(1)プロローグ
誤字報告ありがとうございます。
この地域は平民の中の中流が暮らす平民街。そして私が暮らす長屋街。1つの建物は4つに区切られ台所とトイレを除くと一軒当たり四畳半で暮らしている。その長屋で暮らす私の元に知った男が訪ねてきた。
「ねえヘルゲ、こんな薄暗い場所嫌だ。早く“むふふ”しようよ」
「もう少し我慢しろ。この家の女に用事がある。終わったらかわいがってやるから大人しくついて来い」
外から聞き慣れた声がする。この家は隙間だらけだからまる聞こえだ。いきなり戸を開けて話すのは結構だけど、立て付けが悪いのだから丁寧に開けて欲しい。
「この娘はオリエナ、子爵令嬢だ。身分は申し分ない。俺にふさわしいと思うだろ。お前とのことは父親が決めたことだから俺には関係ないし、俺はこの結婚話は一度も承諾していない。お前だってそもそも男爵家の長男とこんな平民が暮らす長屋に住んでいる行商人の娘では身分が釣り合わないと思うだろ。迷惑だからこれからは俺の許嫁とは言わないでくれ。もう俺の前には現れるな」
父が亡くなった翌日にドレイヌ男爵が勝手に決めたこととはいえ、許嫁の私の家に来て、私の知らない子とイチャイチャしながらそんなことを言いにくるかなー。それに私は一度も他の人に許嫁と言ったことはない。こんなとき普通はお悔やみを言うべきと思うよ。
ヘルゲ・ドレイヌは言いたいことを言って、戸も締めず綺麗に着飾った令嬢と一緒に別れの言葉を告げて去って行った。
ヘルゲから言われなくてもそんなことぐらい理解している。そもそも私は彼に恋愛感情はない。貴族に逆らうことは死を意味するから従っていただけだ。
「お父さんどうして死んじゃったの。お母さんが亡くなってから、お父さんだけが私の家族だったのよ。私ひとりぽっちになっちゃったよー」
父は異国の商品を買って、ドレイヌ男爵領で卸している仲買商をしている。商品の主なものはウドリシナ国の貴金属類とガデット王国の衣料品だが、貴金属類は全てドレイヌ男爵に納品している。衣服も含めて、全部卸すように言われているけど衣服のうち半分はドレイヌ男爵に卸すが、残りは貧民街の者に寄付している。貴金属類はウドリシナ国で仕入れた価格の3倍で納品しているが、ドレイヌ男爵はそれを倍の価格で他の貴族に販売しているから卸値を叩かれることはない。今回は3箇月経っていないが、お母さんが亡くなったことをどこで知ったか知らないが、急いで帰ってきた。父が帰ってきたことを知ったドレイヌ男爵から男爵城に以前注文していた宝石を急いで納品するように命令された。父の話では国王の弟夫人が社交パーティーで自慢したいらしい。
父は貴金属と宝石を納品したらすぐに戻ると言っていたが、男爵城から父が私を呼んでいると使者がきた。男爵城に着くと父との商談が終わるまで別室で待たされていたが、黒巾賊が城内に入ったのでドレイヌ男爵自ら父のいる場所まで案内してくれるという。
ヤメルダ王国ドレイヌ男爵領は国の政策による度重なる出兵で領地の治安は最悪だった。首に黒いスカーフを巻いた黒巾賊といわれる盗賊が今にもドレイヌ男爵の城を攻め落とし、ドレイヌ男爵夫人に剣を刺そうとしていたが、宝石の納品に行った父が招待された私の顔を見ると、突然呪文を唱えたと思ったら、男爵夫人を刺そうとしていた盗賊を魔法弓で射貫いた。父はそれから次から次へと盗賊の頭部を射貫き、100人近くいた盗賊は10人近くまで減っていた。黒巾賊の頭領も火炎魔法を使い反撃してきたが、父は重力魔法で頭領を動けなくしたので、ドレイヌ男爵が剣で頭領の首を刎ねた。頭領が死んだことで黒巾賊の反乱は終わった。母が亡くなったので、父は行商先の異国から私を迎えに来てくれたが、私は父の行商先を知らないから知らせることはできなかった。なのにどうやって知ったのだろう。何度尋ねても企業秘密と言って教えてくれなかった。もしかしたら本当に異国の間者?『絶対ありえない。あんな無頓着な間者がいるわけない』
旅立ちの準備はできているのですぐに出発するつもりだったが、父の活躍を見たドレイヌ男爵が治安がよくなるまで留まってくれと頼んだ。
父は異国人に商品を納品しなければならないから、すぐに旅立つと言ったが、
『しばらくの間、私の護衛をしてもらいたい。ほんの1週間くらいだ。それにここにいる間は魔法士の称号を与え給金も出そう。それだけではない、将来アネットとヘルゲとの婚姻も約束しよう。儂も男爵だ。二言はない。必ず約束を果たすからしばらくここにいてくれ』
何度断っても何かと理由をつけられ、1箇月が過ぎた。
そんなとき父の元に異国から早く納品して欲しいと、ボリスと名乗る使者が何度も頭を下げてお願いしていた。昨日、父はもうこれ以上滞在することは無理だと断るために出かけたが、男爵城から帰宅の夜道で何者かに襲われ重傷を負った。血だらけで帰ってきた父は間者と疑われていたこと、黒巾賊を討伐したことで異国に戻ることを警戒されていたこと、母さんはヘルゲに拷問され殺されたことを話してくれた。
私の顔をじっと見て
『大きくなったな。出会った頃のエミリアにそっくりだ。もう思い残すことはない。もう時間がない。アネットの魔力回路を開くから手を出しなさい。これからきっと魔力が必要になる』
と言い、私の手を握ると私の体全体から強い光が出た。
『これで魔力回路が繋がった。あとは練習していけばいい。お前はこれからガデット……に……イザベルに……アネットの……見たかった……』
「お父さん!!!」
すぐに役人を呼んだが、自害したということにされた。弓が刺さっているのに自害なわけないでしょ。貴族がからむ事件だと、役人はいつも関わろうとしない。
その日は近所の人たちがきてくれて葬式の用意をした。翌日には長屋の人たちだけでなく貧民街の人たちも葬式に参列してくれた。
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◆ドレイヌ男爵視点◆
3箇月に一度ガデット王国に行商に行くラインマー・エーゲルの扱う貴金属は安いし品質がいい。しかも儂の仕入ルートの半値で譲ってくれる。もっともっと儲けなければならない。もう少し賄賂を贈れば王弟がいずれ国王になったとき伯爵にすると下知をもらっている。
だが3箇月に1度では強欲な王弟の懐を潤すことができない。毎月納品させるようにするにはどうしたらいいものかと思案していたが、ラインマーにガデット王国の間者だと疑いをかけ、許して欲しかったら毎月納品しろと脅すことにした。
まず、やつの配偶者エミリアに、ラインマーが間者として疑われているが、儂がうまく処理するから、その見返りとして毎月納品させるように働きかけさせる。作戦計画を呟いていたら、ちょうど通りかかった息子のヘルゲに聞かれてしまった。功名を焦ったヘルゲが勝手にエミリアを捕縛して重犯罪人に行う拷問をしてしまった。エミリアは拷問のしすぎで翌朝牢屋の中で死んでいた。
なんてことをしてくれるんだ。計画が台無しではないか。それに無実の者を死なせてしまったのはさすがに不味い。仕方なく黒巾賊に襲われて亡くなったことにした。拷問痕が残っているから娘のアネットにエミリアの死体は見せられない。早々と死体を焼く必要がある。アネットには黒巾賊を取り締まることができなかったこちらにも責任があるからと虚偽の話をし、公費負担で葬儀を出してやった。アネットは放心しているだけで疑ってもいない。たとえ言ってきても平民の命は貴族よりもはるかに軽い。平民に生まれたことが悪いのだ。
エミリアが亡くなったことを知って帰国したラインマーには黒巾賊が殺したと話し、仇を討たないかと誘ったが、行商人には無理だと断ってきた。こちらとしても期待はしていない。疑われないためのポーズだ。お前に期待しているのは貴金属と宝石の納品だ。
ラインマーは拾いものだった。商品の納品にきたラインマーの目前で侍女が風に煽られて3階から落ちたが、重力魔法を使って侍女を救った。侍女は完全に浮いていた。あれほどの重力魔法が使えれば黒巾賊の退治に協力させることができる。貴族への口の利き方も知らない平民だが、利用できるものは何でも利用するのがドレイヌ男爵家の伝統だ。
アネットとヘルゲとの結婚をちらつかせればホイホイと協力するだろうと考えたが、ラインマーは儂への協力を断ってきた。アネットを連れてガデット王国に行く気らしい。
黒巾賊の勢力は思ったよりも強かった。まさか城にまで攻めてくるとは考えていなかった。黒巾賊の頭領は強力な火炎魔法を使って我軍を圧倒した。このままいけば危ない。
黒巾賊の討伐に協力をしなければ『娘の命の保証はできない』と脅したが、それでも協力できないと返事をした。アネットを人質に取ることにした。剣をアネットに向けると、まんまと協力しおった。今はウドリシナ国侵攻には一人でも魔法士が欲しい。
だがこれから小国ウドリシナ国に攻める予定があるのに大国ガデット王国に行かすのは都合が悪い。あれほどの魔法が使えるということは、やつに魔法を教えてたのはガデット王国の魔法士筆頭かそれに近いレベルの人間だ。儂の手元にいる間は監視できるが、このまま行かせては侵攻計画が『おじゃん』になる。帰り道にでも闇夜に紛れて一斉に弓を放てば殺せるだろう。一人殺すも二人殺すも同じことだ。弓隊は王弟に借りればいい。
今日明日は父親の葬儀だろう。訪問客が沢山いるから手が出せない。娘は明日闇夜にまぎれて長屋ごと焼き払って始末するとしようか。
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◆ヘルゲ・ドレイヌ視点◆
この国はもう長くない。あまりにも他国に戦争を仕掛けすぎて兵力は衰退し、国庫はカラッポになっているのに貴族は不正蓄財している。俺の父親も同じだが自分のことしか考えていない。そのうちクーデターが起こってしまう。とある公爵筋から男爵の息子の俺に協力要請が来ているぐらいだ。
国王はどうもウドリシナ国に戦争を仕掛けるようだ。あの国は小さいが良質な金鉱を持っている。だがあそこの王子と大国ガデット王国の娘は婚約している。そんなところに侵攻すればガデット王国が許さないだろう。あの国に逆らえばヤメルダ王国など一晩で滅んでしまうほど国力の差がある。
俺のところにガデット王国の王妃側近から打診があった。ヤメルダ王国がウドリシナ国に侵攻したときは、王妃の息子と娘をウドリシナ国の王族とは離して監禁し、ヤメルダ王国が侵攻するようだったら救い出してほしい。もし成功すればガデット王国の子爵の地位を約束するというものだった。
そんな約束など反故にされる可能性もある。極秘にガデット王国に出かけアナベル王妃に謁見した。そのとき美人で有名なエミリアによく似ているがやや老けた女がいたので、じっと眺めていたら、王妃が『あの女が気になる?あなたは熟女好きなの?欲しければ襲えばいいわ。協力するわよ』と言ってきたから、『いいえ、ただ、あの女によく似た女がいるのです』と話すと、詳しく聞きたいというので、髪色、目の色、顔の特徴、年齢などを話すと、顔つきがみるみる変わり、『その女を殺しなさい』というので理由を尋ねると『あなたは知らなくていい。ガデット王国の問題だから。そうね、もし殺してくれたらガデット王国の伯爵にしてあげるわよ』と返してきた。
信用できないから、書面で約束してもらうことにしたが、本気のようだ。
『条件があるわよ。バルドメロ宰相の子と結婚して私の僕になりなさい。そうすれば侯爵も夢ではないわよ。でもこの国は侯爵以上でないと第二夫人は許されてないから、今は婚約者とか配偶者がいたら駄目よ。そのときまで身の回りを綺麗にしときなさい』
この王妃の保証と国王のサイン付き『伯爵任命状』さえあれば俺は大国ガデット王国の伯爵だ。女など捨てるのはたやすい。
よく聞こえなかったが父親がエミリアの夫を間者と疑っているようだ。俺はアナベル王妃の依頼もあるからエミリアを捕縛してきた。エミリアとその夫が間者でないことなどわかっている。
エミリアを殺すなら今が絶好の機会だ。このまま拷問を続ければいい。父親には叱られたが、そんなことはガデット王国の伯爵の地位に比べればたいしたことではない。俺はいずれ侯爵にさえなる男だ。
父親からアネットと婚約させられた。しかも原稿付きでラブレターまで書かされた。あんな髪がボサボサでヨレヨレのズボンしか穿かない女と婚約なんてあり得ない。
父親がどこからか弓隊を連れてきてラインマーを闇討ちした。翌日香典を持ってアネットと長屋の様子を見てこいと言われたから、新しい女を連れていくことにした。子爵の娘など大国の伯爵となる俺とは釣り合わないが、怪しまれずに平民街の様子を見るために連れていくことにした。香典はたった銀貨1枚だった。見せるのも恥ずかしい金額だ。だから俺の懐に入ったままだ。
アネットは短期間で両親を失って放心していた。とても復讐を思いつくような状態ではなかった。
父親が『何事も大事の前の小事だ。今夜アネットの住んでる長屋を焼き払え』と命令した。アネットは何も感づいていないようだ。平民に生まれたのが悪い。これが終わったらウドリシナ国に侵攻だ。オリエナ、短い間だったが、楽しませてもらった。お前ともお別れだ。
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その夜、私の元に異国の使者がまたやってきて、ここにいては危険だから急いでガデット王国に来るように言われた。ガデット王国には父の住まいがあるらしい。着替えることも許してもらえなかった。だから父と母の姿絵をもって闇夜に逃げるように出発した。入れ替わりに黒頭巾をした集団が私の住んでいた方向に走って行った。小高い丘まできたところで、後ろを振り向くと、私のいた長屋方面がまっ赤に燃え上がっていた。