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咲乱坊!!  作者: 水死体
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其の二匁、世間と世棄

「どう、して、俺の名前…」


見たこともない制服を着た、見たこともない男が、俺の名前を知っている。

まるで今此処で二人が出会うことを予知していたかのように。


「自己紹介が遅れてしまったね…僕は、薄墨根尾(うすずみ ねお)

 世棄立桜小路並木学園(よすてりつさくらこうじなみきがくえん)の副生徒会長だよ」

「世棄?そんな県名、聞いたことが無いスよ…!」

「だろうね、世棄は県じゃあ無い。

 けれど坊や…君は見事に此処、"世棄ての域"に辿り着いた―…」

 

薄墨はくるりと背を向けて、空を仰いで見せた。

青空を覆うように茂った満開の桜の山に両手を伸ばす。


「世棄というのは此処一帯を指すんだよ。

 吉野クンは今まで、"彼方の世界"の森を歩いていたよね。

 けれど今、"此方の世界"にいる。

 此方の世界の住人は、彼方を"世間"と呼び、

 此方を"世棄"と呼んで区別している。

 彼方の世界の住人は、此方の世界の存在を知らない。

 そう、今さっきまでの吉野クンのように」

「あの、言ってる意味がよく分からないッス…」

「今の話を踏まえて、吉野クンの質問に答えてあげるよ。

 世棄というのは此処のこと。

 そして、世棄立桜小路並木学園というのは此方にある唯一の高校だよ」

 

なんとなく、伝わった。

つまり、俺が今までいた世界は"世間"であって、

今いるこの桜が満開の土地が"世棄"である、ということなんだろう。

俺はスーパーに行くつもりが気がついたら別世界に行ってしまったって訳か。

ここまで来ると不幸体質どころの騒ぎじゃあない、

一体全体、何がどうしてこうなった。


向こうを向いていた薄墨は、踵を返して染井を見つめた。

その表情は微かに神妙染みていた。ゆっくりとした調子で、薄墨は話を続ける。

 

「此処、"世棄"に辿り着ける人間は限られている。

 若いながら苦労に苛まれ"世間"に疲れきってしまい、

 大人になるまで体の持たない子供。

 "世間"で生きていく術を失い絶望し、途方にくれてしまった子供。

 そんな彼らが負の強い懸念を持ち、

 一人で"世間"を彷徨っているときに門は開く。

 吉野クンが負の強い懸念に押しつぶされそうになりながら、

 森でふらふら歩いていた時に、

 気付かないうちに門が開いて、此方…

 "世棄"に来てしまったのだろうね」

「そんな、別に俺、そこまで悩んでなかったって言うか…

 ただ、不幸体質なだけで」

「吉野クンの周りには辛いことが起きすぎている。

 君はそれを認めないことで、不幸体質だと決めつけて責任を押し付け、

 何時も目を逸らしていただけ。

 そうでもしないと、君は悲しみと苦しみに押しつぶされて、

 家から出ることすら恐怖になっていただろう」

 

髪の隙間から覗く紅い瞳は、総てを見抜いているように思える。

思わず唾を飲み込んだ。

そして悟った、彼は俺の過去を知っているのだと。

 

「…全部、知ってるんスか?俺の家族のことも…」

「勿論、家族のことも、親戚の家にお世話になっていることも。

 …いや、あれはお世話になっているとは言わないかな?」

 

ズキ、思い出すのと同時に胸が苦しくなる。

制服の下で疼くのは無数の切り傷、爪痕、よくわからない傷跡。


-----


俺が小学校に上がる前に、妹を産んでお母さんは亡くなった。

妹ができたと分かった時には、父親はもう家に帰ってくることはなかった。

俺が不幸体質だから仕方がないんだ。


隣町に住んでいたじっちゃんの剣道場にはよく通っていて、

すぐに俺と妹はじっちゃんの家に引き取られることになった。


ばっちゃんは優しくて、おやつにはよく醤油せんべいと麦茶を出してくれた。

じっちゃんとばっちゃんは二人暮らしで、家事はばっちゃんがやっていた。

俺も自分の力でできることは自分でするようにしていた。

俺はばっちゃんの作った、甘く煮たかぼちゃと肉そぼろが大好物だった。


ある日剣道の稽古が長引いてじっちゃんが買い出しの車を出せなかったので、

ばっちゃんが隣町まで自転車でスーパーに買い出しに行ったようだった。


薄暗い帰り道にライトが故障していたのが災いし、

車に撥ねられたばっちゃんは直ぐに息を引き取った。


じっちゃんの泣いているところはその後の葬式で初めて見た。

俺と妹の前では泣かなかったけど、

それでも日に日に窶れて行くのは幼い俺でもわかった。

それでも小さい妹はそういうのが理解できなくて、

我儘ばかりでじっちゃんを困らせた。

俺はその度に妹を叱るのだが、

じっちゃんはいいからいいからと無理に笑っていた。


そして俺が中学二年生の夏、じっちゃんは亡くなった。

 

お母さんとばっちゃんが亡くなった時はわんわん泣いたけど、

じっちゃんが亡くなった時は、もう涙なんて出なかった。

葬式では泣かない俺を御呼ばれした人たちが偉いね、

大人だねなんて褒めたけれど、

我慢していたわけじゃないと思う。

もう、身近な人が死ぬことに慣れてしまっている自分がいた。


全部自分のせいだと思っていた。

自分の周りには疑問なほどに悪いことが起きすぎるんだ。

俺は不幸体質だから仕方がないんだ。


その後俺と妹を養ってくれることになったのは親戚のおばさんの家だった。

じっちゃんばっちゃんに引き取ってもらった時みたいに、

上手くやれるとは思ってなかったが、

余りにもひどくて、

躾のなってない妹を俺のせいだと怒鳴り散らされたりした。

妹は打たれ喚き、溜まったストレスでカッターナイフや鋏なんかで、

俺を攻撃してきた。

妹は力が弱かったから、痛かったが妹の気が収まるまで耐えることができた。

俺は不幸体質だから仕方がないんだ。

 

暫くして親戚のおばさんとは口すら効かなくなってしまった。

自分から避ければどうってことない、

自分の部屋に割り当てられた狭い倉庫で静かにしていれば。

時々空気の読めない妹はまた殴られたりして、

そのストレスを俺にぶつけてくるだけ。


俺は不幸体質だから…大丈夫だ、仕方がないんだ、だから別にぶつけていいよ。

慣れてるんだ、もう。

本当の痛みも、涙をどういう時に流すのかも、忘れてしまった。


-----


そういえば、お母さんを看取った時も桜が咲いていたな。

帰り道に満開な桜を妹と手をつないで見上げて、

呑気に咲きやがって、と睨んで帰った記憶がある。


幼かった俺は悲しみを何かにぶつけることで、

また歩き出すことができていたのに、

今の自分は、悲しむことさえ忘れている…いや、諦めているんだろう。

遠い昔に死んでしまったのだ。そこから一歩も前へは進んでいない。

ただ学校へ行って馬鹿やって、帰って閉じこもって、

なんて彩の無い時間を送ってきたのだろう。

その時の俺は既に死んでいたというのに。

 

「薄墨さんは一体、何者何スか」

「ただの副生徒会長だよ。自分の過去を知られていて、腹立たしいのかい?」

「…何とも、思えないッス」

「うん、そう答えることは知っていたよ。吉野クンは遠い昔に死んでいる。

 死んでいるから何とも思わない、君が告白した女の子に対する気持ちも、

 ただ何となく可愛いと思ったから、それだけ。

 健全な男子中学生として異性に興味が無いと周りに唆されるから実行した、

 そうでしょう?

 死んでいるから君は此方に迷い込んだ、この"世棄"に」

「そんだけ知ってて、ただの副生徒会長なわけないじゃないッスか」


ぶうと頬を膨らませると笑われた。

そもそも目が赤い時点ですごい能力使えそうな人に見える。

アルビノってわけでもないだろうし(薄墨の髪は薄暗い紫がかった黒)。


「"世棄"の住人こと、桜小路並木学園の生徒会本部の人間は皆知っているよ。

 次にこの学園に入学する子を品定めしているからね」

「は?品定め?」

「"世間"を映す卓状ルーレットみたいなのが生徒会室にあってね。

 その枠にそれぞれ、

 次に"世棄"に訪れると予測される子の過去を映し出していくんだ。

 そして生徒会本部の人間が一人ずつルーレットを回して、

 当たった子が桜小路並木学園に入学する、っていう形になる」

「それ品定めじゃなくて運っていうか、ランダムじゃないスか…」

「いや、ルーレットが生きてるから結果的に本部の人間がやる意味無いんだよね」

「へえ…は?!ルーレットが生きてる?!」

「うん、そうだよ。ルーレットが喋ったりするの。ちなみに校長先生」

「薄墨さんも冗談とか言うんスね…ハハ。

 じゃあそのルーレットで俺の過去を見たんスね」

「冗談じゃないよ、本当だよ。

 吉野クンの入学も決まってるんだし、さっそく学園に行って見せてあげるよ」

「入学って、俺の高校もう決まってるスけど」


染井の手を引いて連れて行こうとした薄墨は立ち止まり、真っ直ぐに染井を見た。

射抜くような視線に硬直し、手汗が滲むのを嫌でも感じてしまう。

しかしそんな薄墨の表情はすぐに聖母のような微笑みに変わり、

歌うように残酷な台詞を告げた。

 

「"世間"での吉野クンの存在は、もう誰の記憶の中にも無いよ。

 だからもう帰れない。帰ったところで君の居場所なんて、何処にもないんだ」

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