動き出す宿命編
アルタイルの事件から数日過ぎた。
俺は意気揚々と喫茶店のドアを開き、足を踏み入れる。コーヒーのいい匂いが鼻孔をくすぐる。ケーキの甘い匂いが食欲を増幅させる。そこは聖王の近くにある、スカーレットっていう喫茶店。貧乏一直線の聖王生徒が集まるこじんまりした店だ。
「なんじゃシュウ、お主も来たか」
不意に誰かが言った。
「げっ、おめーは」
俺は戸惑い立ち尽くす。店の奥で、鋭い視線を投げ掛けるのはエリザベート。同じテーブルには、その取り巻きの女二人とゴン太の姿もある。
「シュウ貴様、ここは拙者らが封じておるのだぞ。邪魔だから早々と立ち去れ」
すかさず言い放つゴン太。羽織の袖をさっと払い出し、腰の刀に手をかける。
「何が封じてる、だ。てめーこそ帰れ、邪魔だ」
反応して俺も言い返す。ムカつき気味のゴン太だが、その表情は紅潮してる。こんな店で、エリザベートとこそこそしてるから、気恥ずかしいんだろう。普段は、拙者は侍、って息巻いてるわりには純情な奴だ。
「シュウ、そんなところに突っ立っていたら邪魔だよ」
だがそんな状況をぶち壊すように、俺を押し退け太助が入店してくる。
その後からはマリアと春菜の姿。それぞれエリザベートに一礼すると、奥に向けて歩いていく。その様子を窺い、取り巻きの女が『珍しいよね、シュウが女と一緒だなんて』とか、『シュウがデートとは、明日は雪だね』とか、囁く。それを訊きいり、俺も紅潮した。
「貴様、姫だけならいざ知らず、新たなる婦女子もたぶらかすつもりか?」
ゴン太が言った。刀の柄に手をかけ、今にも刃を引き出しそうな勢いだ。
「何だてめー、いつになくデンジャラスだな」
婦女子だとか、たぶらかすとか、俺にはさっぱり意味がわからん。ゴン太の奴、何か誤解してる。
「一弥……」
だがある人物の姿を捉え、ごくりと唾を飲み込んだ。それは一弥。一瞬覚めたようにゴン太を見据えるが、何事もなかったように奥に進んでいく。ゴン太は悔しげな表情だ。わなわなと震え、力なくその場に座り込む。この二人、相変わらず仲が悪いようだ。
「言っとくが、俺らがここに来たのは、マリア達が助けてくれたお礼だって、呼ばれただけだ。誤解すんな、デートじゃねー」
俺は言った。俺達五人がここを訪れた訳は、数日前のアルタイルのお礼だ。危険を冒して駆けつけた俺と一弥と太助に対する、マリアと春菜のお礼、スカーレットでご馳走してくれるって内容。だから断じてデートじゃねー。
「そういうてめーらは、こんな店で何してんだ。ここはてめーの口に合うような、美味いモンは置いてねーぞ」
高飛車なエリザベートは、高級レストランしか行かない性格だ。何を血迷って、こんな店にいるんだ。コーヒーを淹れようとするマスターの腕が止まるが、この際無視だ。
「卒業前のお別れ会の打ち合わせじゃ。可愛い後輩が、私の為に開催してくれると言うからな」
覚めたように言い放つエリザベート。その手間でゴン太が、気恥ずかしそうに俯いている。因みに取り巻きの女は三年生。エリザベートのいう『可愛い後輩』ってのは、こいつを指すって事。この男、普段は『土方歳三』って息巻いてるくせに、そんな幼稚園児みたいな事やんのか。
「姫、場所を変えますか?」
その気を察したか、ゴン太が言った。そうだ消えろ、消えてくれ。俺は心の中で祈る。
「別に大丈夫じゃ、この店で充分。マスターの淹れるコーヒーは、聖王の生徒を和ませるからな」
だが返ってきたのはその台詞。俺とゴン太、同時にため息を吐く。マスターの笑顔だけが輝いていた。
「シュウこっちだよ」
太助が言った。奴らはエリザベートとかなり距離をとった場所に席をとったらしい。視線に映るのは仕方がないが、会話までは聞こえない範囲だろう。
「おう、今いく」
俺は平静を装い歩き出した。何故か後方から鋭い視線を感じていた。
とにかくこうして、俺と太助と一弥は、マリアと春菜の奢りでコーヒーやケーキなんかを奢ってもらう。
数十分過ぎた頃には、ガヤガヤとした会話に興じていた。
「でもゴメンね、マリアちゃん。私がカラオケ屋の時点で帰ってれば、、あんな危ない目に遭わずに済んだのに」
春菜が言った。
「確かに危ない状態でしたが、無事シュウさん達が助けてくれたから、私は問題ありません」
マリアが笑顔で返した。
「それに……」
そしてその一言で、俺達は視線を向ける。
「少しだけですが、楽しかったんです」
返ってきたのはその意外な言葉だった。
「おいおい、あんな目に遭って楽しいはねーじゃんよ」
俺は呆れて言い放った。あんな情況で楽しいなんて言えるなんて、お嬢様も程々にしとけよって思った。散々迷惑を掛けられた俺達の身にもなれっての。
一瞬、表情を曇らせるマリア。
「すみません。そう言う意味じゃないんです」
そして答えた。言葉を選ぶようなじれったさが感じられる。
「今まで見た世界は、額縁の中にある世界だったから。触れる事のない、幻想の世界だったから」
そして漠然と伝えた。
「額縁の中の世界だぁ?」
そして俺の問い掛けに、ハッとする。
「すみません。額縁じゃなくて、お家の窓です。夜の街並みは、お家の窓から見えていたんですが、現実には行けない、切り取られた絵の世界みたいで。ですが春菜さんに誘われ、あの光景に溶け込んで、それは絵なんかじゃないって分かったんです。全ては現実、本当にそこにある風景」
それは初めて現実を直視したような、純粋すぎる表情だ。
この世界にはいろんな物が溢れている。どこまでも透き通る真っ青な空だったり。命のままに狂い咲く桜の花だったり。天まで真っ直ぐ聳える幾多のビル群だったり。はたまた風に乗って伝わる爽やかな潮の匂いだったり。心の和む鳥たちのさえずりだったりと、幾多の物だ。
だがそれらは、五感で感じなければ心は震えない。心が震えないってことはニセモノに過ぎない。キャンバスに描かれた絵の中の世界や、フレームに写し取られた写真の世界。
それはどんなに綺麗に描いても、どんなに鮮やかに写しても所詮ニセモノに過ぎない。そんなもの束縛された自由に過ぎないから。
「マリアちゃんってお嬢様だから、行動とか規制されそうだもんね」
太助が寂しそう言った。
「お父様の都合上、仕方ないんですけどね」
「お金持ちの苦労って奴だね」
そして沈黙が支配する。太助の言い分にも一理ある。人は人として生きてる限り、幾多の苦労を背負って生きてる。それが金持ちだろうと貧乏だろうとだ。それが生きるって事だから。
「だけどお前、今はひとり暮らしなんだろ? 何の足枷もない、自由なひとり暮らし」
その重苦しい空気を切り裂いて一弥が言い放った。その台詞に深く頷くマリア。
「だったらいいじゃねーか。せっかく掴んだ自由。楽しむだけだろ」
一弥にしては的を得た的確な言葉だ。
「そう言う事だ。危ない目に遭いそうになったら俺様が助けてやるしな」
その台詞に感化され、俺も自然と言葉が漏る。
「はい」
マリアの顔に笑顔が溢れた。




