第五幕:1年半前(2)
その日も新聞配達を終えたところで、帰ろうとしていた。港の仕事は休みだったから帰って少し寝ようとしたところで、俺は婚約破棄を宣言した時1度だけ見たメイデルを見かけた。こんな平民街で何をしているんだ⁉︎
何故か後をつけてしまう。
それに気付いたのか、不意に此方を見られた。完全に目が合った。メイデルも少し驚いた表情を浮かべた後で、会釈をして去って行く。それに、なんだか俺は苛ついてしまった。
「おいっ! なんで、こんな所にいる!」
少しだけ大きな声で後ろから肩を掴んで止めると、怯えたような表情になった後、俺の手を払ってから睨み付けられた。
「あなたに、そんな事を言われる筋合いは有りません」
冷ややかな目と口調で、今度こそ去って行く。
それに妙な苛立ちがして、路端の小石を蹴る。フン、と鼻を鳴らして今度こそ帰ろうとした所で、今度は前を塞がれた。
父上と同年代くらいの男。
なんだろう? と首を傾げる。
「貴様は、何の反省もしていないのか」
いきなり低い声で唸るように言われて、は? と男を見る。
「成る程、私と会ったのは初めてだからな。解るわけがないか」
男の続けられた言葉でも尚分からない。男は呆れたのか失望したのか、大きく溜め息を吐き出して名乗った。
「私は、元、ビッセル子爵だった男だ」
それは、先程俺を無視した彼女ーーメイデルの父という事を表した。元、という意味が解らないが。
「元……」
「フン。貴様のやらかした事のとばっちりを喰ったんだ。子爵位を返上して平民になった。王都から出て地方に身を寄せたが、今回はあの子と私とで王都に用事が有ったから出て来たが……。それでこんな男に会うとは皮肉なものだな。神も皮肉な事をなさる」
「俺の、とばっちり……?」
「当然だろう。あの婚約は、国王陛下が直々に結んだ婚約だった。それを何故貴様如きが勝手に破棄出来ると思ったのだ。貴様は陛下の面子を潰したのと同じだぞ。その婚約者となっていたメイデルと我がビッセル家も連帯責任に決まっているだろう。仮令此方に非が無い、と陛下はご理解なされていても、だからと言って我がビッセル家に責任が生じないわけが無い。貴様の両親から説明もされていただろうに。何故、あのように真面目に我ら親子に謝罪をしてきた両親から、こんな阿呆が生まれたのか。いや、恋は盲目と言うからな。目が曇ったか」
元ビッセル子爵は、俺に軽蔑の眼差しを向けつつ、そんな事を言う。確かにリカーラと出会っていた俺は、婚約の話をまともに聞いていなかった。
その結果が平民落ちか、と思っていたが、両親が巻き込まれて爵位返上をしただけでなく、ビッセル家も子爵位を返上して平民になっていたとは思わなかった。
それだけ、あの婚約は、重要だったということか。
ゾッとする。そして重みを実感する。
「そん、なに……あの婚約は意味が」
「フン、今頃か。尤も陛下の命で有る以上、婚約が無意味なわけが無いが。マシだったのは、我等に領地が無かったからだ」
俺の家だったマイスル家とビッセル家に領地が無かったからマシだった?
首を傾げた俺に「まさか、そこからか」 とビッセル元子爵が首を振る。
「本当に、貴様の父から何を聞いていたんだ。まさか全く聞いていなかったのか」
呆れた口調に俺は俯く。
「今更説明しても仕方がない。気になるなら自分で調べよ。ではな」
さすがにそこまで親切に教えてくれる気は無いらしい。それもそうだ。何の瑕疵も無い娘に婚約破棄を一方的に突き付けた上、国王陛下の命であった婚約を破棄した愚か者の俺だ。そのとばっちりで平民になってしまったビッセル元子爵が、俺に親切に教えてくれるわけごない。
もっと罵られても可笑しくなかったのだから。
今回の婚約にどんな背景が有るのか、俺はようやく考え、調べてみる事にした。本当ならば、もっと早くそうするべき……いや、きちんと父上の話を聞いて、貴族としての義務や政略結婚の意味を考えるべきだった。今更過ぎるが、何も知らないままでいるのは、許されない。
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次話は幕間ー現在ーです。