地獄の業火編2
「出火の原因は彼だよ」
その傍らでソウイチロウが言った。その意味が分からず、俺は一瞬立ち尽くす。
「てめーが放火したって事か!」
即座に怒りが込み上げ、三崎の元に駆け寄る。
「黒瀬君、一概にそうとも言えないんだ」
胸ぐらを奪おうと腕を伸ばすが、ソウイチロウに阻止された。
「ただの煙草の不始末らしいんだ。捨てた煙草の火が燃え移り、ここまでの火災が生じた。大家さん、ここでマグネシウムなんかの実験もしてるからね」
確かにこのアパート、はじめちゃんの実験施設がある。施設っても、ただのほっ建て小屋だ。ベニヤとブルーシート、トタンと段ボールでこさえた、浮浪者が寝るような建物。そこで奴は、小難しい実験をしてる。アニータには、危険だから止めなさい、って何度も注意されてんのに。
「どうだっていいさ。どうせ全部燃えておしまいだからな」
三崎が言った。
「放火じゃねーとしてもだ、何でてめーがここにいる!」
俺の怒りは治まらない。奴の胸ぐらをねじあげ、問い質す。
「そんなの決まってるじゃねーか。白城マリアを恐怖のドン底に突き落とす為だよ、だから住処を調べて、寝込みを襲おうとした。その途中で、火事になっちまったんだがな」
抑揚なく言い放つ三崎。その顔が炎に照らされ赤く染まる。バックの闇と相成り、能面のようにも思えた。
「恐怖のドン底だぁ?」
「言っただろ、奴は邪魔な存在なんだ。奴がいるせいで、困る存在がいる。だから困らせてやりたかった。世の中の厳しさ、現実の世界を見せつけてやりたかった。それに俺は、貴様も嫌いだ、修羅って種族が大嫌い」
「困らせる、ってそれだけの事で火を点けたのか。マリアに危害を加えたくて、俺様や、リキ丸憎しの感情で」
「確かに俺だってやり過ぎたとは思うぜ。普通ここまで燃え広がるとは思わないだろ」
その意見に対しては同意する。このアパートはペーパークラフトか。簡単に燃えすぎだ。
「とにかくそんな事してる場合じゃないでしょ。火を消さなきゃ、マリアちゃんの姿もないんだよ」
そしてそのソウイチロウの台詞ではっとした。慌てて三崎の拘束を放つ。
「嘘だろ、マリアはいねーのか」
「いないんだ、辺りを捜したんだけどね」
悔しげに響くソウイチロウの声。俺の脳裏に堪らない感情が込みあげる。
「多分寝てるんだろうな。俺と貴様、あれだけの騒ぎの中でも、動じる事なく、寝てる女だから」
苦笑する三崎。確かにその台詞も同意する。
俺は振り返り、アパートを睨む。炎はアパートの裏手、半分程を飲み込んでいた。それでも辛うじて、マリアの住む部屋はまだ炎が到達していないようだ。
「クソッたれ。ホントめんどくせー!」
俺は何かに突き動かされる衝動を覚え、咄嗟に走り出した。アパートの壁に駆け寄ると、樋伝いに壁をよじ登った。
マリアの部屋は炎上してないが、そんなの時間の問題だ。多分にアパート中央部、通路部分は炎に包まれているだろう。それを介し、完全に炎上するのは確実だ。
そんな俺の姿を見つめ、ソウイチロウやその他大勢の悲鳴が挙がる。『無茶をするな、』とか、『消防の到着を待ちなさい』とか、『お前の方が黒焦げになるぞ』とか、『姫の部屋は特注なのだ』とか愕然とした叫び。
もちろんそんな事、俺自信が理解してる。確かに熱い。炎の熱さは壁を介して伝わってくる。しがみ付く手や顔も数分で火傷しそうな感覚を覚える。消防車の到着を待つ手段だってあるだろう。だけど駄目だ。俺がそう決めたんだ。今更奴らに従うつもりはなかった。それにもう少しなんだ。あと少し、手を伸ばせば……
俺はぐっと力を籠めて右手を二階の縁に伸ばす。
だがその時だった。俺の足元、一階付近から激しい爆音が響いた
激しい風圧と紅蓮の炎が俺に襲い掛かる。その衝撃に叩きつけられ、後方に吹き飛ばされた。
「……なんだっつーんだ、いったい」
漠然と今までいた場所を見つめる。俺の視線に映るのは、逃げ惑う多くの人々の姿。顔を恐怖に歪ませ、口々に何かを叫んでいる。奴らが戦くのは、放たれた悪魔の姿。天を焦がさん勢いで立ち昇る紅蓮の炎。
「あそこには灯油が……」
アニータが言った。呆けたようにその場に崩れ落ちた。さっきの爆発、それは灯油のタンクに引火し爆発した音だった。炎は拡大し、狂った触手を延ばしにかかる。縦横無人に蠢くそれは、まるで意思を持った魔物。新たなる獲物を求め、壁を伝い、二階へと這い上がろうとする。
「てめー、俺様をなめんじゃねーぞ!」
突き上げる怒りを覚えて立ち上がった。あの炎の中にはまだマリアがいる。気持ちが昂ぶった、呼吸が速くなる。辺りから音が消えた、時間がやけに遅く感じる。
頭に過ぎるのはひどいイラつき、焦りだけが支配する。
「大家さんよ、あいつの部屋の鍵、出してくれ」
俺はアニータに言った。アニータは呆けた様子だ。それでも俺の気迫に圧されたか、無言でマリアの部屋の鍵を差し出す。俺はそれを奪い取ると、傍にあったバケツの水を頭からかぶる。同じくシーツを浸し、それを上から羽織る。
もはやこの手しかねー、堂々と火の中に飛び込み、あいつを救出する。
「貴様、本気であの中に飛び込むつもりか?」
不意に三崎が言った。戸惑うように俺の肩を掴む。
「放せよ、こんちくしょう!! こうなったら中に飛び込むしか手立てはねーんだ」
俺はそれを振り払う。一刻を争う状態だ、ここで足踏みは出来ねー。
「あの中に飛び込めば、貴様だって死ぬ可能性があるんだぜ。いや、死ぬより恐ろしい何かが待ち構えてるかも知れない。これはあの女の運命だったんじゃねーか。元々運命という鎖で繋がれてたんだ。生まれるのが運命なら、死ぬ事も運命。それとも、命を張ってまで守る価値があの女にあるのか」
覚めように言い放つ三崎。いつかのように重みのある台詞だ。
「そんなのどうだっていい。言っとくが、俺の運命は俺自信で決めんだよ。それはマリアにしても同じ事。他人なんかに決めさせはしない、あいつの運命はここで終わりじゃねー。運命がどうだとか、鎖がどうだとか、そんなモンはくそ食らえだ!」
この修羅の荒野、力だけが全て。強い奴が生き残り、弱者は淘汰される。力ってのは何も腕力だけじゃない。知恵や勇気や知識、それらがあってこの世界を生きられる。それがこの世の摂理。
勿論それらを持ってしても、立ちはだかる壁は存在する。事故や病気、生まれた環境や置かれた居場所、地震や火事なんかの自然災害だ。
それらの脅威の前に人は無力。個人の無力さを痛感して塞ぎ込む。歩む足を止めて、闇の中に引き摺り込まれる。多くの奴らはその局面を目の当たりにして『運命だったんだ』と諦める。『神様が決めた事だ』と言い訳する。そうして自分を慰める。
だけど俺は嫌なんだ。手をこまねいて見てるだけなんて嫌だ。運命なんてのは変えるために存在する。鎖だって引きちぎる為に存在する。燃え盛る炎だって水に変えてやる。それを阻むなら、神様だろうと容赦はしない。だって俺の任務は、マリアを守る事。無事にあいつを救いだす事だから。
無表情だった三崎の顔が徐所に崩れていく。
「だったら見せてみろよ。この狂った運命に、堂々抗う姿を」
俺の思いが伝わったらしく、全てを託し、俺の肩をポンと叩いた。
「当たり前だ、俺様は無敵の修羅だからな!」
こうして俺は、戸惑う人々をかき分けて、燃え盛るアパートに突入したんだ。




