好きな子の妹と同棲して、合法的に好きな子とも一緒に住んじゃおう大作戦!
人には得手不得手というものが存在する。
例えば俺・加納武文は恋愛というものが苦手だった。
好きな異性に対して積極的に話しかけたり、なんなら断られてもめげずに何度もデートに誘う猛者も、世の中には存在する。しかし俺には、そんな度胸がない。
断られたら、どうしよう。そんな不安が先行してしまって、つい奥手になってしまう。
「好き」どころか、「おはよう」や「さようなら」と言った挨拶すらまともに交わせない。そんなヘタレだ。
だから今日もこうして、斜め前の席に座る想い人・君島皐月を密かに眺めているのだった。
昼休み。
俺が食堂で一人食事をしていると、二つ前のテーブルに君島さんが着いた。
君島さんは、友達が多い。今日も彼女の周りには、複数人の友達が腰掛けている。
もし彼女一人だったら、「お昼一緒にどう?」と誘ったのに。……なんて。
言ってみただけだ。言うのは簡単だからな。
だけど仮に君島さんが一人で昼食を取っていたとしても、ヘタレな俺が誘うわけもなかった。
友達と笑い合う君島さんを見ながら、俺はふと呟いた。
「どうにかして、君島さんとお近づきになれないかなぁ」
せめてあの輪の中に入ることくらい出来ないだろうか? そうすれば、ほんの1パーセント程度だけど、俺の恋が成就する確率も上がるというのに。
俺がそんなことを考えた時だった。
「話は聞かせて貰いましたよ!」
突如一人の女子生徒が俺の真横に現れ、話しかけてくる。
赤茶の髪色やクリッとした瞳が、どことなく君島さんに似ているような気がした。
「……君は?」
「私は君島時雨。何を隠そう、あそこにいる君島皐月の妹なのです!」
君島さんを指差しながら、女子生徒は答える。
……そういえば、1年に妹がいるって自己紹介の時に君島さんが言っていたな。
清楚という単語を具現化させたような君島さんに対して、目の前にいる彼女は見るからに活発そうな性格だ。
容姿こそ酷似しているが、どうやら性格の方は正反対らしい。
「えーと、君島……じゃわかりにくいか」
「君島」では、姉妹のどちらを指しているのか判断つかない。
「ですね。私のことは、どうぞ時雨とお呼び下さい」
「そうか。じゃあ、時雨。お前はどうして俺に声をかけてきたんだ?」
「それはですね、先輩がお姉ちゃんの名前を呟いたのが聞こえたからですよ」
お昼を食べようと空席を探していたところで、偶然姉の名前を呟く俺を発見したらしい。それで声をかけてみたとか。
「……聞かれていたのかよ」
「えぇ! なんとも愛のこもった呟きでした!」
確かに愛というか好意は込もっていたけれど、面と向かってそれを指摘されると恥ずかしいものがあった。
「前、良いですか?」
「あぁ、構わないよ」
俺の了承を得てから、時雨は俺の対面に座る。
誰かと一緒にお昼を食べるなんて、久しぶりだった。
「それで先輩は、お姉ちゃんのことが好きなんですか?」
時雨はド直球で俺に聞いてくる。
……君島さんとお近づきになりたいという吐露を聞かれてしまっているわけだし、今更誤魔化しなんて通用しないか。俺は素直に白状することにした。
「……悪いかよ」
「先輩が女の子を優しくしないクソ野郎だとしたら、悪いです。なんとしても諦めさせます。……でも、先輩はクソ野郎じゃないですよね?」
「少なくとも、自分ではそう思っている」
「でしたら寧ろ、応援してあげます。先輩になら、お姉ちゃんを任せられますし」
時雨の口調は、まるで俺を以前から知っているようだった。
だけど……俺と時雨に面識なんてあったか? 記憶する限り、今日がはじめましての筈なんだが?
「なぁ、時雨。俺たちって、前にどこかで会ったことあるっけ?」
「はい、ありますよ」
「いつ? どこで? 何時何分?」
「やっぱり覚えていませんでしたか。……正確な時間までは覚えていませんが、入学してすぐの頃、通学路で会いました。私の落としたスマホを、一緒に探してくれましたよね?」
「あー、あの時の」
四月の上旬、確かに俺はとある女子生徒のスマホを一緒に探したことがある。あの朝は結局、遅刻しちゃったんだっけな。
「自分が遅刻するとわかっていながら、見ず知らずの私の為に親切にしてくれる先輩が、悪人なわけありません。だから先輩になら、お姉ちゃんをあげます」
「あげますって言われてもなぁ」
そりゃあ、くれるなら欲しいよ? でも、肝心の君島さんの気持ちがわからないじゃないか。
……いや、わからないというのは、かなり都合良く考えすぎているな。
現状俺と君島さんには何の接点もないんだ。何とも思われていないと考えるのが妥当だろう。
「俺が君島さんと付き合うなんて、無理な話だよ。時雨は俺を良い人だと言ってくれたけど、彼女は俺の良いところを知らない」
良いところだけでなく、欠点さえも。君島さんは俺のことを何も知らないのだ。
「つまり、まずはお姉ちゃんと関わることが急務だと?」
「そういうことだ。でも、生憎ヘタレの俺には彼女に話しかける度胸がない。おっ、また一つ欠点が浮き彫りになったな」
冗談を口にする俺だったが、時雨はクスリともしなかった。
代わりに真剣な顔つきで、何やら考え込んでいる。
しばらくして、「よし」と頷いたかと思うと、
「でしたら先輩、私と付き合いませんか?」
「……は?」
時雨の口から飛び出したのは、突拍子もない提案。
俺と時雨が付き合う? どうしたらそんな思考に行き着くの?
「悪いけど、俺は君島さんが良い」
「面と向かって言われると、悲しいものがありますね。……補足説明しますと、付き合うと言っても、あくまでフリです」
「フリ? どうしてそんなことをする必要があるんだ?」
「そんなの、先輩とお姉ちゃんの接点を作る為に決まってるじゃないですか。……よく考えてみて下さい。先輩が私と付き合った場合、お姉ちゃんにとって先輩はどういう存在になります?」
「……妹の彼氏」
呟いたところで、ハッと気付いた。
これまでせいぜいクラスメイト程度だった俺と君島さんの関係が、急激に接近している。
「しかも妹の彼氏となれば、お姉ちゃんは先輩のことを調べ尽くすでしょう。そうなると、必然的に先輩の良いところも知って貰えるっていう寸法です」
「何だ、その完璧な作戦は! 天才か!」
「えっへん。もっと褒めてくれても良いんですよ?」
君島さんと付き合う為に、その妹の時雨と付き合う。
一見本末転倒のような気もするが、それは違う。これは急がば回れだ。
こうして俺と時雨は、偽の恋人同士になった。
◇
時雨と偽の交際を始めて数日が経った日の放課後、俺がいつものように下校しようとすると、昇降口に愛しのハニー(嘘)の姿があった。
友達でも待っているのかな? 或いは、姉である君島さんかもしれない。
知らない仲じゃないし、すれ違い様に挨拶でもしておくか。そう思っていると、
「あっ! 先輩、遅いですよ!」
どうやら待ち人は俺だったようだ。
「もしかして、俺に用事だったのか?」
「そうですよ。……先輩、私と付き合っている自覚あります? あの昼休みの一件だけすっぽり記憶から抜けているなんてことはないですよね?」
「そんなことはない。俺は時雨の彼氏だ。きちんと認識している」
「だったら! どうしていつも先に帰っちゃうんですか! 恋人同士なら、一緒に帰るものでしょうに!」
時雨と付き合い始めたからといって、現状俺の日常に変化はない。だから昨日も一昨日もその前の日も、これまで通り一人で下校していた。
時雨はそのことに、ご立腹みたいだ。
「先輩は、私のこと本当に好きなんですか?」
「いや、全然」
「でしたよね、ごめんなさい。聞いた私がバカでした。……だけど、対外的には私たちは仲睦まじいカップルでいる必要があります。先輩の真の望みを叶える為にも」
俺の真の望み……それは言うまでもなく、君島さんと付き合うだ。
彼女が協力してくれているというのに、俺は何一つ努力をしていない。そのことを、反省するべきだな。
「折角協力してくれているのに、お前の厚意を台無しにするような真似をしてすまなかった。これからは、改めようと思う」
「そう思うなら、手を繋いで帰って下さい。あと、帰りにクレープ奢って下さい」
「手を繋ぐのは理解出来るが、クレープは必要か?」
「必要です。糖分の補給をしなければならないので」
うん、全く意味がわからない。恐らくだが、単に食べたいだけだろう。
しかしこの件に関しては完全に俺に非があるので、ここは素直にクレープを奢ることにした。
約束通り移動販売のクレープ屋で時雨にクレープを奢り、その後彼女を自宅まで送り届ける。
時雨の自宅に到着すると、丁度君島さんも帰宅したところだった。
「あっ、お姉ちゃん! ただいま!」
「おかえり。時雨と……加納くん?」
君島さんは俺を見て、首を傾げる。そして俺と時雨の繋がれている手を見て、もう一度首を傾げた。
「その……二人は付き合っているの?」
「えっ!? そっ、それは……」
一瞬言い淀む俺の手を、「狼狽えるな」と叱責するように時雨が強く握る。……了解した。
「そうだよ! 私と先輩は、ラブラブでイチャイチャな関係なんだ!」
「ねっ、先輩?」。笑顔で圧力をかけてくる時雨に、俺は同調した。
「そう……なんだ。時雨ももう、彼氏を作るような年頃になったんだね」
「そうだよ。ついでに言うと、お姉ちゃんももうそういう年頃だから」
「時雨の言う通りなんだけどね。だけど私は、まだ恋愛と縁がないっていうか……」
「まぁ、こればかりは運命の人といつ出会えるかだからね。お姉ちゃんも早く、先輩みたいな素敵な男の人に出会えると良いね!」
おいおい、時雨さんや。随分攻めた発言をしますね。
彼女は暗に、俺が素敵な男の人か否かを君島さんに問うているのだ。
ここで君島さんが時雨の発言を肯定すれば、多少の脈があると判断して良いだろう。だけど、もし否定したとしたら――
果たして、君島さんの答えは……
「そうだね。早く素敵な人と出会えると良いね」
……イエスでもノーでもない、無難な答えだった。
これでは、脈があるのかどうかわからないではないか。
時雨も「ぐぬぬぬ。手強い」と漏らしている。
期待した成果は得られなかったけど、君島さんとのファーストコンタクトが取れたので、今日のところは良しとしよう。
◇
時雨と付き合い始めて半月、彼女は今日も昇降口で俺のことを待っていた。
たまに君島さんも合流して、3人で一緒に帰ることもあるんだが……どうやら今日は、時雨だけみたいだ。
どちらかと言えば君島さんと帰りたかったからな。ちょっと残念。
そしてそんな俺の考えを、時雨は見透かしていたようで。
「先輩。今日はお姉ちゃんがいなくて、残念ですね」
「……よく俺が残念がっているとわかったな」
「そりゃあ、勿論。彼女ですので」
「「偽物の」が抜けてるぞ」
とまぁ、こんなお約束のやり取りも、付き合い始めて半月が経てば慣れてくるものだ。
毎日のように一緒に下校しているわけだから、当然俺たちの交際は周知の事実になっている。
しかし、なんだ。
時雨の提案を受けて、彼女とカップルのフリを続けているわけだけど……肝心の君沢さんとの仲は、あまり進展しているように思えない。
確かに、多少話すようにはなった。だけど、会話内容の大半は時雨との交際のことだ。
俺と時雨の仲の良さは嫌というほど伝わっていても、俺自身の良さはあまりアピール出来ていないように思えた。
「そうだ。今日なんですけど、先輩の家にお邪魔しても良いですか?」
「え? 無理」
時雨の要求を、俺は間髪入れずに突っぱねる。
「まさかの即答!? 傷付くなぁ」
時雨はあからさまにショックを受ける。しかし無理というのは、拒絶的な意味ではない。
「そうじゃなくてだな。ウチのマンション、一昨日から修繕しているんだよ。だから、今は格安のホテル暮らし」
「そうだったんですか。……先輩って確か、ご両親が海外赴任中でしたよね? だから仕送りとバイト代で生活しているとか」
「あぁ、そうだ」
「毎日ホテル暮らしって……キツくありません?」
「正直言うと、かなりキツイです」
仕送りとバイト代だけじゃ足りないから、泣く泣く貯金を切り崩している現状だ。
「そんな先輩に一つ提案なんですが……マンションの修繕が終わるまで、ウチに来ません?」
「……は?」
突拍子もない時雨の提案に、俺は思わず聞き返した。
「それって……一緒に住むってことか?」
「そうです。ウチで暮らせば、多少節約出来ますし。それに……お姉ちゃんと同棲、したくないんですか?」
「それは……」
したいです。凄く、魅力的な提案だと思います。
「まぁ、全てはお姉ちゃんが許可するかどうかに懸かってるんですけどね。説得は、私にお任せ下さい!」
「そうか。適度に期待しているよ」
結論を言うと、君島さんは案外あっさり同棲もとい同居を認めてくれた。
「加納くんがウチに泊まってくれるのは、私としても好都合だよ。加納くんのこと、もっと知りたいと思っていたから」
俺のことを知りたいだなんて……意外と脈アリなんじゃないかと一瞬思ったけど、君島さんの目を見てすぐにそれが勘違いだと悟った。
あっ、この目は女の子が気になる異性を見る目じゃないな。姉が妹の連れてきた男を吟味する目だ。
かくして始まった、君島さん(とついでに時雨)との同棲生活。
マンションの修繕が終わるまで、およそ1ヶ月。この1ヶ月の間に……何としてでも、君島さんを落としてみせる!
◇
君島家も我が家同様両親があまり自宅に帰ってこないらしい。なので俺は女子高生二人暮らしの家に、上がり込むことになる。
そんな背景もあってか、君島家で暮らすにあたって俺はいくつかの条件を突きつけられた。
一つ、君島さんと時雨の入浴を覗かないこと。
一つ、君島さんと時雨の下着を盗まないこと。
一つ、君島さんと時雨の部屋に勝手に入らないこと。
そして最後に……付き合っているからと言って、時雨とそういう行為に及ばないこと。
言ってみれば、どれも同居生活をするにあたって当たり前のことだった。というか、俺はそんな変態野郎だと思われてたの?
君島さんの裸や下着や自室に興味ないと言えば、嘘になる。しかしそれ以上に彼女の信頼を裏切りたくなかったから、俺は思春期特有の欲望を全力で抑え込んでいた。
そんな生活が1ヶ月続いた頃、俺はある事実に気付き始めていた。
俺って……実は君島さんじゃなくて、時雨が好きなんじゃないだろうか?
時雨との交際を重ねていく上で、俺はそのことを薄々感じ取っていた。
だけどそんなことないと自分に言い聞かせて。恋人のフリをしているから、そう感じてしまっているだけだと理由付けをして。
時雨に対して芽生えつつあった恋愛感情を、見なかったことにしていた。
しかしある時、何気なく時雨にされた質問が、俺の心を変えた。
「先輩。こっそりお姉ちゃんのお風呂シーン覗いちゃいます? それとも、覗くなら私のお風呂が良いですか?」
うん、時雨が良いな。
無意識のうちにそう感じてしまったのだから、もう誤魔化しようがないだろう。
俺は時雨が好きなのだ。
トントントン。
俺は時雨の部屋のドアを叩く。
「お姉ちゃん?」
「いいや、俺だ」
「先輩!?」
「入っても良いか?」
「えっ!? ……ちょっと待って下さい」
恐らく急いで部屋を片付けているのだろう。
一分後、ようやくドアが開く。
「何もおもてなし出来ませんが、どうぞ」
時雨の許しも得たので、俺は「お邪魔します」と彼女の部屋に入った。
「私の部屋に入りたいだなんて、先輩は何を考えているんですか? こんなところお姉ちゃんに目撃されたら、間違いなく追い出されますよ」
「……かもな」
「あっ。そのいやらしい表情、もしかして襲おうとしています。キャーッ! 先輩におかされるー!」
「……好きな子の部屋に入ったんだ。多少はそういう気持ちになっても、仕方ないだろ」
「……え?」
それまでふざけていた時雨が一転、目をパチクリさせて驚いていた。
そしてやっと俺の発言を理解したのか、耳まで真っ赤になる。
「先輩……今先輩、私のこと好きって……」
「言った。俺は時雨のことが好きなんだ」
最初に俺を「良い人」だと言ってくれて、誰よりも俺のことを知っていてくれて、そして、一番近くにいてくれる女の子。それは君島さんじゃない。時雨だったんだ。
そして俺もまた、彼女のことをもっと知りたいと思っている。これを恋と呼ばずに、一体何というのだろうか?
「そんなこと……言わないで下さい」
振り絞るような声で、時雨は言う。
「先輩はお姉ちゃんが好きなんです! お姉ちゃんも、少しずつだけど先輩を認め始めています! だから私は、先輩を諦めようって。諦められるって思ったのに!」
「そうだったのか。そんなお前の覚悟を無駄にするようで悪いが、俺はお前を諦めるつもりはない。何度だって言ってやる。時雨、お前が好きなんだ。お前は……俺のことが嫌いか?」
「そんなの、大好きに決まってるじゃないですか!」
時雨が俺の胸に飛び込んでくる。
俺はそんな彼女を、優しく抱き締めた。
「お姉ちゃんを好きじゃなくなったなら、もう一緒に住んで先輩の良さをアピールする必要もなくなりましたね」
「そうだな。明日にでも、出て行って良いか?」
「ダメです。だってこの家には、私も住んでいるんですから」
今度は君島さんじゃなくて、時雨に俺の良さをもっと知っていってもらおう。そして俺も時雨のことを、もっと知っていこう。
彼女を抱き締めながら、俺はそう思うのだった。