せっかくここまで来た。ステータスをリセットされながらも初心者狩りも退け、新しいパーティにも入れてもらえた。初めての依頼に胸が躍った。たかが草むしりだろうと完遂して胸を張って帰りたかった。
だから、俺は逃げなかったんだ。ここで逃げたらこの先もずっとそうしていくだろう。分かっていたから俺は逃げなかった。たとえ敵わなくとも、彼女を助けてあげたかった。
「なめやがって……俺が……諦めっかよ」
何のために残った。無残にオークに殺されるためなんかじゃねえ。パーティの一員として依頼を遂行するためだ。
やろう。まだ出来る筈だ。こんな所で死ぬために俺は生まれたんじゃない。きっとそうだ。そうに決まってる。
「『殺される前に殺せ』その通りだぜドクター、だから少し力貸してもらうよ」
腰に吊り下げてた瓶を手に取る。ドクターからいざという時に渡されていたものだ。思えばドクターはこうなることを知っていたのかもしれない。
そんなのは後で聞こう。俺が生きて帰った後で。コルクの蓋を開けると中の液体からツンとした酢酸臭が鼻に届いた。
口の中の血を吐き捨て、俺は瓶の中の液体を一気に飲み干した。そして、あまりの味に驚愕し、俺は瓶を落とし、目を剥いた。
「ま、ま、ま、まままま、ま…………まっずぁぁぁあぁああぁあああああ!!!!」
痛みも吹き飛ぶような破滅的な不味さだ。人間の飲み物なんかじゃねぇ。悪魔の吐いたゲロを食べたドラゴンが更に吐いたゲロにトロルの皮膚の苔を入れてもこうはならない。不味さで死にそうだ。そして同時に体が溶けそうな程に熱い。体も感覚も理性も溶け落ちていく。痛みも引いていく。代わりに頭の中に何か気持ちのいい物質が流れ込んできた。
糸に操られる人形のようだ。自分が今どうやって立ち上がり、どのようにして歩いているのか、まるで理解が出来ない。でもやるべきことだけは理解していた。
プチン、と頭の中で何かが切れる音がした。真っ白な脳裏に殴り書きの文字が浮かび上がった。
スキル『精神汚染』が発動しました。
スキル『薬効』が発動しました。
「うん、よろしい。いや、良くはないか。でも今はいいや。どうやって殺そうかって、へへ、へへへへ、決まってんだろ。弾撃ち込んで殺すんだよ。あっ、でも拳銃の弾ぐらいなら弾くんだよなぁあいつら。ならいいや、ありったけぶちこもう」
フォース・オブ・アウトロー、次は仕留める。やろう。やってやろう。皆殺しだ。
「キル・ゼム・オール!!!!」




