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2.かおあわせ

「とにかくさ……一度、お部屋の中へ入れてくれないかな?こんなお話、玄関先なんかでするべきではないと思うし」

 と、黒髪に純白ワンピースの『お嬢様』……三善愛美さんが、オレに言う。

 ……しかし、その瞬間……思考停止していたオレの頭脳が、にわかにクルルングルルンと高速回転してッ!

「いいえ……それは、できないですッ!」

 I turn down it. (わたしは、それを拒絶する)……そんな英語が、脳裏に奔った。

「……え……何でよ?!」

 三善さんの綺麗な顔が……ムムッと困惑する!

「だって……『知らない人』を、自分の家に上げるわけにはいかないでしょう?」

 オレは、そう思う。こんなこと、バァちゃんが生きていたら絶対に許さないはずだ。

「でも……あたしは、あなたのお姉ちゃんなのよっ?」

 三善さんが、叫ぶ。

「それ……『多分』なんですよね?」

「……『多分』だからこそよっ!」

 そんなこと……言われたって。

「そんな話、そうそう簡単に信じられるわけがないでしょ?あんまり考えたくないけど……あなたは、オレをダマしに来た悪い人なのもしれないし……!」

 オレは……三善さんの顔を見上げる。

 とはいうものの……こんな綺麗で上品そうな『お嬢様』が、オレみたいな貧乏中学生をダマしに来る理由なんて一つも思い浮かばない。

 でも、突然現れて……いきなり、『あなたのお姉ちゃんです』は、無いよな。

 ……こんなこと、どうにも納得できないぞっ!

「うん……そうね。あなたには突然過ぎるお話だから……そんな風に思われたって仕方のないことなのかもしれないけれど……!」

 『美少女』三善さんは……それでも一生懸命、オレに話し掛けてくれようとする……。

 三善さんのつるつるの白い額に……丸い汗の玉が見えた。

「だけど……ねえ、恵介くん」

 三善さんは、別の方向から話を切り出す。

「今まで、誰からもそういう話をされてこなかったとしても……『自分には、もしかしたら知らされていない兄弟がいるかもしれない』って考えたことは無かった……?」

 ……そ、それは。

 無いこともない。というか…ホントのところ、何度もある。

 オレの戸籍には……母親の名前しか書いてないらしい。自分では、ちゃんと見たことは無いんだけど。

 オレの父親が……どこの誰か判らない。一度も会ったことがないし、顔も知らない。

 つまり……どうやら、オレは、誰かの『隠し子』で……だから、もしかしたらオレの父親には、別にちゃんとした『家庭』があって……そこには、オレの母親でない本物の奥さんと子供がいるのかもしれない。そういう可能性は……否定できない。

「そういうことを……一度も考えなかったわけではないですけど」

 オレは……正直に答えた。

「そうでしょう!そして、あたしが、あなたのお姉ちゃんなんですっ!!」

 三善さんが……妙に勝ち誇った顔をして、力強く宣言する……。

「でも……そんなわけないですよ」

 オレは、彼女の宣言を即座に全否定する。

「……もおっ、どうして信用してくれないのよっ?!」

 そ……それは。

「そんなの……あ、ありえないからです!」

 オレのこの一言が、三善さんにはカチンときたらしい。

「全然ありえることでしょう?!可能性としてなら!」

 いや……オレには、もしかしたら母親違いの秘密の兄弟姉妹がいるかもしれない。そういう可能性については……理解できる。頭では。

 だけど、だけど、だけど……!

「いったい、何が納得できないのよぉっ……?」

 三善さんの大きな目が、オレに強く訴え掛ける。

 ……それは。だって。

 こんな綺麗な『お嬢様』が、僕の姉さんだなんて……そんなことがあるわけないじゃないかッ!!!

「……なあに?」

「……いえ、何でもないです!」

 これが、もうちょっと普通の……いや、並みよりも多少ブサイクくらいの女性だったなら。そんな女性がニュウッとやって来て、下品で野太い声で……。

『あたしが、恵介ちゃんのお姉ちゃんでぇーす。げしょげしょ』

 とか言ってくるってんなら……まだ信憑性がある。オレだって、素直に信じてしまうかもしれない。

 でも……白いワンピースに、つば広の帽子に、黒髪の美少女の……『お嬢様』だぞ?

 ……こんなの。見るからに違う……。

 オレとは……住む世界が……階級が……もう、生きているジャンルが違う!

 こんな馬鹿げたこと……ありえていいはずがない……!!!

「……ちょっと、恵介くん。お姉ちゃんに判るように、きちんと説明して!」

 三善さんが、プンスカと不機嫌顔でオレを見下ろしている。

「……ちゃんと、あたしの眼を見て!こっちを向きなさいっ!」

 ……み、見られないよ……そんなの。

 意識しちゃったら、余計見られない。

 こんな綺麗な人と顔を突き合わせて、眼と眼を合わせて会話しろったって……!

 オレは……ごく普通の……健康的な中三男子なんだから……!

「あの……その……済みません……!」

 オレが、そんな風にモジモジしていると……。

 三善さんは、しびれを切らしたのか……こんな提案をしてきた。

「……判ったわ。とにかく、このまま玄関で立ち話を続けるのはやめましょう。そうね、どこか静かな場所で、二人で落ち着いてお話する方がいいと思うの。……ところで、恵介くんは、お昼はもう済ませた?」

 ……昼を済ます?ああ、昼ご飯のことか?

「……ま、まだですけど」

「じゃあ、こうしましょう。これから表へ出て、どこかのお店に入って、一緒にお昼を食べながら、お姉ちゃんとお話の続きをする……それでどうかしら?」

 ……それは……ええっと。

 うわっ、困った……。

「……恵介くん、あたしと二人でご飯を食べるのも嫌なの?」

 そういうことじゃなくて……ええい、正直に言っちまえ。

「あの……オレ、今ちょっと、『外食』する余裕が無くって……!」

「……余裕?」

「金銭的な意味での『余裕』です……!」

 そうだ……予定に無い出費は、できることなら、なるべく避けたい。

 お金は、命の次に大事なものなのだから……。

「……な、何よ、それ」

 三善さんは、そんなオレを「ふはっ」と笑う……。

「お昼ご飯ぐらい御馳走してあげるわよ……あたしが誘っているんだし」

「……いや、でも」

 オレの煮え切らない態度に、三善さんはまたキレる。

「あたし、あなたのお姉ちゃんなのよ。お昼ぐらい出してあげるわよっ!」

「いやだから、そもそも……そういう事柄を受け入れるかどうかっていうところからして、すでに問題があるわけで……」

「……ああ、もう!いいから、黙ってあたしについて来なさいってのッ!!!」

 黒髪美少女のカンシャクが、華麗に炸裂する……!

「……わ、判りましたよ!じゃあ……お供します」

 ……はぁ。もういいや……もう何でも。

 とにかく……この『お嬢様』と昼飯を食べて来ればいいんだろ。とっとと済ませよう……どうせ、長くても一、二時間のことだろうし……。

 オレは玄関に転がってたゴム草履を履いて、そのまま外に出ようとした。

 すると……三善さんは。

「……え、ちょっと待って?!あなた、その格好で表に出るつもり?」

 オレの格好……?

 ええっと、現在のオレの装備は……上は緑色のランニング・シャツ一枚で、下は学校指定の青いトレパン……。

 ……うん。オレが、一人でご近所のコンビニへ行くのなら、こんな格好でもいいだろうけど……この純白ワンピースの『お嬢様』と表通りを歩くのは、確かにちょっと問題ある格好なのかもしれない。

「……じゃあ、オレ、着替えるんで、ちょっと待ってて下さい」

 オレは玄関のドアを一度閉めて……急いで着替えを探す。といっても、何か特別な服があるわけでもないから……上は洗濯済みのTシャツで、下は中学の制服のズボン。他に選択肢が無い。靴下も履く。あーあ……また余計な洗濯物が増える。

 それから……ちらりと祭壇の上のバァちゃんの遺影を見た……。

 バァちゃん……あの人、信じられるのかな?オレのお姉さんだって言ってるけど……?!

 バァちゃんの遺影は……ムッとした顔で、こっちを見ている。オレには……バァちゃんの声が聞こえる。

(……無闇に、他人の言うことを信じてはいけないよ。世の中は、あんたをダマそうとする悪い人ばかりなんだから。意味もなく親切にしてくれる人は特に怪しいんだ。用心に用心を重ねるんだよ……!』

 ……うん。判ってるよ……バァちゃん。

「まだなの……早くしてっ!」

 ドアの向こうから……三善さんの声がする。

「い、今行きますからっ!」

 オレは……大きな声で、そう返事をした……。



   ◇ ◇ ◇



 駅前の繁華街まで、三善さんと二人で歩く。おおよそ十二、三分の道程だ。

「……ふぅ」

「どうしたの…恵介くん?」

 三善さんが、不思議そうにオレを見る。

「……いえ、何でもないです」

 ……知らなかった。女性と道を歩くのが、こんなに気疲れすることだなんて……!

 女の人って、何でこんなにゆっくりと歩くんだ……?!

 ていうか……オレって、他の人より少し早足なのかな?そんなこと、あんまり考えたことがなかったけれど。死んだバァちゃんは、いつももっとスタスタと素早いスピードで歩いてたぞ……。

「……何してるの?」

「あ……今、行きます」

 歩くスピードが違うとなれば……やっぱり、こっちが彼女に合わせないといけない。歩きながら、常に三善さんの位置と速度を把握しないといけないから……めんどくさい。

 しかも……歩いている彼女に対して、オレはどの辺りの位置にいればいいのか……そういうことが、よく判らない。

 前を歩くと、オレの方が先に行き過ぎちゃうからダメだろうし。後ろを歩くと、何だかオレは彼女の子分になったみたいだし。

 だからって……三善さんの真横に並んで歩くのは、ムチャメチャ気恥ずかしい……。

 ……あああああッ!

 彼女の右に立てばいいのか、左がいいのか……ベストなポジションが、判らないッ!

 ……とにかく!

 色々と試してみた結果……右のナナメ後ろを歩く。『お互いの視界には、何となく入っているかなあ』くらいの位置をキープすることにした。2メートル前後、離れて。

「……恵介くん、あなた、どこに行くつもりよ?」

 ……あれ?

 ちょっと眼を離した隙に、三善さんとの距離が開いてしまった。

 目標ロスト。再確認せよ……ラジャー!

「あの……こっちの道を抜けてった方が近いんですよ!」

 とりあえず、適当なことを言って誤魔化す……。

「ふうん……そうなんだ」

 三善さんが、ニッと微笑んで、オレの方に近付いてくるッ……!

 離れてぇ……もっと離れてぇ―!

 ホント……めんどくせぇ―!!!近付いて来るんじゃねぇ!!!

 それでも……どうにか、駅前に辿り着く。

 そこで、まあ……アレコレと話し合った末に……オレたちは、駅の商店街のハンバーガ店に入ることになった。


「……ごゆっくり、お召し上がり下さい!」

 オレは、自腹で一番安いハンバーガーとコーヒーを買った。合計、200円……。

「……もおっ、あたしが御馳走してあげるって言ったのに……!」

 二人がけのテーブル席に座った三善さんは……ご不満そうな顔で、ぷくぷくとアイスティーを飲んでいる。

「……いえ、やっぱり、そういうわけにはいきませんから」

 うん……ハンバーガーぐらいで、買収されるわけにはいかない。オレは、男だからな。

「……ポテト、大きいの買っちゃったから、恵介くんも摘んでねっ!」

 そう言って三善さんは、トレイの上にポテトの束をバララっと広げた。それから……チキンナゲット用のケチャップの入った容器を開ける。ポテトの先に、ちょこんとケチャップを付けて、そのままパクリと食べた。

「……ん、美味しい!」

 すごいなあ、本物の『お嬢様』は。こんな仕草まで、上品に見える。

「なあに……どうかしたの?」

「いや……三善さんは、ポテトにケチャップ付けるんだって思って」

 オレは……そういう食べ方は、知らなかった。というか、チキンを頼んでないのに、店員さんからチキン様のケチャップを貰うということは、大それた犯罪行為のように思われた。こんな無茶をしても……『お嬢様』なら、怒られないんだ。

「……え?あたしはいつもこうして食べてるけど」

「あ……オレ、あんまりハンバーガーとか食べないですから」

 死んだバァちゃんは、油っこい物が苦手だったし……。僅かな小遣いを、食い物に費やすのは馬鹿らしいから……オレは普段は、絶対に買い食いしない。

「そうなんだ。あたしはたまに寄るわよ。お友達とお稽古の帰りとかにね」

 『お友達とお稽古』……『お』が、二つ。

 やっぱり、『お嬢様』なんだな。

 『お稽古』ってのは、何の稽古なんだろう?お茶、お花、それともバレエとか……。三善さんなら、どれでもお似合いだと思うけど。

 オレが、そんなことを真剣に考えていると、三善さんが、ケチャップを付けたポテトをオレの口元に差し出してくる?!

「ほら食べて御覧なさいよ!とっても、美味しいんだからっ!」

 いや……あの。そういうのは、小っ恥ずかしいというか。何というか。

「……いいからっ。ほら、早く!」

 仕方なく……オレは、差し出されたポテトをパクリと食う。三善さんの指まで食べないように……気を遣いつつ。

「どう……美味しいでしょう?」

 うん……フレンチポテトに、トマトケチャップを付けたような味だ。

「ええ、まあ……」

「……ほらねっ?」

 三善さんは、勝負に勝ったかのごとく、「ふふふんっ」と微笑んだ。美しい……優しい笑顔。ぽってりとした、柔らかそうな唇。つるんとした、ほっぺた。

 ……玉のような肌というのはこういうのを言うんだろうな…。

 『触ってみたい』という感情と、『絶対に触れてはいけない』という感情が……オレの中で対立してバリバリと火花を散らす…!

「ほらぁ……恵介くん、もっとポテト食べなさいってば!」

 三善さんは……さらに、ケチャップ付きのポテトを。

 ……どうしよう。何か、果てしなく、照れくさくなってきた。緊張する!

 よくよく考えてみると……オレはこれまでに、女性と二人きりで食べ物屋なんかに来たことなど一度も無い。まったく無い。あるはずがない。

 オレは、冴えないただの中三男子で……今まで女の子と、一緒にこんな店に来たことも無いし……。

 改めて、三善さんのお顔をチラッと見る。

 やっぱり……綺麗だ。美少女だ。

 今…オレは、こんなドキドキするような女の人と二人きりでテーブル席に座っている……。こんなこと……キセキだよな。夢だ……マボロシだ。

 ありえないよ。ありえちゃいけないっての……。

 こんなところを、中学のクラスメイトに見られでもしたら……これはもう、何と説明したらいいのか……。説明責任が……説明責任が生じてしまうぞ、おいっ!

「ほら……あーんして」

 そしたら……三善さんが。また、オレの口にポテトを押し込もうとする……1

 は……恥ずかしい!死にたいッ!

「いや……いいですよ、もうそういうのは!」

 こんなの、勘違いされちゃうよ!お店の他のお客さんたちに……!

「いいから、早くぅっ!」

 そしたら……三善さんは、オレに向けてひょいっとポテトを一本、放り投げた……!

「……うわっ!」


 オレはそのポテトを、空中でパクッと食い付く!

 ……落ちたら、もったいない!もったいない!

「うわっ、恵介くん……上手い!」

 って、三善さんは、笑っているけれど。

 オレ、何か……イヌみたいだぞ。

「凄ーい……いつも、そんな風にして食べたりしているの?お菓子とか」

 み……三善さん。こんな風に食べ物に飛びつくなんて……オレ、生まれて初めてだよ!

 オレのバァちゃんは、ご飯の食べ方に関しては厳しかったから。こんな曲芸みたいな食べ方をしているのが知れたら……こっぴどく怒られる……!

「あの……オレ、ハンバーガーの方を食べますから」

 三善さんにそう言って……オレは、ブスッとした顔でハンバーガーを口に入れる……。

 ……何だろう。この……居心地の悪さは。

「どうしたの?もしかして、恵介くん、ポテト苦手だったの?」

 三善さんが、心配そうな顔でオレを見る。

「いえ。あの……」

 と、言ってから気付いた。オレには……特に話し掛けるような話題は無い。

「なあに……何でも、聞いて?お姉ちゃんのこと、何でも教えてあげるわ」

 ……そんなこと、言われても。

「……あの……三善さんて、いつもそんな服を着てるんですか?」

 とりあえず……とっさに思い付いたことを口走ってみる。

 口走ってみて、ハッと気付く……。

 何という、意味不明な質問だ。話の脈絡が全く判らない……。

「ああ、これ?今日は『お友達のピアノの演奏会に行ってくる』って言って、家を出て来たから。いつもは、こんなヒラヒラしたお洋服じゃないわよ……!」

三善さんは、笑顔で答えてくれた。

 さらりと……『お友達のピアノの演奏会』なんて言っている。

 ……ええっと。オレが今まで出会った人で、ピアノを習ってるっていう女の子っていったら……お父さんが歯医者とか、焼き肉屋とか、税理士とか……みんな金持ちの子だったよな。

 ……そっか。ホントにホントに……本物の『お嬢様』なんだ、この人。

「あのさ……恵介くん」

 今度は……三善さんの方から、オレに話し掛けて来た。

「……は、はいっ?」

「……恵介くん、さっきからどうしてそんなに緊張しているの?」

「……あ、あの、それは」

「あたしって、そんなに信用してもらえないような感じに見えるの……?」

 三善さんが……寂しそうに、そうに言った。

「……あたしがあなたのお姉ちゃんだってこと、そんなに信じられない?」

 上目遣いで……オレにそう尋ねる。

「……そ、それは……まあ……はい」

 オレには……そう答えることしかできなかった。

「……どうして?」

 大きな黒い瞳が……オレを見ている。

「だって……オレにとっては全然、現実感がある話じゃないですから……」

 ……三善さんは……どうにも綺麗すぎるんだよ!

 こうやって、街中へ出て来て……改めて思った。

 こんな綺麗な人に、突然『姉だ、親族だ』って言われても……そんなのさ。

「そっか……そうだよね。恵介くんにとっては、突然の話だもんね。やっぱり仕方がないのかな……」

 赤いケチャップの付いたポテトを、小さな口がパクッと食べる。

「ねえ。恵介くんは、自分のお父様のこと……どんな風に聞いてる?」

 ……え。

「オレの……親父のことですか?」

 ……そうだ。この人が僕の『姉』だと言うのなら……オレと『父親が同じ』ということになる。『母親が同じ』ということは無い。それはもう……ゼッタイにあり得ない。

「そうよ。あなた、お父様のこと、どれくらい知っているの?」

 ……あちゃあ。参ったな。

「それが、あの……オレは、全然知らないんです。写真だって見たことないし……」

 三善さんが、キョトンとした顔でオレを見る。

「え……写真も見たことないのっ?!」

 大きな声で驚く……三善さん。ちょっと、驚き過ぎだよ。隣のテーブルの人が、ビックリしている。

「はい、名前も知りません」

 オレは……正直に答えた。

「だって……そんなはずないでしょう?!!!」

 三善さんの大きな声が……ハンバーガー店の中に響く。

「……いや、だって、本当にそうなんですから……あ!」

 ふと……脳裏に一つの名前が浮かび上がる。

「もしかして……エザキ・シン?」

 三善さんが、叫ぶ。

「そうよ!知ってるじゃない!」

 ……えっと。

「あの……カタカナでは」

「……カタカナ?」

 オレの顔を覗き込む……三善さん。

 ええい……話しちまえ!

「オレ……毎月、銀行口座に『養育費』を振り込んで貰っているでしょう?その送り主が『エザキ・シン』てなってたから……漢字でどういう字を書くのかは知りません」

 バァちゃんが入院した時に、家にある銀行通帳を全部見たから……オレは知っている。

 オレの説明を聞いて、三善さんの表情が暗く曇った。

「……本当に知らないの?」

「はい……マジで知りません!」

オレは、三善さんの眼に強く強く訴えかける。全て本当のことだ。嘘はない。

「……死んだバァちゃんは、オレにそういうことは一切教えてくれませんでしたから」

 三善さんの顔が……さらに驚く。

「えっ?!……お祖母様って、恵介くんが今、一緒に暮らしている方よね?」

 あっ……知らないんだ。三善さんも……オレのこと。

「……祖母は死にました」

 三善さんが……オレを見ている。

「……いつ?」

「……十日前です」

 この人……オレのことを何も知らないくせに……!

「そうだったの……ごめんなさい」

 三善さんは、オレに頭を下げる。

「あたし、何も知らなくて。あたしが見た書類には、そういうことは何も書いてなかったから……」

 ……書類?

「……あ、ちょっと、待って?!じゃあ、あなたは今……あそこの部屋に一人で住んでいるの?!」

「はい…そうですけど」

「男の子一人きりで?」

「……はい」

「……寂しくないの?」

 そんなの……三善さんみたいな『お嬢様』には、関係無いことだ……!

「お母様は?恵介くんのお母様は、今どちらにいらっしゃるの?」

 母親……つまり、僕を産んだ女性……。

 ……ちくしょう。

 この人……マジで、オレのこと、何も知らないんだなっ!!!

「……オレの母親は……オレが生まれてすぐに死んでいるんです。だから、オレは……ずっとバァちゃんと二人で、あのアパートで暮らしてきて……」

 そのバァちゃんが死んだから……オレは、もう一人なんだよっ……!

「……そうだったの。ごめんなさい。あたし、悪いことばかり聞いちゃって……」

 三善さんは、気まずそうにそう言った。

「……いいえ」

 場の空気を変えたくて……オレは、自分のハンバーガーにパクついた。

 ハンバーガーは、少し冷えている。パンズがパサパサして不味い……。

「……あ、あのね……これを見て欲しいんだけど……」

 重い雰囲気を断ち切るように……三善さんは、籠のバッグの中から、少し大きめの封筒を取り出した。下の方に、大きく『財前法律事務所』と印刷されている……。

「……ああ」

 その法律事務所の名前には……見覚えがあった。オレは、バァちゃんが亡くなった時に、その事務所の人に会っている。

 バァちゃんは、『自分が死んだ時には、この事務所に連絡して欲しい』と……入院した時に病院の人に頼んだらしい。実際……病院の精算とか、葬儀社の手配とか、役所へ出す書類とか、中学生のオレではできない様なことを、その法律事務所の人たちが色々と助けてくれた。

 ……ありがたかった。とても助かった。

 葬式の後……『君の今後について、一度ゆっくり話がしたい』と、名刺も渡された。

 もう二度と……会うつねりはないけれど。

 つまり、そこは……オレの父親が契約している弁護士さんの事務所だ。

 オレの父親であると思われる人物は……バァちゃんの葬儀を、自分の弁護士に任せて……本人は、来てくれなかった。一度も、姿を見せないどころか……手紙も……弔電や、お葬式の花すら出してくれなかった。

 だから…オレは……。

 父親は、もう……オレとは関係のない人間なんだと思うことにしたんだ。

「……えっとね、これの中のね」

 三善さんが、法律事務所の封筒からA4の書類を取り出す。

「ここ……これを、ちょっと読んでみて」

 オレの眼の前に差し出される一枚の書類……そこには、こう書かれていた。

〔ご子息、山田恵介さんの近況について、ご報告致します。〕

 ……やっぱり。

 父親の家には……弁護士から、こういう報告書が送られているんだ。

「あたしは、これを読んだの……一昨日、お父様のお部屋でこれを見つけて……」

 ……ちくしょう。

 オレの中に……急に奇妙な『リアル感』が生まれてくる……。

 そうだ……つまり。

 この綺麗な人は……本当にオレの『姉』なのかもしれない。

 ……ちくしょうっ!

「……あたしもね、今まで知らなかったのよ。自分には『弟』がいるっていうこと……」

 アイスティーのストローを細い指先で弄りながら……三善さんは、穏やかに話し続ける。

「だけど、これを読んだら…ここには、あなたのことが書いてあって……あたしも、最初は『本当かしら』って思ったわ。でも、直接お父様にお尋ねすることはできなくって……だからあたし……お祖父様にご相談したの」

 オレの知らない……『父』……『祖父』。未知の存在が、次々と現れる。

「そうしたら、お祖父様が……『今まで黙っていたが、お前には母親の違う弟がいる』って、そう、あたしに教えて下さって……!」

 三善さんの言葉には……説得力があった。きっと、真実なんだろうなって思った。

 だけど……それは、やっぱり夢みたいで……映画の世界を外からのぞいているような感じで……。少しも、自分に関わることでは無いような感じがした。

 ……だって。『お父様』とか、『お祖父様』とか、『法律事務所の書類』とか……どう考えても、オレの日常生活とはかけ離れていて……。

「だからね、あたしと恵介くんは『異母姉弟』なのよ!」

 そんなことを突然、言われたって……『実感』が沸かない。

 ……ちくしょう!

 …………んんんん?!

 ……あれ。ちょっと…待てよ?

「あの……ちょっといいですか?」

 オレは……オレの中に生じた疑問を尋ねずにはいられなかった。

「なあに、何でも聞いて?」

 三善さんは……優しく、微笑んでくれる。

「あの……三善さんて……つまり、『三善』さんですよね?」

 オレは……馬鹿か?

「そうよ?恵介くん、今更、何を言ってるのよ?」

 そうじゃなくって、オレの聞きたいことは……つまり。

「なのに……オレの父親の名は『エザキ・シン』???!」

 ……何で、名字が違うんだ?!

「ああ、それはね。……五年前に、あたしのお父様とお母様は、離婚したから……!」

 ……え?!

「『三善』はね、あたしの母の家の名前なの…!」

 そ、そうなんだ。

「母が離婚したからって、あたしまで三善になるのは嫌だったんだけどね……離婚の調停で、母があたしの親権を持つことになったから。それで……母は、あたしも自分と一緒に三善の籍になるようにって、強く主張したのよ。自分に不利なことが起きたら、いつでも、あたしを取り戻せるように……ズルい人なのよ……あの人」

 三善さんは……自分の母親を『あの人』と呼んだ。

「それなのに、あたしの面倒は、江崎の家に全部押しつけて……!」

 三善さんは……今、エザキの家で暮らしている?

「てことは……三善さんは今、お父さんと一緒に暮らしているんですか?」

「……違うわよ!」

 三善さんが、強く叫んだ。

「……違う?」

 大きな声を出したことを恥ずかしく思ったのか……三善さんは、アイスティをススッと飲んで、間合いを取る。

「……あたしはね……五年前からずっと、お祖父様の家で暮らしているの。お父様の『江崎』の本家よ。お父様とも、お母様とも暮らしていないわ。お二人とも、たまに会うだけで……」

 この人も……自分の両親と一緒に暮らしていないんだ。

「でも、それでいいの……お祖父様もお祖母様も、とても優しい方だし。あたしは、お祖父様の江崎の家に居る方がよっぽど幸せよ……五年前よりも」

 オレには……判らない。何が幸せで……何が幸せではなかったかなんて……。

「そうですか」

「……うん。『江崎』の家の中であたしだけ『三善』なのは変だけどね。……お母様は今、青山で一人で暮らしているわ。ファッション関係の会社を経営しているの。一応、社長さんよ。お父様は、代官山のマンションにいらっしゃるわ。たまにお祖母様とお掃除に行くんだけど……一昨日もそうよ。お掃除してたら、この封筒を見つけたのよ」

 つらつらと流れるように……三善さんは、自分の家の状況を話してくれた。

 この人は、この人で……複雑な家庭事情を抱えているんだ……。

「別にいいのよ。成人しちゃえば、どうせ全て、あたしの自由にできるんだから。そしたらあたし、『江崎』のお祖父様の養女にしていただこうと思っているのよ。それならもう、お父様もお母様も関係ないでしょ?だから後、ほんの数年だけ……『三善』のままで、ガマンするつもりなの……!」

 そう言って三善さんは、寂しげに微笑んだ……。

「……あの」

「―なあに?」

 オレには……きちんと確認しておかなければならないことがある。

「あの、すいません……変なことを聞いてもいいですか?」

「何でも、どうぞっ!」

 三善さんは、笑ってくれた。

「あの……アレですよね。十五年前、オレの母親がオレを産んだ時には……三善さんのご両親は、もう……結婚してたんですよね?」

「ええっと」

 ……一瞬の間。

「……そうね。多分、そうなんだと思うわ」

 やっぱり……そうなんだ。どう見たって……この人の方が、僕より年上なわけだし……。

「じゃあ、やっぱり、オレの母親は……浮気っていうか、不倫の関係っていうか……父親とそういうことになって……それでオレが生まれて……つまり、そういうことなんですよね……!」

 上手く言えないけれど……。

「うん……そういうことになるんだと思うわ」

 三善さんは……申し訳なさそうに言った。

 ……やっぱり。そうなんだ。

「オレ……『不倫の子』なんですね……」

 ……そうだろうな。

 オレは生まれてこの方、一度も父親と同居したことは無い。顔も知らない。

 向こうは、赤ん坊の時に、僕の顔を見たことぐらいはあるのかもしれないけど……。

 ずっと……毎月、『養育費』を振り込んで貰っているだけの関係だもんな。

 バァちゃんの葬式にも来なかったんだし……。

 ……ちくしょう!

 改めて自分が、『余計な子供』だと知らされると……やっぱり、ショックだった……!

「……ごめんなさいね」

 ……え?

「……悪いお父様で」

 三善さんは……何だか、とても辛そうな表情をしている。

 ……しまった!別に、三善さんを責めるつもりなんて無かったのに……。

「あの……それは……三善さんが、謝るようなことではないと思います……」

 ……そうだ。それは、オレと父親の問題で……三善さんには、関係のないことだ。

「いいえ!一度、家族全員で恵介くんと会う機会を作って、そこでお父様にきちんと謝っていただくべきよね……!」

 三善さんが……そう、オレに提案してくれた。

「いえ……そういうの、オレはいいですから」

 だけど……せっかくの申し出を、オレは拒絶する。

「……恵介くん?」

「オレ……会いたくないですから……!」

 ……父親になんて。別に。

「……どうして?」

「今、オレが父親に会っても……お互い気まずいだけだと思うし。今からじゃあ、何もかも手遅れだと思うし……」

「そんなことないわよ!」

 三善さんは、そう言ってくれるけれど……。

「……そんなことあります!」

 オレは、つい強い口調で三善さんに言った。

「今さら、親父とはどんな関係も築けそうに無いし。オレ……親子とか家族とか、そういうのやれませんし……無理です……絶対に!」

 ……オレは、三善さんに全て話してしまうべきなんだろうか?

 ……どうしよう?

 いや、これは、やっぱり……はっきりと伝えておくべきことなんだと思う……。

「あの……これも多分、三善さんは知らないことなんだと思うんですけど……」

 この人には、きちんと真実を知っていてもらいたい……。

 事実を全て知った上で……オレと三善さんの今後について、判断して欲しいと思う。

「オレの母親は、オレを産んだ後……すぐに自殺したんです」

「……えっ?」

 三善さんの黒い瞳が、クワッと大きく見開かれる……!

「岸壁から海へ身投げしたんです……死んだバァちゃんから、そう聞きました。オレの母親は、生まれたばかりのオレをバァちゃんに押しつけて……自分だけ一人で…!!!」

 オレは……それが、許せない。

 自分の母親が……許せない。

 母親をそこまで追い詰めた……父親が、許せない。

「……母は、二十歳だったそうです。『まだ若かったんだから、どうか許してやってくれ』って、死んだバァちゃんは何度もオレに謝ってくれました……」

 だけど、オレは―!

「……オレは、自分は親父にも母親にも……両方に捨てられたんだって思ってます。ずっとずっと、そう思っているんです、ですから、オレは……!!!」

 今さら、家族として父親に会うなんて……そんなこと、できるはずがない!!!

「そうだったの……!」

 三善さんの大きな瞳が……涙に潤んでいた。

「ごめん……ごめんなさいね」

 テーブルのトレーの上に、ぽたりぽたりと涙の粒が零れる……。

「あ……あの、三善さん?」

 オレには……どうすれば良いのか、判らない!

「あたし、ずっと何も知らなくって……あたし、あなたのお姉ちゃんなのに……!!」

「ちょっ……ちょっと待って下さいよ!」

 何でこの人が……オレのことで泣くんだ?!

「あの……オレの母親のことは、三善さんには、全然関係ないことなわけですから……!」

 ……そうだ。

 それは……オレと父親の問題で……。

 この人は何の関係も……無い。

「なによっ!……関係あるわよッ!!」

 三善さんが、テーブルを「ドンッ」と叩いた!

 テーブルの上の飲み物のカップが「ぶるるるんっ」と揺れるっ!

「あたしはね、あなたのお姉ちゃんなのよっ!お姉ちゃんなのっ!ホントにホントにお姉ちゃんなんだからねっ!!!」

 い、いや……それは。だ、だから…あの。

「……お姉ちゃんなのにぃ……あたしっ!!!」

 三善さんの大きな瞳が……また涙を落とす。

「……は、はい。判りました、判りましたから……!」

 オレには……そう答えるしかない。

 そのオレの言葉に満足したのか……三善さんは、フッと肩の力を抜いた。

「……判ったわ。あたし、あなたに『お父様と会って』とはもう言わない……でも」

 ……でも?

「恵介くん、あたしとは…お姉ちゃんとは、また会ってくれるわよね?」

 黒髪の『美少女』が……白いワンピースの『お嬢様』が……。

 濡れた瞳でオレに懇願する……。

 オレは……どうしよう?

「もう、これっきり……とか、言わないわよね?!」

 オレ……どうしたらいいんだろう?

「あたしね……ずっと、自分は一人っ子なんだって思ってたの。あたしのお父さんとお母さんは、離婚しちゃったから……もう弟や妹は望めないんだって……」

 大きな黒い瞳が……オレを見ている。

 彼女の潤んだ瞳の中に……呆然としているオレのマヌケ顔が映っていて……。

「だからあたし、自分に弟がいたって知った時は本当に嬉しかったの。だけど、その子はあたしとは『お母さんの違う弟』で、あたしの知らないところに住んでいて……もしかしたら、ずっと寂しい思いをしているのかもしれない……。そう思ったら、あたし、もう我慢できなくなって……どうしても、あなたに会いたくなって……!!!」

 それでも……この美しい人は、オレを『弟』だと言ってくれている。

 一昨日、オレの存在を知ったばかりだっていうのに……。

「あたし……あなたにお姉ちゃんらしいこと、何もしてあげていない。あたしはそれが情けなくって、悲しくって……!」

 ……だけど、オレには。

 この人が……自分の『姉』だとは……どうしても、思えない。

 だって……この人は。

 オレには……綺麗すぎて、上品すぎて……!

「あたし、今日から恵介くんと、ちゃんとした姉弟になりたいの。そう決心して来たの。だめかな?恵介くん、お姉ちゃんのお願い、聞いてくれないかな……?!」

 三善さんの綺麗な瞳が……オレを見ている!

 だけど……オレは…。

 オレは心を決めて、しっかりと三善さんの眼を見て……そして、告げる。

「ごめんなさい……オレ、ちょっと、話の展開に頭がついていけなくて……」

 この人は多分いい人だ。

 ……優しい人だ。

 だけど……だけど……だけど……!

 この人は……オレの『家族』じゃない……。

「でも、やっぱり現実として……無理ですよ!そんなの……いきなり、『姉弟』だなんて……!」

 どうしたって……この人と『姉弟』にはなれない。

 なれるわけがない……!

 なれるわけがないだろっ……!!!

「そう。そうなんだ……恵介くん……!」

 三善さんの眼から、また、すぅーっと一筋の涙が流れる……。

 テーブルの上に、ぽたりと弾け散る……!

 その三善さんの涙の滴が……。

 オレの心を……じんわりと濡らしていく……。

 オレ……これでいいのか?

 こんな綺麗な人を悲しませてしまって、これでいいのか?

 このまま、この人との関係をスバッと断ち切ってしまって……ホントにいいのかよ?

 ……ちっきしょう!!!!

「……ですから、三善さんっ!オレに、もう少し時間を下さい!!」

 自分でも思ってもみなかった言葉が……するりと口から飛び出したっ……!

「いきなり、オレと三善さんが『姉弟』になるとかっていうんじゃなくって……まずは、お互いのことを知るって段階から始めてくれませんか?オレに三善さんのことを、もっと教えて下さい。それから、三善さんもオレのこと、もっともっと知ってください。とりあえずは、そういうことからっていうんじゃ……だめでしょうか?!!」

 な……何を言っているんだ、オレ。

 オレ……この人と、このまま二度と会わないのは嫌なのか……。

 うん……嫌なんだ。

 もっと……この人のことを知りたい……!

 ……すると。

 三善さんの顔が、「ふわぁっ」と緩んで微笑んだ……!

 まるで……大輪の花が咲いたみたいに。

 ……綺麗だ。

 ……この人は本当に綺麗だ…!!!

「うんっ……いいわよっ!愛美お姉ちゃんも、それでいいと思いますっ!」



    ◇ ◇ ◇



 ハンバーガーの店を出た後、三善さんを駅まで送って行く……。

 駅の時計を見ると、三時を少し廻ったところだった。


「……もう少し、恵介くんとお話していたいんだけど……今日は、夜にお祖母様とパーティーに行く約束をしているから、もう戻らないといけないの。ごめんなさいね」

 三善さんは、さらりとそんなことを言う。

「……お祖母さんのお友達とかの誕生日なんですか?」

 パーティっていったら……普通は、そうだろう。クリスマスは、まだ遠い。

「うんうん。政治家の先生なんだけどね」

 ……何か、気が遠くなりそうだ。

「そういうパーティに行くのは、あんまり好きじゃないんだけど……なかなか断りにくい方もいらっしゃるから」

 オレには……どういう方なら断りにくいのか、まずそれが想像できない。

「あっ、そうだ。恵介くん、携帯の番号、お姉ちゃんに教えてくれるかなっ?!」

 三善さんは、ごく普通にそう尋ねた。

 ……しかし。

「あの、オレ……携帯電話とか、持ってないんです」

 自慢じゃないが……無い物は無い。

「えっ?!……じゃあ、メールとかもできないの?」

 携帯が無いんだから……メールだって無理だ。

「……おうちに、パソコンとかは?!」

「もちろん……ありません!」

 ゲーム機だって、持ってないんだから!

「そ、そう……仕方ないわね。それなら、おうちの電話でいいわよ。恵介くん、今は一人暮らしなんだし……」

 ああ……ついに、言わなければならないのか。

「それが……あの……オレの家、電話も無いんです」

 三善さんは……キレた。

「……何でよっ!」

 大きな瞳が、オレを睨む……!

「もしかして恵介くん、あたしにイジワルしてるのっ?どうしても、お姉ちゃんには電話番号を教えたくないとか……!」

 そんなわけがない……。

「いえ、あの……ホントなんです。バァちゃん、部屋に電話を引かなかったから……!」

 バァちゃんが、あのアパートに入居した頃は……まだ貧乏な家には、電話が無いのが当たり前の時代だった。そして、そのまま……現在に至るまで、バァちゃんは、電話の契約をしなかったわけで。

「……嘘でしょ?電話が無くて、どうやって生活しているのっ?!」

 三善さんは、そう言うけれど……。

「いや、電話が無くても特に生活には困らないですし……ていうか、電話が掛かってくるような用なんてほとんど無かったんで……うちの場合」

 あそこのアパートの住人は、ほとんど青果市場の同じ会社で働いている人だから。仕事上のことでの連絡は……誰かが知らせてくれる。

 オレの学校関係の連絡は、1階の管理人さんか……直接、市場のバァちゃんの仕事先に連絡が行くようになっていた。

 それに……オレとバァちゃんには、自分たち以外に縁戚だっていないし。

 だから……どうしても電話を掛けなくてはいけない相手なんて一人もいなかったんだ。

「……どうしても電話しなくちゃいけない用がある時は、外へ行って公衆電話を使ってますから。でも、ほとんど使ったこと無いな……!」

 そのオレの答えに、三善さんは「ドーン」と一気に落ち込んでしまった。

「わ……判ったわ。あのさ、恵介くん、明日は何時頃、家に帰って来る?」

 ……明日?

「えっと、明日は月曜だから……」

「……恵介くん、部活の練習とかあるの?」

「オレ、クラブは……入ってません」

「……入ってない?」

 もう、いいや……はっきり、言おう。

「あの……オレの家は、部活をやるほどのお金の余裕無くて……クラブは、何をやるにしてもお金が掛かるから……!」

 運動部なら、用具やユニフォームや遠征費用とか……文化部だって、結局、何かしらの費用が必要だし……。バァちゃんに余計なお金の苦労させるぐらいなら、初めからクラブ活動なんてしない方がいい。

「……もういいわ……お金のことは、もういいからっ!」

 何か、三善さんの方が……いたたまれない表情になっている。お金が無いのは、オレの方なのに。

「明日は……掃除当番じゃないから……三時半には、家に着いてると思います」

 話を元に戻そうと、オレは明日の予定を告げる。

「じゃあ、あたし、三時半にあなたの家に行くからっ!」

 ……はいぃぃ?!!

「―いいわねっ!」

「……あ、はい」

 余りの勢いに、つい押し切られた。

「じゃあ、今日はこれで……恵介くんに会えて良かった。お姉ちゃん、とっても楽しかったわっ!」

 駅の改札前で、三善さんはそう言って、オレに手を差し出す。

「……何です?」

「握手よ……握手しましょ。あたしたち」

 白くて長い指。ふんわりと温かそうな手が……オレを待っている。

「は……はい」

 オレは、シャツでで手をゴシゴシ拭ってから……手を差し出す。

 手と手を握り合う……オレたち。。

 女の子の手に直接触れるなんて……小学校の時のフォークダンス以来かな?オレは、今日のこの手の感触を、一生忘れないだろう。

「ね……お姉ちゃん、思うんだけど……恵介くんのその髪の毛、ちょっと長過ぎない?伸ばしてるの?それって校則とかは平気なの?暑くない?」

 握手したまま……三善さんが、オレの頭髪を見て、そんなことを言った。

「いや、あの……暑いです。これも、そろそろ切ろうとは思ってるんですけど……今、ちょっとお金が無くって……!」

 やっぱり……他人が見ても、伸びすぎなんだな。

「……そうよね、美容室に行くと、お金が掛かるものね」

 三善さんは、そう言うけど。あの……美容室じゃなくって、オレは『カットのみ千円均一』の床屋に行ってます。

「よし……それも、お姉ちゃんが何とかしようっ!」

 ……はい?何とかするって?!三善さん?

「いいから、お姉ちゃんにドーンと任せておいてっ!」

 そう言うと、黒髪ロングの『お嬢様』はニッコリ微笑んで……。

 小柄なオレの身体を……一瞬ギュッと抱き締めたッ!

 …………!!!

 柔らかくて……温かい、女性の感触。

 ほのかに香る、三善さんの黒髪の匂い……!

 それから彼女は、するりと身体を離して……ニコニコ笑いながら……駅の改札口を通り抜けて行く。

 大きく手を振りながら……ゆっくりとホームの方へ。

「恵介くん!また、明日ねっ!」

 そんな明るい声を残して……三善さんは、駅の中へと消えていった……。

 オレは……しばらく、ボーッとその場に立ち尽くしていた。

 あんな綺麗な人が、オレの姉さんだって???!!!

 そんなこと、あるはずがない!

 ……絶対に。

 そして、「ハッ」と気付く。

 あの綺麗な人が……明日、オレのアパートの部屋に来るぅぅ?!部屋に上がるぅ?!

 うそ……そそそ、掃除、掃除しなくちゃあ―!!!





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