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4 変化

 バルコニーから見える月が美しい。リリーは目を細めて夜空を見ていた。


「リリー様、お身体に障ります」

 心配性の侍女アイリシアが後ろから声をかけてきたが、リリーは片目を瞑って微笑み大丈夫だと示す。

 冬の冷気が心地よい。普通の人間なら寒くて風邪を引いてしまうのだろうが、リリーの身体は元々冷え切っていた。

 今更、冷たい風など怖くはない。

 リリーの死は近い。自分の身体のことは、自分がよく分かっている。

 残された時間はあとどのくらいあるのだろうか。確実に、毒はリリーの身体を蝕んでいた。体内で、猛獣が暴れ回っている。爪を立て、引っ掻き、リリーをかみ殺そうともがいている。

 しかし、リリーは感傷的な気分に浸っている暇があれば、何か面白いことを見つけたいと思う性質(たち)だ。

 母ユリアは、リリーがまだ十歳の時に病気で亡くなった。今、王妃の座についているのは、母の侍女をしていたフリージアだ。リリーとしては複雑だが、父がいいなら文句はない。

 ベッドからあまり動けない母を見て育ったためか、リリーはとても活発な性格に育った。

 一つの所にじっとしているなんて考えられない! 外には楽しいことがたくさんあるのに、どうして王宮から出てはいけないのだろう、と王宮を抜け出そうとしたことも何度かある。

 その度に、父と母には心配をかけた。だから、反省して外が駄目なら中で楽しみを見つけよう、と使用人や騎士、城に来た大臣たちをも巻き込んで遊ぶようになった。王宮内すべてを使った大掛かりなかくれんぼや鬼ごっこ、ドミノ大会や運動会……王都の子ども達の間で流行っているものがあると聞けば、すぐに実行した。今まで、リリーの提案にどれだけの使用人や騎士たちが巻き込まれただろうか、と思うと自然と笑いがこみあげてくる。

 それは、毒に侵されてからも変わらなかった。

 走り回ってはいけない、大人しくベッドで寝ているように、と言われても今までじっとしたことがないリリーに聞けるはずがなかった。死が目の前に迫っていようと、リリーは自分の生き方を変えるつもりはなかった。というか、死が近いからこそ、毎日を楽しく生きなければ! 死ぬ時は一番の笑顔をみんなに向けて死ぬのだ。


 リリーは、死を受け入れていた。

 抵抗する気はなかった。ただ、残りの時間をどれだけ楽しく生きられるか、ということだけを考えていた。

 しかし、父はそれを許さなかった。

 ある日突然、リリーに結婚の話を持って来たのだ。結婚すれば、リリーが生に執着を見せると踏んだのだろう。確かに、伴侶となった人を置いては死にたくない。それに、結婚は女の子にとっての憧れだ。素敵な王子様と夢のように幸せな結婚を……とリリーも考えたことがないと言えば嘘になる。

 だから、リリーは結婚の話を受け入れた。父は、自分で決めておいて娘が嫁に行くのは見たくない、と婿入りを指定していた。そんな話を受けてくれるのだろうか、と思ったが、この結婚は意外にもあっさり決定した。

 リリーの相手は、なんと「引きこもり王子」で有名なメバルディ王国のシルヴィン王子だった。

 外に出るのが大好きなリリーと、内にこもるのが大好きなシルヴィン。

 大丈夫なのだろうか、と心配していたのだが、シルヴィン王子は想像以上に面白い人物だった。リリーより六歳も年上なのに、それを感じさせない。いい意味でも、悪い意味でも。

 緊張しすぎて変なことを口走ったかと思えば、ふいに真面目な顔を見せてリリーをどきりとさせる。

 純粋で、真っ直ぐで、馬鹿なのか何なのか分からない、不思議な人。

 今にも死んでしまいそうなリリーを見て、共に生きたいと言ってくれた、優しい人。

 その言葉で、リリーは初めて死を待ちたくないと思った。シルヴィンとの未来を生きたくなった。


「私、大人しく死を待つのはやめるわ……」


 にゃあ、と嘘みたいな猫の鳴き声でゆるりと歩いてきたフィーを抱き上げて、リリーは強い瞳で言った。


 *


 シルヴィンがフィルーノ王国に来て、はや数日。

 毎日のようにリリーの部屋を訪ねては、リリーの考えた楽しいことに付き合わされていた。いや、喜んで付き合っている。引きこもっていて体力がないシルヴィンとしては王宮内かくれんぼが一番好きなのだが、リリーは鬼ごっこが好きなようで、赤いドレスの裾をなびかせてあっという間に逃げてしまう。

 この日も、シルヴィンはリリーの後ろ姿を見送っていた。

 待ってくれ、そう告げても天使のような微笑みを浮かべるその人は待ってはくれない。

 その背中は遠ざかるばかりである。行かないでくれ。手の届かない場所、声の聞こえない場所、姿の見えない場所に行かないでくれ。

 絶対に、君を守ってみせるから――

 ただの鬼ごっこ、そう頭では分かっているのに、このままリリーが二度と戻ってこないような気がして不安になる。


「…………シルヴィン様?」

「……あ、戻って来てくれたのですね!」

「もう、これでは鬼ごっこになりませんわ」

 リリーが可愛らしく頬を膨らませて言った。

 情けない。本当に情けない。毒に侵されているリリーよりも体力がなくて走るのが遅いだなんて。

最近はリリーに追いつきたくてこっそり筋トレをしているのだが、まだまだ身体はついてきてくれないらしい。

 うぅ……と落ち込んでいるシルヴィンの手を、ひんやりと冷たいリリーの細い手が握る。何事だろうと考えていると、あろうことかリリーは掴んだシルヴィンの右手を自分の左胸に押し当てたのである。

「リ、リリー様……何をっ?」

「シルヴィン様、伝わる? 私、今生きているの。走ったことよりも、シルヴィン様と一緒にいることで私の心臓はこんなにも忙しく動いているわ。ねぇ、シルヴィン様は何を恐れているの?」


 ドッドッドッ…………


 リリーの鼓動が、生きていると主張している振動が、シルヴィンの右手を震わせる。リリーはいつも真っ赤なドレスを着ている。その赤は真珠のようなリリーの肌を浮かび上がらせ、彼女の内に流れる赤い血を思わせた。

 死を恐れるべきはリリーなのに、目の前で花のように笑う彼女からは何の恐怖も闇も感じられない。

 それは、恐怖を乗り越え、強い覚悟を決めているからこそできる表情だった。


 “今”を生きる彼女の前で、シルヴィンは何を恐れていた? 


 自分の前から彼女がいなくなること……それはリリーの心配をしているようで、ただ自分が悲しい思いをしたくなかっただけだ。


「リリーと一緒にいられなくなることがとても怖い。でも今、僕の目の前に君はいる。ごめん、不確かな未来を恐れて“今”の君の笑顔を失うところだったね」

 シルヴィンは砕けた口調で素直に本心を告げた。そしてにっこりと微笑むと、リリーはびっくりしたように目をぱちぱちさせて白い頬を林檎のように赤らめた。そういえば、こんな風に誰かに笑いかけたのは初めてかもしれない。自分のぎこちない笑顔でもリリーが笑ってくれるなら、いつも笑顔を浮かべていよう。

 しかし、だからといってシルヴィンはリリーの死を看取るなんて死んでも嫌だ。シルヴィンにできることなら何でもする。


 ――リリーとの未来を守るために。


 *


 シルヴィンの真剣な声音に、リリーはたまらなく胸を締め付けられた。

 本気で、シルヴィンはリリーのことを考えてくれている。ただの政略結婚、それもリリーの父が娘かわいさに無理矢理進めた縁談だというのに。


(私は、こんなにも私を想ってくれる人を置いていくことになるのね……)


 死を待つことはやめた。それでも、この身体はそう長くはもたない。

 いずれ、リリーはシルヴィンを置いて逝く。それが、たまらなく嫌だった。まだ数日しか顔を合わせていないというのに、リリーはシルヴィンのことを心から好きだと思えた。

 それは、きっと彼がリリーを全力で好きになってくれているから。

 リリーとの未来を考えてくれているから。

 人のことを思いやれる、やさしい人だから。

 シルヴィンにはああ言ったけれど、本当に未来を恐れているのは自分の方かもしれない。



「リリー様? どうかしましたか?」

 シルヴィンの声ではっとする。今はシルヴィンとのランチの途中だった。

 王宮の中での食事は堅苦しくなるから、とリリーは庭園に誘ったのだ。

「いいえ、なんでもありませんわ。このサンドイッチ、お口に合いますか?」

「はいっ!  とても美味しいです!」

 そう言って、シルヴィンは勢いよくサンドイッチをほおばった。もごもごと嬉しそうになにか言っているが、リリーには聞き取れない。しかし、その姿がおもしろくて、リリーは自然に笑っていた。


「私、シルヴィン様にお願いがあります」

 シルヴィンが口の中のサンドイッチを飲み込んだのを見計らって、リリーはまっすぐシルヴィンを見つめる。

「な、なんでも言ってください!」

 シルヴィンは自分の胸をドンとたたき、にっこりとやさしい笑みを浮かべた。

「どうか、私のことは『リリー』と呼んでくださいな」

「……え、あの、いいんですか」

「いいも何も、さっきは呼んでくださったじゃないですか。私、とても嬉しかったのですよ?」

 王宮内追いかけっこはシルヴィンの体力がなさ過ぎて成立しなかったが、シルヴィンがくれた言葉は本当にうれしかった。『リリー』と呼ばれたことで、距離が縮まった気がしていたのに、今はまた『リリー様』呼びに戻っている。それが、少しさみしかった。

「本当に、いいのですか」

「もちろんですわ」

 リリーがうなずくと、シルヴィンはわかりやすく顔を赤らめた。そして、もじもじしながら口を開く。

「ならば、僕のことも……」

 その先に続く言葉を理解して、リリーは反射的に首を横に振っていた。今はまだ、リリーには彼に近づく資格がない。そして、彼の愛に本気でこたえられる自信も。

「私は、シルヴィン様と呼びたいのです……お嫌ですか?」

 ずるいとわかっている。こんな言い方をすれば、シルヴィンがどう返すのか知っているのに。

「そんなっ! 嫌なはずありません。リリーの呼びたいように呼んでほしい」

「ありがとうございます」


 リリーは自分の内に秘める罪に蓋をして、にっこりとほほ笑んだ。




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