河童の少女と青年武志
武志は一人暮らしをしている。
一人暮らしをしては居るがニートだ。
ではどこからその生活費が出ているのかと言えばそれは父の稼ぎを仕送りしてもらっているのだった。
最低限の生活ができる程度に金銭は与えられていたが、娯楽に興じられるほどは与えられていなかった。
金銭的に余裕のないニートである武志は川原へ来て暇を潰していた。
家の中では息が詰まる、外に居る方が幾分かは気分が良かった。
ふと川岸へと目をやると10か11歳程度の少女が川に足を入れ水遊びをしている。
季節は春、まだ川の水は冷たいが足を入れるだけなら問題ないか、と武志はそれを見ながら思う。
少女は川面を見つめる。
そして浸した足から川へと入る。
水音を最小限にして水生生物のように自在に水の中を泳ぎまわる。
少女の耳には水の転がる美しい音色が届いていた。
様子を見ていた武志は驚く。
川の水は冷たい、最初は大丈夫でも体力は続かない、そうなった時では遅い。
周りに他の人は居ないのかと周囲を見回すが、人の気配はない。
武志は急ぎ足で川岸へと向かい、少女へと声を掛けた。
「ダメだよ! 川から上がって!」
武志の声に泳ぎを止め、少女は振り向いた。
「どうして?」
「どうしてって、まだ冷たいでしょ、溺れちゃうよ」
「大丈夫だよ」
少女は平然と答える。
「ダメダメ! 早くあがって!」
武志は少女の主張を一切聞き入れないという態度を見せた。
少女の命が掛かっているのだ。
「……わかったよ」
武志の他者の身を案ずる気持ちを察した少女は水からあがった。
「でも泳いじゃダメだと暇なんだけど」
薄着に水を滴らせながら言う少女に武志は見入った。
「な、何?」
少女はすぐ武志の視線に気付き胸を、手と腕で隠す。
「あ、あぁ、ごめん」
武志は自分では無意識のうちに少女のか細く美しい体に目を取られていた。
「き、君、お父さんとかお母さんは? 一緒じゃないの?」
少女は少し考えて、答える。
「一人だよ」
「一人? じゃあ家が近いの?」
「ここが家だよ」
武志は少女の言っている事が理解できない。
「ここが家?」
「そう、私河童なんだ」
「か、河童?」
「そう」
少女が自分の手へと目をやると、その手は変色し濃い緑色となり、水かきが現れた。
武志は少し怯えた。
「こ、これ、本当に?」
「そうだよ」
少女は笑顔を見せた。
優美な笑顔だった。
笑わない少女の顔は美しかったが、どこか冷淡なその顔に、武志は少しの距離をとってしまっていた。
しかし今少女が見せている、綻びを持ち、少しの温かみを帯びた表情に武志の心は引き付けられた。
怯えはなりを潜める。
「そうなんだ」
少女の透き通る純水のような瞳を見つめながら武志は頬を赤くする。
武志は少女と親交を持ちたいという感情が湧いた。
「か、河童ってやっぱりきゅうりとか好きなの?」
「好きだよ、くれるの?」
少女は手に念を送り人間の手に変化させる。
「いや、今はないんだけど、明日持ってこようか?」
「明日も来るの?」
「え? ダメ?」
「ダメじゃないよ、ぜひ、来て、約束」
少女は小指を出す。
「あ、あぁ、うん」
武志は指きりなど何年振りだろうと考えていた。
美しい少女と指切を交わす。
「きゅうりも持ってくるよ」
「ありがとう!」
少女は少年のような快活な笑みを見せた。
「武志そっち行った!!」
「くっ!」
すばやく動くそれを掴む事はできない。
武志と少女は大きな水溜りでおたまじゃくしを取っていた。
「それにしてもこの水溜り凄いね、魚もいるよ」
「えへへ、私だけが知ってる場所なんだよ」
「そんな所を俺に紹介してくれるんだ」
武志はその可愛らしい言葉と無邪気な笑顔につい馴れ合いの口を滑らせてしまう。
「武志は特別だからね」
少女はそんな武志の言葉に当然だとばかりに乗ってきた。
武志は少女の真っ直ぐな言葉に戸惑い、頬を染めた。
「何恥ずかしがってんの?」
武志のそばへと寄り、肘で脇を小突く。
「う、うっさい」
突いてくる肘を振り払い、水溜りに向かおうとした武志は、踏み込んだ拍子に泥濘に足を滑らせて水溜りに落ちてしまう。
大きな水音が響いた後、すぐに少女の笑い声が聞こえた。
「あっはははっはっはは、何やってんだよぉ」
武志は情け無い気持ちで一杯になった。
水溜りにしては深い水底へと手を突き、体を持ち上げるようにして起き上がる。
水の雫が前髪の先、鼻の先、顎の先から水面へと落ちて、波紋を広げて行く。
「ほら、上がって」
少女は笑いながらも武志へと手を差し伸べた。
少女にとってそれは当たり前の行動だった。
笑う所は笑い、差し伸べる手は差し伸べる。
しかし武志の眼に、それは非常に寛容で、とても優しい、許容の反応に映った。
笑い、笑ったままではなく、自分の情けなさを見ても尚、手を差し伸べてくれる。
武志は精神の靄が晴れて行くような気持ちになった。
こいつとなら何をしても良い、何をしてやっても良い、なんでもできる。
そんな心持にさせた。
「くっそぉ」
武志は少女の手を取り水から上がった。
「まったく武志はドジだねぇ」
「そういえばさ」
濡れた頭を振るう。
「何?」
「名前、聞いてなかったよね?」
少女の瞳を見つめながら聞く。
「スイカ」
「え?」
「スイカ、ス・イ・カ」
名前らしくない名前だった。
「スイカっていうのが名前なの?」
「そうだよ、自分で決めた、スイカが好きだから」
「自分で?」
「そう、自分で」
少女は武志の瞳を見つめ返した。
「そっか」
「うん」
武志は話脈と少女の反応によって大まかな所を察していた。
この少女は河童で名前はスイカ、自分で自分の名前を決めている。
父や母にあたる者は居ない。
独り。
「そういえばさ」
「何?」
「きゅうり好きって言ってたのになんでスイカなの?」
少女は飛び跳ねるように前のめりになりながら答えた。
「甘いから!」
晴れた暖かい日の朝、武志は川へと向かっていた。
スイカを遊びに誘う為だ。
「スイー、居るー?」
川原一帯に響く声で武志が呼ぶとスイカは草むらから顔を出した。
「武志、おはよう」
スイカは草むらで寝ていた。
「ザリガニ釣りに行こう、スイ」
「ザリガニ釣り、良いけど、そのスイって何?」
「スイカじゃちょっと変な気がするからカを外してスイ」
「外しちゃうの?」
「ダメ? スイ」
「……武志が良いなら良いけど」
スイは目を逸らして不満気な様子を見せる。
「それでさ」
「何?」
「この川ザリガニ居ないから用水路に行こう」
「武志が連れてってくれるの?」
「え、あ、うん、自転車の荷台だけど良いよね?」
「良いよ、早く行こう」
スイはすっかり上機嫌になり、武志の腕に自分の腕を掛け引っ張って行った。
荷台へスイを乗せ、武志はペダルを踏み込む。
自転車は軽快に発進した。
「軽いね」
「そう?」
スイは武志の腰に抱き付き、背中に横顔をもたれ掛けた。
「臭い、ちゃんとお風呂入ってる?」
含みも他意も無い真っ直ぐな悪口を吐く。
「あ、ごめん、昨日は忙しかったから入ってない」
「忙しかったって武志、いつも暇そうでしょ」
「本当は面倒くさかっただけ」
「そんなんだろうと思ったよ」
軽口をとぼけで受け、軽口で流す。
そんな事を繰り返しているうちにザリガニの居る用水路へと到着した。
「よっ!」
スイは尻で飛び跳ねて荷台を降りる。
武志はスタンドを立て、釣具を持って歩き出す。
用水路を覗き込み、放水用の管に目掛けて餌を落とす。
「居そう?」
スイが武志の顔と餌の落ちた所を交互に見ながら話しかけた。
「居そうだよ、見てて」
武志とスイは息を呑んで餌の様子を観察する。
半分管の中に入っていた餌のスルメが不自然な動きをして中へと引き込まれた。
「かかった」
武志はゆっくりと慎重に竿を持ち上げる。
先にはスルメをハサミで掴んで離さないザリガニがぶら下がっていた。
「やった!」
スイは武志の背中を叩く。
「やってみる?」
「やるやる! そうやればいいんだよね?」
「そうそう、簡単に釣れるよ」
すぐに今武志が釣ったばかりの管に餌を垂らす。
「そこは今釣ったけど、もしかしたらまだ居るかも」
スイは集中して餌の動きを見守っている。
餌が管の中に引き込まれる。
それを見たスイはすぐに竿を上げた。
「釣れた! 釣れた!」
「お、大きいね」
「でしょ!? すげー!」
武志は先ほどスイが自分にしたようにスイの背中を軽く叩く。
「えへへ、そんなに褒めないでよ、よっし次!」
スイは次の獲物を取る為に場所を少し移動した。
同じ所にそう何匹もは居ない物だ。
「それっ」
小さな水音がして餌は沈んで行く。
竿の加減で落ちる位置を微調整して、ザリガニが誘われるの待つ。
「お、引いてみて」
「来てるのかな?」
スイは武志に言われて竿を上げる。
小ぶりなザリガニが釣れていた。
雨の降り続く晩春の日、武志とスイは散歩をしていた。
武志はジャージに傘を差し、スイは半そでに半ズボンにサンダルを履き、傘を差していない。
「濡れても大丈夫だって言っても、気になるんだけど」
「本当に大丈夫なんだよ、むしろ濡れてた方が調子良い」
スイは河童だ。
人間の武志とは違いがある。
武志はその違いを頭では分かっていても、心底理解はできないで居た。
「武志も濡れてみれば良いのに、気持ち良いよ」
そしてそれはスイも同じだった。
互いに互いの違いを理解できないままに共に過ごす時間は増えて居た。
「あ、アジサイだよ」
「本当だ綺麗だね」
武志は頭に浮かんだ事を口に出す。
「俺、今まで花とかに興味なかったけど最近良さが分かるようになってきたよ」
「そうなの? 実はさ、私もちょうど同じ」
「え?」
「花とかさ、興味なかったけど、最近、良く見える」
静かに穏やかに降り続く雨の音に包まれながら武志とスイは、人家の塀から漏れ出すように咲いたアジサイを眺めていた。
「スイ、プレゼントがあるんだけど」
「何?」
武志は白い髪紐を差し出した。
「スイの綺麗な黒い髪に似合うと思って」
武志は目を逸らして耳まで真っ赤になる。
「おぉ、中々良い、良い!」
「本当?」
「うん! ありがとう!」
スイは武志から髪紐を受け取り、すぐに後ろ髪を結んで見せた。
「どう?」
その姿は小さく華奢で幼いスイの外見と、美しい黒い髪にちらりと見える白い髪紐が調和して、神聖な雰囲気をかもし出していた。
「に、似合ってる」
武志は自分で思っていたよりも良かったので驚いてしまう。
「えへへ、ありがとう」
スイは少し頬を染めて微笑んだ。
スイは武志の家に来ている。
「相撲とろう相撲!」
「ダメだよ、うるさくすると怒られる、ここアパートだし」
「えー、一回だけ、ね? なるべく静かにやろう?」
「わかった一回、なるべく静かにね」
スイは飛んで喜んだ。
そして静かに着地する。
それを見た武志はこれなら大丈夫かと心を落ち着かせた。
二人は向かい合い腰を落として拳を床に向ける。
互いの拳が床に付き、勝負が開始された。
「よっ」
スイがすばやく武志のズボンの腰周りを掴んだ。
武志は予想していたよりも遥か上の素早さと力強さに動揺する。
「え、ちょ、ちょっと、つよっ…」
武志の体は宙返りをしてベッドの上へと放り投げられていた。
ベッドはバネの弾む音を響かせながら武志の体を受け止める。
「勝った!」
スイは腕に手を当てながらガッツポーズをしている。
「つ、強すぎ、なんなの?」
「武志なら知ってると思ったから言わなかったんだけど」
「な、何?」
「河童は相撲が好きなんだ」
振り向きながら見せた笑顔は透き通る白い汗で輝いていた。
武志は川へスイとの遊びに向かった。
気温が高く、川へ入って一緒に遊べるかも知れないと考えたのだ。
しかしその日の川にスイの姿はなかった。
「スイー!! スイー!! 居ないの!?」
武志のスイを呼ぶ声が空しく川原へ木霊する。
自分が連れ出す時以外はいつも川に居たスイが今日は居ない。
そう考えるだけで武志はこれが尋常ではない事態だという事を理解した。
「スイ! スイ!?」
川岸を走り回り、居ない事がわかっているスイの名前を呼ぶ。
「どこ行ったんだよ……」
武志が途方にくれ俯くと、そこにスイの履いていたサンダルの鼻緒が切れてあった。
歯を食いしばり全力で走って自転車へ跨る。
鼻緒が切れている、これはスイがもがいた痕跡だと武志は確信した。
そして河童であるスイがもがくような理由は一つだった。
それは武志もいつの間にか不安に思っていた事。
河童を珍しく思う人間がスイを捕まえる、という事。
全力でペダルを壊れんばかりに漕ぎ、田舎の寂れた町を走り回る。
スイを探す。
仲良く楽しく過ごした、友達の、大切なスイを絶対に失いたくない。
武志の胸には拭い切れない不安が立ち込めている。
それでも手遅れになってしまう事だけ嫌だった。
できる限りの事はしたい。すればよかったとは思いたくない。
武志の脳裏にスイとの穏やかな日々が浮かぶたびに、今の状況がより残酷に思えて
武志の体の毛をよだたせる。
「どうすれば良い? どうすれば良い? どこにスイは居る?」
どこに行けば良いのかも分からずにただがむしゃらにスイを探して自転車を走らせた。
探しても、考えても、スイを見つける手立ては見つからない。
武志はそれでもただ当てもなく探し続けるしかなかった。
スイを失いたくないという一つの思いだけが武志を突き動かしていた。
「はぁ……はぁ……」
一向に何も見つからないまま武志の体力は限界に近づいていた。
「こ、こんな事なら、普段から運動しておくんだった」
ペダルを漕ぐ足の力は弱まり、目尻からは涙が零れ落ちる。
「こ、こんな、こんな、こんな事……うっくっぅ……」
歯を噛み締め自分の無力さに咽ぶ泣く。
泥濘に車輪がすべり、バランスは崩れ水溜りへと武志の体は落ちる。
武志はスイと一緒に居た時に起きた同じ事を思い出していた。
あの時と今では一切の状況が違う。
スイはここには居ない、手を差し伸べてもくれない。
武志自身がスイに手を差し伸べてやらなければならない状況だった。
「どう、すれば……」
起き上がり泥だらけの顔のまま、顔を歪ませて涙を流す。
緩慢に立ち上がり、倒れた自転車を起こす。
もう先ほどまでの力は無い。
力なく歩いて行く。
人家の横を通りがかった時、地面に見覚えのある物があった。
土で薄汚れていたが見間違う事はない。
武志がスイにプレゼントした白い髪紐だった。
止まっていた思考が再び動き出す。
武志はすぐ近くにある人家へと視線を向けた。
ここにスイの髪紐が落ちている、あの人家にスイはいると判断したのだ。
自転車を投げ捨て人家へと走り寄り、スイを呼ぶ。
「スイ!! 居る!? いるよね!?」
すぐに返事があった。
「武志!! ここに居る! 助けて!!」
その声を聞いた武志は人家に土足で駆け込んだ。
鍵はしまっていなかった。
慌しくスイの声がする方へと向かう。
ドアの開け放たれた部屋を覗くと、そこにはスイがイノシシ用の檻に入れられていた。
「武志!!」
スイは檻の端まで寄り、できる限り武志の近くへと寄ろうとする。
檻は鍵が掛けられていた。
武志は表情をこわばらせた。
これを切るには専用工具が必要だ。
今、住人の気配は無いがいつ帰ってくるか分からない。
「どう? 壊せそう?」
「これは壊せない……」
「そ、そっか……」
スイはこれ以上武志を巻き込みたくないと思い始めていた。
武志の声が聞こえた時にはつい返事をしてしまったが、冷静に考えてみると
これは自分の事に武志を巻き込んでいるだけだと気が付いたのだ。
「よし」
「うわっわわ、何?」
武志は檻ごとスイを連れ出すと決めた。
幸い頑丈に作られている構造上あまり大きくはできなかったのか大きさはスイが一人座ってなんとか入れる程度だった。
「スイ、ちょっと痛いかもしれないけど我慢して」
「わかった」
スイはすぐに頷く。
武志は疲弊した体に命令を送り、精神力でスイの入った頑丈で重い檻を運び始めた。
早く運びださなければいつ住人が帰ってくるか分からない。
「くっ……うっ……くっ……」
全身泥だらけで苦悶の表情を浮かべながら必死にスイを運んで行く。
その武志の懸命な姿を見ながら何もする事ができないスイは耐え難くもどかしい思いだった。
人家を出たは良い物の遠くまで運ぶ事は無理だと判断した武志は、近くの藪へとスイの檻を運び込む事にした。
とりあえず隠しておけば時間を掛けて檻を壊す事ができるからだ。
なるべく音を立てないためにできる限り持ち上げて運んでいるので、武志の体力は著しく消耗して行く。
「も、もういいよ」
スイは見かねて小さな声を上げた。
「何言ってんだよ、もうそこだよ」
「武志の手、もう酷いよ、こ、こんな」
武志の手は力を込めすぎた所為で変形してしまっていた。
小指は力なく垂れ下がり、中指と薬指の間は異様に大きく開き、根元の皮膚が裂け始めている。
一心にスイを運んでいる結果だった。
「いいんだよ」
「良いって、これが良いんだったら何が良くないんだよ」
「スイが俺みたいになる事」
その言葉を聞いたスイの瞳は潤み、涙が零れ落ちる。
「馬鹿……でしょ……馬鹿……」
檻越しに武志の背中を軽く叩きながら顔を埋める。
「……臭い……」
涙声に笑いを交える。
「きょ、今日は忙しくてお風呂に入れなかった」
武志は強がり、以前したやり取りを繰り返そうとする。
「本当に……ありがとう……」
最後の方は消え入りそうになりながら言葉を紡いだ。
ありがとう、ではなく、ごめん、と本当は言いたかった。
しかし、ごめん、よりも、ありがとう、と言うべきだと判断したスイは、ありがとう、という言葉を紡ぎだした。
それは武志にもしっかりと伝わる。
「任せといてっよっ」
最後の力を振り絞り、駆けだして藪に突っ込みながら武志は意識を失った。
武志が目を覚ますと辺りは暗くなっていた。
隣にはスイが檻の上に座って、木々の間から覗く月を眺めている。
武志が目を覚ました事に気付く。
「武志、お疲れ様」
赤く腫らした目と涙に濡れた頬を見せながら微笑んだ。
鼻からは水が垂れている。
「鼻水垂れてる、出られたんだ、檻」
「うん、武志が木にぶつかった衝撃で檻の口の上の部分が壊れて」
「それでちょっと蹴ったら外れたよ」
「ははっあんなに苦労したのにあっけないな」
スイは俯き呟く。
「馬鹿……」
武志は笑う
「あはははっ」
スイは武志のそばに寄る。
「歩ける?」
「あ、うん、歩けるよ」
「無理しないで」
スイは武志に肩を貸しゆっくりと武志の家へと向かう林道を歩み始める。
藪を抜けると雲ひとつ無い空には美しい満月と瞬く星空が広がっていた。
スイは武志に肩を貸し、もう片方の手を優しく握り、ゆっくりと二人で歩いていった。
「武志あーん」
レンゲにおかゆを乗せ差し出す。
「なんだよ」
「なんだよじゃないよ、あーん」
スイは微かに頬を紅潮させている。
「自分で食べられるよ」
「だめ、武志は病人なんだよ、寝てて」
「病人って言うほどじゃないんだけど」
「いいの、ほら、あーん」
武志は観念してスイの差し出すおかゆを口で受ける。
「えへへ、どう?おいしい?」
「うん」
しっかり噛んでから嚥下する。
「早く元気になってまた一緒に遊ぶんだよ!」
スイは晴やかな表情と無邪気な輝きを見せる。
大切な物をしまう半ズボンのポケットには武志から改めてプレゼントされた新品の綺麗な髪紐と、薄汚れた紙紐の両方がしまわれていた。