EP 10
合法的な錬金術「セルフバック(自己アフィリエイト)」
四月中旬の昼休み。
三晃紙器工業の社員食堂には、揚げ油の匂いと、作業員たちの気怠い雑談が充満していた。
「おい山岸、お前今月もう金欠なんだって?」
パイプ椅子をギィと鳴らしながら、カップ麺をすすっていた先輩作業員が、向かいの席に座る山岸をからかうように突っついた。
山岸はげっそりとした顔で、百円ショップで買った安売りの菓子パンをかじっている。
「聞いてくださいよ先輩……。高校の友達に誘われて週末に飲みに行ったら、一晩で一万五千円も飛んじゃって。初任給が出るまであと十日もあるのに、財布の中に二千円しか残ってないんすよ。だから今、必死にスマホで『ポイ活』やってるんです」
「ポイ活ぅ? なんだそれ、稼げんのか?」
「アンケートに五分かけてポチポチ答えると、一問あたり『3ポイント(三円相当)』もらえるアプリです! 昨日の夜、三時間ぶっ続けで頑張って、四十問答えて百二十円分稼ぎましたよ! これで自販機の缶コーヒー一本買えます!」
自慢げに胸を張る山岸。
先輩は「おお、すげえじゃん! ちりも積もればなんとやらだな!」と大真面目に感心していた。
その隣の席で、俺は母が作ってくれた弁当を黙々と口に運びながら、頭の中で静かに冷徹な計算を走らせていた。
(……三時間で百二十円。時給換算で【四十円】だ。
アンケート会社に自分の個人情報と貴重な命の時間をタダ同然で差し出し、缶コーヒー一本で喜んでいる。
これぞまさに、情報弱者をカモにするプラットフォームの典型的な養分だな)
世の中の九十九パーセントの人間は、「小遣い稼ぎ」と聞くと、自分の時間と体力を切り売りして数十円を拾い集めるような不毛な作業に飛びつく。
東京へ進学した金子拓海もそうだ。
先週末の拓海のインスタのストーリーズには、銀座のクラブでイキがる先輩たちの後ろで、ブランドものの財布を広げて『今月もピンチだけどリボ枠があるから無敵w』と投稿されていた。
年利一五%の借金地獄へと自ら首を突っ込んでいることにも気づかずに。
だが、俺の視線はそんな泥沼の我慢比べには向いていなかった。
(実家の不用品販売で、手取り【十五万円】の初期資金は確保した。
現在の口座残高は十八万二千円。
……ここから一気に、ノーリスクで種銭を倍増させるフェーズ2を発動する)
俺は作業着の胸ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。
狙うのは、資本主義の構造が生み出した合法的なチートコード――【セルフバック(自己アフィリエイト)】だ。
◇ ◇ ◇
午後十七時零二分。
夕方の終業ブザーとともにタイムカードを切り、俺は真っ直ぐに実家へと帰宅した。
シャワーを浴びて夕食を済ませ、自室のデスクに向かう。時刻は十八時十五分。
ここから深夜二十四時までの約六時間が、俺の主戦場だ。
机の上に、高校時代から使っている五年前の型落ちノートPCを開く。
画面に映し出したのは、日本最大手のアフィリエイト・サービス・プロバイダ(ASP)である『A8.net』のトップページだった。
「……まずは仕組みの理解からだ」
源蔵の病室で叩き込まれた講義が、脳裏に鮮やかに蘇る。
『いいか坊主。世間の馬鹿どもは「アフィリエイト」と聞くと、怪しいブログで他人に商品を売りつける詐欺まがいの商売だと毛嫌いしやがる。
だが、アフィリエイトの本質は単なる【企業の広告宣伝費の分配】だ。
テレビのCMに何億円もドブ捨てするくらいなら、実際に商品を使ってくれるユーザーに直接現金を配った方が安上がりだと気づいた大企業が、正規に用意した集金システムなんだよ。
その中でも【セルフバック】ってのはな、他人に紹介するんじゃねえ。
「自分自身でサービスに申し込み、企業が用意した広告報酬を自分の懐に丸々キャッシュバックさせる」という、完全合法の裏技だ』
なぜそんな都合のいい話が存在するのか?
答えは、企業の【顧客獲得単価(CAC:Customer Acquisition Cost)】の概念にある。
例えば、大手クレジットカード会社やネット銀行は、一人の新規顧客(カード保有者)を獲得するために、テレビCMや駅頭広告を含めて平均して【一万〜二万円】の広告費を計上している。
彼らにとっては、カードを一枚作ってもらい、将来的にリボ払いやキャッシングの手数料、あるいは加盟店からの決済手数料で回収できれば、最初に一万円や二万円の現金を顧客にプレゼントしたところで十分に黒字化する計算なのだ。
資本主義の食物連鎖において、大企業は「将来の手数料」を期待して巨額の広告予算をばら撒いている。
情弱は言われるがままカードを作り、リボ払いで搾取される。
だが――【ルールを知る資本家】は、最初から手数料を払う気など毛頭ない状態で、企業が差し出してきた「撒き餌の現金」だけを鮮やかに掠め取るのだ。
「さあ、始めようか」
俺はA8.netの会員登録を済ませ、セルフバック専用ページへとログインした。
画面には、信じられないような高額報酬案件がズラリと並んでいる。
・【年会費永年無料】某大手流通系クレジットカード発行:報酬11,000円
・【年会費無料】某大手ネット銀行系カード発行:報酬9,500円
・【口座開設+1回取引】大手ネット証券総合口座:報酬12,000円
・【無料口座開設+1ロット取引】大手FX口座:報酬35,000円
「……一撃で数万円。山岸が三時間アンケートに答えて手に入れた百二十円が、どれほど悲惨な作業かよくわかるな」
だが、ここで素人が陥る致命的な罠がある。
「片っ端から高額カードに申し込めば、一晩で三十万円くらい稼げるじゃないか!」と暴走することだ。
(それをやった瞬間、信用情報が死ぬ)
俺はキーボードを叩く手を止め、デスク脇のメモ帳に赤ペンで大きく書き殴った。
『【絶対厳守:CIC申込みブラックの回避ルール】』
日本には、『CIC(指定信用情報機関)』や『JICC(日本信用情報機構)』という、個人の借入れやクレジットカードの利用履歴を一元管理するデータベースが存在する。
人がクレジットカードやローンを申し込むと、カード会社はその瞬間にCICのデータベースを照会し、その「照会履歴」がシステムに【六ヶ月間】厳格に記録される。
もし、一ヶ月の間に五枚も六枚も立て続けにカードを申し込むとどうなるか?
審査の自動判定システムは、こう推論するのだ。
『この申込者は、短期間に異常な数のクレジットカードを欲しがっている。
おそらく金に極度に困っており、カードを枠いっぱいに使って踏み倒す気か、自己破産寸前の多重債務者予備軍に違いない』
これが、いわゆる【申込みブラック】の正体だ。
一度この判定を食らうと、年収がどれだけ高かろうが、機械審査で一律にすべての審査を落とされるようになる。
カードが作れないだけでなく、将来の起業資金の融資も、アパートの賃貸契約も、スマートフォンの分割払いすらも半年間完全にストップしてしまう。
(だからこそ、冷徹な戦略が必要なんだ)
俺はセルフバック案件を精査し、以下の「鉄壁の安全ルール」を組み立てた。
1.クレジットカードの発行は【月に最大2〜3枚まで】に抑える。
2.申し込むカードはすべて【年会費永年無料】のものに限定する(維持費ゼロ)。
3.キャッシング枠は必ず【ゼロ(なし)】で申し込む。
※キャッシング枠を設定すると「総量規制(年収の三分の一以上の借入れ制限)」の審査が厳格化され、審査落ちリスクが跳ね上がるためだ。
4.残りの目標金額は、クレジットカードではなく【ネット証券口座】【FX口座開設】【無料会員登録】【サブスク無料お試し】の組み合わせで安全に埋める。
そして――ここで最大のレバレッジとして火を吹くのが、俺が手に入れた【食品工場の正社員】という最強の属性だった。
「……勤務先情報、入力開始」
申込フォームの『職業』欄。
俺は迷わず『会社員(正社員)』を選択した。
『勤務先名:三晃紙器工業株式会社』。
『従業員数:120名』。
『資本金:3,000万円』。
『勤続年数:1年未満』。
『年収:220万円(見込み)』。
世間は「手取り十四万の工場勤務」を底辺と笑うかもしれない。
だが、金融機関のスコアリング(信用評価)において、「正社員」「固定給」「社会保険加入」という三拍子は、黄金の輝きを放つ。
月収百万円を稼いでいても、税務署に届出を出したばかりの個人事業主やフリーターは「来月の収入がゼロになるかもしれない不安定層」として機械審査で弾かれる。
しかし、中小企業の平社員であっても、毎月確実に会社から口座へ給与が振り込まれ、社会保険証という公的機関の裏付けがある人間は、「最も貸し倒れリスクが低い優良顧客」として即座に審査をパスするのだ。
カタカタカタ、ターンッ!
俺は淀みのないタイピングで、厳選した三つのクレジットカード案件を順に申し込んだ。
① 大手ECサイト系クレジットカード(年会費永年無料)
→ セルフバック報酬:【12,000円】
② 大手流通系ショッピングカード(年会費永年無料)
→ セルフバック報酬:【10,000円】
③ 大手通信キャリア系クレジットカード(年会費永年無料)
→ セルフバック報酬:【8,000円】
送信ボタンを押してから、わずか数分後。
ピロン、ピロン、ピロン、とメールボックスに連続で通知が届いた。
『【発行手続き完了のお知らせ】カードの発行手続きが完了いたしました』
「……よし、三社すべて即時発行可決だ」
机の上の電卓を叩く。
わずか三十分の作業で、確定したキャッシュバックは【合計30,000円】。
手取り十四万八千円の工場の給料の、実に五分の一以上に匹敵する金額だ。
「だが、まだ終わらない。ここからが本番だ」
次に俺が狙いを定めたのは、信用情報機関(CIC)に傷がつかない【金融口座の開設案件】だった。
証券会社や銀行の口座開設は、クレジットカードのような「信用供与(借金)」ではないため、何社申し込んでも信用情報に悪影響は一切及ばない。
④ 大手ネット証券A社:総合口座開設+5万円入金
→ セルフバック報酬:【11,000円】
⑤ 大手ネット証券B社:総合口座開設+投資信託1万円買付
→ セルフバック報酬:【15,000円】
※不用品販売で手に入れた現金十八万円を一時的に口座へ入金し、条件を満たした後に即座に出金すれば、元本毀損リスクは完全にゼロだ。
そして――最高峰の旨味を誇る【FX(外国為替証拠金取引)口座開設案件】へと駒を進めた。
「FX口座は、一撃の単価が跳ね上がる」
画面に表示された条件を丹念に読み込む。
『新規口座開設後、60日以内に1ロット(1万通貨)以上の新規取引完了で、報酬40,000円』。
素人は「FXなんてやったらギャンブルで破産するんじゃないか?」と震え上がる。
だが、資本家の算数は違う。
(相場で儲けようとするからギャンブルになるんだ。
俺がやるべきは、相場の予測じゃない。
ただ【報酬の獲得条件を最小コストで満たす作業】だけだ)
手順は極めてシンプルだ。
不用品販売で作った資金から十万円をFX口座へ入金する。
米ドル/円の取引画面を開き、「成行買い」のボタンを押した【一秒後】に、即座に「全決済(成行売り)」のボタンを押す。
保有時間はわずか一秒。
為替相場の変動による損失は、買値と売値の差額である、わずか【十円〜二十円程度】で済む。
つまり、たった二十円の手数料を支払うだけで、条件である「新規取引完了」のフラグを完全に達成できるのだ。
二十円のコストを払い、四十秒の作業で、四万円の確定報酬を抜き取る。
これ以上のハイリターンな取引が、この世のどこにあるだろうか。
俺はこの手法を使い、条件の緩い大手FX会社三社に狙い撃ちで申し込んだ。
⑥ 大手FX会社C社(新規1ロット取引):【40,000円】
⑦ 大手FX会社D社(新規1ロット取引):【35,000円】
⑧ 大手FX会社E社(新規1ロット取引):【30,000円】
さらに、隙間時間を使って以下のノーリスク案件を一気に回収していく。
⑨ 大手動画配信サービス(U−NEXT等)の31日間無料トライアル登録:【1,800円】
⑩ 音楽配信サービスの無料体験登録:【1,200円】
⑪ ネット光回線の新規開通(実家の固定費削減の一環で乗り換え):【25,000円】
⑫ 保険の無料見直し相談(近所のカフェで話を聞くだけ):【10,000円】
⑬ クラウドソーシングサービスの無料会員登録:【500円】
時計の針が、深夜二十三時四十五分を指した。
ノートPCのファンの音だけが静かに響く部屋で、俺はA8.netの『成果発生レポート』の更新ボタンをクリックした。
クルクルと読み込みのアイコンが回り――画面が一新される。
【A8.net セルフバック発生レポート】
・クレジットカード発行(3件):30,000円
・ネット証券口座開設(2件):26,000円
・FX口座取引達成(3件):105,000円
・無料会員登録・回線見直し等:39,000円
★ 今週の未確定/確定成果合計:【200,000円】
「……二、十、万、円」
画面に並ぶ『200,000』という数字を見つめ、俺の口から深く、長い息が漏れ出た。
初期費用はゼロ。
時給労働の時間は一秒も売っていない。
身体を壊すこともなく、誰かに頭を下げることもなく、ただ夜の数時間を自室のデスクでパソコンを叩いて過ごしただけだ。
それだけで、食品工場で朝から夕方まで一ヶ月間油にまみれてもらえる手取り給料(十四万八千円)を、遥かに凌駕する富が確定したのだ。
電卓を引き寄せ、現在の総資産を再計算する。
・初期資金(高校時代のバイト代の残り):32,000円
・フェーズ1(不用品販売の純利益):+150,000円
・フェーズ2(セルフバック確定報酬):+200,000円
★ 動かせる自己資本合計:【382,000円】
「三十八万二千円……ッ!」
思わず拳を強く握りしめた。
高校卒業時、ポケットに三万二千円しか入っていなかった十八歳の口座に、働き始めてわずか半月で、四十万円近い本物のキャッシュが着金しようとしている。
山岸は今頃、百二十円のアンケートに目を血走らせているだろう。
拓海は東京で、リボ払いの罠に怯えながら見栄を張っているだろう。
俺を「高卒の工場勤務とか無理w」と見捨てた凛は、そんな拓海の腕にすがりついているはずだ。
彼らとの差は、才能の差ではない。
親の財力の差でもない。
ただ――「資本主義というゲームのルールを知っているか、知らないか」。
その紙一重の知識の差が、わずか半月でこれほど残酷な格差となって現れ始めていた。
プルルル……と、机の上のスマホが振動した。
画面を見ると、九条源蔵からの着信だった。時刻は日付が変わった零時五分。
俺は即座に通話ボタンをスライドした。
「もしもし、じいさん」
『おう、起きてたか坊主。レポートの画面は見えたか?』
「ああ。たった今、セルフバックで【二十万円】の成果を確定させたところだ。
不用品販売の利益と合わせて、手元の軍資金は【三十八万二千円】に到達したよ」
受話器の向こうで、源蔵が「カッカッカ」と低く喉を鳴らして笑った。
『ケッ、上出来だ。
大企業の広告予算から、正当に二十枚の福沢諭吉を毟り取ってやったわけだな。
正社員という看板を道具として使い倒したのも見事だ』
「じいさんの教え通りに動いただけだ。
……でも、セルフバックは一人につき一回しか使えない、いわば『一回きりのボーナスステージ』だろ?
来月も再来月も同じように二十万円が手に入るわけじゃない」
『その通りだ』
源蔵の声から笑みが消え、厳格な投資家のトーンへと切り替わった。
『不用品販売も、セルフバックも、しょせんは「無から種銭を錬成する最初の一撃」にすぎねえ。
だがな湊、手元に三十八万円の現金ができた。
ここからが、本当の「商売」の始まりだ。
出来上がった三十八万円の兵隊を、今度は現実の市場に突撃させて、雪だるま式に増やしていくぞ』
「フェーズ3……【店舗せどり】だな」
『そうだ。明日から最初の週末だ。
世間の小僧どもがデートや合コンで金を溶かしている間に、てめえはリサイクルショップへ乗り込め。
ゴミの中に眠る【相場の歪み】を突き、三十八万円を一気に百万円へと化けさせる技術を叩き込んでやる。
――明日の朝九時、駅前のハードオフの前で待ってろ』
「了解だ。……楽しみにしてるよ」
通話を終えた俺は、ノートPCの画面を静かに閉じた。
窓の外を見上げると、澄み切った夜空に三日月が鋭く光っていた。
手元の軍資金、三十八万二千円。
これを倍に増やせば、目標である「種銭百万円」の背中が完全に視界に入る。
工場のベルトコンベアの向こう側で、俺の資本主義攻略は、次のステージへと猛スピードで加速していた。
【現在の倉科湊ステータス】
・年齢/肩書:18歳/食品工場ライン工(手取り月14万8,000円)
・総資産残高:382,000円(前話比:+200,000円)
・月間不労/事業キャッシュフロー:+350,000円(不用品15万+セルフバック20万確定)
・【今日の源蔵のマネー格言】:「企業の広告費は、情弱から巻き上げた金でできている。カモになって手数料を払う側に回るか、仕組みをハックして現金を抜き取る側に回るか。選ぶのはいつだっててめえの知識だ」
読んでいただきありがとうございます。
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