戦争
戦場は泥と血の匂いに満ちていた。
金属がぶつかり合う甲高い音、戦士の叫び、馬のいななき、そして肉が裂ける鈍い音。どれもが混ざり合い、戦場を地獄のように変えていた。
ハロルドは剣を両手で握りしめながら、乱戦の中で必死に身を隠すように動いた。彼はゲルマニア王国の歩兵の一人にすぎない。特別な能力を持たない、ただの兵士。それが彼の現実だった。
目の前では同じ部隊の仲間がバジルス王国の兵士に斬られるのが見えた。喉を斬り裂かれた男は泡を吹きながら地面に崩れ落ちる。次の瞬間、別の敵がその遺体を踏みつけ、さらに前へと進む。
(また……また誰かが死んだ)
戦争は何度も経験してきた。それでも、仲間が死ぬ光景に慣れることはなかった。
ハロルドは震えながら息を整えた。
「前に出ろ!退いたら死ぬぞ!」
隊長の怒声が響く。しかし、前に出れば死ぬのは確実だった。
(何もできない……)
強い者は前線で戦い、弱い者はすぐに死ぬ。それが戦場の掟だった。
ハロルドは無意識のうちに盾を構えた。鉄でできた安物の盾。矢を防ぐには十分だが、鋭い剣には耐えられない。仲間たちは必死に応戦しているが、次々と倒れていく。
敵兵の剣が降り下ろされた。
ハロルドは盾で受けようとしたが、力が足りずに弾かれる。背中から転倒し、泥の中に倒れ込んだ。視界の端に、血塗れの兵士たちが映る。
「死ぬ……!」
喉までせり上がる恐怖。敵兵が冷たい視線を向け、剣を振り上げた。
その瞬間——。
ハロルドの体が勝手に動いた。
今までにない鋭い動き。倒れたままの状態で剣を振るう。刃は敵兵の膝を裂き、骨の砕ける音が響いた。敵は悲鳴を上げて崩れ落ちる。
——そして、ハロルドの視界に浮かび上がる光の文字。
《剣技F》を習得しました。
理解が追いつかないまま、体が勝手に次の動きを取る。敵兵の首を狙い、素早く剣を突き出した。
剣が喉を貫いた。
敵兵は目を見開き、力なく倒れる。
(なんだ……今のは……!?)
だが、疑問に浸る暇はない。次の敵が迫ってくる。
ハロルドは本能的に剣を振るった。
体の動きが変わった。攻撃が明らかに鋭く、正確になった。今までただの兵士だった自分が、戦場でまともに戦えている——。
その事実に震えながら、ハロルドは敵兵を斬り倒していった。
「ハロルド!? なんだ、その動きは……!」
仲間の兵士が驚愕の声を上げた。
ハロルド自身が一番驚いていた。たった今まで、自分は何の能力も持たないただの兵士だった。だが、**「剣技F」**を習得した瞬間、剣の動きが劇的に向上している。
これがスキルの力なのか——?
混乱する頭で戦い続ける。剣が敵の防御をすり抜け、確実に命を奪っていく。
「う、うわあああ!」
ハロルドは叫びながら、次々と敵を斬り伏せた。
戦場の流れが少し変わった。ハロルドの動きに釣られるように、仲間の兵士たちが奮起し、反撃を始めた。
——そして、数分後。
敵兵は撤退を始め、戦場は徐々に静かになっていった。
ハロルドは泥まみれになった体で膝をつき、荒い息をついた。
「俺は……強くなったのか?」
剣技F。それは戦場で生き残るための小さな力だった。
だが、これで何かが変わるのかもしれない——。
そう思いながら、ハロルドはまだ震える手で剣を握り直した。
(これが……能力を持つということなのか?)
これまで彼は「無能力の兵士」として生きてきた。能力を持つ者には絶対に勝てないと、何度も思い知らされてきた。
それが今、たった一つのスキルを得ただけで、戦場の中で生き残ることができた。
(……まだ戦える)
そう思った瞬間、恐怖よりも、僅かばかりの興奮が体の中に湧き上がるのを感じた。
「ハロルド! 無事か!」
仲間の兵士が駆け寄る。彼らの目には、明らかな驚きがあった。
たった一つのスキル——「剣技F」。
それだけで、戦場での立場が変わるのかもしれない。
(俺は……変われるのか?)
泥と血に塗れた手を見つめながら、ハロルドはゆっくりと立ち上がった。