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NoBody_NoBudy  作者: 屋代湊
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第4話 愛の握力③

____宮城県第一中等教育学校。


まさに目下、太陽が崩壊していると言われても信じられるほどの、強い夕日に晒された自習室。個人ブースが並ぶその部屋で、1つだけ使用中を示す青いライトが反抗的に光っていた。


「ソウタロウじゃん、なんでいんの?」


私は「選択的情報遮断モード」になっている個人ブースの扉にアクセスして、中に声を届ける。

透明な扉の向こうで、ソウタロウが振り返った。


「ん?____ルイか」


「学校休みなのに来てたんだ」


「家だと勉強に集中できないからね、ちょっと待ってて」


ソウタロウは飲みかけのペットボトルをすぐにリュックにしまった。

私も勉強に来たのに、ソウタロウは早合点だった。

いつもはあまり私に関心がないのに、今日の彼は私と話す機会を、その小さなブースで冬眠するかのように待っていたらしい。

私は卒業年になって初めて、心底嫌いな自習室で少しだけ心が浮ついた。


▲▽


「へぇ、ルイが勉強ね。6年間一緒にいて、初めて聞いたような気がするよ」


教室には二人きりだった。

これまでの学校生活を振り返れば、こうして二人で過ごした時間はそう少なくないような気がする。だいたいはいつも、家に帰りたくないソウタロウに、私がちょっかいをかけていただけだが。


「だって今、何月?」


「3月」


「受験まで?」


「4か月くらい?」


私は不安から目尻が熱くなるのを感じて、「助けてソウタロウぅぅぅぅぅ!」と、両手を伸ばしながら机に突っ伏した。


「全然勉強してる姿見ないから、余裕だと思ってたよ」


「それ嫌味?嫌味だよね!?」


私は向かいに座るソウタロウの両の肩を掴んで揺さぶる。

表情に乏しいソウタロウが、少しだけ悲しそうに笑ったように見えた。

そう、こいつは人畜無害なように見えて、その実、人のことをからかうのが好きなのだ。


「今は何の勉強をしてるの?」


私は自分の網膜ディスプレイをソウタロウに共有する。


「近現代史か」


「あのね、不思議なんだよ。講義動画聞いてるだけで、もう1日終わってる。どんな映画よりも没入感がすごい」


時は流れるものじゃない、飛ぶものだったんだよ、と付け加えると、ソウタロウは鼻から息を深く出して、


「それ、寝てるでしょ。アラートオフにしてるの?」


「いや、アラート鳴ってても寝てる。そして誰かが知らない内に消してる」


「それは、、、恐ろしいね」


「でしょ?だから助けて!ソウタロウは余裕なんでしょ。本国の大学」


私の言葉には反応せず、ソウタロウは共有された講義動画を見ていた。

勝手に2倍速にして、私には何を言っているか全く聞き取れなかったが、ソウタロウは満足したようだ。


「勉強はね、聞くよりも話す方が覚えるんだ。そして、できれば誰かに教えるのがベスト、例えば____」


ソウタロウは録音を開始して、すらすらと語りだした。


・・・近現代史の大まかな流れは、まず先進国での人口減少、移民の増加、ナショナリズムの台頭、かつての日本、韓国、台湾、そして東ヨーロッパを戦場とした第三次世界大戦、中国での資本主義革命と二大大国時代。これが今。

そして、この政治の流れに加えて、技術革新の流れも大事なんだ。半導体技術はムーアの法則から外れ、微細化が難しくなった。それを解決するためにシステムが大規模し、そこに生成AIの需要が高まったことで、大規模なデータセンターが乱立するようになった。これが第三次世界大戦前。そして世界大戦後、まずは電力需要問題に関しては圧倒的なブレイクスルーがあった。そう、核融合炉の実現だ。そして、ここにAI技術の次のステップとして、ナノロボットと、ブレイン・マシン・インターフェース技術の発展がある。僕らの身体では無数のナノロボットが巡回し、脳の活動はインターフェースを通じてタイムラグがほとんどなく外部に発信される。そして、生きている間の全ての身体、思考のデータは常にクラウド上に転送され、さらなる人工知能の発展に繋がる。そして、それらのデータを保存するため、南米大陸、そしてアフリカ大陸のほとんどはデータセンターの置き場所になり、人口はアメリカ、中国、イギリス、ドイツ、インドに集中した。文化や伝統、国家という概念は少なくとも政治経済上での意義は薄れ、技術レベルの高低が国境となる新たな時代。そして、現在は国家間の戦争よりも、データ空間の制御に各国家のリソースは割かれている。


「・・・こんな感じ。あとはここに枝葉の知識をつけ足していけば、簡単だよ」


「その枝葉が多すぎるんだって。あとさ、最後のとこだけ良く分かんないんだよね。ナノロボットは分かるよ、3年に1回、病院で入れ替えあるし。なんちゃらインターフェースも、脳に発信機みたいなのが入ってるんでしょ。だから、考えただけで会話もメールもできる。でも、データ空間の制御だけは意味分からない」


「例えば、、、そうだな。どんどん増殖する山とか森みたいなものなんだ。今、網膜ディスプレイに映っている情報は、人が整備した山道だったり、平野の街だと思えばいい。でも、AIだったりDAは、人間の知らないうちに、データ内に新たな山や森を作り続けている。増殖だよ。その全てを把握している人間は1人もいない。例えば、ある下請け会社に新興の企業から新商品の製造・発注依頼がある。生産し、納品する。でもその発注元の新興企業には、人間は1人も関与していない。AIやDAが世論のニーズから、売れる商品を勝手に考え、勝手に発注する。その売上は新たな投資に回される」


「待って、、、それ本当?」


「本当だよ。それだけならまだいい方。最終的なコンシューマーである僕らには、安全さえ担保されていれば関係がないから。でも、株価や政治的意思決定プロセスまで入り込んでくる場合、深刻な問題になるし、すでに起こっている。例えば、インドのある病院はAIが設立し、そこでは余命情報の売買が秘密裏に行われていた。あとは複数のAIとDAが協力し、株式市場でHFT、つまり高頻度取引を行っていた。それ自体は違法ではないけど、その中で相場操縦と疑われるような動きがあった。でも、責任者はいないから、追及もできない。強いて言えば、DAの作成者ぐらい」


私は眩暈がするような気がした。

身の回りにあるもの、その全ての源流がどこか分からない。

山から流れてくる水が、確かに安全なものか、誰にも確認のしようがない。

そんな気がして、無数の目玉に監視されているような、そんな恐怖があった。

なんとなくは知っていたことだったが、無意識に考えないようにしていた。

今、与えられている便利さだけに、全身を漬からせていた。


「よく、、、分かりました」


「それならよかった」


「じゃぁそれをやっているのが、自治軍ってこと?」


「DAに関してはそうだね。DAは作成者がいるから、いわゆる「データ空間」の中でも比較的足がつきやすい。人間側からアプローチできるから。AIの方は、本当に未開地の開拓、冒険みたいなもので、政府のデータセキュリティの専門部署が担当してる」


「ソウタロウは本国でそれになりたいんだよね、だからあっちの大学に行くんでしょ?」


今、私たちがいる東日本は、第三次世界大戦の結果、アメリカの技術特別区・オーウになった。ソウタロウは九月になったら、ここを出てアメリカに行ってしまう。


「寂しい?」


ソウタロウは、また私をからかう。

頬が赤くなるのは夕日のせいだ、私はそう思い込むことで平静を保つ。


「寂しいわけないじゃん!もとはといえば、根暗でひとりぼっちのあんたを、私が構ってやってたんだから、寂しいのはあんたの方でしょ!」


思いがけず大きな声になってしまった。

ソウタロウは、私がまばたきする間に、感情の足を引っ張って心の奥底に隠したように見えた。後にはいつもの、何を考えているか分からない顔があった。

そうだ。

この学校に入学したとき、私はその顔に惹かれたのだ。

同じクラスになって、1か月後くらいだった。

放課後、1人でいる彼に向かって、私は話しかけた。


▲▽


『何、考えてんの?』


私は言葉には出さず、彼の脳に直接問いかけた。

彼は今と同じような顔をして、


『好きという感情は脳にあるけど、愛するという感情は身体にあるんじゃないかって、そう思ってたんだ』


私は想定していたどの解答とも違う、あまりにも突飛な解答に噴き出してしまった。

そして、声に出てしまった。


「ははははっ!あんた、今日の夜ご飯なにかなぁ、みたいな顔なのに、なに小難しいこと考えてんの?本当に先月まで小学生!?なんでそう思ったのよ。むしろ気になるわ!」


「僕、小学校行ってなくて。でも、ここはあまりにもうるさいから。耳が苦しくて。いつもノイズキャンセリングにしてる」


「へぇ、それでそれで?」


「うるさい人たちが、だんだん憎たらしく思えてきて、もう学校も辞めようと思ってた」


「もったいないよ!ここオーウ最難関校だよ?私が入れたの奇跡なんだから、それにまだ一か月だし」


その時、彼はゆっくり首を振ったあと、私の目をまっすぐに見た。

春霞のように、彼の背後、教室の窓の外はぼんやりとして、彼だけが立体的に私の目に映った。


「でも、君の声だけは、不快じゃなかった」


私は戸惑った。

それになぜか怒りも湧いてきていた。それが羞恥によるものなのか、その事実を羅列するような物言いのせいなのか、私には分からなかった。


「____私、あんたに話しかけたことあったっけ?覚えてないな」


彼は私に背を向け、そして一通のボイスデータを転送してきた。

私はそれを再生する。

わずかなノイズのあと、自分の声が聞こえ始めた。


『____手袋ってさ、いいよね』


『からかわないんですか?』


『なんで?あんたがどんな格好してようが、私に関係ないし』


『でも、、、みんなは、からかいます。もう暖かいのにって』


『暇なんじゃない?お受験から解放されてさ。それに4月はまだ寒いよ、人によっては』


『なんで、いいんですか?』


『う~ん。愛って感じするじゃん。私のお母さん過保護でさ、それがうざったいんだけど、まぁ、私のこと思ってんだろうなって分かるし。手袋もそうじゃない?ちょっと不便だけど、その分、暖かい。手袋は愛だよ、愛。それに不便も愛。あれ、私、詩人になれる?AIに勝てるかな?』


『僕、、、感覚が過敏で、、、でも神経の閾値を下げると、知らない間に怪我しちゃうし_____』


『いい、いい。理由なんて。どうでも。そもそも手袋自体興味ないし。むしろあんた自身の方が気になるよ、このクラスで多分、あんたが一番、よく分からなそうだし』


『だから、、、感覚が過敏で、、、』


『それはあんたじゃないじゃん、ソウタロウくん?のことが知りたいの。ほら、私の手をぎゅっって握ってみてよ_____なに恥ずかしがってんの?ほら、もっと、、、まぁ、ちょっと痛いか、、、で、これが何?確かにソウタロウくんはそれで苦しんでるし、大変なんだろうけどさ。この痛みで、私の何かが分かる?好きなタイプとか、食べ物とか、今なにを考えてるか、とか。私はそれが知りたいの!』


『論理がおかしいですよ。いいですか、僕はこの特性のせいで、人から遠ざかるようになったし、周りの人も気を遣うようになる、そういう経験は人格にフィードバックされて、個性を形成するんです。だから、あなたの手が痛いのとは全く別問題で、問題の単純化、曲解にすぎません!』


『おぉ、分かった。分かった。ソウタロウくんが頭でっかちなのは、十分に。言ってる意味分からないし。でも、それで?なんでソウタロウくんの顔はこんなに赤いのかな?私に惚れちゃったのかな?女の子に触るの初めて?それともその過敏のせい?』


『あなた、うざいって言われませんか?』


『もう言われてますー!よし、これでクラス全員と話した、ミッションコンプリートだね』


『そんな理由ですか?くだらないし、意味もない』


『でも、順番には意味があるかもよ?それから、私の名前、ルイね、よろしく』


『だから感覚過敏なんですよ、急に手、握らないでください』


『あ、ごめんごめん、忘れてた!』


音声データはそこで終わりだった。

彼は依然として、私に背を向けたままだった。


「あぁ、ね、あのときか!下校するとき一緒になったね、そういえば」


「忘れてたんですか?」


「だって、クラス全員と話したから、いちいち覚えてないよー」


「____嘘、ですよね」


彼はまた、ゆっくりとこちらに振り返り、そして私に近づいてきた。

私はやっぱり、なぜか、その自信ありそうな顔に怒りが湧く。


「嘘ってなによ!」


「だってさっきも、いきなり声じゃなく、頭に話しかけてきた。僕の聴覚過敏を気にして、ですよね」


彼はゆっくりと手袋を外し、私の手を握った。


「____えっち」


「やっぱり、ちょっとぞわっとするけど、嫌じゃないです」


「勝手に触っといて偉そうなんだけど!もっと喜べよ!私の手だぞっ!」


「なんで顔、赤いんですか?惚れちゃいました?」


「仕返しか!仕返しだろ!?ソウタロウ、お前、本当は意地悪な奴だったんだな!」


「僕のこと、知りたかったんでしょ?だから、教えてあげたんです。ルイさんをからかうのは、楽しいです」


「てっめぇ!!このやろう!!」


それが私とソウタロウが仲良くなるきっかけだった。

丁度、桜が散って、新しい季節の足音が聞こえたころだった。


▲▽


私は泣いていた。

でも、涙の冷たさは感じなかった。

感覚が麻痺してしまったように、全ての刺激が失われていた。


「君が、僕に愛を教えてくれた。その不自由さも」


ソウタロウが教室の窓を開け、それからゆっくりと自分の手を握っては開く。

彼の感覚過敏は、徐々に緩和されていったらしい。

今ではもう、手袋をはめていない。

いつからだっけ。

いつから、彼は手袋をしなくなったんだっけ。


「なに、、、告白?今さら?無責任すぎるでしょ。アメリカに行っちゃうのに」


「そう告白。そしてお別れだ」


「お別れ?なんで?」


私はまた、彼が何を考えているか分からなくなった。

いつもそうだ。

その分からなさが、私を惹きつける。


「____愛を知ったからだよ。ありがとう、ルイ」


桜はまだ咲かない。

教室の窓枠に立ったソウタロウの周りに、アラートが赤く咲き乱れる。

ここは4階だ。

落下防止のセーフティシステムがあるはずなのに、いま見えているアラートは私の視覚情報によるものでしかない。


「ソウタロウ、、、?なに、、、してるの?」


彼は答えない。

私の方を見たまま、最後にまた、彼はいたずらな笑みだけを傷痕のように残して。


「馬鹿、、、うそ、、、なんで、、、ソウタロウっ!!!」


私は急いで駆け寄る。

だが、私が伸ばした手は、彼の身体に触れることはなかった。


「いや、、、いやぁあああああああああああああああああ!!」


私の意識はそこで途絶えた。

淡い恋心は、何かに結実する前に、地に落ちて一生取れないシミになった。

太陽が崩れ落ちる。

夜が、永遠の幕引きのように全てを暗闇のヴェールに覆い隠す。

街の明かりの外には、無限の自然が機会を伺うように静かに広がっていた。

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