日常
朝が来た。
王都の朝は早い。市場では商人たちが店を開き始め、宿屋では昨夜の酔客たちが二日酔いの頭を抱えている。兵舎では交代の兵士たちが武具を整え、町の通りでは行商人や職人、農民たちが忙しく行き交う。
その喧騒を遠くに聞きながら、ハロルドは目を覚ました。
硬い椅子に座ったまま眠っていたせいで、体の節々が痛む。
「……ん」
ゆっくりと伸びをしながら、寝台に目を向ける。
リナはまだ眠っていた。
昨日よりも顔色は良くなっている。呼吸も落ち着いているし、ひどくうなされる様子もなかった。
(ひとまず、大丈夫か)
そう判断し、ハロルドは腰を上げた。
昨夜は食事を取らなかったリナも、目を覚ましたら腹を空かせているだろう。
ハロルドは懐から少しばかりの銅貨を取り出して数える。
(朝飯くらいは何とかなるな)
戦場帰りの兵士に、貯蓄などほとんどない。兵士の給料は決して高くはなく、むしろ生きて帰ってこられる保証もない職業だ。だが、今はこの少女を見捨てるわけにはいかなかった。
「……戻るまで、大人しくしてろよ」
寝台のリナに一言声をかけてから、ハロルドは部屋を後にした。
王都の市場は、朝になると活気を取り戻す。
石畳の通りには、野菜や果物を売る農民たち、焼きたてのパンを並べる商人、肉や魚を扱う露店が並んでいる。
ハロルドは簡単な食事を買い、宿へと戻った。
ドアを開けると、リナはちょうど目を覚ましたところだった。
「……ん……」
「起きたか」
リナはぼんやりと目をこすり、ゆっくりと上体を起こした。
「……ここ……」
「俺の部屋だ。まだ寝ててもいいぞ」
ハロルドは椅子に腰を下ろし、買ってきたパンとスープを机の上に置いた。
「食えそうか?」
リナはしばらくじっと食事を見つめていた。
やがて、恐る恐る手を伸ばし、パンを手に取る。
小さく一口かじると、まるで信じられないものを口にしたような顔をした。
「……美味しい……」
かすかな声で呟く。
「そりゃあ良かった」
ハロルドは淡々と返しながら、自分もパンをかじった。
リナは少しずつ食べ進める。最初は戸惑いがちだったが、空腹には勝てなかったのか、次第に食べるペースが早くなっていった。
「……っ」
急いで食べすぎたのか、リナが喉を詰まらせる。
ハロルドは黙って水を差し出した。
リナは驚いたようにハロルドを見たが、すぐに小さく「ありがとう」と呟いて水を飲んだ。
食事を終えたリナは、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。
「お前、これからどうするんだ?」
ハロルドが尋ねると、リナは少しだけ身を縮めた。
「……わかんない」
それはそうだろう。
家もなければ、帰る場所もない。スラムに戻れば、また同じような目に遭うだけだ。
「俺のところにいるか?」
ぽつりと呟くように言うと、リナは驚いたように目を見開いた。
「……いいの?」
「ああ。その代わり、俺の手伝いくらいはしろよ」
リナは少し考えた後、小さく頷いた。
「……うん」
その表情は、ほんの少しだけ安堵しているように見えた。
こうして、戦場帰りの兵士と、一人の少女の奇妙な共同生活が始まった。
リナがどんな過去を持っているのかは、まだ分からない。
だが、それを知るのは、もう少し先のことになりそうだった。