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12 姫の涙

「お体はもう大丈夫なのですか?」

 リリーの顔色は確かに良くなったが、本当に毒気が消えたのか心配だ。シルヴィンは気遣うように横たわるリリーの顔を覗き込む。

「えぇ。もう痛みも違和感もありません」

 にっこりと笑って、リリーは起き上がろうとする。

「まだ起き上がってはいけませんっ!」

 と、アイリシアがシルヴィンをおもいきり押しのけて、起き上がろうとしたリリーをそっとベッドへ戻した。

 この侍女は、リリーにだけはとんでもなく甘く優しい態度をとる。シルヴィンに暴言と暴力の数々を繰り出していたとは思えないほどに、今はリリーを甲斐甲斐しく見守っている。

 冷静になると、飛び蹴りされた時に打った肩や腰が痛みを訴えてくる。この侍女の自分に対する侍女らしからぬ言動はどうにかならないものか。シルヴィンは、できることならアイリシアという人間に関わりたくなかった。とにかく怖い。なんか怖い。

 引きこもっていて人とのコミュニケーションにブランクがあるシルヴィンにとって、アイリシアはリリーとは別の意味で未知の存在だった。

 しかし、リリーの側にいるというのなら、逃げてばかりもいられない。


(アイリシアにも認めてもらえるような立派な王子になってやろうではないか!)


 シルヴィンが新たな決意を胸に掲げた時、リリーに名を呼ばれた。

 アイリシアに吹っ飛ばされたためにベッドから少し離れた位置にいたシルヴィンは、リリーの声を聞いてすぐにベッドへ近づく。アイリシアが面白くなさそうな顔でこちらを睨んでいるが、そんなことはもう気にならなかった。

 何故なら、リリーが頬を紅潮させ、潤んだ瞳でシルヴィンを見つめてくれているから。

 リリーが側にいれば、シルヴィンはどんなものにも立ち向かえる。


「シア、少し外してくれる? シルヴィン様と二人きりになりたいの」

 これは夢だろうか。リリーがシルヴィンと二人きりになりたい、と微笑んでいる。

 その笑顔を見て、シルヴィンの心臓はドクドクと暴れ出す。叫びたい気持ちはどうにか抑え込んだが、どうしても口元がにやにやしてしまう。

「……しかし、こんなストーカーと二人きりなんて心配です」

 やはり、アイリシアが簡単に頷くはずがなかった。というか、さっきも言っていたがストーカーとはどういうことだ。シルヴィンは断じてストーカーなどではない。リリーと両想いだということもあのキスで分かったことだし、何の問題もないはずだ。キスのことを思い出すとまだ夢のようだが、これは夢でも妄想でもなく現実なのだ。

 それなのに、アイリシアは恨みがましくシルヴィンを睨み、いかにこの王子が気持ち悪い奴か、ということをリリーに訴えている。本人の前でよくもまあ色々と悪口が言えるものだ、とシルヴィンは感心すらする。

 しかし、このままではせっかくのリリーと二人きりという甘い時間が幻と化してしまう! シルヴィンは自分の立場をなんとか確立しようと必死で言葉を紡ぐ。


「大丈夫、何の心配もない! 安心してリリーのことを任せてくれ」

「リリー様にあんなおぞましい行為をしておいて、何が大丈夫だ! 信用できる訳ないだろう!」

「あ、あれは僕からの愛情表現だっ!」

「はあ? リリー様の意識がないのをいいことに襲っていただけだろう? この変態め!」

 いつまでも続きそうなこのやり取りを止められるのは、この場に一人しかいない。

「シア、やめて。シルヴィン様なら大丈夫よ」

「私はリリー様が心配なのです。リリー様を襲った男を信用せよと言うのですか?」

「あれは……私も……その、嫌じゃ……なかった、から」

 照れたように両手で顔を隠すリリーの愛らしい姿に、シルヴィンの心臓はきゅううっと締め付けられた。

 リリーを今すぐに抱きしめたい!

 アイリシアでさえ、もう何も言い返せないようだった。恋する乙女そのもののようなリリーを、信じられないという目で見ている。

 だから二人きりにさせて、という二度目のお願いでようやくアイリシアは立ち上がった。

「もし変なことをされそうになったら、叫んでください。すぐにこの男の息の根を止めてみせますので」

 かなり物騒な言葉を残し、アイリシアは扉の向こうへ消えた。

 リリーの言葉に浮かれていた気持ちは、アイリシアのこの言葉ですぐに沈んでしまった。

 息の根を止めるって? 仮にも王子なのに? リリーの婚約者なのに? 

 しかし、アイリシアならやりかねない。シルヴィンは背筋がぶるっと震えるのを感じた。



「ごめんなさいね。シア、本当はとても優しいのよ」

 えぇ、それはあなたにだけですよ……という言葉を飲み込んで、シルヴィンは分かっていますと頷いた。

 二人きりになりたい、と言ったからには何か話があるのだろう。

 シルヴィンのキスで目覚めたリリーだが、本当にリリーが自分を好きでいてくれるのか、まだ自信が持てない。

 だから、ただ二人になりたかったのかもしれない、という夢のような理由よりも何か目的があるから二人きりになった、と考えた方がしっくりくるのだ。


「そんな難しいお顔をなさらないで……もしかして、私のせいだったかしら?」

 リリーの話は何か、と考えているうちに、無意識に表情が硬くなっていたのかもしれない。リリーの笑顔を少し曇らせてしまった。

「と、とんでもない! ただ、まだ信じられないのです。僕はリリーのことを愛していますが、その、リリーも同じ気持ちだということが……」

 シルヴィンの言葉を聞いて、リリーの可愛らしい頬が林檎のように赤く染まった。

 そういえば、シルヴィンもまだ面と向かって自分の気持ちを告白してなかった。

 気づけば、シルヴィンの頬も熱くなっていた。

 二人して、真っ赤な顔で見つめ合う。


「うふふ、なんだかおかしいわ」

「そうですね」

 シルヴィンは、リリーとこんな風に笑い合えていることに感動を覚えていた。

「……あの、シルヴィン様、私はあなたに嘘をついていました。それでも、愛してくださるのですか?」

「もちろんです! きっと、何か理由があったのでしょう」

 不安そうなリリーを安心させるように、シルヴィンはめいっぱいの笑顔を向ける。

 すると、リリーは覚悟を決めたように起き上がり、シルヴィンを真っ直ぐな瞳で見つめた。

「……私が毒に侵されて死んでしまうなら、それはお母様の意思だと思っていたの。だから、せめてその時まで私らしく生きようって決めていた……でも、シルヴィン様と出会って、もっと生きたいと思うようになったのです。もし、シルヴィン様がこの私を本当に愛してくれたなら、自分で自分を許せるかもしれない……って……そのために、シルヴィン様の愛を確かめるようなことを……」

 リリーの薔薇色の瞳から、美しい透明の雫が流れ落ちる。

 泣いているリリーなんて、シルヴィンは初めて見た。これはこれで、また胸を締め付けられる。

 自分のせいで母を殺してしまった、という罪の意識。その代償として、リリーはユリアと同じ毒を飲んだ。それはただの自分勝手な罪滅ぼしだったのかもしれない。それでも、何か罰を与えてくれなければ、心が耐えられなかったのだろう。

 リリーは自分の身体を毒に侵すことで、昔と変わらず笑っていられたのだ。もうすぐ死ぬのだから、少しくらいは楽しく過ごしてもいい、と自分を許して。

 それでも、母を殺した自分が未来を求めることは許されない、と思っていた。


『誰かが私の死を望んだの』


 その誰かは、フリージアのことではなかった。

 リリーの死を望んでいたのは、リリー自身だった。しかし、決して死にたかった訳ではない。母のために死ななければならないと感じていたのだ。

 しかしシルヴィンと出会い、生きたいと思ってしまった。だから、リリーはあえて誤解を招くような言い方をした。

 命を狙われ、死にかけている姫のことを本気で愛してくれるのかを試すために。

 強い愛がなければ、“奇跡”は起きないから。

 シルヴィンが愛さなければリリーはそのまま毒に侵されて死に、シルヴィンが心から愛せばリリーの毒は消える……そんな命懸けの懸け。

 人付き合いの苦手な引きこもり王子に命を懸けるなんて、普通ならあり得ない。

 けれどもリリーはそれを実行して、最後には自分自身の賭けに勝ったのだ。

 そんなリリーを責められるはずがない。というか、責める必要がない。

 シルヴィンは、リリーが自分を信じてくれていたことや、試すようなことをしてまで愛を確かめたかったのだということが分かり、嬉しくてたまらない。

 思わず、シルヴィンは泣いているリリーの身体を抱き締めていた。

 一瞬びくりと身体を震わせたリリーだが、すぐにシルヴィンに体を預けてくれた。

 温かい体温、リリーが確かに生きていることを訴える鼓動、それらがちゃんと自分の腕の中にあることにシルヴィンはひどく安堵した。


「リリー、きっとユリア様は可愛い娘の死なんて望んでいないよ。だって、僕はリリーのおかげで今とても幸せだから。ユリア様が望んでいるのはリリーの死ではなく、リリーの幸せだよ」

 泣いているリリーの身体を優しく包み込みながら、シルヴィンは耳元で囁いた。あやすように背中を撫でていると、リリーは少しずつ落ち着いてきたようだった。

「シルヴィン様、ありがとう」

 腕の中で聞こえた可愛らしい声にシルヴィンは飛び上がりそうになるが、必死で我慢する。しかし、少しは調子に乗ってもいいだろう。

「リリー、僕の愛は伝わったかな?」

 冗談めかしてシルヴィンが言うと、リリーはくすぐったそうに笑って頷いた。

「えぇ。十分すぎるほどに」

「まだまだ、僕の愛はこんなものではありませんよ」

「ふふっ……楽しみにしておりますわ」

 幸せそうに笑い合う二人の姿を、消えたはずの赤い猫が見つめていた。

 そして、にゃあ……と鳴いてまた消えた。



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