其の三匁、薄墨根尾
「"世間"での吉野クンの存在は、もう誰の記憶の中にも無いよ。
だからもう帰れない。帰ったところで君の居場所なんて、何処にもないんだ」
俺はただ、絶句するしかなかった。
暫くの無言が続く中、薄墨は染井を先導するようにして桜並木を歩いていく。
本当に線が細い人なんだな、と俺は彼の後ろ姿を見つめ再確認した。
俺達の向かう先は眩いほどに真白い光に包まれていて、
その光が薄墨の脇腹をすり抜けて彼の体の輪郭を縁どるものだから、
よりそのラインがはっきりと魅せた。
色も白く、声はまるで声変わりをしていないかのような儚さであった。
―もしかしたら、彼は女性なのでは無いだろうか。
背は女性にしては高いが、しかし声は男性にしては高い。
身にまとっている制服は男物、胸も無いとは言えその可能性がゼロな訳ではない。
そんな俺の考えを見通したかのように、薄墨は振り返りもせずに言った。
「失礼なこと考えてるだろう」
「はッ!?や、そんなこと無いッス!決して薄墨さんが女性に見えるだとかは…」
「…まあ、そう言われることは多々あるよ」
薄墨さんは深く帽子を被り直して溜息を吐いた。
本当何者なんだこの人!
俺の顔も見ずに考えてることあてるとか、絶対なんか強い人(?)だろう!
まず、この場所からして常識はずれている。
今のところ、白い空間に桜と薄墨さんと俺しか無い。
本当に光の中を歩いてるみたいだ。
こんな風に常識はずれの場所にいる人間は、皆常識はずれな力を持つのか?
薄墨さんのように…。
「吉野クン、今から言うことは僕の独り言。軽く聞き流して欲しい」
突然、落ち着いた声色で薄墨はそう告げた。
振り返りもせず、歩みも止めぬまま。
先ほどとは打って変わった雰囲気に飲まれ、染井は小さな声ではいと返事をした。
「さっき、ルーレットで"世棄"に訪れる可能性のある"世間"の子の過去を、
僕たち生徒会本部は見れるって言ったよね。
それ以外にも、本部の人間は自分達の過去も見ることが出来るんだ」
「自分達の、過去…?」
「言い忘れていたけれど"世棄"に訪れた瞬間から、
自分が"世間"で生きてきた記憶は、ゆるやかに死んでいくんだ。
突然ぱっと全てが消えるわけじゃない。
曖昧になって、思い出せなくなっていって、やがて全部忘れる。
吉野クンも此方の学園の生徒になる以上、それは免れることはできないんだ」
歩行速度に変化は無い。
順調に歩みを進めていくと、段々桜並木が開けてくるのが分かる。
それと同時に、眩い光の靄も徐々に晴れていく。
「僕も例外じゃなく自分自身の"世間"での記憶を失っていった。
しかし、生徒会に入り過去を見る権利を得て、興味本位で見てしまった。
ここに訪れる人間の過去なんて、反吐モノばかりなのに。
どうしてだろうね、辛いって解っているのに見たくなっちゃうのは」
普通の人間なら涙声混じりに紡ぐであろうその台詞を、
薄墨は何の感情も無しにするりと放つ。
ようやく振り返った彼の瞳は、まるで死んでいるかのようであって、
何となく胸が締め付けられるような気がした。
此処に居続けたら、皆こんな風になってしまうのだろうか。
それとも、此処に訪れる前から彼はこんな風であったのだろうか。
「僕が母親のお腹にいた頃、僕達は五つ子の予定だった。
僕は僕が産まれるためだけに、他の兄弟全員を殺して産まれてきた。
兄弟を犠牲にして産まれてきたくせに僕は体が弱くてね、
産まれてから一度も、病院の外に出ることは無かったんだよ。
いろいろな種類の病気に掛かった。
一つ病が治って退院かと糠喜びさせられたところに、
また一つ、違った病が僕の身体を巣食う。
蝕む。…それはまるで、僕が殺した兄弟達の呪いのように。
だから泣き言は言わなかった、運命だと、罪滅ぼしだと名づけて。
また次に新しい病が産み付けられても、僕は生きなければならなかった。
ある時ふと抜け出した病室の外、
廊下の窓から見える空は雲ひとつ無い快晴で、
真白い病室に繋がれた僕の瞳には、そんなに美しい彩は初めてだった。
僕は空色に恋をした。
今思えば、当時の僕は狂っていたかもしれない。
がむしゃらに階段を駆け上って、屋上のドアを開け放ち、
誰もいない屋上庭園で一人空に向かって両手を伸ばしていた。
フェンスを乗り越えたら、僕の視界を覆う全ての障害物は無くなった。
一面の空色に、僕は生まれて初めて涙を流したんだ。
そして、青空に吸い込まれるようにして僕の体は落ちていった。
次に目覚めた時、僕はこの桜の木の下で眠っていた」
はい、長い独り言はお仕舞い。
そう付け足して薄墨は突然走り出した。
「こんな薄暗い過去ばっかもってる子ばかりなんだ!
この学園にいる子は皆。
だからさ、吉野クンが一人で苦しむことはもう無いんだよ!
自分を縛る過去は此処にいれば消えていく。
荷物を全部捨てて、ありのままの自分で生活できるって、
それ、すごく素敵なことだと思わない?」
思ったよりも引き離されて、慌てて俺も走り出す。
すると、今まで俺たちを包み込んでいた白い光の靄が突然晴れた。
けれどやっぱり、桜は眩しいほどに沢山咲いていて、
その桜の森に抱かれるかのように聳えているのは、見たこともない建物。
例えるなら歴史の教科書で見た、鹿なんとか館とかいうやつにそっくりだが、
それよりももっと大きくて、よく目を見張ってみると、
重厚な扉の上に設置されたプレートに建物の名前が書いてあるようだ。
「"世棄立桜小路並木学園"…こ、これが学校スか?!
なんだかすごくデカいし学校らしさが無いというか…」
「何言ってるんだい、これから吉野クンが生活していく学校だよ」
「…ちょ…副会長…!会長が、探しておられました」
二人で屈みながら息を切らしていると、
青年が更に息を切らして駆け寄ってきて、薄墨に声を掛けた。
薄墨は微笑んでと頷くと、何やら青年に耳打ちをし、
「じゃあ、また後でね」と染井に手を振ってから建物へと消えていった。
残された青年は染井をまじまじと見つめ、何やら考え込んでいる。
「えーと?」
「…ああ、すまない。先に名乗ろう、我が名は熊谷直実だ。
この直実、そなたと同期に入学式を挙げてもらうことになっている。
つまり、砕けた口調で気軽に話しかけてくれても構わないということだ」
どういうことだってばよ。
こんな語っ苦しい武士口調の男に、
「砕けた口調で気軽に話しかけ」られるわけ無いだろうが。アホか。
これで同い年とか信じられないぞオイ。
薄墨さんはなんだか柔らかい口調で先輩とはいえ話しやすかったけど、
同い年なのにこの話づらさは何なんだってばよ。
とりあえず礼儀としてこちらも名乗ることにした。
「っと、俺は染井吉野。
同い年なんだなー…その、何というか、直実って大人びてるな!」
「ッ~~!!」
「えっ…俺なんか悪いこと言った?」
「否ッ…!初めて同い年の人間に下の名で呼ばれたことに…ッ
この直実、少々の感動を…」
「あー…そうかそうか、宜しくな、直実」
実にヤリヅライ。
こんだけ堅苦しい奴を名前で呼ぶのって、結構勇気いると思うしな。
現に今、勇気ポイント1000くらい消費しました。
まあ…ちょっと、いやかなり喜んでくれたみたいだから良しとする。
「では、入学手続きへ行こう…その、吉野!
うむ、良い名であるな。最も有名な桜の名前ではないか。
この学園で暮らすのにはぴったりだ。
そなたは近い将来、生徒会本部をまとめる大物になりそうだな…」
いやいや、大袈裟だって。
心の中でツッコみながら俺は直実を見上げる。
背は高い…180cmくらいだろうか。
俺は169だから、どうしても見上げる形になってしまって悔しい。
そんなくらだないことを考えながら、
直実に連れられ、俺は建物へと足を踏み入れたのだった。
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「もーっ、根尾ピーどこいってたのーぉ?
身体弱いのはこっちでも変わんないんだから、あんま無理しないでよーぉ。
ボク様にあまり心配かけないでよねーぇ、ウフフ」
「三春の言うとおりだぞ、薄墨。まだ治りかけなんだ、安静にしておけ。
会長の手をあまり煩わせるなよ」
「ふぁ…?…根尾ちゃん先輩、おかえり…なさい?…おやすみ…」
「ふふ、皆心配をかけてごめんね。
新しい子を道案内してきたのだけれど、あの子…アヤカシ持ちだよ」
「ほう、それは興味深いな。
そして石戸蒲、お前はいつまで寝ているんだ。起きろ」
「えーぇ、じゃあボク様が手合わせしてあげようかなーぁ?
アヤカシ持ちなんて、滅多に戦えないしねーぇ」
「君は戦いになると性格が豹変するから、あの子が怯えてしまうよ。
ねえ、狩宿?会長の君も、何か言ってあげてよ」
「―…誰が相手であろうと、私は容赦しない」
「はは、そりゃ大変だね…狩宿の本気なんて、久しく見てないからなあ。
近いうちに二人が戦うことになったら、僕はどっちを応援しようか悩むなあ」
目を細めて、僕よりも少し背の高い彼を見つめた。
爛々と光る桜色の眼光、日本男児を連想させる切り揃えられた緑の黒髪。
君以外にアヤカシ持ちの子がこの学園に訪れるなんて、何年ぶりだろうね?
きっと君は表情こそ変えないけれど、戦いたくてたまらないんだろう?
そんな目をしているよ―…ねえ、会長サン。