第3話 愛の握力②
「絶対ヤダっ!!」
私はロビーで絶叫していた。
まだ喉に少しだけ違和感があるというのに。
「なんで、ねぇ、なんで?」
「何がだ」
「何がだ、じゃねぇよ!ねぇ、任務に私がパジャマで来たらなんて言います?」
私はあまりの怒りと、自分とはかけ離れた倫理観の人間に相対して、上官と会話しているという前提が瓦解していた。
「何も言わない。殴る」
「じゃあ私、今、軍曹のこと殴っていいってことですか?」
「いい訳ないだろ。殴るぞ」
「いたいっ!もう殴ってるじゃん!日本語おかしいだろ!」
ミオカ軍曹が背伸びするようにしながら、普通に肩パンをしてきた。
中佐の命令は、確かに実行されようとしていた。
食後、ベッドに横になって眠ろうとしていたとき、突然部屋にミオカ軍曹が訪ねてきて、「おい、行くぞ」と、ただ一言だった。軍曹の中で中佐の命令は絶対とのことらしい。正直、命令の体裁をなしていなかったような気がするが、それでも軍曹にとっては抗い難いものらしい。
私は数秒フリーズしたが、先に軍曹にはロビーで待っててもらうことにした。
そして、今、だ。
エレベーターを降りると、そこにはいつもの軍服姿のミオカ軍曹がいた。
私は肩をさすりながら、
「マジで普通の服ないんですか?おしゃれしろとは言いませんから」
「ない、問題ない」
「問題しかねぇよ!あと化粧してませんよね!?」
「してない、必要ない」
「必要ありますよ!どブスですよ、軍曹」
「貴様、上官を侮蔑したな?」
「そりゃ侮蔑するわ!この、、、露出狂!!」
「、、、貴様、、、一度ならず、二度までも。殴るぞ」
「いたい!殴ってんだってば!むしろ『貴様、、、』ぐらいのタイミングから殴ってる!三発も!____わかりました、今日の行先は決まりました」
私は軍曹の小さな手を引っ張ってロビーの出口に強引に向かう。
「おい貴様!先頭は上官である私だ!」
「小学生か!、、、あぁ、化粧すらしないなら小学生か、、、」
「貴様っ!!この!このっ!!」
「いだいっ!やめて!なんで攻撃の選択肢、肩パンだけなんですかっ!!」
軍曹は繋がれた手と反対の手を、振り回していた。
だが、私と軍曹では体の重量が違う。
私は軍曹の体を引きずるようにしてマンションを出た。
▲▽
「肌しろ〜い!!」
「ですよねっ!顔立ちが上品な感じなんで、ベースメイクはナチュラル寄りがいいと思うんですよ、チークはもちろん、、、」
「モーヴ系のピンクですよね!」
「さっすがヨルハさん!目は任せます。リップは、、、」
私は馴染みの化粧ブランドの店員とハイタッチして、それから喧々轟々、ミオカ軍曹のコスメについて議論を交わす。
私のディスプレイに、ミオカ軍曹の顔が浮かんでいる。そこに次々といろいろな商品の宣伝広告が流れ、視線で選択すると、仮想の軍曹の顔にメイクが施される。
「今日試したやつ全部買うんで、全力でやってください」
「おい、買わないぞ、私は」
ミオカ軍曹は鏡の前から振り返って言うが、すぐに店員に顔を掴まれ戻される。
「お金、たんまり持ってるでしょうよ」
「金の問題じゃない、こんなのは無駄使いだ」
「軍曹さん。女の子にとって、お化粧品に使うお金は、インフラです」
「水道代、電気代レベルだよね。むしろそれより優位」
「土木工事と言ってもいいです」
店員のヨルハさんが、営業トークとは思えない、深刻な表情でそう言った。
まったくもってその通りである。
「ふぅ、、、どうですか。私の仕事人生の全てを注ぎ込みました」
ヨルハさんが額の汗を拭いながら言う。
私は後ろから鏡を覗き込む。
「、、、、、、可愛い_____かわいいっっ!!」
「可愛いからなんなんだ」
「可愛いは、この世で唯一の善です」
「違うだろ」
「違いません。次は服です!今すぐその軍服脱いでください!」
「人を露出狂にするつもりか」
「さっきまでそうだった人に言われたくないです」
私はミヤハさんに商品の郵送を頼み、軍曹を連れてデパートのエレベーターに駆け乗った。
▲▽
ファッションに関して、仮想空間技術の向上は、店舗型販売を駆逐するかに思われていた。
だが、こうしてデパートは存在する。
むしろハイブランドになればなれるほど、ネット上での商品の販売を取りやめる傾向になった。希少価値の提供と、体験型の販売がメインストリームになり、衣服に関していえば、長い時を経てオートクチュールが復権した。
技術的にはオートクチュールであっても、自宅にいながら相談も発注も可能だ。実際、一時はリアル店舗はほとんどなくなりかけ、他業界でも同様の状況であったことから、土地価格や不動産価格の下落にまで繋がった。そして街から人が消えた。
それでも、やはり人間には外出する理由が必要だということに、皆が気付き始めた。それに女性の心理はそう単純ではない。煌びやかな空間と、その場の主人公としての自分、かわいいものに囲まれる幸福、実際に手で触ってショッピングをする楽しみ。
人間は高度な技術に対して、まだ原始的な趣味を捨て切れていなかった、、、。
「、、、ということなんですよ。女子にとってウィンドウショッピングとは、利便性を超えるものだったんです」
私はデパート内の喫茶店でコーヒーも飲まず、滔々と語っていた。
「ご高説をありがとう、二等兵。じゃぁもう帰る」
「待ってください!どうですか、綺麗になった自分は、気持ちがアガりませんか?」
スカートはどうしても嫌だという軍曹。それにふわふわした生地も、色モノもダメ。
結果、既製品でスーツスタイルの、グレーのセットアップになった。
____無難。
だが、私も簡単には負けない。
身長が低い軍曹には、ハイウェストで足下を出し、ジャケットの丈は短いものを、それに印象が硬くなりすぎないようにキャップを合わせる。服に色がない分、バックは差し色で赤のショルダーバックを。靴はボリュームとデザインに遊びがあるスニーカー。
二十代中盤の大人らしさと、抜け感を意識したコーディネート。
AIの無料コーディネートサポートの意見も受け入れつつ完成させた。
「_____アガらない」
「あの、網膜ディスプレイでずっと自分の姿、見てますよね」
最後に靴を買った時に記録してもらった全身データ。
軍曹の視線の曖昧さから鑑みて、絶対にそれを見ている。
「見てない」
「いや、、、目線合ってないんですが」
「____おかしくは、、、ないか?」
「さっきまでの軍服の方が余程おかしいです。女子的にいえば全裸だったし」
「これは、、、かわいいのか」
「キレイめかわいいですね」
「____貴様より、、、キレイめかわいいか?」
「舐めてんですか?こちとら、きょう軍曹が買った服やらコスメの百倍は美容に金をかけてるんですが?」
そこで、ミオカ軍曹は一瞬、考え込むようにしてから、
「____すみません、私、かわいいですか?」
「は、、、はぁ、、、」
「はっきりしろ、かわいいか、かわいくないか、答えないと殴るぞ」
「、、、えっと、、、かわいい、です、、、?」
「おぉぉぉいっ!!!すみません、すみません、この子馬鹿で!ごめんなさい!」
突然、隣の席に座っていたカップルの、よりにもよって男の方に声をかけた軍曹を私は制止する。
「なにやってんですかっ!妖怪ですか!」
「貴様は嘘つきだからな、一般的な意見が聞きたかった」
案の定、隣の席のカップルは地獄の空気だ。
それもそうだ。
彼女の前で見ず知らずの女に「かわいい」なんて言えば、私ならその時点で別れる。
でも彼女よ、聞き逃してはいないだろうか。
この女、「殴るぞ」って言った。
脅迫の上での「かわいい」に何の意味もない。なんとかそこに気づいて欲しい。
「ったく、、、私、別に嘘つきじゃないですよ。本当に可愛いです」
「いや、貴様は嘘つきだな、とても巧妙な」
軍曹はホットのブラックコーヒーに口をつけながらだった。
まるでそのコーヒーの中に私の嘘が溶け込んでいるかのように、揺れる表面を見つめていた。
「なんでですか」
「お前、本当に人混み、苦手だろう。食堂に一人で入れない。その意味では、今朝、お前は本当のことを言っていた。でも、それは男を騙すための手練手管である、と嘘にしようとしている」
「なんで、、、」
「入隊してからずっと、お前は一人で食堂に入ったことがない。食堂だけじゃない。あらゆる部屋に、お前は一人で入れない。まぁ、デパートとか、不特定多数の人間が出入りするところは大丈夫らしいが」
「ストーカー、、、ですか、、、?」
「人間観察、だ」
私は手が震えていた。
誰にも気づかれないようにしていた、自分の弱さ。
それをいとも簡単に看破された。
他人に興味などなさそうな、この軍曹に。
「ファッションもたまにはいいものだな。違う自分になったみたいだ。軍服は環境に身を隠すためにあるが、これは違う。自己表現であると同時に、積極的な隠蔽でもある。だから好きなんだろう?」
脳裏に、世那中佐の声が甦る。
_____ミオカ軍曹のバディはね。
_____みんな、心を病んでここを去っている。
_____1人残らず、だ。
人の心の弱みを、この軍曹は的確に捉えている。
まだ出会って一ヶ月も経っていないのに、だ。
こちらは相手のことを何も知らない。
こんな一方的な関係は、いずれ耐え難くなる。
「やだな、、、両親から与えられたこの容姿を、最大限楽しんでいるだけですよ」
「心から憎んでいる自分の容姿を、の間違いだろう?やっぱり嘘つきだ。貴様は自傷的に化粧を、おしゃれを楽しんでいる。違うか?」
あぁ、そうか。
この人は、そこまで分かっていたんだ。
ずっと裸で歩き回っていたのは、軍曹じゃない。
私の方、だった____。




