69.【眠り姫にキスを】 改
食堂棟を出て、第三部隊宿舎の三階へ続く階段を、二段飛ばしで駆け上がるクラネル。そしてユイの部屋の扉をノックして中に入ると、この部屋にいるはずのないフランメルが、力なく床に手をついてしゃがみ込んでいた。
「なぜお前がここにいる!!」
怒鳴るように叫ぶクラネルにさえも、視線を向けないフランメル。いや、そうではなく向けられないのだ。ノアの殺気が込められた威圧に、彼は動くことさえも出来ない。
少しでも動けば、自分の身体が一瞬でバラバラになるのではないかと思うほどの恐怖を、今この男は味わっている。
クラネルは無断でユイの部屋に入ったであろうその男を、今すぐにこの部屋から放り出したい気持ちを抑え込み、ユイに近づくのを阻むようにフランメルの前に立つノアに跪き、頭を下げた。
「竜太子様、すぐに威圧を解いていただけないでしょうか!? 食堂が混乱を起こしております。食堂には騎士だけではなく、調理人もおります。
竜太子様の威圧に耐えられず、意識を失うものも出ております。どうか、彼らの為に威圧を解いていただけないでしょうか」
クラネルの言葉を聞き、ノアの身体から流れ出ていた死をも覚悟させるドス黒い威圧は一瞬で消え去り、その瞬間フランメルは止まっていた息を吹き返すように大きく肩を動かした。
『クラネル、この男をすぐに外に連れ出せ!!』
ノアに名前を呼ばれたことに驚きながらも、クラネルは男の首根っこを持つようにして部屋を出て行った。それと同時に青い顔をして部屋から飛び出して来たのは、隊長であるルーカス・ギブソンだ。
「レオ、何があったんだ」
「ルーカス隊長、ユイさんが目を覚ますといけないので、外でお話しします。ほら、しっかり歩け」
踏ん張りの利かない足でダラダラと歩くフランメルに、怒りが収まらないクラネル。その後ろを、ノアも付いて外に出る。
状況から考えて、眠っているユイが部屋に入ることを了承するはずはない。それ以前に、女性の部屋を訪れる場合は、まず尋ねることを告げ了解を得る必要がある。その後約束の時間に部屋の扉を叩き、了承の合図があってやっと部屋に入ることが出来る。
それは信頼関係が出来たクラネルでさえ、絶対に守って来たルールなのだ。それをこの男は、体調が悪く眠っているユイの部屋に無断で入ったのだから、ノアが怒り狂うのも仕方ない。
宿舎の外に男を連れ出すと、そこへマードックがニコルズと共に駆けつけてきた。
食堂棟に向かっている途中、突然第三部隊の宿舎から、今までに感じたことがない程の強烈な威圧を受けた二人。その瞬間、マードックは隣にいる婚約者を、無意識のうちに抱きしめていた。
そして威圧が消えたことを確認すると、直ぐに発生元と思われる第三部隊宿舎に駆け付けたのだ。
そんな彼が目にしたのは自分の部下であるフランメルが、ノアの逆鱗に触れクラネルに引きずられるようにして宿舎から出てくる姿だった。
状況を説明され青ざめるマードックとギブソン。なぜそんなことをしたのかと問い詰めてても、フランメルからの答えは一切聞こえてこない。
『マードック、こいつの処分はお前に任せる。直ぐに僕の前からこいつを連れていけ』
突然聞こえた怒りの籠ったノアの言葉に驚いたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。マードックはニコルズと共に、フランメルを第一部隊の自分の部屋に連れて行くことにした。
『クラネル、僕は食堂に行って話をしてくる。お前は僕が戻るまで、絶対にユイの側を離れるな。ギブソンは僕と一緒に来てくれ』
ノアはそう告げるとギブソン、そして遅れて食堂棟から出てきたラッセルと共に、食堂にいる騎士達の元へと向かった。
ギブソン、ラッセルと共に、通常の大きさのままのノアが現れ、食堂の空気がより一層張りつめる。息を飲む騎士達。
ギブソンは目にした食堂の状況に、ここで起こった出来事を想像し、額に汗を滲ませた。
未だ床に座り込み動けない若い騎士。トレーと共に床に散乱した料理。中には股間を湿らせている情けない者もいる状況。しかしノアはそれらを無視し、先に厨房にいる調理人の元へと向かう。
『皆に僕の声は聞こえるかな?』
穏やかな声で、調理人達に語り掛けるノア。
「竜太子様のお声でしょうか?」
恐る恐る声を上げたのはクックだ。
『そう、僕だ。まず僕は、君達に謝らなければいけない。怒りに任せて威圧を放ってしまい、君達に怖い思いをさせてしまった事を謝罪したい。騎士でもない君達には、耐えがたい苦痛だったと思う。本当に申し訳なかった。
......あと、食堂をグチャグチャにしちゃった事も、ごめん』
「だ、大丈夫です。それより何があったのですか? ユイさんは無事なのですか」
『もう大丈夫だよ。ただ数日は休養が必要なんだ。だから朝の手伝いは、休ませてあげて欲しい』
ノアはそう言うと、息を殺すようにして彼の動向を見守る騎士達の前、全員の顔が見えるようにテーブルの上に身体を下ろした。
『君達全員に僕の声は聞こえてるよね。今から僕が話すことを、聞いて欲しい。
まず、僕はここ最近の出来事に、ちょっとイライラしていたんだ。ユイに簡単に手紙を渡し、好意を表す騎士に。
僕にはね、ユイの相手に求める絶対譲れない条件がある。僕と同じくらいユイの事を大事に思っていて、僕と同じくらい強い男。それが僕が考える最低条件だ』
不快に思っている事を感じさせる声色に、顔を青ざめさせたのは、もちろん手紙を渡した覚えのある騎士達だ。
『でも、それを僕が何も言わずに見ていたのは、僕が気に留めるまでもない相手だったからだよ。僕の洗礼を受けるまでもないって事。......意味わかるよね!?
さっき僕の逆鱗に触れた馬鹿な男がいたから、我慢できずに威圧を放っちゃったけど、あの時動けた騎士がこの中にいた?
僕と同じくらい強いって事は、あれくらいの威圧を平気で躱せる男ってこと。そんなのたった一人しかいなかったでしょ!? それが誰の事かは、言わなくてもわかるよね!?
それでもユイに近づきたいと思う奴がいたら、僕はいつでも試験を受けさせてあげる。あいつと同じくらい強い奴じゃなきゃ、僕は絶対に認めない。僕の試験を受ける勇気がないなら、二度とユイに好意を向けるな』
ここまで言うと、ノアの口調は穏やかに変化した。
『ただし、純粋にユイと友達になりたい人について、僕が何かを言うつもりはない。そして、このことについて、これ以上言うつもりもない。
僕はユイのように、誰とでも気軽に接することが出来る竜王になりたいんだ。壁を作らず、人に寄り添えるそんな存在になりたい。だから、こんなこと言ったけど、僕の事怖がらないで欲しいと思ってる。言いたいことはそれだけ。
あっ、ギブソン。僕のせいで食堂がこんなになっちゃったけど、大丈夫かな? それと、クラウドとケリーがこっちに向かってるみたいだから、後でユイの部屋に一緒に来て』
ノアは自分が言いたいことを言うと、ラッセルを連れユイの元へと戻っていった。
ノアの言葉を聞き、クラネルの事を想うギブソン。息子に超えていかれた父親のような、寂しさと嬉しさが入り交じり合った複雑な気持ちを感じ、その強面の口元を緩ませた。
優秀だと思っていた男は、自分の予想を超え遥か上に駆け上がっていく。この男がこれから見る景色は、一体どんなものなのだろうと......。
そして、ノアが食堂で騎士達に話をしている時、ユイの部屋ではクラネルが静かに寝息を立てている彼女に寄り添っていた。
深刻な状態じゃなかった事に安堵し、ユイの頬に優しく触れるクラネル。指先に感じる温もりに、愛しさが込み上げる。ノアとの約束も、ケントの事も、今この男の頭の中にはない。
ユイの寝顔を見つめ、胸を締め付けるような愛しさを抑えられず、彼女の唇に親指でそっと触れる。そしてその時、微かな声が聞こえた。
「レオさん、だいすき」と。
目を覚ました様子もない彼女の寝言に、自分の耳を疑うクラネル。彼女が好きなのはケントのはずなのに、なぜ自分の名前を呼んだのだろうと。しかし疑問に思いながらも、嬉しい気持ちが抑えられず、気が付けば彼女の唇に自身の唇を重ねていた。
想像よりも遥かに柔らかなユイの唇から、静かに離れると「レオ......さん?」驚いた様子の彼女と目があった。慌てて身体を離すクラネルに「どうして?」と、ユイは困惑しながら問いかけた。
その瞳は微かに揺れ、戸惑いを隠せずにいる。
「ユイさん、すまない。俺は......その、俺は......」
今この瞬間、自分の気持ちを伝えるべきか、ノアとの約束を守るべきか悩むクラネル。ユイに口づけをした時点で、ノアとの約束をやぶっている事には気が付いていない。
このままでは、彼女との信頼関係が壊れると思ったクラネルが、想いを伝える決心をして顔を上げた時、階段を上がってくるラッセルの足音が聞こえた。
部屋の扉が開かれると「ユイさん、目が覚めたの!?」と、ラッセルの明るい声と共にノアが一緒に入って来た。手には、三人分はあるであろう料理が詰め込まれた弁当箱とお茶。
「お腹空いてるでしょ。クックさんがたくさん用意してくれたから食べて」
テーブルの上に広げられた料理を前にしても、ユイに笑顔はない。
「二人ともどうしたの?」
微妙な空気を感じ取ったラッセルが問いかけると「何でもないよ。まだちょっとぼーっとしてるだけ」ユイは、そう言ってゆっくりとベッドから立ち上がり、クラネルは彼女を支えようと手を差し出した。
そんな二人の間に流れる空気の変化に、気が付かないノアではない。
『僕がいない間に何があったの?』
その問いかけに、苦笑いだけで答えた二人。
お互いの気持ちに気付くのは、そう遠くない......の、かもしれない。
ブクマ、評価、感想ありがとうございました。
おかげさまで、第二目標でもあった総合ポイント500達成することが出来ました。
次の目標ブクマ150も、目の前まで来ています。
これからも、地道に一歩ずつ頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。




