今日死ぬか、明日まで生きてみるか
アンリの倒れる地面は、彼女を中心に波紋が広がるように罅割れていた。
まるで爆心地のようだ。これはこれで中々良い眺めではあるが、当のアンリは地面で倒れて果てて動かない。
思いっきり殴ったが多分死んではいないだろう。とは言えここでいつまでも伸びてもらうわけにもいかないし、とりあえず叩き起こすことにした。
「アンリアンリ、アーンリ、生きてるかーい」
ぺしぺしとアンリの頬を何度か叩いていると、彼女はゆっくりと目を開くや、顔を引き攣らせ顔に手を当てる。
「うぅ……あーった!あー酷い。鼻の骨が折れてるじゃないか。顔が真ん中から歪むようだ!」
瞳を潤ませて呻くアンリを見下ろし、俺は警告のように彼女に告げる。
「まだやるかい? 俺は今すぐ帰りたいんだが」
「この状況で私に勝ち目があると思うか? 参ったよ。君の勝ちだ」
「よく言うぜ。袖に吹き矢仕込んでるのバレてんぞ?」
「…………ばれてるってわかってるから使わないのだよ」
「だったら、奥歯に仕込んでるスイッチも使わねぇんだな?」
ぴたりとアンリは表情を固め、驚いた様子で俺を見つめてくる。
「驚いたな。そこまで気付いてるとは思いもしなかったよ」
「馬鹿にしてるのかわからんが、とりあえず殴っていいか?」
「待った待った。せっかく褒めてるんだから、もう少しこのまま穏便に話そうじゃないか」
殴っても良かったのだが、勝手に彼女のペースに持っていかれ、彼女はそのまま言葉を紡いでいく。
「ご明察の通り、私にはとっておきがある。一度起動してしまえば確実に君を殺すことが出来る。どうやろうが君にスイッチを押すことを止めることは出来ない。おや?これは困ったなバッキー、追い詰めた筈の君はどうやら私の仕掛けにまんまと飛び込んでしまったようだ。どうする?ここまできて命乞いでもしてみるかい?」
折れた鼻をむりやり曲げ戻し、彼女はとても愉快そうに笑い叫ぶ。安い挑発だ。
俺の心境は至って平坦なものだった。どうするかなんてこと、彼女が何かを仕掛けてると気付いた時点で決まっていたから。
「やってみろよ。それで俺に勝てると思うならすぐに使うべきだ」
全て捻じ伏せた上で勝つ。そう決めてきた今、驚くようなことはない。
「お前さ、俺を殺せなかった時のこと考えてねぇだろ? そのとっておきとやらで俺を殺せなかった時、どうなるかわかってんのか?」
「知った事か。私は君の死に顔のことしか考えてないよ」
「なら一つ教えといてやるよ。もし俺が生きてお前に勝ったら、俺はお前のして欲しくないことをする。例えばそうだな……生きてお前と一緒にここを出る、とかかな?」
その言葉でアンリの薄ら笑いが消え、鋭い眼差しでこちらを睨み付けてくる。
「自分の言ってる事が分かってるのか?」
アンリの口調が真剣みを帯びる程、こっちは楽しくてたまらない。
同時に彼女の隠してることに苛立ちも覚えていた。彼女がそのことを本気で俺に隠せていると思っているようだから尚更。だから言うんだ。洗いざらい全てを。
「気付かれていないとでも思ってたのかよ。十階層で俺が帰ろうぜって言ったときよ、お前露骨に嫌そうな顔しただろ。本気でそう思ってやがるってすぐにわかったぜ。俺を殺したい人間が俺を殺すチャンスを与えられて何で嫌がる? そもそも、本当にお前の動機は嫉妬だけか? 考えれば考える程疑問が湧き出てくるぜ。俺の言ってる事? 全部わかった上で言ってんだよバカ野郎」
お互いとっくにわかってるだろうに、分かってても理解したくない気持ちが強いのもまた一緒か。
「毒の矢なんていくらでも当てられた筈だ。対巨竜ライフルだって俺の脳天に撃ち込めた筈だ。俺を殺したいならもっと手っ取り早く出来た筈だ。もう分かってんだよ。お前に俺を殺す気がないなんてことよ」
だからこそ、俺の方から言わなければいけなかったんだ。
「お前は俺を殺したかったんじゃない。お前は、俺に殺されたかったんだ」
アンリの表情が凍り付いたように固まり、目だけが思考を巡らすように小刻みに震えていた。そして観念したかのように口元を緩めると、目を細めてこっちを見つめてくる。
「くふふ、あっはっはっは! 気付かれていたか。隠すのは苦手なものでな、どこかで気付かれるのではと思っていたよ」
「お前が最初に矢を外した時に怪しいとは思ったんだよ。あんな距離、興奮してようが酔い潰れてようが外すスナイパーはいねぇんだよ」
「あぁ成る程な。確かにアレは大袈裟過ぎたな。だが楽しかったよ。この世界に来て心の底から楽しいと思えたのは今回が初めてだったんだ。自分を偽ってまで楽しいと思う必要はない。全て投げ出して君と戦うのは本当に楽しかった。そして今、それも終わりを迎えようとしている」
名残惜しそうにしていながら、嬉しそうな調子のアンリを見て、ますます分からなくなってくる。
「説明してくれよアンリ。俺もこのままじゃ何も納得出来ねえじゃねえかよ」
そう言うとアンリは一転して、つまらなそうな顔をして淡々とした調子で語りだす。
「生きたい理由なんてない。この世界でどう生きたいかなんてどうだっていい。何を成そうかなんてものはない。だが、このままブラックリストという称号を背負ったまま死体を積み上げていくような日々を送るようなら、私は死んだ方がマシだ。君の言う通りだ。私は君に殺されたかった。君に気付かれることなく、ただ一人の裏切り者として、君に何の負い目も感じさせることなく討ち殺されたかったんだ」
そう言ってアンリは腕を伸ばし、俺の首の後ろに手を回し優しく抱き寄せてくる。
敵意のないその所作にそれを振り払うことも忘れ、そのままアンリとの距離が狭まる。目と鼻の先にはアンリの顔がありこんな状況でありながら思わずどきりとしてしまう。
愛おしそうにこっちを見つめてくるアンリに複雑な感情を抱きながら、ただ俺は彼女の言葉を待つ。
「君が私と同じ世界にいた人間だと知った時、決心したよ。君に殺して貰おう。私という人間を終わらせて貰おうって。君の記憶の中だけでいつまでも生き続けようって。だが、君はどうしようもなく優しかった。奴隷解放の時と同一人物にはとても見えないよ。まぁ、それも君の良いとこなんだろうな」
首に回されたアンリの腕に少し力が籠り、微かに息苦しさを感じる。
こうも絡めとられてしまっては簡単には振り払えないか。
そんな考えを見透かしているかのようにアンリは微笑み、俺に告げる。
「だが残念だ。私の目的はばれてしまい、君は私の望まないことをするときた。これでは私の目的が達成できない。そんな時の為に用意したのがこのとっておきだ」
ギュッとアンリに抱きしめられ、苦しいような心地良いような感覚に見舞われる。
頬に柔らかい何かが押し当てられ、慌てて俺はアンリを見やると彼女の真紅の瞳と視線が絡み合った。
そして、今までに見せたことのない満面の笑みでアンリは俺に最後の言葉を告げた。
「大好きだバッキー、私と死んでくれ」
カチリと、機械的な音が響く。考えるまでもない。アンリがスイッチを押したんだ。
次の瞬間、遠くで何かが打ち上げられた。花火と呼ぶには余りに華やかさに欠け、ロケットと呼ぶには壮大さに欠ける。何にせよ、それは猛烈な速度を以て此方に迫っていた。
それを一瞥し、俺はアンリに顔を向ける。満足げな笑みを浮かべて、その時を待つ彼女に向けて俺は彼女に向けて返事を返す。
「俺とお前で一緒に死ぬのも悪くないと思う」
同時に四肢に力を込め、アンリに抱き締められたまま無理矢理起き上がる。
「だが今じゃない」
これで最後だ。生きるか死ぬか、ここで決めるんだ。




