凡人
乾いた木剣の打ち合う音が、訓練場に響き渡る。
「っ……!」
ハロルドは渾身の力でバルドの剣を受け止めたが、腕に伝わる衝撃で思わず足が揺らいだ。その一瞬の隙を見逃さず、バルドの木剣が鋭く側面へと叩き込まれる。
「——クソッ!」
必死に後退しながら剣を振るうが、バルドは余裕を持って後ろへ跳び、再び間合いを取り直す。その動きは無駄がなく、洗練されていた。
「悪くない。だが、まだ雑だな」
バルドは木剣を軽く振りながら微笑む。対して、ハロルドは肩で荒い息をつきながら、自分の剣を見つめた。
(俺は……やっぱり遅い)
戦場では生き残るために剣を振るってきた。しかし、こうして向き合ってみると、バルドの剣とはまるで次元が違う。彼は一切の無駄なく動き、こちらの攻撃を先回りしていた。
「お前の剣には無駄が多い。それは戦場で培われた戦い方だからだ」
「無駄……?」
ハロルドは苦々しく呟く。確かに、今の戦いでも先の動きを読まれ、反撃を許してしまっている。
「例えば——」
バルドは軽く踏み込み、素早く木剣を突き出した。
ハロルドは反射的に剣を横へ払おうとする。
しかし、次の瞬間にはバルドの木剣があっさりと軌道を変え、彼の胸元に突きつけられていた。
「っ!」
「戦場の兵士は、本能的に身を守るための動きをする。それ自体は悪くないが、熟練の剣士には読まれやすい」
バルドは木剣を下ろしながら続ける。
「お前は経験豊富な兵士だろう。何度も戦場を生き延びてきた。それは立派なことだ。しかし、戦場の剣と、剣技を極めた者の剣は別物だ」
ハロルドは唇を噛んだ。
(……それは痛いほどわかっている)
戦場では何度も死線を潜り抜けてきた。何十回、何百回と剣を振るい、ただ生きるために戦ってきた。だが、それは「本能的な剣」に過ぎなかった。
バルドのような騎士たちは、鍛え抜かれた技と理論を持っている。彼らの剣は、ただの力任せではない。優雅で、精密で、強い。
兵士と騎士の違い——それが、痛いほど実感できた。
「お前は、騎士に勝ちたいか?」
バルドの問いに、ハロルドは無意識に頷いていた。
「……勝ちたい」
自分がそれを言うとは思わなかった。
騎士に勝つ? そんなことが本当に可能なのか?
彼らは幼い頃から剣術を学び、馬に乗り、貴族の教育を受ける。庶民が剣を握るよりも遥か前から、騎士は剣を振るう術を叩き込まれているのだ。
それでも——
(俺たち兵士は、いつも騎士の命令で戦場へ送り出される。あいつらの采配一つで、俺たちの命は軽く扱われる)
命令通りに動き、最前線で肉壁となり、死んでいく兵士たち。
だが、騎士は違う。彼らは装備も訓練も違い、時には馬に乗り、指揮官として指示を出す。もちろん、前線に立つ騎士もいるが、兵士とは待遇も違う。
戦場で生き残るだけでは、何も変わらない。
ならば——
「騎士に挑めるほど強くなりたい」
ハロルドは拳を握りしめた。
バルドは満足そうに頷いた。
「いい答えだ。なら、しっかり鍛えてやる。お前には可能性がある」
「俺には……可能性があるのか?」
ハロルドは苦笑する。今まで凡人として生きてきた。戦場で何とか生き延びてきたが、それは「スキルを持たない凡人」としてだった。
しかし、剣技を得たことで、ほんの少しだけ道が開けたのかもしれない。
「さあ、もう一度だ」
バルドは再び木剣を構えた。
ハロルドも、深く息を吐き、剣を握り直す。
(凡人でも……努力次第でどこまでいけるのか、確かめてやる)
「——いくぞ!」
再び、剣がぶつかり合う音が訓練場に響いた。