第2話 愛の握力①
朝は苦手だ。
昔から逆流性食道炎が常になっていて、起きるときにはいつも地獄の気持ち悪さに襲われる。喉が焼けて息がしづらい。あたかも燃える鼠が喉のあたりに詰まって蠢くよう。
「うぅ、、、おぇ、、、くぅう____」
私も苦しいが、鼠の方ものっぴきならないらしい。
胃の方に落ちることも、口から出ることもできず藻掻いている。
ウォーターサーバーの水を一気に飲み干すが、油が水をはじくように、焼ける粘膜の表面を撫でるだけだ。
未来逆算型の健康診断では、このままだと胃癌、食道がんで死ぬ確率が高いという結果が出ている。DAを生み出すことができる技術は、そのまま人体の寿命すら、神様が鍵をかけた引き出しから盗み出してしまった。食生活、運動頻度、健康への意識水準、膨大な蓄積データとそれらを照らし合わせ、遺伝子情報や身体の状態をさらに読み取れば、高い確率で正確な寿命を算出できる。現代の科学技術は、人体を構成する何十兆個という細胞、その1つ1つをついに掌握してしまった。
だが、寿命の開示は、DAの作成同様、国際的に強く禁じられている。
休日だからもう少し寝ていようかと思ったが、食道炎をなんとか鎮めた後、私はシャワーを浴び、化粧をし、ブランド物で身体のラインが出る、赤いニットのワンピースを着て外に出た。
向かう場所は、無論共同食堂である。
「おはよう、ニュイ二等兵。今日も綺麗だね」
「ありがとうございます」
____一人目。
「お、ニュイちゃん、今日はデート?」
「本当はそうだったんですけど、、、フラれちゃって、、、1人寂しくお出かけです」
「えぇ!ニュイちゃんを振るやつなんているんだ、、、俺なら絶対大事にするのに」
「またまたぁ、奥さんに怒られますよ?」
「そうだった!冗談じょうだん、はは」
_____二人目。あれは絶対冗談じゃない。あわよくばを狙う目。
「ニュイ二等兵、ミオカ軍曹とはうまくやれてるか?」
「はい!とっても優しいバディで、甘えちゃわないように自分を律さないと、ってなるほどです」
「そうか。いろいろと大変だと思うが、頑張りなさい」
「もちろんです!」
_____三人目。真面目に仕事の話を振ってくるやつほど、視線が怪しい。
「ニュイさん、なんで入り口に突っ立ってるの?」
「はは、、、私、人が多いところが苦手で、、、まだ食堂も慣れないんですよ」
「そっかそっか。繊細なんだね。一緒に行こう、今日はホッケ定食だってさ」
____四人目。同期だからって、さらっと手を握ってきやがった。
▲▽
「ふぅ、満足満足」
私は「いただきます」と手を合わせる前に、そうひとりごちていた。
「少食なんだな、二等兵。一口も手を付けずに満足とは」
「うわぁあああ!ミオカ軍曹!なんなんですか!ストーカーですか!?」
そこにはお盆を持って立つ、ミオカ軍曹がいた。
相変わらず軍服をぴしりと着て、ショートカットの髪も、一本一本の毛に重しでもついているかのように隙間なく真っ直ぐだ。生粋の日本人の髪は、しなやかで癖がなく、羨ましい限りだ。私のは猫ッ毛で、いつも膨らむし、すぐに切れてしまうから、よく洗面台の排水溝が詰まる。
「貴様、すぐに人をストーカーにする癖、やめた方がいいぞ」
「ちょっと、やめてください。相席しないでください」
「なんでだ」
「話すとフレンドリーなのに、なぜかいつも一人でいる、ちょっと庇護欲を唆る女になりたいからです。あと女から孤立している女」
「相変わらず、くだらないな」
軍曹はそのままがたりとお盆を置いて、向かいの席に座った。
「相変わらずってなんですか」
「日夜を問わず少女漫画を読み耽っている大人は、総じてくだらない奴だ」
席に座ると、軍曹の身体の小ささがより強調される。
私は机の下を覗いた。
一応、足は地面に着くらしい。顔がひどく幼いので、それに付随して体も小さいのだと錯覚してしまった。
急にスカートの中でも覗くような恰好になった私に、軍曹はひどく怪訝な顔をした。
私は咳払いをして、
「日夜を問わずってなんで分かるんですか」
「お前が押し付けてきた漫画、読書時間の履歴」
「え、読んでくれたんですか?ちょっと嬉しいかも、どうでした?どうでした?」
私は顔をずいっと軍曹に近づけるが、服がホッケに付きそうになって、慌てて姿勢を戻す。
「古典的な内容を現代風にアレンジしただけだな。むしろ古典というヴェールがない分、安っぽっくなっている」
「え、それだけですか?」
「あぁ、あとお前。読み間違いをしているぞ」
「読み間違い?」
「あれはな、自分が敵国の軍人の立派さに見合わないと卑下して逃げたのを、娼婦の誇りといって自分に言い訳しているだけだ。女の虚飾的で欺瞞的な性格を表現している」
ミオカ軍曹はホッケに恐ろしいほどの醤油をかけながら言った。
1日の塩分摂取量を軽く超えていそうだ。
きっと軍曹のディスプレイには健康アラートがけたたましく表示されているに違いない。
「うぇぇぇ、味音痴に人の読み方どうのこうの言われたくないです」
「味覚と読解力に何の相関があるんだ?まさか塩分が埋め込まれたCPUでも錆びさせると?」
軍曹が醤油の滴るホッケを口に運んだときだった。
「君がニュイ二等兵か」
突然声をかけられる。
はいはい、五人目ね。
ちらりと見上げると、そこには短髪が精悍なイケメン高身長の兵士がいた。
間違いなく百八十五センチはある。
それでいて顔は小さく、鼻も高い。
若干ゴツい印象はあるが、それも男らしくて良い。
____ほぉ、悪くないな。
私はすぐに顔の筋肉を一度溶かす。
重要なのは口元だ。
私はゆっくり立ち上がりながら、
「はい!そうです、初めまして、、、ですよね?」
語尾の「ね」のときに、唇の間から少し舌を見せることが大事だ。
唇をきゅっと結んでしまうと、硬い印象となる。
若干だらしなく開いているぐらいが、若い女はかわいいのだ。
「馬鹿野郎っ!」
だが、私はとてつもないミスを犯したらしい。
ミオカ軍曹はすでに屹立して敬礼をしている。
「まぁまぁ、ここは下士官以下の住居だからな」
男性兵士がにこやかに笑む。
笑うと目元がくしゃりとシワを寄せる。
おお、かわいさも持ち合わせていらっしゃる。
____じゃないっ!!
私は階級章を見て、己の失態をすぐに理解した。
「_____中佐!?大変失礼いたしましたっっっ!!!」
これは洒落にならない。
そもそも、なんでこんなところに中佐がいるのか。
食堂の他の兵士たちも皆、起立したままだ。
「みんな、食事を続けてくれ。無作法なのはこちらだ。申し訳ない」
中佐が頭を深く下げる。
本当だよ、無作法にもほどがある。部下の飲み会に顔を出す上官ぐらい空気が読めてない。などと、私はもうすでに自分の失態の責任をその中佐に押し付けていた。
▲▽
オーウ技術連合自治軍・第三師団・第三DA対策部隊・部隊長兼、第三師団司令部・DA対策課長。
____世那中佐。
三小隊ある小隊長のさらに上。
その殿上人が、ミオカ軍曹の隣に座って呑気にコーヒーを啜ってらっしゃる。
(啜ってんじゃねぇよ、さっさと帰れよ)
これは私の性格が悪いのではない。
この食堂にいるすべての兵士の代弁だ。
「ニュイ二等兵」
「ひっ、、、ひゃっい!」
「昨日は任務、お疲れ様。またこいつが無茶をしたんだろう」
中佐はミオカ軍曹の頭をぽんぽんと叩いて言う。
おお、羨ましいぞ。
私も頭、ぽんぽんされたい。
「やめてください、中佐」
ミオカ軍曹は、先ほど私を叱ったにも関わらず、中佐が席についてからは、もう存在を無視して醤油漬けの魚に夢中だ。
「私は何も出来ず、ただ反省するばかりの任務でした」
「いやいや、腰を抜かさなかっただけで十分だ。被疑者はレコンだったんだろう?」
_____レコン。
「reconstruction」
再構築、つまり人体改造者のことであり、レコンとは軍隊内のジャーゴンだ。
「はい。すごい跳躍力でした。軍曹がいなかったら、私はどうなっていたか」
しおらしさを演出し、上官を立てる。
だが、それはすぐに見抜かれた。
「ニュイ二等兵、君は賢い。すでに部隊内で君のことを悪く言う人間は、一部の女性隊員以外はいない。そういう立ち回りをしているんだろう?」
こいつ。
一緒に映画とか見に行っても、ストーリーじゃなく演出について語り出すタイプだ。水族館で「イルカさん、かわいい」とかこっちが言っても、「本当に彼らは幸せなのだろうか」とか語り出すやつ。
いたいた、いたよ、そういうやつ。
「そんな君なら、この馬鹿の馬鹿さ加減が分かったんだろう?」
中佐はミオカ軍曹の頬を指で突く。
おい、イチャイチャするな。
まさか彼女に朝の挨拶をしにきたわけじゃないだろうな。
私は私だけを愛してくれる人間にしか興味がない。
「中佐。ニュイ二等兵に話があるんだろう?私はここで失礼する」
「いやいや、まぁ部屋に戻ってもいいけど、今日は二人で出かけなさい」
「「いやです」」
私とミオカ軍曹の声が重なった。
軍曹が私の顔を睨む。
そうだよね。軍曹が「いやです」というのは正当だけど、部下の私が言ったら失礼だよね。でもね、絶対に嫌。趣味合わなそうだもん。
ミオカ軍曹はそのまま、中佐に再度敬礼して、お盆を返しに行った。
「あ、さっきの上官命令だから、よろしくね」
中佐がミオカ軍曹に手を振りながら、こちらを見ずにそう言った。
「いやぁ、私が誘ったところで、ですけどね」
「君が誘ったらくるよ」
「そうですか?」
「だって、君をバディに使命したの、彼女だから」
それは初耳だ。
ミオカ軍曹が私を?
DA対策のバディは基本、戦闘能力に長けた者と、データの消去を説得する心理専門兵で組むことになっている。
私は確かに心理専門兵だが、特段優秀な成績で入隊した訳でもない。
「軍曹にそんな決定権あるんですか?」
「ないよ。でも私が許可した」
「はぁ、、、なんてことない、普通の新兵ですが、私は」
「そうか?少なくとも見た目は良いじゃないか」
心臓が跳ねる。
絶対につまらない男なのに、その笑顔は反則だ。
私は先ほどとは逆に、顔の筋肉を緊張させる。
この男には隙を見せてはならないと直感が告げている。
「ミオカ軍曹が顔で選ぶとは思えませんが」
「まぁそうだな。今のは冗談だ」
ほら、そうだ。
私は中佐の目を睨む。
若干灰色がかった虹彩が美しいのと同時に、知的な野性味を感じて恐ろしくもある。
「中佐、私に何か用件があるのではないですか?」
「用件?う〜ん、さっきの命令以外には特にはないんだが、、、」
絶対に嘘だ。
ただの挨拶で中佐がこんな場所に来るはずがない。
何か、重大な用件があるべきだった。
「あぁ、そうそう」
中佐は椅子からゆっくりと腰をあげ、私の耳元に口を近づける。
その灰色の瞳に、私は体を動かすことができなくなった。
喉が鳴る。
私は猫に睨まれた鼠だった。
「ミオカ軍曹のバディはね____」
吐息が耳にかかる。
まるで狩りを楽しむように、次の言葉が届くまで間があった。
自分の耳がまだ体に付いているか不安になる。
だが、それはきちんと音として脳に届いた。
_____ミオカ軍曹のバディはね。
_____みんな、心を病んでここを去っている。
_____1人残らず、だ。
中佐は次回に狩りの楽しみを残すように、私を逃した。
食堂に一人残された私は、
「______こちとら生まれた時から病んでるってのっ!!」
自己肯定感と承認欲求を満たすためだけに食堂に来たというのに、全てが台無しだった。それに、あの中佐、聞かれたくないならこちらの脳に直接語りかければいいものを、わざわざ耳元で囁きやがった。あいつ、絶対変態的趣味を持っているに違いない。
私は掻き込むようにして、朝食を貪り食べる。
その時、チクリ、と痛みが走った。
「最悪、喉に骨、刺さったんだけど」
まるで中佐の悪魔のような宣告のように、その骨はなかなか取れなかった。




