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7.【「YES」しかない部屋】 改

 執務室で仕事をしていた夜七の刻過ぎ、今日のお礼を言いたいと言って、竜母様が俺の部屋を訪ねてきた。キャロラインから貰ったという刺繍の施された白いワンピースを着て、少し緊張した面持ちの彼女。


 身繕いした彼女は取り立てて美人というわけではなかったが、女性らしい優しい雰囲気を纏った可愛い人だった。


 肩より少し長いゆるく癖のある黒髪と、黒い虹彩が印象的な大きな瞳。つやつやとした白い肌は、思わず触りたいと思ってしまうほど綺麗だ。  

 草原で発見した直後の彼女はゴブリンの血以外にも、土や草などが顔や髪に付いており、正直ところあまり顔の印象が残っていなかった。  


 ただ俺の腕の中で小さく震える彼女の涙をみて、少しでも安心させてあげたいとは思った。


 今まで女性の涙を見ても心が動いたことはなく、何かしてあげたいと思ったことすらなかった俺が、彼女の涙に胸がチクリとしたのは、きっと彼女を助けた時の状況がそうさせたのだろう。


 深々と頭を下げてお礼を言う彼女は、なぜか俺の顔をまともに見ようとはしない。疑問を投げかけると、汚れている自分を見られたことが恥ずかしかったと、彼女は顔を赤くしながら答えた。


 日々魔物と戦い汚れることに慣れてしまった俺には、それが恥ずかしいという感覚がなくなっていたらしい。部下のキャロラインに「女心が分かっていない」と怒られたときには、ちょっと反省してしまった。


 

 部下が現場で発見した荷物を渡すと、鞄の中から掌に収まる大きさの四角い道具を出して、辛そうな表情を見せた彼女。必死で堪えていたように見えた涙も、ついには溢れ出した。


 俺を気遣い小さな声で謝る彼女に、声を掛けることはせず、今は泣きたいだけ泣かせてあげるべきだと思った。暫く泣いたあと一生懸命に笑顔を作りながら「もう泣かない」と自分に言い聞かせるように告げた彼女。

 その瞳にさっきまでよりも力強い意思みたいなものが見え、弱いだけの存在に見えた彼女の強さに驚いた。


 もっと彼女のことが知りたい。


 何となくそう思った俺はまだ仕事が残っていると言うのに、彼女の手にしている不思議な道具の事や、友達との思い出の話をする彼女を黙って見ていた。


 だけど元いた世界に帰りたいという彼女の話に、家族のことが一度も出てこなかったことに違和感を感じる。意識して家族の話をしない、家族の存在を否定しているような彼女に、俺は敢えて問うことはしない。きっとそうすることが彼女の為だと思ったからだ。


 彼女が部屋に戻ってからも暫くは、あのスマホと言う道具から優しい音楽が流れていた。俺は人より少し聞こえのいい耳でその音楽を聴きながら、残っていた仕事を終わらせた。





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 私は次の日の夕方、竜王の森の魔物討伐から帰ってきた隊長さんの部屋に、また呼ばれた。昨日聞くことが出来なかった、詳しい説明をどうやら聞けるようだ。


 扉の前、緊張からか大きな溜息が漏れる。一度深く深呼吸をして、入室許可の返事が聞こえたドアを押して部屋に入ると、昨日と同じようにクラウド騎士団統括長さん、ケリー魔導師統括長さん、隊長さんの三人がソファーに腰掛けて私を待っていた。


 私が部屋に入ると三人が立ち上がり「お時間をいただきありがとうございます」と頭を下げてきた。昨日とは明らかに違う三人の対応に、私は戸惑いを隠せない。


「ど、どうされたんですか? なんで頭を下げるんですか? 止めてください」


 おろおろとする私に「ユイ様はこの国にとって唯一無二の特別な存在なのです。上位貴族に匹敵する程のお立場になられたことをご説明させていただきます」とクラウドさんが意味不明なことを告げてくる。


 いやいや完全におかしいでしょ。私は異世界から来た一般庶民ですよ。どこにでもいる普通の女子大生。子供のころから自慢出来るようことはなく、見た目だって勉強だって中の中の中......だと思いたい。もしかたら下かもしれないけど。


 そんな私が上位貴族に匹敵? 全く意味がわからない。上位貴族なんて知らないし、私はそんなモノには絶対なりたくない。


 パニックになりそうな私に「ゆっくりと説明させていただきますから、大丈夫ですよ」とケリーさんが穏やかな口調で話しかけてくる。

「とりあえずお茶でもいかがです?」と用意されたルフィナ茶を薦められ、促されるまま深緑色の手触りの良いソファーに腰を下ろした。


 これから自分はどうなるのだろうと、考えれば考えるほど不安になり、少し落ち着こうと手にしたルフィナ茶。それを持つ手は小刻みに震え、唇に触れたカップが歯にあたりガチッと音を立てた。今日はルフィナ茶の味がよくわからない。


 その後ケリーさんから聞かされたのは、これから生まれる仔竜の母君になって欲しいということだった。丁寧な口調のお願いというかたちで告げられたが、決定事項としか思えない、拒否することは出来ない雰囲気で、私はなんと答えればいいのかわからず黙り込んだ。膝の上で握られた掌の汗が、酷いことになっている。


 だいいち仔竜ってなに? しかもその仔竜は将来このバネットブルク竜王国の象徴である竜王になるって。この国の実権は国王陛下が握っているけれど、立場は竜王の方が高いとか。私にそんな大切な仔竜を育てる自信があるわけない。出来るわけないじゃん。そんなの無理に決まってる。


 私にしか育てることが出来ないとか、私の魔力が必要だとか、私は前竜王に選ばれた存在だとか言われたってわかんない。否定的な言葉が頭の中をグルグルと回り、ネガティブな言葉しか出てこない。

 掌の汗は益々酷くなり、今なら掌から湯気でも出せそうな気さえする。


 ケリーさんも、クラウドさんも、隊長さんも、三人とも力になると言ってくれてる。全力で守るし、出来る限り私の希望通りの生活が出来るようにすると約束もしてくれた。真剣な表情を見れば、それが嘘でも上辺だけの言葉でもないのは伝わってきた。

 それでも「お引き受けします」なんて言葉簡単に出てくるわけがない。


 突然異世界に連れてこられ「仔竜の母君、竜母様になってください」って言われても、私には絶対無理。私はソファーで文字通り頭を抱えて蹲ってしまい、頭が考えることを拒否した。





 痛いほどの沈黙が流れ続ける。





 沈黙を破ったのはケリーさんで「まだ時間はありますので、ゆっくり考えてください。でも、我が国はユイ様を諦めませんよ」と言われ、断ることも逃げることも出来ないんだと思った。


 それから姿勢を正すと「今後どんな場面であっても名字を名乗ってはいけません」と告げるケリーさん。意味が分からず私は顔を上げ、少し困惑した様子のケリーさんの黒い虹彩を見つめた。


 この世界には禁忌の術ではあるが、真名を使って掛ける呪いの呪術があると言うケリーさん。竜母である私が真名を口にするのは、大変危険な事だと教えてくれた。


 今の時点で私の真名を知っているのは、今目の前にいる三人と副隊長さん、キャロラインさんだけだ。

 自分を守る為にたとえ国王陛下の前であっても、真名を名乗ることがないよう強く強く念押しをされた。


 呪いを掛けられる可能性のある立場......本当に意味がわかりません。


 副隊長さんのお陰で、この世界で前向きに生きてみようと少し思えた矢先の出来事。  

 眉間に皺を寄せ腕組みをして黙り込むクラウドさん、目を瞑り天井を見上げるようにして考え込む隊長さん、不抜の瞳で私を見つめるケリーさんの三人を残して、私は軽く頭を下げるだけの挨拶をして部屋を出た。


 きっと失礼この上ない態度だったと思うが、この時の私はただその部屋から逃げ出したかったのだ。

「YES」の答えしか用意されていないその場所から、一刻も早く立ち去りたかった。





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