スパイの恩返し
薬莢内の火薬が爆ぜ、弾丸が銃口を通り抜け、伏せた男の横腹に吸い込まれるようにめり込み、捻じ込まれ、パッと血の飛沫が上がった。
その光景を俺は一生忘れないだろう。男は叫び、地面に突っ伏したまま気を失った。その先ではアシュが面食らった顔をして俺を見ていた。
「あー、やってしまわれた……」
十メートルはあった距離を一呼吸で零にしてアシュは俺に詰め寄った。
「早急な退散が必要になりました。掴まってください」
少し焦っているかのように見えるアシュに俺は何も言わずに掴まった。刹那、視界が大きく揺れ動き、狭い路地裏の景色が一瞬の内に広大な街を空から見下ろす景色へと早変わりしたのだ。
「すっげぇアシュ!飛んでるぞ俺!」
「喋ってると舌を噛みますよ」
浮遊感は消え失せ、ジェットコースターのように急加速して落ちていく。地面が迫ってくる。死ぬって。普通なら死ぬ。
アシュは俺をお姫様抱っこしたまま、軽やかに着地して見せた。
人気のない道に差し掛かり、俺はアシュから解放されると、彼女に向き直った。
「それでさ、さっきの見てた!?俺が撃った弾があのハゲに当たってさ血がドバッて出てさ!それでさ」
「随分とはしゃいでますが、人を撃つのは初めてですか?」
「そうだよ!冒険者になって何で初めて撃つのが人間なんだっつーの。やべえっての」
人を撃ったというのに罪悪感よりも高揚感が前面に来ていた。きっとスキル『精神汚染』が働いているのだろう。そうでないなら俺は異常だ。人を撃つという初めての体験に後ろめたい感情どころか快感すら覚えている。
まあ細かいことはいいや。話を戻すことにした。
「それで、さっきは何が不味かったんだ?」
「あんなところで発砲したら人が集まるのはわかるでしょう?保安部の人間の全員が事情を把握してるわけでもありませんし、下手したら私達揃ってブタ箱でしたよ?」
「そういえばガスばら撒いたのに引火しなかったな」
「空気より軽いですからね。時間が経てば銃も使えますよ。その間に片付けたというのに貴方が撃ったりするからいけないんですよ」
自分の思い通りにいかないと苛立つタイプなのか、アシュは髪をくしゃくしゃとかき上げ、暫く考え込むように蹲ってしまう。
何か段取りを考え込んでいたようだったが、顔を上げこっちを向くと彼女は俺に別れの言葉を切り出す。
「もういいです。バッキーさんとはもう会うこともないでしょうし。精々ステータスを上げて狩られないように生きることですね」
そう言って、ぴょんと立ち上がると俺に背を向けて歩いていく。
慌てて俺はその背中を追いかけた。
「ちょっと待てよ。そりゃないだろ?」
「まだ何か御用で?」
今度は俺が考え込む番だった。呼び止めたのはいいが、何を言えばいい。
自分が彼女にどうしてほしいか。ここで言わなければきっとこの先後悔するだろう。だからちっぽけなプライドなんて捨てて頼むんだ。
「その、言い辛いんだけどさ、助けて欲しいんだ」
「助けるも何も、もう助けましたよ? それともまだ何かご所望で?」
彼女の声はとても冷たく、突き放すようだった。
このまま彼女が行ってしまったら二度と会えないだろう。だから心のまま言うしかなかった。
「怖いんだよ。冒険者になってから何も思い通りにならない。次あんな奴らに襲われたら今度こそ死ぬかもしれない。行く宛もないんだ。アシュがいなくなった後、また同じような目に遭ったら? 死んでる自分を考える。昨日までそんなこと考えもしなかった。こんな人生が送りたかったわけじゃない。でももう戻れない。わかりきってんだよこのまま行けば死んじまうなんて! 誰だって死にたくないさ。アシュも分かるだろ?」
「やー、それなら別の方に頼んでください。私じゃなく、もっと善意に溢れた方にね」
「アシュ、お前しか頼める奴がいないんだ。今この街で……この世界で頼れるのはお前しかいないんだ。だから頼む、俺を助けてくれ、お願いだよ」
涙腺に涙が溜まって、今にも泣き出してしまいそうだった。
いっそみっともなく泣いてしまっても良かったかもしれない。それでも意地というやつか。涙だけは流さなかった。
アシュは俺に向き直るとやれやれと言わんばかりに緩く首を振る。
「ここでバッキーさんを見捨てたとして後日貴方が死んだと知ったら、私は嫌でも心が痛みます。だからと言って貴方を助けるのも正直気が進みません。やー、何てことでしょう、どちらにしても私は嫌な思いしかしないじゃないですか」
アシュはこめかみを揉んで、悩みの種を見るような目で俺を見た。
断られるか。そりゃそうだろう。低レベルの人間なんてアシュから見ればいても一銭の得にもならない存在でしかない。
俺が視線を地に落とし、諦めかけているとアシュは表情を笑顔に変え、俺の肩に手を置く。
「なんてね。いいですよ。先程は期せずして助けても頂きましたからねぇ。それに、バッキーさんといるとまた楽しいことに出会えそうですから」
無邪気な彼女の笑みに心救われるようだった。
「ありがとうアシュ。本当に助かるよ、本当に」
自然と口から笑みが零れ、彼女への感謝の言葉を何度も繰り返していた。
「いいってことですよ。それでは行きましょうか」
そう言ってアシュは俺の手を取ると何処知らぬ方へと歩き始める。
どこにいくのか?と尋ねるとアシュはにこりと笑い、
「決まっているでしょう? 私のパーティのホームですよ」




