再び戦場へ
ハロルドは剣の手入れをしながら、目の前の紙を睨んでいた。
「前線配属命令」
今月末、ハロルドを含む歩兵部隊は北部戦線へと派遣される。ゲルマニア王国とバジルス王国の間で続く小競り合いが激化し、大規模な戦闘が避けられない状況になったのだ。
(また戦場か……)
ため息が漏れる。
まだリナの生活が安定していないというのに、こんな時に出征とは運が悪い。
だが、戦場へ行けば給料が増える。
現在の兵士の給与は銀貨二十枚(=金貨一枚)。前線へ行けば、危険手当が支給されるため、報酬は金貨二枚に跳ね上がる。さらに、戦功を上げれば追加の報奨金も期待できる。
(少なくとも、リナがしばらく食うには困らない金が手に入る)
その点だけは、戦場に行くメリットだった。
この世界には「スキル」と呼ばれる能力体系が存在する。
スキルは戦闘や生活において強い影響を持ち、ほとんどの人間は一生のうちに1つか2つのスキルを習得するのが限界だった。
スキルにはFからSまでの階級があり、**一般的な兵士の限界は「剣技C」**と言われている。
| スキル階級 | 習得者の目安 |
|–––––––|––––––––|
| S | 伝説級の英雄 |
| A | 数十年の修練を積んだ騎士 |
| B | 王国騎士団の精鋭 |
| C | 一般兵士の限界 |
| D | 熟練の戦士 |
| E | 実戦経験の豊富な兵士 |
| F | 初心者、訓練を受けた兵士 |
現在、ハロルドの持つスキルは**「剣技F」**。これは剣の基本的な扱いができるという程度のもので、熟練の戦士相手には通用しない。
「剣技E」へ昇格するには、実戦での経験が不可欠。
スキルは単純な訓練だけでは成長せず、実際の戦闘や極限状態を乗り越えた時に向上する。
つまり、ハロルドがスキルを上げるためには、戦場で生き延びるしかなかった。
「……また、戦争に行くの?」
ハロルドの向かいで、リナがうつむきながら呟いた。
「そうだ。今月末には出発する」
「……帰ってくる?」
「もちろんだ」
迷いなく答える。リナは少しだけほっとしたような顔を見せたが、やはり不安は拭えないようだった。
「……私、一人で大丈夫かな」
「大丈夫だろうさ。お前ならやれる」
「でも……」
リナは言葉を詰まらせた。
ハロルドは彼女の目をじっと見た。
「リナ、お前はここで生きていくんだ。スラムの頃とは違う。食い扶持を探して、身を売る必要もない」
「……」
リナの顔が少し歪んだ。
過去に何があったのか、ハロルドは詳しく聞いていない。だが、彼女の怯えた反応や、時折見せる暗い目つきを見れば、大体の想像はつく。
彼女は、スラムで生きるために「何か」を強要されてきた。
それが何であるかを問うつもりはない。
ただ、ハロルドはリナを二度とそんな環境には戻させないと決めていた。
「お前に金は残していく。それに、もう体も回復してるだろ。働ける場所を探せばいい」
「……うん」
リナは小さく頷いた。
戦場へ行く前に、バルドとの決着をつける必要があった。
バルドとは以前、剣の修練をしていた相手だが、ハロルドの剣技Fではまともに相手にならず、悔しい思いをしていた。
「剣技E」を習得するために、戦うしかない。
「おい、バルド。今時間あるか」
「ん? どうした、ハロルド」
剣を磨いていたバルドが、軽く首を傾げた。
「もうすぐ戦場に行く。その前に一度、お前と手合わせをしておきたい」
「ほう……随分と気合が入ってるな」
バルドはニヤリと笑い、立ち上がった。
「いいだろう。付き合ってやる」
⸻
剣技Fの限界
決闘の場は訓練場。
木剣を手に取り、ハロルドは深呼吸する。
「……いくぞ」
「来い」
ハロルドは地面を蹴った。
剣を振り下ろす。が――
カンッ!
一瞬で弾かれる。
バルドは全くの無傷で、余裕の表情を崩さない。
(やっぱり、まだ遠いか……!)
剣技Fのままでは、バルドに勝つことはできない。
だが、それは分かりきっていたことだ。
ハロルドは戦場で「剣技E」を習得すると決めている。
この戦いは、せめて次の成長のための糧にするしかなかった。
「――ッ!」
何度も攻撃を仕掛けるが、すべてバルドに受け流される。
やはり、今のハロルドでは「剣技F」の限界を超えられない。
バルドは腕を組みながら言った。
「悪くない剣だが、やっぱりまだ荒削りだな。お前の剣は、“実戦向き”ではあるが、“洗練されてない”」
「……つまり?」
「もっと場数を踏め。戦場で死なずに帰ってこい。そしたらまた付き合ってやる」
ハロルドは悔しさを滲ませながらも、無言で頷いた。
数日後――
ハロルドは歩兵部隊の一員として、北部戦線へと向かう馬車に乗っていた。
リナは見送りには来なかった。
「生きて帰る」とだけ約束していたから、それで十分だった。
次に帰る時には、必ず「剣技E」を手に入れている。
そう誓いながら、ハロルドは王都を後にした。