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湯船始めました。  作者: 世良美素
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第五十一話

無線室は、夜になると静かだ。

 照明を少し落として、

 端末の光だけが机の上に広がっている。

 ユーリは椅子を少し倒し、

 タブレットを胸の前で固定した。

 画面には、マーズ・ガーデンの追加資料。数字が並び、脚注が続き、グラフが淡々と伸びている。

 「……きれいすぎるな。」

 ぽつりと独り言が落ちる。

 余剰水の生成量。

 回収効率。

 流通網の整備予定。

 どれも、筋が通っている。

 机の上では、完璧と言っていい。

 (だから、怖い。)

 スクロールしながら、眉が寄る。

 「これだけ水が出るなら、

  輸送に頼らなくても済む。

  価格は下がる。

  供給は安定する。」

 指が止まった。

 「……じゃあ、憩の湯は?」

 資料のどこにも、その言葉はない。

 《大規模浴場》

 《娯楽設備》

 《非必須施設》

 そう書かれた欄が、

 静かに、冷たく光っている。

 胸の奥が、少しだけ冷えた。

 (間違ってはいない。

  論理としては、合ってる。)

 そう思う自分がいる。

 同時に、

 (でも、本当に——

  “それでいい”んだろうか。)

 そう思う自分も、いる。

 タブレットを伏せ、

 天井を見上げた。

 昔のことを、少しだけ思い出す。

 兄に連れられて行った、地球の公衆浴場。狭くて、古くて、決して清潔とは言えない。けれど。

 湯から上がった兄の顔は、

 どこか柔らかく見えた。

 (あのときも……説明はできなかった。)

 机に戻る。

 ユーリは、メモを一枚開いた。

 《合理:◎》

 《効率:◎》

 《安全性:△》

 《心理影響:不明》

 そして、少し迷ってから、

 最後に一行を足す。

 《置き換え可能:未評価》

 「……未評価、か。」

 呟きが零れる。

 代替が効くのか、効かないのか。

 まだ誰も、測っていない。

 無線室のランプが、静かに点滅する。

 新しい通信が入った。

 《発信:マーズ・ガーデン》

 ユーリは姿勢を正す。

 通話回線を開くと、

 聞き覚えのある落ち着いた声がした。

 『こちらマーズ・ガーデン、補足資料送付の件です。』

 短く、正確。

 事務的で、冷静。

 ユーリは手順通りに応じた。

 「受信確認。

  こちらで精査の上、追って連絡します。」

 通信が切れる。

 ほんの少し間があって、

 小さく息を吐いた。

 (敵じゃない。

  でも、簡単に“味方”でもない。)

 再び画面を見る。

 《補足:心理負担軽減機構の代替案》

 読み進める指が止まった。

 シャワーブース。

 短時間リラクゼーション装置。

 疑似入浴システム。

 “より効率的で、安全”

 そう書かれている。

 ユーリは目を細めた。

 (これは——

  『銭湯の代わりは作れる』って、言ってるんだ。)

 端末を閉じた。

 しばらく、音のない部屋に身を置く。

 やがて、静かにメモへ書き足した。

 《代替案:理屈としては成立》

 《ただし——検証不足》

 ペン先が止まる。

 少しだけ迷い、もう一行。

 《直感:違和感あり》

 それを見て、苦笑した。

 「通信士が“直感”なんて書くなんてね。」

 だが、消さなかった。

 夜が、ゆっくりと更けていく。

 無線室の窓の向こうで、

 静かな宙域が広がっていた。

 (数字は、嘘をつかない。

  でも——全部は語らない。)

 ユーリは端末を閉じ、

 背もたれに身を預けた。

 《憩の湯》の暖簾が、

 頭の中にちらりと浮かぶ。

 (次は、会って話をする必要があるな。

  数字の先にいる、人と。)

 そう思った。

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