ユクドラシル
__気が付いたら、俺は病院のベッドで寝ていた__
俺は生きていた。何故だか分からないが、刺された時の痛みも嘘のように引いていた。
駆け付けた親父とお袋は顔をくしゃくしゃにして泣く『これは神様のおこした奇跡だ』。『あなたは運がいい』そう言って笑う。俺が生きてた訳は、犯人のナイフがなにかの弾みで逸れたから。だから運よく軽症ですんだ__
ふざけんなって思った。俺が軽症って、そんな馬鹿な話ある訳ねーだろ。あのとき俺は、本気で死んだと思ったんだ。周りの奴らだってそう思った筈。だってあの痛みは間違いなく本物。耳鳴りがして、死後の世界さえ見えた__
その光景は脳裏に焼き付いていた。……血と硝煙の臭いが支配する不毛の大地。延々と続く死者の亡骸、赤い血だまり。風は皆無、激しい臭気が鼻を衝く。元気なのはそれを食らうウジ虫とカラスだけ。がさがさと耳障りな響きで蠢いている。
そしてその真っただ中にひとりの男が倒れている。瀕死の状況に喘いでいた。指先さえ動かない、息をするのも億劫。それでもその狂気の眼光だけは健在、凄まじい覇気が辺りを覆う。
その視線が捉えるのはひとりの男。白い衣服に、長い銀髪の端正な顔つきの男。ただ黙って死にかけの男を見下ろしている。ムカつくほど冷静、それでも口元に浮かぶのは卑下た笑み。
何故だろう、どこかで見た光景だと思った。死にかけの男も、それを見つめる男にも覚えがある……
「ルカーー!」
俺は吠えた。脳内に全ての記憶が甦った、生まれる前の遠い記憶、遥か前世の記憶。覚えていた、この男と続く前世からの熾烈な運命を__
銀髪の名はルカーディア、通称ルカ。天界西の支配者の息子で愛を司る神。俺は奴に監視されて生きている。死ぬ程のトラブルに巻き込まれ、それでも死ぬことさえ出来ない運命の元に__
その理由は俺の前世にある。天界・人間界・修羅界・精霊界・魔界・冥界。その六つで六界になる。人は輪廻転生の下に、生まれ変わりながら巡っている。六界のどこかにある、時の大樹、ってのがそれに関わってるんだ。肉体から魂を引き抜き、次の肉体にそれを宿す。
イメージでいえばその根っこが冥界、幹のとこに人間界や修羅界があって、てっぺんの場所に天界がある。人間界じゃ、世界樹、と呼ばれている。
魂は消滅しない、肉体が消滅しても魂だけはリサイクルされる。今は人間の姿でも、死んだら犬畜生かもしれない。罪を犯せば冥界かも知れない。それが輪廻転生。
俺の前世は修羅だった。修羅っても三面六臂のあれとは違う。闘いの中に生きる鬼神の意味。相手の血を求め、本能の下に戦い続ける。迷いは敗北を意味し、退くことは死を意味する。それが修羅だ。
だがそんな俺も最後の時を迎える。天界西の精鋭部隊に討伐されたんだ。それを仕切っていたのがルカ。いきなり修羅界に現れて、理由も告げずに討伐された。
そこまでなら納得もする。俺はかなり無茶な闘いを繰り広げてきた。ルカとも何度も争ってきた。いわば宿敵。だから個人の恨みをかって、俺を討伐したんだろうって。いわば有名税ってやつだ、仕方ない。
ところがその後が最悪。転生する次の世界、吟味したのがルカだった。普通は六界で死んだ奴は閻魔王の裁きを受ける。前世での罪状を吟味されて、次に転生する世界を決める為。
ってかそれが決まりだ。他の奴が介入出来る筈ない。
俺は反論した。『何故てめーに、俺様を裁く権利がある』だが奴は覚めた表情『特例措置だ。親父の持つ特権で、貴様を裁く権利を得た。貴様のことなら俺様がよく知っているからな』
確かに奴の親父なら、そんな特権を持ち出すことも可能だ。つまり奴は、親の名を使った馬鹿息子ってことだ。ようは逆恨みだ。俺とルカは色々複雑な関係にあった。そのうえ奴の親父は神様でも偉い部類に属する。馬鹿げた名目で討伐されて、親の七光りで個人的に裁くなんて、完全な逆恨み。
だから俺は冥界に落とされると思っていた。多くの咎人は冥界、つまり地獄に落とされる。様々な責め苦を受けて、自らの過ちを償う為だ。
ところがその予想に反して人間界行き。もちろんそれには裏があった。ルカいわく、『時の大樹の恩恵により、人間界への余剰ができた』だそうだ。
そんなの言い訳だ。人間界に転生する条件、それはトラブル続きの人生。生きている限り続く、修羅場な人生。幾多の痛みを伴い、苦痛に喘ぐ人生。
だからと言って、簡単には死ねない。簡単に死にそうなことがあっても痛みだけ与えて回復する。自殺なんてしようものなら、時代を遡って生まれた時からやり始め。つまり生き地獄ってことだ。人間の姿で修羅界か冥界に落とされたも同じ。
もちろんいつまでもその罰が続く訳じやない。
それから免れる条件は三つ。まず初めに人間としてその寿命を全うする事。だいたい人間の寿命は八十年。もしくは百年ちょっと。想像しただけで永い。
二つ目は最悪の痛みを伴って死ぬこと。最悪の痛みってなんだよ、今までも激しい痛みをこらえ、生かされてきたのに。
そして最後の条件が最悪。俺が恋を知ること、ひとりの女とでも愛を成就すること。俺にはその条件が一番無理だ。俺からすればそれこそが有り得ない。だって俺は女が大嫌い。愛は束縛であって恋は隷束。
とにかくそんな理由で、俺は罪を背負ってこの世に生まれた。ルカっていう愚かでわがままで、親のすねをかじる馬鹿な神様の嫌がらせで__
あの通り魔事件をきっかけに、俺は仲間を従えつるむことを止めた、統治者の意味を捨てた。喧嘩とかてっぺんとか支配とか、そんな事は修羅場を引きつけるだけだ。
街に巣食う悪党達は、そんな俺を『魔王は死んだ』という。ムカつくけど、それでいいと思った。人間なんか、俺から見たら小動物の一環に過ぎない。そんな存在のてっぺんなんか、なきに等しい。砂上の楼閣にも似た浅き夢。
だから家で引き篭もって平穏な一日を過ごそうと考えたこともあった。だけど無理。強盗は多発するし、家に車が突っ込むことも多々あった。
楽に殺してくれる猛者を求め喧嘩をふっかけることもあった。だけど無理。俺より強い猛者はほとんど皆無。本当に強い奴は殺しなんかしねーしな。
だから仕方なくひとりひっそりとその辺を散歩してみた。そしたら街のギャングやヤクザとか暴走族と殴り合いになる。街の奴らは、その姿を見て、『魔王の徘徊』と呼ぶ。俺からすれば散歩してるだけなんだ。
結局俺は生きているだけで修羅場ってことだ__