ある悪者の死
祈りの声がする。
今日、一人の英雄が死んだ。
真っ白な翼の、誰からも認められぬ英雄だ。
彼は笑って言ったものだ。
「赤には染めたくない」
ずいぶんな変わり者だ。使徒にとって赤は英雄の色。憧れの色の一つで、誰もがその栄誉を得ることの出来る色なのだ。
だのに、彼はその色を望まなかった。
なら何色にするのか、と訊ねたら、彼は困ったように笑ってこう言った。
「もう、白く染まってるよ」
私には分からなかった。
英雄達の眠る大聖堂。数多の棺が、ステンドグラスからの灯りによって照らされる。
死者達は、棺の中で儀式を待ち、儀式が終われば、そのまま屍使徒の下へ運ばれる。
そこで、完全にお別れ。
「なあ、何で真っ白なままなんだ?」
「まだ、誰も殺していないからだろ。簡単な事じゃないか」
そうじゃない。何で、臆病者とののしられてまで殺さないのかを聞きたかったのだ。
だが、彼は私の言葉を遮った。
「許してくれないんだよ」
「なんだそりゃ」
彼は遠くを見て、笑った。彼は本当によく笑っていた。
献花で、棺が満たされていく。
誰もが足を止め、その偉大さの証を見て、首を振る。
なぜ、彼は白きままで逝くのか、と。
彼は誰一人殺さなかった。戦場に立ちながら、決して敵を殺すことはなかったのだ。
彼は時として味方からも狙われた。スパイだと思われたのだ。
何度か戦場で味方に殺され駆けたことすらあった。
それでも、味方も敵も、誰一人殺すことなく切り抜けた。
今でも、彼はスパイだと信じている者もいる。
ただ、スパイの疑いはすぐに晴れた。そもそも、彼は階級が低く、交友関係も狭かったので、大した情報は手に入らない。それ以前にこんな分かりやすいスパイなどいるものか。
カァ……ラン カァ……ラン……
弔いの鐘が鳴り響く。どこかくすんでいるは、水を統べる使徒からの、哀れみの雨のためだろう。
棺のふたが閉められる。純白の羽は灰色に染まり、やがて黒くなる。
翼が黒くなるだけで、あれほど悪魔と似るのか。
いや、初めから、分かっていたことだ。悪魔も、使徒も本当はそれほど差がない、なんてことは。
彼は、誰一人殺さなかった。その最期まで。
彼の最後の戦い。陸地上での戦い。そばに切り立った崖があった。そして、その日は、土砂降りの雨が降っていた。
分かるだろう。土砂崩れが起きた。
その場で戦っていたのは使徒25名、悪魔30名の55人。
そのうち、助かったのは後方にいた臆病な我が指揮官達2人と、たまたま範囲の外に逃れていた悪魔7人と、白い翼の彼だった。
悪魔達は敵がいるのも忘れて思わず駆け寄り、救助を始めた。
彼もそれに加わった。悪魔達は驚き、何を企んでいるのかと訝ったが、すぐに無視した。急がなければ。彼らの頭にはそれしかなかった。
我らの指揮官達も彼に一喝され、嫌々手を貸した。
「良かったよ。あんたらがまともな奴らで。おかげで全員助かった」
「バカなことをしてくれたな。結局殺し合うだけなのにな」
「それでも、いつか止めたいんだ。こうやって、少しずつ」
「止まってなんていないだろう?」
「見ろよ。誰が、ここで戦争やってるのさ?」
皆が敵味方関係なく抱き合い無事を喜んでいた。
「……夢想だな」
「理想だよ」
「妄想だ。主と神が分かち合うなど、ありえない」
「それでも、いつか分かり合うよ」
敵の指揮官は呆れていた。
だが、この時の25人のうち彼をのぞいた者全員が再訓練となり、彼は利敵行為を働いたとして、死罪。ただ、救助行為を評価され、堕天の烙印は押されず、戦士として死ぬことは許された。
因果なものだ。
バカだと思う。何で好きこのんで敵を助けるんだろ。
どうせいつか殺すのに。殺されるのに。
運び出されていく棺の群れ。私は最後まで立ち会うことはせず、遠くから見送る。
嘆きの風が吹き抜ける。風を司る使徒からの、死者へのはなむけ。
棺が屍使徒に引き渡される、つまり、地に埋められるとき、微かな地震。
それが、地の使徒の別れの印。
迂遠なことだと、いつも思う。
私はタバコに火を点ける。
一度、二度、深く、深く吸い、吐きだす。
それは、私なりの別れの知らせ。
まだ長いタバコを指ではじき飛ばす。
地に落ちたそれから、紫煙が細くたなびいていった。
葬式に関しては創作です。
この作品は正義、ジャッジメントと同じ世界観での物語です。ですが、この話だけでもお楽しみいただけます。




