悪夢の契約
「黒瀬さん、調べていたのはあなただけではありません。聖王学園の一年生、全てです」
その呆れた空気を切り裂くように島木が言った。聖王学園ってのは、俺が通うガッコーの名前だ。
「一年生、全てだって? そんなこと出来る訳ねーべよ」
どんなガッコーだろうと、個人情報保護が責務だ。それを第三者が易々と知れる筈はない。
そう思う俺の表情を、オッサンは覚めたように見つめている。
「黒瀬修司。黒瀬耕作と黒瀬まどかの一人息子。出身中学は帝王中学。好きなものは甘い物。喧嘩は強いが、勉強はからきし。聖王学園は入試がないから入学出来た。……だな」
確かにそのオッサンの言うことに間違いはない。
「何故そこまで知ってるんだ」
俺は訊いた、流石に不思議だ。
「知りえて当然だ。ワシはあの学園理事長と古くから付き合いがあってな。その流れで極秘資料を見せて貰ったのじゃ」
そのオッサンの台詞に、茫然自失で立ち尽くした。
聖王学園一年生の個人データ流失元は、ガッコーの理事長だ。あの理事長、物凄く調子がいい。そのうえ適当。少子高齢化のおり、入試制度を廃止した。人気を集める為に来年度から制服を変えたり、アイドル科を設立する予定もある。
しかも金や権力に弱い。昔からの知り合いなら、『一年生のデータを見せてくれ』という依頼に対し、『いいよ~。あなたにはお世話になってるし、問題ないよ~』と快諾する事は容易に想像出来る。
「たいした情報能力だな。公安も真っ青な展開だ」
皮肉の意味も籠めて返した。それでもオッサンのデータの収集力に少しだけ感服した。
「ワシをなめるな。マムシの異名は伊達じゃない」
堂々と言い放つオッサン。
「だけど何故そんなことを?」
だがやはり理解不能、そこまでしてデータを収集して、なにをしようとしてるのかが不明だ。俺のその台詞に、オッサンがゴホンと咳払いをする。
「それは、マリアの警護の為だ」
そして答えた。
「警護だと? 娘の警護と俺達の身辺調査とが、なんの関係があんだよ?」
「全ては我が一族の家訓に端を発することだ」
オッサンの顔が真剣味を帯びる。その家訓がなんたらって話は太助達がコンビニで囁いていたのを思い出した。
「その前によ、オッサンは何者なんだ? 大した権力を持ってるみたいだが?」
その俺の問い掛けに、オッサンは俯いてテーブル上で腕を組む。
「ミカドグループって知ってるか、小僧」
そして視線を上げて話し出した。
「ミカドグループって、有名な大企業だろ?」
聞いた事はある。銀行や鉄鋼業・建設業などを行っている日本屈指の財閥系大企業だ。
「まさか、オッサンの会社?」
俺はオッサンに視線を向けた。
「そうじゃ、ワシの名は白城永吉。ミカドグループ現社長だ」
こいつ社長だったんだ。見た目と喋り方はヤクザだが。
「我が白城一族には、代々伝わる家訓があるのだ。『一族の長になる者は、十六の歳となると同時に、一年間家族の助けを借りずに自分ひとりで生き抜くこととする』とな」
淡々と言い放つオッサン。その口調とは裏腹に哀愁の籠もる視線だ。
「はん、昭和だな。いや、江戸時代だ」
俺は吐き捨てた。代々伝わる家訓だなんて、だから金持ちはくだらねぇ、って思う。
「確かに江戸の昔から続くカビ臭い家訓だ。だが我々は甘んじて続けてきた。ワシだって、ワシの親父だってそうだ。じゃがあの頃とは訳が違う。あの子は女、たった一人の可愛い娘。しかもあの学校……」
そしてオッサンの声が止まった。
「問題はウチのガッコーにあるってことか」
俺は補足するように言い放つ。
「そうじゃ。調べれば調べる程、背筋が凍り付く。なんなのじゃあの学校、ヤクザの息子や暴走族総長ならまだしも、政府転覆思想を持つガキや、化け物染みたオタク、更には猿。何故あのような奴らが、マリアの同級生なのだ?」
つまりこのオッサン、聖王の情報を知るに当り、あのガッコーの恐ろしさを知ったらしい。
聖王学園は元々県下でも指折りの進学校だったんだが、理事長の方針転換により事態は急展開する。極悪なヤンキーや、化け物染みたオタクが集まる場所になったんだ。それを仕切る為に、教師も武装化した。
とはいえ今では落ち着きを取り戻してる。濁流だっていつまでも荒れてる訳じゃない。高き所から流れ、大洋に至れば、平静を取り戻すのが常。入学当初こそ、激しい争いが勃発していたが、永き抗争の果てに一応の落ち着きは取り戻してる。とはいえそれも表面上のこと。過去の火種がくすぶってるのも事実。
「だったら別なガッコーに転校させりゃいいだろ、それだけの問題だ」
俺は言った。確かにウチのガッコー、とんでもない奴らばかりだ。だけど他人に言われるとやっぱりムカつく。太助や真優のようなパンピーも大勢いるし。
「それが出来れば、どんなにいいか」
オッサンが呟いた。どこかもどかしいような、ままならない感情に満ちた台詞だ。
「何故、出来ねーんだ?」
「詳しくは言えないが、会社の為。今更他の学校には転校させられん」
「だったら今日みたいに、ずっと監視していけばいいだろ」
俺は立ち上がった。そして入り口へと足を進める。結局こいつ、俺様を拉致って娘の自慢話してるだけじゃん。実際俺には関係ない。
そう思うとあくびが出てくる。時刻は午前三時。この分じゃ明日は遅刻だ。とは言えどうせ午前中は寝てる予定だった。どうせ同じこと。
「じゃから貴様を連れてきたんじゃ」
その背中にオッサンが投げ掛けた。
「なんだと?」
俺は意味が判らず立ち止まり、振り返る。
「マリアの警護を我々がいつまでもしてはおれんのじゃ。目立つし娘にも気付かれる。第一、いちいちワシらが校内に介入する訳にもいかん」
そりゃそうだ。授業参観じゃあるまいし、保護者が校内をうろつくなんて、滅多にない。しかも血縁ゼロなら逮捕モンだ。
「だから同じ聖王学園の生徒を調べていたのじゃ。シュウ、お前は素晴らしい。その腕力と言い、体力と言い、内なる統率力と言い完璧だ。なにより女嫌いなところが気に入った」
「女嫌いが気に入ったって、どう言う意味だ?」
「お前ならマリアを口説く真似などせずに、あの娘のガードが出来るじゃろ。じゃから相応しい。どうだ引き受けてくれんか?」
「つまり俺様に、あの娘のガードを頼んでるのか」
その問い掛けに頷くオッサン。つまり俺が女嫌いだから、あいつのガードをさせようと、俺を拉致った。そういうことだろう。
「冗談やめてくれ。俺様はそれほど暇じゃねー。女のガードなど、馬鹿らしくて出来るか」
俺はそれを全否定する。 納得するからこそ、引き受ける訳にはいかねー。俺様は孤高なる修羅だ。そんな馬鹿らしい依頼、間違っても引き受けない。俺のプライドがそう言ってる。
暫しの沈黙がある。オッサンが煙草を灰皿に揉み消した。
「バイトをクビになってもいいのか?」
そして放たれる有り得ない台詞。
「なんじゃそれは」
「一応教えておくが、貴様のバイトするコンビニ、我がミカドグループの系列店なのだ。じゃからあの店員もワシの話に乗った。経営陣の意見は聞く。社会の鉄則じゃ」
そして愕然となった。そう言えばあのコンビニ、ホワイトキャッスルグループって名称だ。直訳すると、白城じゃねーか。そう思うとモーリーの行動も納得する。奴はなんの役にもたたない底辺の平社員のくせに、ホワイトキャッスルグループの構成に詳しい。つまり奴は、このオッサンのツラを知ってる。能力ない奴でも、上の覚えがよければ出世するから。頭のいいデキスギより、要領のいいスネオが出世する社会。さしずめ俺はかわいそうなノビタってパターン。実際ネコ型ロボットもいないし……
「ふざけんな。てめーの娘のガードと、俺様のクビ、なにがカンケーある。言いがかりは勘弁してくれ」
それでも俺は反論する。いくら偉いからって、そんなことでクビになるなんて冗談じゃない。特権乱用もいいとこだ。
それでもオッサンは冷静。
「あのコンビニ、恐ろしく金が掛かるんじゃ。強盗事件が多発したり、万引き犯も多い。暴走族は襲撃する、ヤクザの発砲事件もあった。野良犬も飛び込む。定例会議でも問題視されとるんじゃ、あんな店、閉店させろ、と」
「あれは、あれだ。俺様のせいじゃない」
「もちろんそれは仕方ない。あの辺の治安が悪いからな。じゃが問題はその解決方法、強盗を反撃して、陳列棚をなぎ倒したり、ちんけな万引き犯を全治数ヵ月にしたり、ヤクザの拳銃奪ってこめかみに突き付けたり、とにかく店がめちゃくちゃ。確かに、あれならおとなしく被害にあった方がマシだ」
そして俺は沈黙した。確かにあのコンビニ、毎日、なにかしらのドラフトがおこる。その全ては、俺様自ら解決してる。だけど結果店はめちゃくちや。その責任をモーリーは、全て俺様のせいにする。おとなしく警察呼べば良かったとか、たかだか数百円の万引きに目くじら立てるなとか、犯人が可哀想だとか。
確かにそれも一理ある。だけど仕方ないだろ、俺様の宿命なんだから。 ……とは言えそんなこと大声じゃ言えない。
淡々とした流れと共に、島木が何かをテーブルに差し出す。それは分厚い書類と、むき出しの長ドス。
「この契約書を良く読んで、血判を捺すんじゃ。まずは明日から一人暮らししてもらう。勿論それなりのボーナスも支給する。それとじゃな……」
こうして悪夢の契約は、淡々と進んでいく。なんなんだよこの細かい文字。一枚に原稿用紙数枚分は詰め込んであんぞ。しかも数百枚、見てるだけで瞼が重くなる。それと血判ってなんだ? 時代劇かヤクザ映画でしか見たことねーぞ。どの道命のやり取りだ。
所詮この世はピラミッド社会。カースト制度には逆らえない。俺の上にモーリーがいて、その上にオーナー、更にてっぺんに君臨するのがオッサン。所詮俺はその底辺を徘徊する奴隷だから。
世界は最悪だ。俺の意思と関係なく動き出す。その先に待ち構えているのが、更なる悪夢と分かってるのに……