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3 決意

 フィルーノ王国に到着した翌日、国王と王妃への挨拶のため、シルヴィンは謁見の間にいた。


「メバルディ王国第二王子、シ、シルヴィン・トメリックと、申しますっ……これからは、フィルーノ王国……は、繁栄のためにこ、この身を捧げたいと思います。今後とも我がメバルディ王国との、友好関係を……築いて、いきましょう……」

 メバルディ王国の王子として恥ずかしくないように必死で挨拶の練習をしてきたのに、その成果はあまり出ていなかった。

 目の前にはフィルーノ王国国王モルゾフが王座に座っている。

 金色の髪を短く刈り上げ、がっしりとした体格の国王は、かなり剣の腕が立つらしい。もし何か粗相でもしたら、シルヴィンのようなひ弱な男は確実に殺されてしまう。びくびくと怯えながら、頭を下げているシルヴィンは、顔を上げたくない! と心から思っていた。

 しかし、面を上げよと言われてしまえば、その命に逆らえるはずもない。シルヴィンは恐る恐る顔を上げた。

 モルゾフの隣には、優雅に微笑む王妃フリージアがいた。色素の薄い金色の髪を美しく結い上げ、たっぷりのフリルがついたグリーンのドレスを着ている。まだ若いこの王妃は、リリーの実の母親ではない。リリーの実母ユリアが病死したために迎えられた後妻なのだ。


「そう畏まらずとも良いわ。お主はもう家族も同然よ」

 快活に大口を開けて笑う国王は、見た目はともかくリリーに似ていると思った。リリーがよく笑うのは父親譲りなのかもしれない。

「あ、ありがとうございます。それで、あの、姫は……?」

「リリーか。今は部屋で休んでいる。あれは身体が弱いんだ。シルヴィン、わしの可愛い娘を頼んだぞ」

 その紫の瞳は、娘に何かあったらただじゃおかねぇぞ、とぎらりと光っていた。どうやらモルゾフが娘を溺愛している、という噂も本当だったらしい。シルヴィンはぶんぶんと首を縦に振り、逃げるように謁見の間を出た。



 コンコン……

 シルヴィンは思わず来てしまった。いかつい強面の、屈強な騎士が守るリリアーヌ姫の部屋に。

 ノックをしても、なかなか部屋の中からの応答はない。しばらくノックをしながら待っていると、ゆっくりと扉が開いた。顔を見せたのは、やはり、あの黒髪の侍女――アイリシアというらしい――だった。


「あっ! ……あの」

「……何だ?」

 初対面の時からシルヴィンの印象が良くないのか、元々イメージが悪かったのか、この侍女には心底嫌われているようだ。

(リリー付きの侍女なのに……)

 他人とのコミュニケーションが苦手なシルヴィンは、しどろもどろになりながらもリリーに会いに来たことを伝えた。

 しかし、気持ち悪い、の一言で扉を閉められてしまう。

 仮にもフィルーノ王国に婿入りに来た王子なのだが、どうやらあの侍女は身分によって人との関わり方を決める人間ではないようだ。気に入らない奴は気に入らない。実に分かりやすい。しかし、それによってシルヴィンのガラス細工のように繊細な心はもうすでにボロボロだ。

 もうこれ以上は耐えられそうにない……が、リリーの笑顔が見たい。目の保養、心の保養として、ぜひともリリーの暖かな笑顔に癒されたい。

 その気持ちが通じたのか、リリーの声が扉の近くで聞こえてきた。


「……ちょっと、シア、お客様は?」

 扉が開かれ、リリーの顔がひょこっと出たかと思うと、どうぞ入ってと中に招き入れられる。

 アイリシアは不機嫌な顔を隠しもせずシルヴィンを睨んでいたが、主の客に何のもてなしもしないのでは侍女の仕事をサボることになってしまう。だから嫌々ながらにお茶を淹れてくる、と部屋を出た。感情を一切隠す気がない侍女を、シルヴィンはびくびくしながら、リリーはにっこりと笑いながら見送った。

 リリーの部屋はピンクで統一されていて、年頃の娘らしい、可愛いらしい部屋だった。

 しかし、部屋の中は薬品のような鼻を突く匂いがした。

「……この香りは?」

 暖かな暖炉の前に置かれたソファに座って、シルヴィンは尋ねる。

「あぁ、これは私の身体のために父上が置いているお香なの。ホント、心配症よね」

 うふふ、と笑ったリリーは少し寂しそうだった。

「お身体は、そんなに悪い……のですか?」

「そうねぇ、もうすぐ死ぬのではないかしら」

「……そんなっ!」

 シルヴィンは思わず身を乗り出す。そんなシルヴィンを見て、リリーはその青白い顔で誰よりも楽しそうに笑った。

「……怖くは、ないのですか?」

 確か、リリーはまだ十六歳だ。

 これからの未来に希望を持っているはずなのに、死が怖くはないのだろうか。

「怖い。でも、怖がっている時間がもったいないわ! 私にはまだまだやりたいことがあるのですもの!」

 薔薇色の瞳を輝かせ、リリーはにっこりと笑う。どうしてこんなにも明るく笑えるのか、シルヴィンには不思議だった。

 そして、その明るさに強く惹かれる。

 しかし、これ以上踏み込む勇気はシルヴィンにはなかった。リリーを傷つけることになるかもしれないから。

 話題を変えようと、シルヴィンは最近読んだ本の話をする。謎の生き物や魔法が出てくる冒険物語だ。女の子にどうかとは思ったが、リリーは面白そうに聞いてくれている。

 二人でアイリシアの淹れてくれたお茶を飲みながら話をしていると、リリーが急に苦しみだした。元々白いその顔は恐ろしいくらいに蒼白になった。シルヴィンが傾ぐリリーの身体を支え、アイリシアはすぐに医師を呼ぶために部屋を出て行った。

 そうして慌ただしくリリーはベッドに寝かされ、医師の診察を受けた。身体の免疫力を上げるという薬を飲むと、リリーは浅い眠りについた。その間、シルヴィンはずっとベッドの側に椅子を置いて、蒼白なリリーの顔を見つめていた。いつ、その息が途絶えるか不安で仕方がなかったが、三十分ぐらい経って、リリーは目を覚ました。近くで同じように不安そうにリリーを見守っていたアイリシアも、ほっと息を吐く。


「お身体は大丈夫ですか?」

「えぇ。すみません、楽しいお話の途中でしたのに……」

 リリーはすまなそうに言った。ベッドから覗く美しい顔は、今はかなり疲れ切っている。

「いいえ、僕の話などどうでもいいことです。御病気が早く治るよう、お身体を大切になさってください」

 元気づけようとシルヴィンが微笑むと、リリーは言いにくそうに口を開いた。

「……あの、シルヴィン様はお嫌ではありませんの? 結婚相手が私のように身体の弱い者では」

 シルヴィンの目の前で倒れ、弱い部分を見せてしまったせいか、リリーは不安そうにこちらを見つめる。その潤んだ赤い瞳が、シルヴィンの胸を締め付ける。

 嫌であるはずがない。まだお互いのことをほとんど知らない間柄だが、シルヴィンはこれからリリーについて一番詳しい男になるつもりなのだ。リリーの不安や苦しみを少しでもシルヴィンが背負っていけるように、頼られる男になる予定なのだ。リリーの不安な顔は見たくない。

 シルヴィンは、掛布からのぞくリリーの細い手を取り、唇を寄せた。真剣な思いが伝わるよう、リリーの赤とは対照的な青の瞳でリリーを見つめる。


「僕は、あなたと共に生きていきたい」


 静かに告げたシルヴィンの言葉に、リリーの瞳が大きく揺れた。そして、少し目を伏せた後、意を決したように口を開いた。


「本当は……この身体は病気ではなく、毒に侵されているのです……」

「毒……ですか?」

 寝耳に水だった。

 リリーの母ユリアは病弱で、若くして亡くなったと聞いている。だから、リリーも生まれつき身体が弱かったのだろう、と思っていたのだが、毒とは予想外の単語が出てきたものである。

 リリーの話によると、毒に侵されたのは二年前、十四歳の時だという。その日から、リリーは毒に苦しむことになった。


「誰かが、私の死を望んだの……」

 どこか遠いところを見ながら、リリーが静かに言葉を漏らした。シルヴィンは、はっと目を見開く。目の前で薄く笑みを浮かべている彼女は、十六歳にしてその現実を受け入れていた。悲しくて、苦しくて、怖いその現実を……。

 いくらシルヴィンが年上だといっても、リリーのように自分の死を語ることはできない。なぜなら、シルヴィンは今まで様々なことから逃げてきたのだ。兄の影から逃げ、第二王子としての責任から逃げ、周囲の人間の目から逃げ、自分だけの世界に閉じ籠っていた。リリーのおかげでまともな人間になりたいと思ったが、リリーの抱える重い現実を一緒に乗り越えられる強さが自分にあるのだろうか。

 じっと真顔で黙りこんだシルヴィンを見て、リリーは取り繕うように笑顔を浮かべて言った。


「このことはお父様には内緒にしておいてくださいね。きっと、心配して倒れちゃいますから」

 国王モルゾフが娘に甘い、ということは知っている。シルヴィンは心得たと頷くが、リリーの言葉が気になって仕方がない。


 一体誰がリリーの命を狙ったのだろう。リリーはその誰かを知っているのだろうか。


 しかし、父親であるモルゾフでさえ、愛する娘の身体が毒に侵されていることを知らないとは驚きである。おそらく、シルヴィンと同じように母であるユリアの病弱な体質を受け継いだと思っているのだろう。モルゾフと大恋愛の末に結婚したユリアが亡くなって、現在王妃の座についているのはユリアの侍女であったフリージア。侯爵家の娘で、ユリアの侍女として十年程仕えており、王宮内の事情に詳しく、侍女としての権限も強かったという。そうしてユリアの侍女として働いていたフリージアが、主亡き後、どういう訳か王妃になった。

 当時、フィルーノ王国内ではフリージアがユリアを暗殺し、王妃の座を手に入れたのでは……? という噂が流れていた。

 その噂は、メバルディ王国にまで届いていた。プライドが高く、その美貌を武器に国王に取り入ったとか、花のように可愛らしいユリアに嫉妬したのだとか……。

 先ほど挨拶を交わした時、芯の強そうな女性だとは感じたが、暗殺を企てるような女性には思えなかった。噂は噂だ。流れてくる情報と実際に見るのとではかなり印象が違う。美しかったのは認めるが、リリーのように強く惹かれるものはなかった。

 シルヴィンの心を動かしたのは、リリーだけだ。

 リリーの笑顔は誰にも奪われたくない。

 このまま、毒に侵されていく彼女を見ているだけなんて嫌だ。

 国王でさえ知らない秘密を、リリーはシルヴィンに話してくれた。

 その信頼に応えられる男になりたい!


「何か、僕にできることはありませんか?」

 シルヴィンの問いに、リリーは目を見開いた。大きな赤い瞳が再び揺れる。リリーがその少しの間に何を逡巡したのかは分からない。しかし少しの間を置いて、リリーは答えた。

「いいえ、シルヴィン様はここにいてくださるだけで十分ですわ」

 リリーは明るく笑顔を浮かべ、きらきらと目を輝かせていた。まるで歌うように紡がれる言葉が、死の恐怖を感じさせない柔らかな表情が、かえってシルヴィンを不安にさせた。シルヴィンは思わずリリーの手を強く握っていた。側にいる、と励ましたいのか、側にいてくれ、と自分を慰めたいのか。シルヴィンはこれからどうすべきなのか分からずに、リリーの手を握ったまま涙を流した。

 リリーの笑顔を守るための騎士(ナイト)になりたい。シルヴィンは本気でそう思った。



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