第二幕:3年前(1)
婚約破棄を宣言したのは、俺と婚約者のメイデルが共に初めての夜会に行った時だった。
上位貴族ならば婚約パーティーを開催したのだろうが、俺とメイデルの婚約は急遽決まった事と下位貴族だから開催しなくても別に問題無かった事で開かなかった。但し、同じ下位貴族が集まる夜会に2人で参加する事で婚約をした、と知らしめる。そういう話を父から聞かされ、不機嫌になっていた俺は、メイデルを迎えには行かず、会場で落ち合う、と勝手に決めて手紙で伝えた。メイデルは了承の一言を手紙で寄越した。
俺はこの時夜会の会場となったとある陞爵したばかりの伯爵家の門前で恋人のリカーラを連れてメイデルを待っていた。
メイデルは夜会のドレスで現れ、俺の目の色である薄い青色を纏っていた。俺の婚約者という事を言いたいみたいで、カッとなる。だが、元々エスコートをする気も無いし、リカーラと夜会に出るわけでもない俺は、当然タキシードというわけでも無かった。もちろんリカーラもドレスではない。
そして、夜会会場に入る前に婚約破棄を突き付けた。
会場でやらかして、伯爵家の顔に泥を塗るわけにもいかない。だが、どちらの家でこんな事を言っても取り消されてしまうのではないか、と考えて夜会会場に入る前に宣言したのだ。招待客も見聞きはしているが、会場内でやらかしたわけじゃないから、大ごとにはならないだろう、という考えの元に。
それなのに、メイデルの家から受けた報告で、父上は物凄い剣幕で怒った。
王命だ、なんて信じられなかった。
呆然としていた俺に、廃嫡どころか貴族籍の除籍まで罰として告げて来た。
絶縁宣言まで受けて平民になった俺だが、父上があの平民の娘と結婚したいならすれば良い、と言ったから、その言葉を胸にリカーラの元へ向かった。
でも。俺は王命というものの意味を理解していなかった。
父上は理解していたとは思うけど、リカーラと結婚でもして……なんて言っていたから、ここまでとは思っていなかったのかもしれない。
リカーラの家は平民。
だけど、そこそこに大きな商店だったんだ。平民街ではそれなりに名が知れていた。だからこそ、子爵位でも領地無しの俺が付き合うのはそんなに釣り合わないわけではなかった。でも。そこに店は無かった。店兼家が建っていた場所は更地になっていた。
あの婚約破棄宣言の翌日、父上から怒鳴られっぱなしで最後には呆れられ廃嫡どころか除籍までされた俺がリカーラの家に来たのは、夕方。たった1日。されど1日で、リカーラの家兼店は更地で影も形も無かった。
「おや、あんた……」
リカーラの店兼家の近所で顔見知りの小母さん。
俺を見て困ったような顔を見せた。俺は「何が有ったのですか……」 と掠れた声で尋ねた。
「リカーラちゃんね、なんでも何処かの貴族のお坊ちゃんと交際していたらしいんだよ。あんた知ってたかい?」
俺は、普段、リカーラと会う時は平民と同じ綿素材のシンプルなシャツとスラックスで過ごす。だから小母さんも俺が平民だと思ったのだろう。父上にリカーラの存在を認めてもらうまでは貴族らしい格好でリカーラには会えなかった。
まぁ俺は元々貴族街より平民街をウロウロしていた事もあって、あまり貴族らしくなかったから、小母さんも疑わなかったのだろう。
「ああ、知らなかったんだね。悪いことを言ったよ」
リカーラが俺と付き合っていた事を何故知っているのか解らずに黙っていた俺を、小母さんは勘違いしたらしい。俺は首を振ってから続きを尋ねた。
「リカーラちゃんは、その、貴族のお坊ちゃんと付き合ってて。でもそのお坊ちゃんには婚約者がいたらしいんだけどね。どうやら国王様が認めた婚約だったのに、お坊ちゃんが勝手に婚約破棄した、とかで。お坊ちゃんだけでなく、その恋人だったリカーラちゃんもその場に居たことで、国王様に逆らった、と言われて。
必要な物だけ持って行くのは良いから国外追放って、リカーラちゃんの一家は言われてしまってね。家族全員で無理やり何処かに連れて行かれたよ。多分国境だろうね。後はいくら名の知れた店兼家でも、平民の、だからね。国王様の命令であっという間に取り壊されてこの状態さ。
国王様って改めて凄い人なんだなって思ったよ」
小母さんは、悪い事は言わないから、もうリカーラちゃんの事は忘れな、とそそくさと帰って行った。
俺は膝から崩れ落ちていた。
これが、王命、というものの怖さなのか、と。
貴族で有る事の意味を、きちんと理解していなかったから、リカーラは巻き込まれた。家族ごと。
リカーラの両親も弟も俺のことは知っていた。貴族とは言わなかったけど、お付き合いしている、と。リカーラだけだ。俺が貴族だと知っていたのは。
何も知らなかったリカーラの両親と弟は、どう思ったのだろう。いきなり家を追い出され、家も店も奪われて、故郷も捨てさせられた。
きっと俺を恨んでいるはずだ。
王命、という事の意味も重さも理解していなかった俺に突き付けられた現実。王命に逆らう事の罪すら、俺は理解していなくて。
父上が子爵位を返上した時でさえ、何がそんなに罪なのだろう、なんて全く考えもせず、想像もしなかった。今なら父上がその重さを理解していない愚か者と言った意味を理解していた。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
次話は五年前になります。