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苦手な方はご注意ください。

Brand of Imitation 序

作者: 勾田翔


      ◆◆◆


 鼓膜を叩くローターの音が耳触りだった。首に掛けていたヘッドホンを頭に掛け直し、ミュージックプレイヤーの音量を上げる。

 鶴輝未來(つるぎ・みらい)はフードつきコートの襟に顔を埋め、横目で窓の外を見やった。

 ――まだ……着かないのかな……。

 見える景色はどこまでも無限に続くかのような青空と――――焼け爛れ、褐色の地面が剥き出しとなった山々。

「おーおー! 酷い事になってんねー、アラスカの方は! やっぱ世界有数の激戦区なだけあるわ!」

 突如としてヘリのローター音よりも響く大声が、未来の耳を貫いた。未来は顔をしかめつつ、「わざわざ大声で言う事ですか、それ?」とヘッドホンを外して、不満そうな声を洩らした。

「仕方ねえだろうが。こちとら上の命令一つでヘリに詰め込まれて、日本から飛ばされたんだぞ。隣にいるオッサンはさっきから一言も喋ってくれねえし、未來も自分の世界に没頭しちまうんだから」

「安心してください、伊桐(いとう)隊長。状況は皆同じですから。まあ、あなたと話すよりは、音楽鑑賞に興じていた方が圧倒的に良いですけど」

「おい!」

 叫ぶ伊桐には取り合わず、未來は伊桐の右隣――ちょうど自分の正面の椅子に腰掛ける男性を見据えて――

「で。そろそろ教えてくれても良いんじゃないですか? あなたは誰なんですか? 少なくとも私達『IHU』の隊員ではないはずです。そんなあなたが……なぜ今回の作戦に同行する事になったのですか?」

「……その質問に答える必要はない。一つだけ言える事があるとすれば、俺は単なる雇われの『傭兵』という事だけだ」

 男性の年齢は見た限りでは四〇代半ばほど。軍人のように鍛え上げられた体躯をワインレッドのジャケットで覆い、ゴツゴツとした相貌には黒レンズのサングラスをかけている。日本を出発する直前、上から押しつけられた、自分達の所属とは一切関係のない奇妙な同行者だった。

 先ほどのやり取りの通り、男は自身に関する情報を全く明かそうとしない。それどころか、こちらから声を投げかけない限り、口を開こうともしなかった。

「せめて名前だけでも教えてくれませんか? あなたの呼び名すら分からなければ、これから行われる『作戦』に支障をきたします」

「……ふむ」とそこで初めて男は考えるような素振りを見せ、やがて、「久郷(くごう)だ。そう呼んでくれれば良い」と言った。

「本名……ですか、それ?」

「好きに想像してもらって構わない。呼び名さえあれば、戦闘中にも不自由する事はないだろう」

「……どうでも良いですが、ずいぶんな自信ですね」

「どういう事だ」

 怪訝そうに眉根を寄せる男――久郷に対して、未來は言い放った。

「今から行く場所は世界有数の激戦区――アラスカの中でもさらに危険な場所ですよ。あなたはどう見ても『単なる人間』です。それでどうやって戦うつもりですか?」

 久郷の肩には巨大な金属の塊がもたれかかっている。その正体は銃身の長い対物ライフルだった。その他にも、種々様々な装備を収納していると思われるアタッシュケースが、彼の周りに置いてあった。

「上が何を考えてるかは知らんが」と珍しく真剣な顔をした伊桐も割り込んでくる。「そんな『チャチ』なもんが『奴等』には大して通用しないくらい、あんたも分かってんだろ? 自衛隊やSATはおろか、世界中の軍隊が屈したような相手だぞ」

「しかし俺にはこれしかない。当然だが君達とは持っているものが最初から違うのだからな」

「……死にますよ、あなた」

「こんな仕事をやっている以上、覚悟はしている」躊躇なく答える久郷。

「はあ……」未來は溜息を吐き出し、「なら、これ以上は言及しませんが」と言って久郷から視線を外した。ヘッドホンを掛け直し、再び自分の世界へと埋没する。


     ◆◆◆


「お待ちしておりました! 到着してすぐで申し訳ありませんが、司令官がお呼びしております!」

 ヘリから降りるなり、こちらに駆け寄ってきた若い兵士がそんな事を言った。

 アメリカ合衆国の最北端アラスカ州。そのさらに北部。そこに人類の最前線とも呼ばれる基地が存在する。

 最新の設備と装備を備え、詰めていた兵士は約三〇〇〇〇人。おそらく世界中が確信していただろう。人類の未来を脅かす『それ』を、この者達が何とかしてくれるだろうと。

 しかし――

「あっちゃあ……予想はしてたが、とんでもない事になってんなあ……」周囲の景色を見回しながら、伊桐が落胆の声を洩らした。「こりゃあ酷い……俺達が招集された理由も頷けるってもんだ」

 吹雪の中にそびえ立つ鋼鉄の塊は、もはや見る影もないほどに破壊されてしまっていた。世界最新鋭の科学技術を駆使して建造された要塞、それはさながら巨大な獣に齧り取られてしまったかのように、外壁が抉られ、内部が露呈していた。

 周囲には、野戦服に身を包んだ兵士の死体が無数に散乱している。その数は、見える範囲だけでも数百はくだらない。この極寒のため、死体は腐る事はないので、このまま放置されているのだろう。

「……すでに、ここまで攻め込まれたのだな」と久郷が呟いた。「次の襲撃まで、あとどのくらい猶予はある?」

 その質問に若い兵士は苦い表情で答えた。「前回の戦闘では、こちらの被害も甚大でしたが、ほぼ全ての敵を討ち取る事はできました。ですので……おそらく、あと二日は安泰かと……」

「だが、その次が来た場合、もう手立てはない。――だろ?」

 伊桐が険しい顔で事実を突きつけた。若い兵士はそれに答えられずに黙りこくってしまう。

「とにかく、この基地の司令官に会いに行きましょう」未來が口を挟む。若い兵士を見て、「案内していただけますか?」と問う。


     ◆◆◆


「たったの三人か。しかも一人は『IHU』とも関係のない傭兵だとは。君達の上司は一体何を考えているのかね?」

 司令官室に通されるなり、そんな嫌味ったらしい声が未來達を出迎えた。奥の机には、軍服を着た強面の男性が座っている。

 アドルファス=メイブリック。

 人類の最前線といえるこの基地の全権を任された人物。『奴等』に対して屈する国々が続出する中、驚異的な指揮能力をもってして現場を引っ張り、今日まで抗い続けている。

 しかし、それもすでに潮時と言っても良い。

 なぜなら――

「先ほどこちらの兵から報告を受けましたが、すでに残存兵力は『一〇〇〇』を切っているようですね」未來は躊躇せず言い放った。「もはや、あなた達に攻め込むだけの力は残っていない。……もっと早く『IHU』に援軍を求めていれば、ここまで酷い状況にはならなかったのでは?」

「黙れ! この若造がッ!!」アドルファスが吠えた。「本来なら貴様等に頼るなんて馬鹿な真似はしないはずだった! 本国から追加の兵を派遣するはずだったのだ!」

「そんな事をしても結果は変わりませんよ。ただの人間ごときでは、どんなに力を尽くした所で『奴等』には敵わない。『何としても私達には頼りたくない』――そんなくだらない安いプライドに縋っているから、こんな事になったんですよ。せっかくの能力が台無しですね。死んだ兵士も浮かばれませんよ」

「………………――――ッッッ!!!」

 アドルファスが奥歯を噛み締める音が、数メートル離れた位置にいる未來の耳にも伝わってくる。

 だが彼女はそんな事などお構いなしに――

「さっさと作戦の概要を伝えてください。二日もいらない――今日中に全て終わらせてやりますよ」


     ◆◆◆


「いやあ、感服だねえ。これだけやられても、まだ心が折れてないとは。そこいらの軍とは訳が違うねえ」白地のコートの裾をはためかせつつ、伊桐が感服したように言った。

「自分達が世界を守る最後の砦だと自負しているのだろう。この激戦の中を生き抜いた猛者達だ。単純な兵力だけでは測れない気迫を感じる」と久郷が続いた。黒のダウンジャケットを羽織った彼は、巨大な対物ライフルとアタッシュケースを抱えている。

 基地より東に五〇〇メートルの地点。そこに未來達三人とアラスカ基地の兵士達は集まっていた。

 ――あれが……!

 ちょうど基地とは正反対の方向に何かが見える。卵のような形をした毒々しい赤紫色をした巨大な物体。

 伊桐が口許を歪ませる。「『奴等』を生み出す諸悪の根源……実際に見ると、すげえ威圧感だなおい……」

「『無垢の卵(イノセント・パニッシュメント)』……」鋭い声色でその名を呼ぶ未來。「これさえ……破壊すれば……」

「作戦を確認する!」と野太い男の声が響く。兵士達の集団の正面に、眉間に皺を寄せたアドルファスが佇んでいた。「現在の『無垢の卵』には、『奴等』を生み出す力はほとんどない! そこを突いて、一気に仕掛ける! 破壊対象の半径一〇〇メートルを取り巻く形で『拡張板(オートパネル)』を設置し、全兵士が撤退したのち、上空から()を投下する!」

 アドルファスは未來達の方を睨みつけ――

「『拡張板』の設置は我々が行う! 貴君等には、その露払いをしてもらう! 作業中の兵士が殺られれば、その時点で作戦は失敗したも同然となる! 心してかかれ! この戦いを我々人類の勝利で終わらせるのだッ!!!」

「へっ。何も考えず暴れるだけなら、これほど楽な仕事はねえな」

 へらへらと笑う伊桐に、未來は辛辣な視線を投げかける。

「あなたは馬鹿ですか、伊桐隊長? こちらの人員も限られている以上、守るにしても優先順位を設ける必要があります。無策で戦えば、すぐに作戦失敗ですよ」

「うるせえ。お前はいちいち細か過ぎるんだよ。もうちっと気楽にいこうや」

「……今は人類存亡の瀬戸際ですよ? そんな楽観的な考えでは……」

「こんな状況だからこそ、だよ。あいつ等みてえに無駄に気負い過ぎりゃ、いらぬ失態を招くぜ」

「……………………」

「二人共」と久郷が重い声で横槍を入れた。「そろそろ話は終わりだ。……『来た』ぞ」

「――え?」

 その時だった。


 その場にいた全員の鼓膜を穿つような甲高い雄叫びが聞こえてきたのは。


「……――ッ! 何だッ!?」

 アドルファスが耳を塞ぎつつ、疑問の声を発すると同時、「『奴等』だ!」という叫びがどこからともなく上がった。

 全員が『無垢の卵』へと視線を移す。直後、至る所から息を飲む音がした。

「そんな……どうして……! あと二日は安全だって……!」

「俺達の行動に感づかれたな。『無垢の卵』は無理を押し通してでも『奴等』を生み出す気だ……!」

 未來の言葉に久郷が答える。

 そうこうしている間にも事態は急速に進んでいく。滑らかな表面をしていた卵の形が歪み、そこから真っ黒なシルエットが形成されていく。それは――全長四メートルほどの赤く輝く瞳を携えた巨兵だ。増えるスピードは留まる事を知らない。休みなく、次々とシルエットが産み落とされていく。

「総員! ただちに持ち場につけ! 部隊を展開しろ! これ以上『奴等』の増殖を放っておけば、取り返しのつかない事になる!」

 突然の事態に困惑していた現場を収めたのはアドルファスだった。彼の一喝によって、兵士達、そして未來達も冷静な頭を取り戻す。

「ヒュー! さすがベテラン、やっぱこういう時は貫禄あるねえ!」

「ふざけてないで! 私達も動きますよ!」

「当然! あのオッサンにばっかり良い所はやらねえよ!」

 雪を跳ね飛ばし、目にも留まらぬ速度で飛び出す伊桐と未來。彼女達に呼応するように、雄叫びを上げながら兵士達も突撃していく。

 ――前方に四体!

 吹雪で霞む視界の中、未來は『奴等』の姿を捉える。

「隊長! 手前の四体を私がやります! その隙に包囲網を突破して、軍のための道を作ってください!」

「了解した! 返り討ちになるんじゃねえぞ!」

「こちらの台詞です!」直後、未來の周囲を取り巻くように、雪の塊が浮遊していく。「ここはどこを見渡しても雪だらけ。私にとっては絶好の『狩場』です!」

 彼女の周りを浮かんでいた雪塊が流動的に蠢き出し、身に纏っていた白コートの上から、彼女の体躯をコーティングしていく。

 それは、さながら氷の鎧だった。

 西洋の甲冑のようなシルエットをした透明な鎧は、どこか荘厳ささえ感じる。

「――幻妖氷装(フローズン・フェアリー)

 瞬間、未來の近くに大量の氷柱が現出。全長一〇メートルはありそうなその柱から、砲撃音のような爆音が轟いた。ドドガガガガガッッ!!! と氷柱から放たれた無数の『槍』が、四体の巨兵の体躯に突き立てられていく。

 断末魔と共に極寒の空を舞う血飛沫と肉片。その隙間を、高速で伊桐が駆け抜ける。

「さて……と。俺もやってやりますか!」

 伊桐の前に立ちはだかる漆黒の巨兵。伊桐は余裕の表情を崩さず、そのまま突き進む。巨兵との距離が五メートルを切った時、彼は腰のベルトから二本の短い金属棒を抜き放った。そして、すぐさまそれは警棒のように伸長し、彼の身の丈ほどの長さになる。

泥土怪兵(マディ・ヘラクレス)! 俺に力を寄越せ、大地よ!」

 伊桐の叫びに呼応するように、積もった雪の下から大量の土塊が姿を現す。土の塊は、伊桐の手にした金属棒に引き寄せられるように次々と集積されていく。やがて、それは土色の大剣へと形を整えた。

「おるああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 巨兵めがけて跳躍すると同時に、二振りの大剣を十文字に振り抜く。『斬る』というよりは『引き千切る』ように。巨兵の漆黒の皮膚が裂け、鮮血が溢れ出す。四つのパーツに分解された巨兵が、力なく倒れ伏した。

「早く行け! ここは俺達が食い止める! さっさと下準備を済ましてきてくれ!」

 未來と伊桐が切り開いた道を、兵士達が駆ける。しかし、彼等の行く先にも無数の敵が立ち塞がる。

 響き渡る銃声。兵士達は統率の取れた動きで巨兵を牽制しつつ、いくつかの(チーム)に分かれて散開していく。

 だが――


 ドバッッ!!! と。

 巨兵が乱暴に振り回した腕によって、幾人もの兵士が肉塊と化す。


「くそッ!」伊桐が毒づく。「やっぱ、いくら小細工した所で奴等には通用しねえか!」

「伊桐隊長!」叫ぶ未來。「敵、再び前方に出現! 今度は五体です!」

「ちッ……! 次から次へと……!」

 応戦する兵士達と、未來や伊桐。彼等が手をこまねいている間にも事態は収まる事を知らない。

 バキバキと、何か硬いものが引き裂かれるような怪音が轟いた。「ちッ……!」と伊桐が舌を打つ。「『奴等』も本格的に俺等を潰しにかかるぞ……!」

 巨兵達の漆黒の皮膚が裂けて、何かが飛び出してきている。それは銀色に輝く鋭利な刃だった。身体の至る所から白刃を生やした巨兵達が、猛スピードで突っ込んでくる。

「ッ……! やべえ! おい未來! 兵士を守れ!」

 伊桐が激高するがもう遅い。銀の軌跡が空を切った刹那、兵士達の身体が真っ二つに切断される。未來がとっさに氷柱で盾を作ったものの、助かったのは一握りだけだった。

「このままでは、工作班が『無垢の卵』に接近する前に全滅してしまいます! 戦闘機及び戦車による支援はないのですか!?」手にした無線機を通じて、アドルファスに言葉を投げかける未來。

 しかし――

『そんなものがあれば、とっくに出撃させている! 先の戦闘で全て破壊された。残っているのは核運搬のための無人操縦機と、撤退用の非武装のヘリ及び装甲車のみだ!』

「なら『拡張板』の設置を私達にやらせてください! 残存兵力では、設置を終える前に殺されるのがオチです!」

『――いや、そうでもない』

「え!?」『む!?』

 突如として通信に割り込んできた男の声に、未來とアドルファス両名が息を飲む。

 その直後だった。

 ドパパッッ!! という破裂音と共に、巨兵達の顔面が弾け飛んだ。

「これは……狙撃!? どこから……!?」

『遅れて済まなかった。こちら久郷』無線の声は冷静な調子で続ける。『たった今、狙撃ポイントに到着した。「IHU」の鶴輝(つるぎ)、伊桐両隊員は遊撃に努めてほしい。工作班の援護は俺が担当する』

 再び響く銃撃音。顔面を破壊され、動きを止められた巨兵にとどめが刺される。さらに新たに出現していた敵の相貌へと銃弾が撃ち込まれていく。

 伊桐が苦笑いを浮かべる。「おいおい……あのオッサン、どんな動体視力してやがんだ……!?」

 先述の通り、黒の巨兵は、その図体に似合わないほどの速度で動く。いくら的が大きいとはいえ、あれだけ俊敏な獲物に対して正確に銃撃を加え続ける事など、普通に考えればありえない。

 しかし、久郷という傭兵はそんな不可能を可能にしている。ただの人間にして、『奴等』と対等に渡り合っていた。

「はは……! 『IHU』もとんでもない奴を雇ったもんだな……!」

「伊桐隊長、ここはあの方に従いましょう。工作班の援護は久郷さんに任せて、私達は――」

 未來は冷徹な瞳で『無垢の卵(イノセント・パニッシュメント)』を見据える。

「目につく所、片っ端から『奴等』を殲滅していきましょう。――隊長の言っていた『何も考えず暴れるだけの簡単なお仕事』ですよ」


     ◆◆◆


 突撃してきた二体の足許から、氷錐を発生させ串刺しにする。周囲を取り囲む十数体を、振り回した氷柱で吹き飛ばす。そして動きの訛った所を、伊桐の大剣が叩き潰す。

「はあッ……はあッ……! 結構しんどいねえ……!」額の汗を拭いつつ、周囲を見回す伊桐。

「まだへばらないでくださいよ。なんせ……『奴等』は無限に出てくるんですから」

「全く……少しくらい休憩させてくれても良いだろうがよ……!」

 僅か数十メートル先に君臨する『無垢の卵(イノセント・パニッシュメント)』は、休む事なく巨兵を生産し続けている。未來と伊桐が最前線で食い止めているとは言っても、何体かは二人を突破してしまう。遠距離から精密な援護射撃を行える久郷がいても、圧倒的な兵力差が埋まる事はない。

『二人共』とそこで通信が入る。声の主は久郷だった。『工作班が目標地点に到着した。今から「拡張板(オートパネル)」の設置作業に入る』

「工作班の援護部隊はどうなっています?」

『残念ながら、大多数が目的地に着くまでに戦死した。すまないが、俺と残った兵だけでは人員が足りない。工作班の援護を頼めるか?』

 伊桐が頷いた。「了解だ」と横目で未來を見る。「と言っても、この場をどうにかする奴も必要だしな。未來、援護はお前に任せた。俺は『無垢の卵』から出てくる『奴等』を片づけるからよ」

「……一人で抑えきれるのですか?」

 未來が怪訝な表情で尋ねると、伊桐は豪快に笑ってこう言った。

「こちとら『隊長』だぜ? 部下の心配には及ばねえよ。たとえ、お前の『力』よりは劣っていようが……こんな所でくたばるタマじゃねえさ」

「分かりました。御武運を」

「お前もな。未來」

 未來は即座にその場から離脱し、工作班のいる地点へと向かう。直後に鼓膜を穿つような激突音が鳴り響いたが、彼女は振り返らなかった。


     ◆◆◆


 あと五分。

 その報告を受けて、未來は僅かながらも安堵していた。彼女と久郷、そして残った援護部隊の尽力の甲斐あって、『拡張板(オートパネル)』の設置作業はスムーズに進んでいた。前線で『奴等』の相手をしている伊桐も、まだ無事だ。

 ――このまま『拡張板』の設置が終われば、あとは基地から操作する無人機が、核を持ってきてくれる。それでこの戦いは終わる……何としても終わらせてみせる!

『鶴輝隊員、二時の方角に敵だ。俺のライフルの射程では届かない。撃退してくれ』

 久郷からの通信に未来は、「分かりました」と頷く。その身に氷の鎧を纏いながら、単身敵の群れへと突撃する。しかし、彼女は集団の方には見向きもしない。見据えているのは、久郷から頼まれた一体のみ。

 群れが彼女に襲いかかろうとした刹那、激しい銃撃音が空気を切り裂いた。顔面や、四肢の関節を砕かれた巨兵達が続々と倒れる。

 未來はそれを視界の端に捉えながらも、足は止めない。一瞬で目標との距離を詰め、氷柱から発射した無数の槍を、その体躯へと突き刺す。

 行動停止した巨兵には一瞥もよこさず、未來は次の獲物を探す。その時だった。

『緊急事態発生! 「奴等」が……「奴等」が基地の中に侵入してきましたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』

 突如、恐怖の色に染まった甲高い悲鳴が、無線機から迸った。

『何を言っている!?』と激高したのはアドルファスの声だ。『「奴等」はまだ我々の包囲網を突破していない! 一匹残らず、作戦エリアに縛りつけてい――』

『――地中ですッ! 「奴等」は……基地の床を突き破って現れました! 駄目です……次々と「奴等」が侵入してきて……!」

「そんな……ッ!?」

 アドルファスが吠える。『そんな馬鹿な……!? 「奴等」にそこまでの知能はなかったはず……!』

『基地内の戦力では太刀打ちできません……援軍をグヂジュバグエバアアッッ!!!』

 肉を叩き潰す音と歪んだ悲鳴が轟くと同時に、途切れる通信。もはや基地の結果は火を見るより明らかだった。――全滅。そんな単語が未來の頭を掠める。

『……メイブリック司令官』久郷が重い声で言った。『基地が制圧された以上、作戦続行は不可能だ。撤退を……』

『ならん! ここで我々が退けば……人類の歴史はそこで断たれてしまう! ここが瀬戸際なのだ! ――ここが人類存続と人類滅亡の境界線なのだッ!!』

『しかし……』

『ふん、要は「当初の予定通り、拡張板を設置したのち、核で無垢の卵を爆破」できれば良いのだろう? ならば、その役目は私が引き継ぐ。貴君等はこのまま作戦を続けたまえ』

 通信が途絶する。もう何を言ってもアドルファスからの反応が返ってくる事はなかった。

「司令官!? 駄目ッ……連絡がつかない! 私達は……どうすれば……!?」

『当初の予定通りだ』久郷が断言した。その声色には、すでに冷静さが戻っている。『何にせよ、メイブリック司令官には「策」があるという事だ。なら俺達はそれに賭けるべきだ』

『俺も久郷のオッサンと同意見だ』伊桐も割り込んでくる。『志半ばで倒れた奴のためにも……最後の望みに託す方が良いんじゃねえかな?』

「……了解……しました」躊躇いながらも、二人に同意する。

 ――まだ、誰も諦めていない。たとえ絶望的な状況だとしても……!


     ◆◆◆


『「拡張板(オートパネル)」の設置完了! 付近の兵は即座に撤退を! 今から一分後に「拡張板」を起動し、核を投下します!』

 その音声に従い、未來達も撤退を始める。途中で伊桐と合流し、久郷の援護を受けながら、兵士達と共に後退していく。

「仮に『拡張板』を起動し、『無垢の卵』全域を覆ったとして……私達が逃げ切れるまで核爆発を抑えられるのですか!?」

 未來の質問に、若い兵士が答える。彼女達がアラスカ基地に着いた際に出迎えた兵士だった。幸いにして、この激戦の中を生き残ったようだ。

「この作戦のため、短期間の強度を限界にまで高めてあります! 起動後すぐであれば、理論上、一〇分から一五分の間、爆発と爆風を押し留められます!」

『それだけの時間があれば、爆炎がこちらまで届く前に爆発は治まるだろう。とはいえ、爆風から逃れるために、早々に退避するのは必須ではあるがな』と無線越しに久郷がつけ加えた。

 さらに若い兵士は遠方を指し示し――

「事前に撤退のための手段は用意してあります。残ったヘリで三〇〇人は輸送できます。もう少しすれば迎えの装甲車がこちらへ来るはずです」

「三〇〇人……ね……」と伊桐が小さく呟いた。「先着で三〇〇人を逃がすつもりだったのか……はたまた三〇〇人しか残らないと思ってたのか……どうにも勘ぐっちまうね……」

 若い兵士は苦笑した。「あなた方が来る前から結論は出ていました。この作戦……どれだけ上手くいったとしても……残るのはこの程度だろうと……」

 遠方からエンジン音がいくつも聞こえてくる。兵員輸送用の装甲車が次々とこちらへ向かってきていた。その内の一台が未來達の近くで停車し、二人の兵士が降りてくる。「さあ、早く乗り込め!」と急かす。

 先に兵士達を乗り込ませ、追撃してきた巨兵を撃退し、未來と伊桐も装甲車へと転がり込む。肌に触れた金属の内壁の感触は不思議と安心感を与えてくれた。戦場とは別の場であるという事を僅かに実感できた。

 しかし――

「そろそろ『拡張板』の起動時間ですが……肝心の核はどうなっているのですか? あれを爆破させない限り、根本的な解決には――」

『待たせた……な……』

「!? その声……司令官ですか!?」

『そうだ……ごほッ……何とか間に合ったようだ……』

「……?」

 無線越しのアドルファスの様子がどこかおかしい。今にも途切れてしまいそうなか細い声。先刻までの威厳など、どこにも感じられなかった。

 そして耳を澄ませば、アドルファスの声以外にも別の音が混じっている事に気づく。これは――

「エンジン音……?」

『ああ、そうだ……。あのあと……私は一人で基地へと忍び込み……核を……搬出した……。途中で「奴等」と交戦し……片腕を持って行かれたが……爆弾だけは……守り通す事が……できた……!』

「……! ちょっと待ってください……! 司令官、あなたまさか……!?」

 未來だけでなく、その場にいた全員が、アドルファスの考えに気づいたらしい。表情をなくしたまま、司令官の次の言葉を待っているしかなくなっていた。

『戦争に……犠牲はつきものだ……! いや、犠牲なくして……戦争に勝利する事など……できはしない……! ならば――』

 直後。

 窓の外を何かが横切った。

 それは、未來達が乗っているものと同じ種類の装甲車だった。

 しかし――その車両は停止する事なく、一直線に『無垢の卵イノセント・パニッシュメント』の方へと向かっている。

 そこで未來は見てしまった。

 あの装甲車の運転席に、血にまみれたアドルファスが乗っていたのを。

 無線機から怒号が迸る。


『ならば――私が犠牲となる!』


 彼はもう、誰からの制止の言葉も聞き入れなかった。頼りない鉄の塊と共に、世界を脅かす元凶の元に突き進んでいく。

 しかし、すぐさまアドルファスの行く手を遮るように『奴等』が現れる。小回りの利かない車では、なすすべもなくやられてしまう――そう思った矢先の出来事だった。


 降り注ぐ銃弾と弾頭の雨。

 紅蓮の爆炎が『奴等』を根こそぎ地獄の底へと誘う。


 現代兵器による『奴等』の殲滅。もはや誰の仕業かなど論ずるまでもない。

「久郷さん……ッ!」

『付近の者はメイブリック司令官を援護するんだ! 彼の意志を無駄にするな!』

「……ッ!」

「ちッ、仕方ねえ!」伊桐が装甲車の後方から身を乗り出した。「――泥土怪兵(マディ・ヘラクレス)!」

 大地が捲れ上がり、伊桐の手にした金属棒に土塊が集約していく。一瞬にして形成されたのは、巨大な銃器だ。

「シュートッ!」

 ドパッ! という炸裂音が発せられ、土色の銃口から無数の弾丸が四方八方へ射出される。散弾銃を模した武器にも関わらず、その射程は計り知れなかった。アドルファスの方へ殺到していた巨兵が、矢継ぎ早に倒れていく。

 未來や、他の兵士達も動く。周囲の装甲車からも間髪入れず発砲音が木霊し、再び殺陣の喧騒が辺りを蹂躙していく。

 アドルファスを乗せた車両が、『無垢の卵』へ最接近した瞬間、ズヴァチィ! と卵の周りを閃光が駆け抜けた。光源は周囲に設置されていた『拡張板(オートパネル)』の装置だ。

「起動したぞ!」という伊桐の声が響く間に、『拡張板』の装置から次々と青透明の板が展開されていく。板が卵の側面を完全に覆いきる直前、アドルファスの装甲車が『拡張板』設置範囲の内側へと飛び込んだ。

『はあッ……ごふッ……! 感謝するぞ……! これで我々の勝利は揺るぎなくなった……!』

 無線機から聞こえるアドルファスの音声は、今にも途絶えてしまいそうなほど頼りない。そして未來だけは知っている。彼の有り様を。

『私の命はもう……そう長くない……! ならば……このまま「無垢の卵」と共に地獄へ落ちてやろう……!』

「司令……」未來は唇を噛み締める。分かっている。無人機を使って核を投下できなくなった以上、誰かが手動で爆破しなければならないのだ。彼の言う通り、誰かが犠牲にならなければ勝利はできやしない。

 やがて青色をしたパネルは卵全体を包み込む。内側に閉じ込められた巨兵が、刃を振りかざして脱出を謀るが、核爆発すら耐える強度を持つ『拡張板』の前では無駄な足掻きでしかなかった。

『ははは……! 思い知ったか! 化け物共がッ……! お前達「怪人(ベドローエン)」の負けだッ……! 我々ッ……人類の勝利だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』

 直後だった。

 音が。

 光が。

 全て。

 一斉に。

 消えた。


     ◆◆◆


 ヘリが飛び立つ。先刻までと比べたら、かなり弱まったものの、依然として空には雪が舞っている。

 眼下に広がる景色を見て、未來は大きく息を吐き出した。

『無垢の卵』があった地点には、もう何も残されてはいなかった。アドルファスが爆破した核爆弾の爆発によって、何もかもが無に還されていたのだ。

「今回の作戦」と椅子に腰掛けた久郷が、そんな風に話を切り出した。「本来なら、『奴等』――『怪人(ベドローエン)』共の手の届かない高度から核を落とせば、それで『無垢の卵』を破壊する事自体はできた」

 しかし、なぜわざわざ命がけで『拡張板』を設置し、核爆発を押さえ込もうとしたのか。

 その答えはこうだ。

「だが、卵を一欠片も残さず消し炭にしようと思えば、『地球の環境すら滅亡レベルにまで破壊できる威力』を持つ核に頼るしかなかった。だから、アドルファス=メイブリックは自らが率先してこの作戦を立ち上げた」

 核による地球への被害を最小限に留め、なおかつ地球を脅かす諸悪の根源を断つ。あまりにも無謀としか思えない作戦。結果として『二九八七二人』の戦死者を出し、アドルファス自身も、元凶と共にこの世界から消え去った。しかし、彼はそんな無茶を成し遂げた。

 伊桐が低い声で言う。「つっても……向こう数百年はアラスカには近づけねえだろうけどな。『拡張板』で爆発を押し留めたとしても……かなりの量の放射能がまき散らされたはずだ」

「それでも、私達の住むこの世界が守られたのは事実です。もう……人々が『怪人』の脅威に怯えながら過ごす必要はないんです……!」

 未來が言うが、久郷は首を横に振った。「まだ終わってない」と。「『無垢の卵』によって世界中に放たれた『怪人』が、未だ各地で猛威を振るっている。奴等を一匹残らず殲滅した時……人類はようやく安寧を取り戻せる」

「そう……ですね……」と未來は声を沈めた。

「先は長げえな……」伊桐も肩を落とす。

 しかし立ち止まっている暇はない。動かなければ未来は変わらない。

 ――たとえ、どれだけ時間がかかろうとも……私達は……必ずやり遂げてみせる……! 平和な世界が戻ってくるその日まで……!



 ――その一年後。

 ――人類は地球上に残った全ての『怪人』を撃滅する事に成功する。

 ――『怪人』が『無垢の卵』と共に出現してから、約七年。

 ――勝ち残った人類は、久方ぶりの安寧を享受する。

 ――そして。


     ◆◆◆


 ――『奴等』は、再び現れた。          ――了――

 久しぶりの作品投稿です。

 この短編自体は、現在構想中の作品の前日譚的な扱いとなっております。それゆえ、重要そうな設定などが明かされていなかったり、用語についての説明が不足していたりしますが、全て意図的なものです。ご了承ください。

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