第5話 愛の握力④
宮城県警サイバーエリア特別捜査課に訪れるのは二回目だった。
ミオカ軍曹はいつも通り軍服だが、私はスカートのスーツ。
今日はDA作成の被疑者との初回面談に来たのだ。
「被疑者、DAの所在知ってますかね?スズカさんでしたっけ」
「さぁな。でも市内に現れてるなら、痕跡もあるだろう」
「そもそも、DAの売春って何ですか、なんか矛盾してません?」
DAには人権がない。
そうであるならば、DAの売春というのは、つまるところAVの購入とかと変わらない売買契約のような気がする。あれだ、ペットが器物損壊にあたるみたいなものだ。
「売春っていうのは、まぁ、分かりやすいからそう言ってるだけだな。ただ相手がAIではなくDAだと分かって利用した場合は、罪に問われる」
ミオカ軍曹が立ち上がる。
私もそれにならって、さらに敬礼する。
「まじか、、、本当にまたお前さんかよ、、、」
天然パーマの、スーツのシワがひどいことになっている小枝のような男が、私たちを前にして崩れるようにしゃがみ込む。
「どうした、オサム警部補。腰を抜かすほど私に会えて嬉しいか?」
「面白い冗談ですね、、、ははっ、、、はぁ、、、今から救急車の手配しとくべきですか?」
「まぁ、必要だろうな」
「必要ないんですよ、普通は」
私はなんとなく、二人の関係が分かった。
前回の任務と同様、おそらくこれまでもミオカ軍曹は穏便ではない方法で事態を終息させてきたらしい。
オサム警部補は、歪に膨らんだスーツのポケットから茶色い瓶を取り出し、その中の錠剤を十粒ほど口に放り込んだ。
『普通の整腸剤ね、一日一回十錠、今のところ適量、安心して』
検索にかけるとお姉ちゃんがそう回答してくれた。
余計にも製造会社のウェブサイトまで開いて。
「あなたが新しい心理専門兵ですか?」
「はい、ニュイ二等兵であります」
「ご愁傷様です、、、これ、飲みます?」
オサム警部補が折れそうな腕で瓶を差し出す。
「いえ、固辞します!尿酸値に影響があるとのことなので」
「君、その年齢で尿酸値気にしてるの?」
「お酒を嗜むので!」
「タバコもだろ、痛風になるぞ」
ミオカ軍曹が横槍を入れる。
本当にストーキングされてるんじゃないかと私はぞっとした。
それから私はきっと睨んで、
「喫煙はむしろ、痛風の発症に関しては抑制的に働くと何かで聞きました。あと女性が痛風になる確率はかなり低いです!」
「偉そうに言うなよ」
軍曹の指摘は正しい。
私は高確率で胃がんになるらしいが、次点として肺がんの確率も高いのだ。
選択肢が無限に広がってる、夢のある若者なのだ。
「じゃぁ、案内しますね」
オサム警部補が歩き出す。
腰が曲がって杖をついているように見えたのは錯覚だが、それぐらい歩みに力が感じられない。それに、また瓶から整腸剤を取り出し、飲んだ。
『適量、さっそく超えたね』
『私は社会の奉仕者の悲哀を見たよ、お姉ちゃん』
いずれ私もああなるのかと思うと、どうにも警部補のことを応援したい気持ちになってしまった。
▲▽
「私の名前は、ニュイと申します。これからよろしくお願いいたします。レンマさん」
インテークに入る。
私は極めて柔和な笑顔を意識して、それでいて馬鹿にしていると思われないような程度に、表情を作る。
「私はオーウ技術連合自治軍・第三師団・第三DA対策部隊から来ました。軍と名につきますが、私はレンマさんと、スズカさんの適切なお別れを支援するためにうかがいました」
声のトーン、話す速度も重要だ。
高すぎず、低すぎず、聞き取りやすく、不快を与えない声。
「今回の初回面談終了時点から、通称DA法に基づき、一週間の時間がレンマさんに約束されます。そして一週間を超えてお別れが叶わなかった場合、オーウ技術連合自治軍が、レンマさんに代わり、スズカさんのお見送りをいたします」
自分で言っていて、迂遠すぎるだろと突っ込みそうになる。
要するに、一週間以内にお前がDAを探し出して、説得して抹消しろ。さもなくば軍が強制的に存在を消す。
そういうことだ。
レンマという男は、ずっと項垂れたままだった。
私と彼の間に遮るものはないが、彼の脳波に攻撃の意志が現れると、仕切りが迫り上がる仕組みになっている。
物理的な壁も心理的な壁もなくして、説得する。
それが私の軍での仕事だ。
「レンマさんは、、、あれ、オーウ総合第二大学の大学院生さんなんですね、私の、、、医学部院生だから先輩か」
もちろん、そんな情報は事前に知っていた。
だが、いま初めて知ったような雰囲気を出す。
こちらは何も身構えてなぞいないのだ、と。
「そっか。お姉さん、賢いんだ。じゃぁそんな話し方やめてよ。ラポール形成しようとしてるの、丸わかりだから」
なるほど。
そう来たか。
ならこちらもぐっと懐に入る。
「そう?分かった、じゃぁ止める。大学院ではオルガノイド、ひいては擬似人体の研究に取り組んでいる。常日頃からDAには人権があると考えており、その考えが普及するためには身体の獲得が必要不可欠だと主張している。また、身体がない状態では、人権はあるものの、人と認めることはできない、と。いわゆる遡及的人権付与理論の支持者ってことね」
DAはいずれ確実に体を獲得する。
そうなれば、それは一個の完璧な個人であり、人権が認められるはずである。
そうであるならば、現在に身体を持たないDAにも、人権が認められるべきだ。
それが遡及的人権付与理論の考えだ。
この理論の支持者は、基本的に「身体」に重きを置いている。
心、意識の機序がまだ解明されていない現状、DAにそれがあるとは断定できない。そうであるならば、人間と同じ身体と思考、両方を持つことで、心、つまり意識があるとみなすことができる、という論理だ。
身体があれば、もう人間とDAの間に差はない。
差がないなら、同じものとして扱うしかない、という消極的姿勢でもある。
「その通り。だから分かりますよね?俺は今のスズカを人間とは思っていない。でも、彼女には生きる権利がある」
「だから、消去には協力できない、ね」
「そうです。それに、いずれにせよ、俺は彼女がどこにいるか、知らない。接触できなければ、消去もできない」
DA問題の課題はそこにある。
一括りにDAと言っても、いろいろな種類がある。
特定の記憶だけを持たせたり、クローズ環境のみで蘇生する場合もある。
そして最も厄介なのは、フルスペックかつオープンデータとして開放することだ。
その場合、作成者とDAの間にはなんらの紐帯もない。
DAは、何層にも重なり、捻じれ、ほとんど迷宮となったデータの森の中に消えていく。クラウドの管理者がその1個の存在を見つけ出すのは、砂漠の中で特定の1粒の砂を見つけるのと同じ難易度だ。
「ですが、スズカさんはまだ仙台にいます」
「そうらしいですね」
「そもそも、レンマさんはなぜ、スズカさんのDAを作成したのですか?」
その質問の答えは、まだ警察にも話していない。
彼は目を細めて、記憶の中に耽溺するようだった。
「____彼女は、殺されたんです」
彼は私にではなく、神にでも訴えかけるようだった。
だが、それは嘘の密告だ。
スズカという女性は、享年二十歳だった。
死因は睡眠薬と抗精神病薬の多量摂取による自殺。
「家族、特に父親に、という意味ですか?」
「そうです」
「それは、、、DAを作成した理由にはなりません。彼女の父親はすでに虐待の罪で逮捕されています。それ以上何を?」
「何も?俺は、彼女が過ごすべきだった普通の人生を取り戻したかっただけだ」
私はその言葉を聞いて、一瞬で答えにたどり着いた。
だがそれは、あまりにも危険すぎるものだった。
「まさか____父親の記憶データを消去した?」
「違いますよ。彼女の家族と、俺に関する記憶データを、です。具体的に言えば、彼女が家族から離れ、病院で過ごしていた、18歳~20歳までの記憶」
「でもその二年間の記憶にも、家族とあなたに関するものはない」
「そうです」
私は怒りでもう体裁を取り繕うことができなかった。
それは最も故人の人権を損害する行為でしかない。
まるで死体で人形遊びをするような所業。
「____自分が何をしたか分かってますか?」
「分かってます。自分が何者か分かっているのに、何かが足りない。それは記憶を丸ごと喪失するよりも不安で、危険な状態です」
「それが分かっていて、あなたは作成したっ!!」
私はがたりと席を立って絶叫していた。
ミオカ軍曹からすぐさま通信が入る。
私はそれを許諾した。
『落ち着け、ニュイ二等兵。何も突飛なことじゃない』
『はい、、、すみません、、、』
『被疑者は協力的だ。自分が捕まった時点で、すでにスズカの消去は確定していると、理解している。だからしゃべったんだ』
『そうですね』
『あとはこっちでスズカを探すだけだ。邪魔だけはしないように、釘を差せ』
ミオカ軍曹が言っていることは正しい。
彼がDAの居場所を知らず、またDAにも彼の記憶がないとすれば、この被疑者は私たちにとって用済みだ。
あとは消去の際に変な動きをしないでくれるだけでいい。
でも、、、それでも、、、。
「狭き門って、知ってます?」
「え?」
「狭き門より入れ。新約聖書、マタイ福音書にある言葉です。俺はそこを通れなかった。安易な、滅にいたる門を通ることを選んだ。だから、警戒しなくていいですよ。どうせここじゃ、何もできない。あなたたちの邪魔はしません。スズカをよろしくお願いします」
レンマは深く頭を下げた。
私の仕事は呆気なく終わった。
それでも、何か飲み込めないものがあった。
この賢い青年が、記憶の改ざんにまで手を出してスズカさんを蘇生したのに、引き際が良すぎる。
二人には何かある。
でもその何かを、私にあばく権利はあるのだろうか。
それこそ、死体を弄ぶような行為ではないのか。
レンマが去ったあとも、私は椅子から立ち上がれずにいた。




