満たされない女
地面に寝転がってそのまま寝ちまおうかと、ふと考える。
今の一瞬で分かったのは薬一本では明らかにペニーの方が強いという事。二本使っても敵うかどうか定かではないし、今すぐ使ったら薬のペースが早すぎて身体がおかしくなって動かなくなってしまう。
だから、こうして寝転がって時間を稼いでいる。
超合金のバットでフルスイングを食らわされたような気分だった。どういう威力だ? 危うく首がもげるところだったぞ?
五体満足であることを確認し、ペニーの方を見やると、既に俺の目前に彼女の姿があり、喉の奥から短い悲鳴が漏れ出た。
倒れる俺を見つめて、ペニーは訝しむように眉を顰めていた。
「んーーーーーー……期待しすぎたかねぇ。アンリを倒したって聞いたときは胸躍ったもんだけど、これはどうしたもんかねぇ?」
ゆっくりと、ペニーに勘付かれないよう全身に力を込めていく。
明らかに不利なこの体勢ではあるが次の一手を繰り出さんと思考を巡らせ、呼吸を整える。
「まさかとは思うけど、これで終わり――――」
ペニーが言葉を言い終えるより早く、俺は全身の力を解放した。
片腕で地面を押し、身体を浮き上がらせると同時にその勢いで下方から突き上げる蹴りを放った。
これ以上ないタイミング、威力だった筈だ。ペニーの下顎目掛けて放った蹴りは、無造作に出された片手で難なく受け止められた。
「そうこなっくっちゃねえ!」
足首を掴まれた状態で、ペニーが腕を振り上げた。引っこ抜かれるように、身体が宙に浮き上がった。
掴まれた足首から彼女の力強さが伝わってくる。剛腕なんて言葉じゃ片付かないモノを持ってる。
ペニーが足を踏み込んで腕を振り下ろすのに連動して俺の身体が地面目掛けて叩き付けられる。
地面が大きく陥没し、全身の骨が軋みを上げる。
続けざまにペニーが腕を振り回し、地面に向けて振り下ろす。地面に叩き付けられる直前に両腕を地面に着け、ストップを掛けた。
そのまま、指を地面に食い込ませ、身を捻り旋転、ペニーの拘束から逃れて足を地面に着ける。
お互いに射程圏内にいる。ほぼ同時に拳を固め、腕を振り被った。
放った拳が交差し、互いの頬を打ち抜いた。
脳を直に揺さぶられるような感覚、予想以上に芯に響く。
一方でペニーは楽しそうに笑っていた。これこそ求めていたものだと言わんばかりに口の端から垂れた血を舐め取り、再び拳を振るってくる。
殴り合いは分が悪いと悟るや、俺はペニーのパンチを躱し、その腕を取り、ペニーの胸倉を掴む。
この体勢から放つ技なんて一つぐらいしかない。背負い投げだ。
武道の心得なんて皆無だったが、力と勢いだけでそれを敢行した。
だが、認識が甘すぎた。
渾身の背負い投げは、ペニーの身体どころか、足すらも浮き上がらないまま不発に終わった。
付け焼き刃の技術など意に介さないと言わんばかりに、純粋な力のみでペニーは俺の投げを返しやがった。
すぐに技を解き、距離を取ってペニーに向き合う。
ペニーの表情は優れていない、というよりはがっかりしたように目を細めて口をへの字に曲げていた。
「違うんだよなぁ。私の求めてる戦いとはだいぶ違う」
「何が違うっていうんだよ?」
「そんなこと決まってるじゃない」
次の瞬間、一気に距離を詰められ、ペニーの両手が押し潰すように俺の顔へと突き出された。
辛うじてカードが間に合い、ペニーの両手と俺の両手を重ね合わせた、所謂手四つの状態へと持ち込んだ。いや、持ち込まれたのだ。
これは純粋な力比べ、そういう体勢だ。分が悪いのは分かってるというのに引き剥がせない。一度捕まったら剥がすのは困難か。
ペニーの膂力は常軌を逸していた。薬を使った俺が全力で力を込めても、ペニーはそれを嘲笑うかのようにそれを上回る力で返してくる。
どれだけ歯を食い縛って、ペニーの手を押し返そうとしても、ペニーの力に敵わない。
すると、落胆の色を浮かべた顔でペニーは話を続けた。
「私が望む戦いってのはな、少し本気を出したら終わっちまうような、そんなつまらないものじゃないんだ。勝つか負けるか、生きるか死ぬかも分からない血が沸騰するような最高なのがしたいのさ。もう一度聞こうかバッキー。お前さん、本当に強いのかい?」
答える間も無く、万力のような力でペニーが俺を潰しに掛かる。
腕が折れると直感すると、差し込むように俺はペニーの顔面目掛けて頭突きを見舞った。
一瞬だけ、怯んだペニーから力が抜けたが、それでも彼女は手を離そうとしない。
少し赤くなった鼻を鳴らし、ペニーは不満そうに頭を振った。
「足りないねぇ。こんなもんじゃ満足出来やしない。こんぐらいじゃねぇ、私は濡れないんだよ!!」
お返しの頭突きが俺の顔面に叩き込まれる。鼻っ柱がへし折れ、顔面が陥没し、それに留まらず凄まじい衝撃が俺を襲った。
その反動でペニーの手の拘束からは解放された。だが、押さえが外れたことで俺の身体は弾丸のように宙を飛んだ。
体感で数百メートルは飛んだ気がする。地面を何度も跳ねた上で芝生を深く抉って不恰好に着地を決める。
酷いやられようじゃないか。だからこそ、一矢報いてやらないと気が済まない。
「上等じゃねぇの。だったら腹いっぱい食らわしてやるよ!」
左手の人差し指を強く噛み締める。
二つ目の薬が身体に染み渡っていく。久しい二つ目の薬の投与に高揚感と、全能感が漲ってくる。
折れ曲がった鼻を曲げ戻し、俺は獣のように身を低く屈めた。
地面を踏み締める足が丸太のように太く膨張する。そのまま数百メートルのペニーに狙いを定め、地を蹴った。
「ペェェェェェニィィィィーーーー!!!!」
数百メートルの距離を一瞬の内に零に縮め、頭からペニーへと突っ込んだ。
ここにきて初めてペニーの表情が苦悶に歪んだ。今までびくともしなかった上体が大きく揺らぎ、足元がふらついた。
この好機を逃す手はない。右腕に力を込めると大きく踏み込んで、渾身の右ストレートをペニーの胸目掛けて放った。
完璧なタイミングで放った拳は、突如横から飛来した金属の塊に遮られ、不発に終わった。
何が起きたか確認すると、ペニーの手には彼女の得物である古びた大剣が握られていた。その大剣の横っ腹で俺のパンチを防いだというわけか。
だが、それには少し不可思議な点がある。
「なんだよその剣。俺の見間違いじゃなけりゃ、飛んできたように見えたぞ?」
ペニーから返答はなかった。
それどころではないって感じだ。顔を紅潮させ、上目遣いで俺の方をみて笑みを浮かべた。
「ふふ、ふふふ、今のすっごい良かった。どうやら強さに段階があるみたい。もっと見せてよ。お前さんの力をさ!」
槍投げよろしく、手に持つ大剣を力任せに放り投げてくる。
身を捻ってそれを躱すと、後方で爆発染みた衝撃が起こり、土砂が空中に舞い上がっていた。
その隙にペニーが肉薄し、肉弾戦へと持ち込まれた。
土砂の降り注ぐ荒地を駆け回りながら一進一退の攻防を展開する。
時に鳩尾に蹴りを入れられ、また時には鎖骨に手刀を叩き込む。
全身に痛みが駆け巡るがそれがまた心地良い。ペニーもきっとそうなのだろう。
俺とペニーの間を引き裂くように一際大きい岩が、降ってきてお互いに跳び退き一旦間合いを取った。
薬二つで五分といったところか、身体も温まってきたところで、三つ目を投与すれば或いは勝てるかもしれない。
ただ、ペニーの様子が先程から変わっていることに気付いて、手が止まった。
俺を品定めするように上から下まで見やって、何かを決意するように小さく頷き、言った。
「死ぬまでやろっか?」
本気で言ってやがるとすぐに理解した。立ち振る舞いというか声色というか、ともかくその雰囲気に気圧された。
ペニーが地面に刺さった剣を抜くと、彼女から放たれる威圧感が一層増した。
ヤバイなと思う以上に、この状況が何より楽しく感じていた。
この戦いを永遠にでも続けていいとさえ思い始めていた。
「やっちゃおっか」
自分に言い聞かせるように答えて、俺は散弾銃を抜いた。
ニィッとペニーが笑みを深め、大剣を顔の横で立てた上段の構えを取る。
あの構えから繰り出されるとしたら、間合いを詰めての必殺の一撃ってところか。単純ではあるがペニーが放てばその威力は計り知れない。
だからこそ試してみたい。今の俺でどこまでやれるのかを。
血液が凍り付くように冷えていき、感情が目の前の敵を殺すことに切り替わる。
初動は両者同時だった。
後方の地面が消し飛ぶ程の勢いで地面を蹴り、弾丸のように一直線に標的目掛けて突っ込む。
刹那、俺の銃口とペニーの剣先が交差仕掛けた瞬間、二人の間に上空から岩のような物体が降ってきてその衝撃で両者を吹き飛ばした。
「はーいそこまでだよ」
およそこの場に似つかわしくない少年の声がして、降ってきたものが岩じゃなくてザグールであると理解する。
ペニーの表情が明らかに不機嫌なものに変わる。
「ザグ、邪魔するなよ。私とバッキーの勝負なんだ」
困り果てたように首を捻りながらザグールは両者を制するように両手を広げ言葉を続ける。
「あのねペニー、腕試しって事で僕はいつも止めないんだ。そうしないと君は癇癪を起こして部屋に引きこもって暴れ狂うから。でも殺し合いはダメ。絶対ダメ。バッキー君も乗っちゃダメなんだからね」
まるで口うるさい母に近いのようなものを感じる。ペニーも子供のように地面の土を踏み鳴らしながら凄く面倒くさそうにザグールに向き合っている。
「はいはいわかったよ。これ以上ザグのお説教も御免だし。じゃあせめて決着ぐらい着けさせておくれ」
「それもダメ」
「何で!?」
流石にそこは譲れないようでペニーも食い下がる。俺も同じ気持ちだったが、どうやらワケありのようだ。
「さっきアンリから伝言があったんだ。保安部の人達がこっちに向かってきてるって」
「それで?」
「それでって、子供じゃないんだから分かるでしょ? 保安部の人達が来てペニーとバッキー君が殴り合ってたらまた面倒な事態になっちゃうでしょ? ほら、僕達ブラックリスト入っちゃってるしさ」
「私達には関係ないね。保安部のカス野郎の為に私の楽しみを取りやめるぐらいならここで死んだ方がましさ」
それも本気で言ってることなのだろう。剣を握る手に力が込められていて、何ならザグールを振り切ってでもといった具合か。
ザグールは困ったように頭を掻き上げて、少し言い難そうに話を切り出す。
「うーん、こう言っちゃうと僕のわがままになっちゃうけどさ。別にペニーがあの人達の為に我慢する必要はないよ。ただ、僕の為にほんの少しだけ我慢してくれないかな?」
ペニーの目がカッと見開いた。
怒ってるようで、どこか嬉しそうにペニーはザグールに歩み寄った。そして、さも愉快そうに彼の背中を何度も叩いた。
「そうきたかぁ……私の扱いにすっかり慣れきっちゃって。ほんと可愛げないやつだなぁ。昔は事あるたびに私やマルクに泣きついてきてたザグがなぁ。そこまで言われたら仕方ないさ。少し食い足りないが、楽しみは取っておくもんさ」
踵を返してこちらに振り返ると大手を振ってきた。
「そういうわけだ。悪いなバッキー、この勝負は預けといてくれないか?」
「ペニーがいいなら俺は一向に構わないよ」
ここで快諾しない選択できる奴が果たしているのか。少なくとも俺はそうじゃない。
散弾銃を納め、ペニーとザグールと合流する。
「助かったよ」
こっそりザグールに耳打ちするとザグールは言葉に出さずに親指を立ててこくりと頷いた。
あのまま続けてみたいと思う反面、やっていたら本当に死んでいたかもしれない。
ただでさえ荒んでいた荒地が更に荒れ果てていた。そんな荒地を背に俺達はホームへ戻っていった。




