第五十ニ話
ミーティングルームに、軽い緊張が漂っていた。壁のスクリーンには、宇宙輸水社の配送データと、マーズ・ガーデンの資料が並んでいる。エレノアが指先で画面を切り替えながら言う。
「まず状況整理をするわ。
マーズ・ガーデンの新しい水循環システムは、予定より早く安定段階に入った。結果として“余剰水”が出て――その水を、複数の輸送会社に売り始めた。」
ローグが腕を組む。
「つまり、俺たちの“水”の価値が下がる。
しかもより近場で手に入るなら、わざわざ輸送する必要が減る、ってわけだな。」
ユーリが補足する。
「再利用効率が上がった、という点だけを見れば、技術的には正しい。
でも、その波がいちばん強く当たるのは、うちみたいな会社……ですね。」
エレノアはうなずき、視線をドアの方へ移した。
「そこを、直接聞きたい人がいるの。入ってください。」
ドアが静かに開いた。
入ってきたのは、白衣を羽織った女性。
落ち着いた眼差し――それでいて、どこか感情を抱え込んでいる気配。
シャアラ・マホール・クシャトリヤ。
サラスの姉であり、マーズ・ガーデン所属の植物学者。
「今日は、研究所の立場を説明しに来ました。」
エレノアが軽く会釈する。
「ありがとう。正直、助かるわ。」
シャアラは資料を机に置き、淡々と話し始めた。
「結論から言います。私たちの部門は、“宇宙で人が長く暮らすための基盤”を作ろうとしている。植物の循環、水の循環、空気の循環。外部から“運び続ける”構造から、一歩でも離れたい。」
ローグが眉をひそめる。
「つまり、輸送は“仮”であって、最終的にはいらなくする方向だ、と。」
「理屈だけで言えば、そうです。」
少し間を置き、シャアラは静かに続けた。
「《憩の湯》は、非効率です。
水もエネルギーも、研究所の基準では“無駄”の領域に入る。」
エレノアの表情が、わずかに強張る。
だが次の瞬間、シャアラは首を振った。
「ただし――」
彼女の声に、やわらかい色が混じる。
「それでも、私は切り捨てられません。
弟が、あそこに救われた顔で帰ってきたから。」
静かな言葉だった。
誰も口を挟まない。
シャアラは真っすぐにスクリーンを見る。
「数字では説明しづらいものが、あそこにはある。
ストレス軽減、睡眠改善、作業効率、対人関係の回復。
研究としては“研究対象”であって、即座に無駄とは言い切れない。」
ユーリが小さく息をのむ。
エレノアが、ふっと微笑んだ。
「つまり――あなたの部門としては?」
「反対もしません。全面的に賛成もしません。
ただ、《憩の湯》が“何をもたらしているのか”――
研究所として、正式に観察したい。」
静寂。
その後で、ローグが肩をすくめた。
「観察される銭湯、ってわけか。」
少し笑いが起きる。
エレノアはうなずいた。
「いいわ。
だったら、こちらも正面から向き合いましょう。」
会議は、次の段階へ進み始めていた。




