他国の英雄
酒場**「赤熊亭」**の賑わいは戦場帰りの兵士たちでいつも以上に騒がしかった。戦いを生き延びた者たちが、死者の分まで酒を飲み、喰らい、そして明日の戦いに備える。
ハロルドとエリックは、二杯目の酒をあおりながら、それぞれの思いに浸っていた。
「で、お前はどうするつもりなんだ?」
エリックが改めて問いかける。
「どうする、とは?」
「戦場でお前は”変わった”んだろ? 剣技Fってスキルを得たんだ。これからどうするつもりだ?」
ハロルドはジョッキの中を覗き込むように視線を落とし、少し考えた。
「……強くなるしかない。戦場では力のないやつから死んでいく。俺はもう死にたくない」
「そうか」
エリックはそれ以上は何も言わず、酒をあおった。
「まあ、悪くねえ考えだな。強くなれば、それだけ生き残る確率が上がる」
「お前はどうなんだ?」
「俺か? 俺は……そうだな、強くなるってのも悪くはねえが、俺は”うまくやる”方を選ぶぜ」
「うまくやる?」
「戦場で生き残るのに、強さだけが必要とは限らねえ。運も、立ち回りも、大事な要素だ」
確かに、その通りだった。戦場では純粋な剣の腕よりも、環境を利用し、時には逃げる判断をすることの方が重要になることもある。
「まあ、お前が剣技Fを手に入れたのなら、それをもっと極めるってのも手だな」
「極める……か」
ハロルドは剣を握る手を見つめた。
剣技F——確かに自分を生かしてくれた力だが、これだけではまだ不十分だ。
(もっと、強くならなければ……)
しかし、どうすればいい?
ただ戦場に出続けるだけでは、いずれ限界がくる。
「剣技を極めるなら、師匠を探すのも一つの手だぜ」
エリックが何気なく言った。
「師匠……」
「ゲルマニアの王都には、腕の立つ剣士や戦士がいる。中には、剣技の極意を知ってる奴もいるかもしれねえ」
確かに、ただ戦場で無駄に戦い続けるよりも、技を磨く方が効率がいい。
「……探してみるか」
そう呟いた時だった。
「おい、聞いたか? 帝国の”黒騎士”がまた戦場で暴れたらしいぞ」
近くの席で兵士たちが話していた。
「黒騎士……?」
ハロルドが思わず反応すると、エリックが顔をしかめた。
「ああ……帝国グルガニクスの”黒騎士”か。あの化け物のことを知らねえとは言わせねえぞ」
「いや、知ってるが……そんなに強いのか?」
「冗談じゃねえ。あいつがいる戦場は、まさに地獄だ」
エリックの表情が険しくなる。
「戦場で何百という兵士をたった一人で屠る。あれは、もう人間の戦いじゃねえ」
周囲の兵士たちも口々に語り始めた。
「黒騎士は魔法と剣技を併せ持つ”英雄”の一人だ。通常の剣技を遥かに超えたS級の剣技を持っているらしい」
「バジルス王国の精鋭部隊が挑んだらしいが、全滅だとよ」
「一人で、か……?」
「そうだ。戦場で奴を見かけたら、迷わず逃げろ。それが生き残る唯一の方法だ」
話を聞けば聞くほど、ハロルドは己の小ささを痛感した。
(俺が”剣技F”を得たところで……そんな怪物の前では、何の意味もないじゃないか)
ほんの少しだけ芽生えた自信が、無惨に打ち砕かれた気分だった。
英雄——
それは、ハロルドのような凡人とは違う世界の存在。
「……俺は、あんな奴と戦うことになるのか?」
思わず呟いたハロルドに、エリックが言った。
「戦いたいのか?」
「いや……そんなわけない」
「だよな」
エリックは苦笑しながらジョッキを持ち上げる。
「そんな化け物とやり合おうなんて思うなよ。俺たちは、うまく生き延びることを考えるべきだ」
「……そうだな」
だが、ハロルドの心の奥には、妙な感情が芽生えていた。
恐怖。
そして——
「もし、俺があいつのように強くなれたら?」
という、愚かとも言える希望が。
酒場の喧騒の中、ハロルドは静かに己の拳を握りしめた。